展望台から降りてきますと、今度は、外周を散策となりました(^.-)☆
暫くノンビリと進んで行きますと、樹木に無数の飾りらしきモノが…これは何なのでしょうねぇ~よくよく見ますと顔が描かれておりました。
これは何かのイベントで使用されたモノなんでしょうか…
それからまた暫く進みますと、今度は「重要文化財・湯釜」の表示看板が(^.-)☆
早速、WEB上で検索して見ますと、こんな記載がありました(^_^)v
◆日本最古の湯釜・湯釜薬師
道後公園にある石造りの湯釜。直径が166.7cm、高さが157.6cmという円筒形で、かつては湯口として使われていました。
天平勝宝年間(749~757)に作られ、正応元年(1288)、一遍上人の書で「南無阿弥陀仏」と彫られてあります。また、周りの文字は亨禄4年(1531)に河野通直が天徳寺徳応禅師の温泉記を彫らせたものといいます。
この湯釜は現在の下から湯が出るものと違い、てっぺんの球の部分から湯が吹き出るようになっています。これは当時は湯が自然に吹き出ていたためだそうです。
この湯釜は全国で最古のもの。県指定の有形文化財となっています。
この湯釜に残る伝説があります。時は戦国時代。伊予の国も豪族どうしの戦乱に明け暮れていました。ある時、河野氏に逆らう豪族が湯築城付近で合戦をし、武士たちが湧き出る湯で血のついた刀を洗いました。と、湧き出していた温泉が止まったのですが、湯神社で祈願してもらうと、元のように噴き出しました。河野通直が感謝の気持ちで新たな湯釜を作ったのが亨禄4年だといいます。
湯釜薬師は明治27年に伊佐庭如矢と坂本又八郎が本館を作るまで、養生湯で使われていましたが、新築なったのを期に引退。昭和25年に今の場所に移り、屋根をつけ、湯釜薬師として祀った、という訳です。
・参考資料/松山の文化財・松山市・道後物語・朝日新聞松山支社・愛媛文化双書・愛媛県百科大事典・愛媛新聞社
…との事でありました。
そしてまた歩行続行。そうしますと今度はこの場所のみ紅葉が(^_^)v 日差しに映えた紅葉が実にキレイ(^-^)
でも、ここだけでしたネ、紅葉が楽しめましたのは(^-^)//"
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