妙見(明見)神社を後にしますと、次は「水呑村啓蒙所跡」。
◆啓蒙所
水呑では1872年(明治5年)創設。1873年「水呑村160番学校」と改称。1876年「水呑小学校」と改称された。
参考までに、今から150年前には妙顕寺において三村日修上人が教えていました。また中村では伊藤雄硯氏、竹ヶ端では宇田大吉氏、洗谷では門田喜十郎氏らが自宅で家塾を開いていたと云われている。(水呑町史より)
水呑村啓蒙所跡を去りますと、今回の史跡巡り最後の訪問場所であります水呑公民館横、妙顕寺への参道入り口に存在します大法界。
水呑で一番大きい法界さんです。
◆法界
法界とは、宇宙万物の総称であって、仏法の広大なことを海に例えていう言葉である。広大な宇宙、宇宙の本体と云われている。
これは通称「大法界」と云う。天保4年(1833年)癸己年3月吉良辰。
この大法界の右側に隣接のお宅を、GONsanが幼少時には『ふだば』sanと呼んでおりました。これは、江戸時代こちらのお宅が「札場」でありました関係で(^.-)☆
◆札場
福山藩よりの連絡・伝達分を掲示、伝えた役所。
…と言う訳で、今回の史跡巡りは、ここでオシマイとなりました(^-^)//"
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