2018年05月
楽しみにしていました5/3~5/6のGW4連休も、早や3日目が過ぎ去ろうとしています。
今年のGWは、何となくバタバタと過ごしましたような…
5/3(木)--終日、自室の整理・整頓・大掃除。
5/4(金)--お寺・墓参りの後は畑の手入れ・草取り。
5/5(土)--早朝は日吉台墓地の草取り、朝食後はまた墓参り。そしてヤッと行楽タイムが持てまして浅口市(鴨方)の「鴨山城跡」散策。
…と、こんな感じで、結構疲れます3日間でありましたようです(^-^;
墓地から眺望します芦田川周辺の景観は、GONsanには見慣れたものですけど、それでもボンヤリと眺めておりますと心が和らぎます。大変イィ景観であります(^.-)☆
そぅそぅ、「鴨山城跡」からの眺望時に山陽自動車道に眼を向けましたら、上り車線が大渋滞でありました。
撮りましたのは、5/5(土)A.M.11:47でありました。場所は鴨方ICの少し手前辺り。GWを利用し帰省され、5/7からの勤務再開に向けまたUターン。大変ですネ(^-^)
GONsanも10数年前までは、こんな時代もありましたけど、まだ若かったですから…今では、こぅした光景を眼にしますだけで疲れてしまいます。
いゃあ、GW中の移動は大変ですねぇ(^-^)//"
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日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)
これは、4/30(月)P.M.8:40に撮りました画像です。
たまたま喫煙のため外に出ますと、眼に入りましたのが我が家前のお宅の建物の間からお月様が\(^o^)/
このお月様のキレイなこと。
カメラを持ち出そうか…とも思いましたけど、ポケットにはスマホ。で、一枚パチリ。
本当にキレイなお月様でありました(^-^)//"
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昨日、友人特派員から届きましたこれらの画像。
うん、うん、相変わらず仲の良いご家族で、GWを利用されお城巡りを楽しまれましたようですねぇ(^_^)v
で、拝見致しますと、まず最初が国宝の松江城ですネ。
◆松江城
松江城は18万6,000石の城下町松江のシンボルで、「千鳥城」とも呼ばれ、望楼型、下見板張り、桃山風の質実剛健の構えが特色である。全国で現存する12天守の一つで、山陰地方で唯一の現存する天守閣。平成27年7月に国宝に指定された。
松江開府の祖堀尾吉晴が慶長12年(1607)から5年の歳月をかけ、慶長16年(1611)に完成させた。堀尾3代、京極1代、松平10代の居城であった。
標高28mの亀田山(城山)の丘陵上に構築された平山城で、豊臣秀吉の臣下にあって加藤清正とともに普請上手(ふしんじょうず)といわれた吉晴らしい実戦本位の設計が随所に見られ、吉晴と親交があり、『太閤記』の作者としても知られる小瀬甫庵(おぜほあん)の縄張り(設計)といわれる。
現存する天守閣は5層6階で高さ約30mの望楼式。南面して付櫓(つけやぐら)があり、これが入り口で土台の石垣の中に地階があり、兵糧蔵、塩蔵、大井戸などかある。2階には6か所に“石落(いしおとし)”があり、外壁も大部分は黒く部厚い下見板張り。
関ケ原の合戦が終わって間もない頃で質実剛健の構えが特色。姫路の白鷺城に対し、千鳥城の名がある。各所に袋狭間(ふくろはざま)(銃眼)が設けられ、最上階の天狗の間からは四方が死角なく展望でき、眺望は格別。
階段は桐(きり)材。柱は1本の外側に板を揃えて合せ鉄輪(かなわ)でしめ太い柱が作られている。天守閣内には創建の頃作られたと言い伝えられる松江城のヒナ型をはじめ武具などが展示されている。
天守閣を中心とした本丸にはこれを囲んで武具櫓、鉄砲櫓、祈祷(きとう)櫓など六つの櫓があり、細長い多門塀(たもんぺい)がこれを連絡していた。しかしこれらは二の丸(現興雲閣、松江神社付近)や三の丸(現島根県庁付近)の各種御殿とともに明治初年に壊された。
天守閣は明治8年(1875)米100俵(180円)とはぼ同じ値段で払い下げられかけたが、出東(しゅっとう/現出雲市斐川町)の豪農勝部本右衛門(もとえもん)らが奔走して買い戻し、取り壊しをまぬがれたという。
石垣に利用されている大量の石材は、松江市の東方にある嵩山(だけさん)の山すそから切り出される「大海崎石(おおみざきいし)」が主に用いられ、堀尾家の家紋である分銅文はじめ各種家紋などを刻んだ石が見られる。石垣はごぼう積みあるいは野面(のづら)積みと呼ばれる工法で構築され、400年を経てなお寸分のゆるぎも見せない。
