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 暫し紅葉を楽しみました後は、また散策続行です。
 そぅしましたら、今度は「岩崎神社」の案内板が(^.-)☆

 WEB上で「岩崎神社」を検索して見ましたら、

 ◆道後公園の「岩崎神社」に伝わる話

 道後公園内の東側広場の近くに石の鳥居があり岩崎神社がある。「岩崎権現」や「道後の岩崎さん」とも呼ばれている。
 道後公園=湯月城跡は、建武年間(1334~41)河野通盛が築城した。当時、庭の一隅に小祠を建てたのが始まりだという。神社が庭の端にあるから「庭先神社」、これが訛って「岩崎神社」のいうのが社号の起こりという。

 昔、東堀の土手には竹薮があり、春先の竹の子を、ある男が堀りにきた。竹の子堀りにきておかしなことに眠気がさしてきた。そばの木の根元に座り、腰の煙草入れから煙草を出して一服吸い、吸殻をぽんと木の根にはたいた。すると木の根がぐらりとゆらいで、よく見るとそれは大きな蛇であった。その蛇の長さは、ずっと義安寺まであったという。
 男はそれっきり気を失って大蛇に飲まれて死んでしまった。そのあともこの大蛇に飲まれて死んだ者は何人もあったという。

 村人はほとほと困り神社を建立し蛇が暴れないように祈願した。やがて大蛇は暴れなくなり、岩崎神社はこの蛇を祀っているという。
 河野氏の祖である小千命は白人明神と崇敬され、俗に「白蛇」と言われ、この小千命が祀られている。
 そのほか河野家代々の霊、その後土居通増、徳能通綱(星が岡の戦いで有名な南北朝時代の勇将)も祭神として加え祀られている。

 元禄15年(1702)、竹奉行安田又之允源義行が、神霊を古城の南で拾って岩崎大権現を再興したという。
 祭神が蛇なので卵が奉納されることもあり、信心すれば脳、神経痛に効くと言われる。9月14日、15日が例祭である。

 …と、こんな記載がありましたネ(^.-)☆

 それから、武家屋敷方向にと進んで行きますと、今度は「土坑(ゴミ捨て穴)」表示板が(^.-)☆

 ◆土坑(ゴミ捨て穴)

 土坑の大きさは、長さ約2.5m、幅2.0m、深さ0.5mです。
 この土坑は内堀土塁裾に作られた排水溝を壊して掘られています。
 出土遺物は、土師質土器の皿や杯が最も多く、なかでも京都の土器を真似たものが、他の土器溜りに比べて多いことが特徴です。これ以外に釜や擂鉢、備前焼や中国陶磁器、瓦質土器がみられます。
 また周辺では西日本で出土例が少ない丹波焼きの擂鉢もありました。
 最大土坑と同じく儀式や宴会で使用されたものが棄てられらたと考えられ、前方にみられる天然の岩肌のすばらしい景色を眺めながら宴会が行なわれたのでしょう。

 WEB上には、こんな記載もありましたネ(^-^)//"

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