定刻に葬儀は始まりました。
亡き前ご住職に対しまして、GONsanには決して忘れることが出来ません想い出が、たった一つだけ有るのです…
GONsanが小学6年生の時でしたか…子供用の自転車から大人用の自転車に乗り換えて間が無い頃だったように思います。
内海屋商店sanの前から山側への上り道に並行し谷があるのですけど、この上り道から大人用自転車で下って来ます時に、自転車がフラついてそのまま谷底に落っこちてしまいましたGONsanです。
落下と同時に気を失い、あまりの痛さに我に返りますと、眼の前に亡きご住職が…
仔細をお聞きしますと、「あんたが落ちたもんだから、もぅ慌てて谷底に入り、あんたを上に挙げたのじゃ…」と、言っておられましたような。
4m程度の深さの谷ですからアチコチ擦り傷・切り傷はあるものの、幸いに骨折も無く済みましたGONsanですから、お上人には、ただ、ただ、感謝有るばかり。
以来、中学生以降は水呑学区を離れましたGONsanで、お上人にお会いする機会はありませんでしたネ。
それから月日の流れますこと40数年。
15~6年前に職場の異動で郷里・水呑に戻って来ましたGONsan。両親に代わりお寺・墓参りの機会は多くなって来まして、お寺・墓参り時に亡きお上人のお姿をお見掛けする機会も多くなって来ました。
お顔を拝見します度に笑顔を向けて頂き、その都度、GONsanも会釈を返しておりました。
お上人のお顔を眼にします度に、谷底から引き上げ助けて頂いたお礼を、いつか言わなくては…こぅ思いながらも、その機会も無く、そして永久のお別れとなってしまいました。
谷底に落っこちた事は、もぅお上人は憶えておられないかも…
でも、いつか、その時のお礼をお伝えしなくては…
今から振り返りますと、何度か、そんな機会はあったのでしょうけども、いつか、お上人と二人きりになりました時には必ずお礼の言葉を…そんなGONsanの想いも、もぅ叶わなくなってしまいましたネ。
本日の葬儀の場では、前ご住職のご生誕からご逝去の歩みに耳を傾けておりましたけど、誕生時には生存が危ぶまれ出生届は控えられ、年が変わり届出されましたとか…ですから、誕生日は昭和5年となっているが、実際は昭和4年のお生まれ…こぅいぅ経緯がありましたからかどぅか分かりませんけど、僧侶となられましてからも本業は勿論のこと、幼児・児童への指導教育、地域社会へのご尽力…と、お上人の歩まれました道を聴いておりますと、GONsanも目頭に熱いものを…
最後に喪主として現ご住職がお礼のお言葉を…
GONsanは、葬儀の場で凛とした姿勢で喪主が整然と話されますと、GONsanにはとても出来ません事なので、もぅ尊敬してしまいます。と、同時に、何で肉親の葬儀の場で、あんなに冷静に話す事が出来るのだろうか…と、少し不思議な気持ちにも。
GONsanなんぞは、1年の内に両親二人とも亡くしましたけど、いずれの場合も話しの途中で生前の両親の面影が浮かび、涙ぐんでしまいまして、とてもまともな話しは出来ませんでしたネ。
そんな経緯もありますから、現住職はどんなお話を…と、耳を傾けておりましたけど、さすがにお話しは続きませんで、感極まり早めに切り上げられた形になってしまいましたネ。
でも、これが、ごく自然で、当たり前なのでしょうネ…
生者必滅会者定離…分かってはおりましても、哀しいですねぇ…
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日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)