洗谷貝塚を後にしますと、次は「水呑八幡宮跡」に向かいます。
◆水呑八幡神社
瀬戸町長和の福井八幡神社は、水呑八幡神社と祭神を同じくしていたが、長和と水呑で再三の口論があり幣皇を持ち帰り、現在跡地として石碑ある場所とは多少違っている(100m北側である)。
奪い取った幣皇を志田原の彦坂神社の「おらび八幡」の所に持ち帰り、更に次の若者が幣皇を持って洗谷一本木(当時の海岸線)まで持ち帰ってここに投げ込んだ。ときに1570年(元亀元年)8月15日のことであったとのこと(1999年11月13日史跡巡りより引用)。その為ここを宮の段という。
八幡神社のご神体については、水呑に限らず、我が村、我が地域に一つ祭って、八幡さんの年中行事の祭典の一つとして、皆で崇拝して楽しむと言うことは、その時代やその時に後世に伝えようとする大事な行事であったと思う。昔はことさらそうした精神的な拠り所が必要であって、その土地の人にとっては今以上に強烈なものがあったと聞いている。
--- 当日貰った〝水呑歴史民俗資料保存会〟資料より ---
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