この「黒門口登城道」が本丸への最短コースなのではありますけど、上から降りて来られます方には遭遇しません(^-^)
皆さんロープウェイの利用なのだろうなぁ~と思っておりましたら、ヤッと上から人影が(^.-)☆
うん、うん、この登城道を楽しまれます方もおられます(^_^)v
そして、「松山城山樹叢(まつやましろやまじゅそう)」の表示板が…
んっ、「松山城山樹叢」って何なんでしょう?WEB上で検索しますと、こんな記載が…
◆松山城山樹叢(じゅそう)について
・文化財の区分 -- 愛媛県指定天然記念物
・指定(登録)年月日 -- 昭和24年9月17日 指定
・所在地及び所有者(管理者) -- 松山市丸之内 松山市
・解説
松山城山は道後平野の中心地、松山の市街地の中央に位置した標高131.1m、周囲約4km、県中部地域の暖帯林として、景観はもとより、植生も優れた山で、植物の種類も豊富である。
慶長7年(1602年)、加藤嘉明がこの山に築城をはじめた頃は、はげ山であったが、その後、アカマツが植林されて、山一面を覆い、松の山になったと伝えられている。
ここに生育するシダ植物、種子植物は550余種類、それらの中には帰化植物と逸出植物(始め栽培、後放置のもの)が50余種類ある。植物の自然分布から考えると、この地方は暖帯であるから、暖地性植物が多く、シダ植物のヒメウラジロ、イシカグマ、アマクサシダ、トキワトラノオ。
種子植物のイヌマキ、ヤマモモ、ウバメガシ、ホソバイヌビワ、ムベ、ハスノハカズラ、オガタマノキ、カゴノキ、ヒメユズリハ、ホルトノキ、カクレミノ、ヤツデ、タイミンタチバナ、オオハンゲ、ヤブミョウガ、ハナミョウガ、コクランなどがある。
一方、本来の低山、山地性の植物もあり、シダ植物のヒカゲノカズラ、トウゲシバ、オニトウゲシバ、ウチワゴケ、クラマゴケ、オオバノイノモトソウイロハイヌワラビ、ヤマイタチシダ、ハリガネワラビ、ヘラシダ。
種子植物のメヤブマオ、アカガシ、イヌシダ、ヒメキンミズヒキ、ハリギリ、シラキ、ケケンポナシ、シラヤマギク、ガンクビソウ、アブラススキホウチャクチョウなどがある。
また、この山は現在の海岸から直線距離で約6km離れた地点にあるが、海岸性の植物も生育しており、それらはオニヤブソテツ、ツクシケマン、トラベ、ハマヒルガオ、ハマクサギ、コイケマ、ハマスゲである。
つぎに城山の植物の植生状態から考えると、ツブラジイ林:ツブラジイ(コジイ)が高木層を形成しているもので、城山の最も広い面積を占めている。5月上旬には一斉に黄色い花をつけて城山全体が明るくなる程である。アラカシ・タラヨウ・ネザサ・ベニシダなどがある。
アラカシ林:アラカシ・アベマキ・クスノキ・モチノキなどが混生して高木層を形成している林である。他にアオキ・ヤブツバキ・モチノキ・ベニシダなどがある。
クスノキ・ホルトノキ林:クスノキ・ホルトノキは城山全域に生育しているが、高木層の優先種となっているのは北斜面のみである。他にカラカシ・アオキ・カゴノキ・ベニシダなどがある。
ウバメガシ林:小面積ではあるが、西斜面下方にあり、ウバメガシを主とし、他にアカマツ・ゴキダケ・コシダなどがある。
アベマキ林:アベマキを主とし、他にアラカシ・コジイ・ハゼノキ・ネザサ・ヤブコウジ・ヒトツバなどがある。この林は城山の各地にみられるが、いずれも面積は小さく、かつ減少傾向にある。
…と、こんな説明でありました(^.-)☆
◆伊予松山城
・所在地 -- 愛媛県松山市丸之内1
・築 城 -- 伊予国正木城主であった加藤嘉明が、関ヶ原の戦いで東軍に属し戦った戦功により慶長7年(1602年)伊予国20万石を与えられ、それを機に道後平野の中心部にある城山(勝山)山頂に新しい城を築き始めます。最終的には山頂の本丸、山麓に二の丸、三の丸を設けた広大な平山城となりました。
嘉明は翌年の慶長8年(1603年)に伊予正木から勝山に移り地名を「松山」と改め、城も松山城となります。寛永4年(1627年)に一応の完成をみたのですが当時の天守は五層で威容を誇っていたと伝えられています。しかし嘉明は松山城の完成直前に会津藩へ加増転封となり、そのあとへ出羽上山藩の蒲生忠知が入り松山城の完成に力を注ぎました。
寛永12年(1635年)伊勢桑名藩主松平定行が入封、伊予松山15万石の藩主となります。これ以降松平家が明治維新まで続きました。
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