…と、こんな松江城でありますが、GW中ですから訪れます方は大変多かったのでしょうねぇ~
そして、次の訪問地が「月山富田城跡」。
◆月山富田城跡(がっさんとだじょうあと)
月山の一帯にあり、山陰・山陽十一州を手中に収めた尼子氏歴代が本城とし山陰・山陽制覇の拠点とした月山富田城は、その規模と難攻不落の城として、戦国時代屈指の要害でした。また艱難(かんなん)辛苦に耐える悲運の武将・山中鹿介の出た城として有名です。
この城を築いたのは、保元・平治のころ(1156~1159)、平家の大将悪七兵衛平景清であると伝えられていますが、その他に佐々木高綱や同義清などの諸説がありいずれも明らかではありません。しかし築城は長寛から文治年間(1163~1189)の頃と推定されています。
難攻不落の要塞城と言われており、主家への忠義を貫いた山中鹿介の銅像や供養塔、随所に残る石垣や石畳の古道が往時の面影を伝えています。1934年に国の史跡に指定され、2006年には「日本名城100選(65番)」にも選ばれています。
月山富田城は菅谷口、御子守口、塩谷口の3方面からしか攻められず、城内郭の下段が落ちても、中段の山中御殿で防ぎ、そこが落ちても、主山の月山に登って防ぎ、頂上には堀を築き、守りを固め、一度も落城しなかった天下の名城として知られています。
この月山には、平時は時を告げ、非常時は兵士を招集する太鼓があったという太鼓壇(たいこのだん)という場所があります。現在は春になると、たくさんの桜が咲く名所となっています。
…と、こんな歴代尼子氏が収めましたお城ですけど、GONsanは訪れました事はありません。
富田城跡までは、駐車場から往復1時間を要すとの友人のコメントがありましたけど、画像を拝見しますと復路は楽でしょうけど往路は結構大変みたいですネ(^.-)☆
月山富田城跡ですか…機会がありましたらGONsanも一度出掛けてみたいですネ(^-^)//"
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こぅして皆さんを撮りまくっての2巡目ですから、そろそろ一人や二人は昔のままのお顔の方に遭遇しますかも…と思うのですけど、残念ながらサッパリ(^-^;
9クラスですからGONsanの学年は450人程度で、その内の70名ばかりの方々が今回参加。と言う事は参加率16%ですから、まぁ分からなくても当然と言えば当然です。
あまり気にしません事に致します(^-^)//"
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これはGW前に友人が届けてくれました画像なんですけど、閑散としておりますネ(^.-)☆
翌日からのGWに突入致しますと、一変しまして大変な賑わいとなりますのでしょうけどねぇ~
そぅ言えば本日の朝刊に、このUSJのジェットコースター宙づり事故の件が…
宙づりの状況で2時間とは、さぞ大変でしたものと思います。
GONsanなんぞがこんな状態に陥りますと、血液逆流で体調を崩すことになりましたかも…とは言いましても、うつぶせの宙づり状態で滑走しますこと自体が怖いですから、とても乗れませんけど(^-^;
こんなジェットコースターは、自動制御でチョッとした異常感知で停止します事は多々あるようですから、決して珍しい事でもないのでしょうけど…
それにしましても、ケガされます方はおられませんでしたのが不幸中の幸いです。
GW中にこうしたテーマパークに出掛けられます方々は大変多いものと思います。
楽しめます場所が、一転し恐怖の場所に…
暦通りに明日から4連休のGONsanですが、今のところ何処にも出掛けます予定なんぞありません(^-^)
孫達はどちらかに出掛けますのでしょうけど、何事も無くGWを楽しみまして、無事に戻って来てくれます事を祈るばかり。
毎年、GW中の事故は多いですから、出掛けられます方々は充分留意下さいねぇ(^-^)//"
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4/29(日)の夕方、18:30頃でしたか…何気なく上空に眼を向けますと地震雲らしき雲が…
飛行機雲にも見えるのですけど、暗くなりましても消えませんでしたから地震雲でしたのかも…
この雲は、西方から東方に…それとも、西北から東南方向でしたのかも…今一、どの方向に向かっていましたのか分かりませんけど、この雲に対し直角方向と言いますと鳥取・宮崎方向となりますのかも…
