◆屋敷
平生は農業に従事しながら、村約をつとめ、非常時には城へも駆けつける半農半士の家を想定している。この地方では、山城から至近のところにある本家筋の家がそれに相当する。中世も終わりの頃になると、それらの家は、おそらく現在にも伝わる近世以降の建築様式に近いものであったと思われる。
なお、脇にある社は、町内に現存する株神を模したもので、摩利支天(まりしてん)の神がまつってある。ちなみに、摩利支天信仰は、中世において武家社会で流行したものであり、古く士分であったことを伝えているとみられる。
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