地震雲が発生しまして4~7日後に地震発生が多いですから、暫く地震情報をチェックです(^.-)☆
何事もありませんと宜しいのですけど…
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受付を終えますと、迷わず1組のテーブルへ(^-^)
うん、うん、8名の参加ですけど既に席に着いておられますのは5名の皆様です。とりあえずこの方々を1枚パチリ。
そして、今のうちに席に着いておられます方々を駆け足で一通りパチリとなりました(^.-)☆
画像に納めながら胸の名札のお名前をチラチラと。う~ん、でもお名前とお顔は残念ながら一致致しません(^-^;
50余年の月日の流れは、実に長い期間でありますようです。
一巡しまして自席に戻りますと、ほどなく世話人の方が「集合写真を撮りますので、4階のスタジオに移動して下さい」とアナウンス。
それで、皆さんゾロゾロと移動となりました(^-^)//"
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帰路もまた、往路同様に眼に入ります景観を画像に納めながら(^-^)
この場所に「阿部正方墓域」が存在しますのは、昨年、中国新聞紙上に掲載されますまで知りませんでしたGONsanです。
知りませんでしたのは、GONsanくらいなのかも分かりませんねぇ(^-^)//"
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4月の中旬でしたか…中学時代の同窓生から4/29(日)開催の同窓会参加へのお誘いが…
何でも、参加者が少ないから参加して貰えたら嬉しい…との事でありました。
城南中学校は3年1組で卒業しましたけど、あれから早や50余年経てしまいました。
この間、一度も同窓会には出席した事がありません。それに、同窓会のご案内なんぞ一度も頂いた事がありませんし…まぁ、3~4年毎に転々としていましたGONsanですから、例え案内状を発送して頂いても届かなかったのかも分かりませんけど…
そのような事はさて置きまして、せっかく声を掛けて頂いたのだから…と、今回が初めての参加となりました(^.-)☆
遠い昔の同窓生の皆様に再会致しましても、会話が弾みますかどうか…不安な気持ちも生じます。ですが、この機会を失いますと、もぅ二度と同窓会出席の機会は訪れないのかも分かりません。
こんな想いで今回の参加となりました(^-^)
開催場所は、みやびsan。
P.M.3:00からの開催で、定刻15分前に会場にと到着です。いゃいゃ皆さんお早いですねぇ~大半の方々が既に来ておられますから(^-^;
当時、GONsanの学年は9組までありましたから、1~9組までのクラス単位の9グループ。
迷わず1組のテーブルに向かいますと、GONsanを含みまして女3人・男5人の8名のメンバーです。
誘って頂いたSsanのお顔は勿論分かりますけど、あとの6名の方はサッパリ(^-^;
急いで受付で頂いた同窓会名簿に眼を通すのですけど、これは出席者名簿ではありませんから、名簿を見ましてもやはり分かりません(^-^;
幸いにGONsanはプライベートで使用します名刺を持参していましたから、名刺を差し出し順番に皆さんにご挨拶。
お名前を確認し、う~ん、やっぱり50余年振りの再会であります事を改めて痛感です(^.-)☆
GONsanも同様なのでしょうけど、皆さん、中学時代とは様変わり\(^o^)/昔の面影なんぞ、微塵もありません(^.-)☆
そぅしておりますと定刻となりまして、早速、世話人の方がご挨拶かと思いましたら、4階のスタジオに移動しまして、まずは記念撮影となりました。
挿入の画像がその際のものですけど、ご覧の通り70名程度の皆様のご参加でありました(^.-)☆
それでは4/29(日)の同窓会の様子を、また画像でご案内させて頂きます(^-^)//"
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ジャンル(絵日記)
日常生活を通じて眼にしたこと、感じたこと、出掛けた先の景観…等を、備忘録代わりに絵日記として綴っております(^-^)/"
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・地域 広島県福山市
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↓ 落書きですけど、お上手ですネ(^_^)v
↓ 今は亡きGON子です