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 友人から届きました今朝の画像は、まず「宮崎県総合文化公園」の画像でありました(^.-)☆

 ◆宮崎県総合文化公園

 宮崎県総合文化公園(みやざきけんそうごうぶんかこうえん)は、宮崎県宮崎市にある総合公園である。

 ・歴史

 この地には1924年に設立された宮崎高等農林学校があり、1949年に後継となる宮崎大学農学部が設立された。1972年に宮崎学園都市への移転が決定し、1984年から1988年にかけて順次移転された。
 宮崎県は1983年に、置県100年記念事業として大学跡地に総合文化公園の整備計画を発表。1988年に宮崎県立図書館、1993年に宮崎県立芸術劇場(2008年4月から、ネーミングライツにより「メディキット県民文化ホール」)、1995年には宮崎県立美術館が完成した。
 1998年には、建設省(現・国土交通省)より公共建築百選に選定された。

 ・園内の設備

 公園の敷地は東西450メートル・南北370メートルの長方形で、東側は図書館・芸術劇場・美術館と石畳の文化広場、西側は県民広場となっている。文化広場には噴水や、アメリカの彫刻家ジョージ・シュガーマン((George Sugarman) によるモニュメントが配されている。県民広場には芝生広場や石の広場、しょうぶ園などがあり、災害時の避難場所や遊水地としての機能も持つ。

 この宮崎県総合文化公園内には『川越 進』氏の像が存在しますけど、「川越 進」sanとはどんな方なのでしょう?
 WEB上で検索しましたら、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆川越進 人生の歩き方

 「一党一派に偏らない」

 川越進が鹿児島県会議員となり、宮崎県再置運動に身を投じていたころ、全国では「自由民権運動」の嵐が吹き荒れていました。進も運動に積極的に関わり、宮崎・鹿児島に人脈を広げます。
 当時の活動家はさまざまな派閥に分かれ、団結や分裂を繰り返していましたが、進は不偏不党の立場で運動に関わり、その寡黙で誠実な性格もあって、多くの知己を得たと言われています。

 ・川越進の功績とは

 --- 現在の宮崎県を誕生させた最大の功労者 川越進 ---

 明治時代初期に誕生した宮崎県。その後一度は鹿児島県に吸収合併され、改めて現在の宮崎県が誕生したのをご存知でしょうか?
 鹿児島県の支配から脱却し、宮崎県民(旧日向国人)としての「誇り」と「アイデンティティ」を取り戻すために、各地で多くの有志が立ち上がりました。
 その中心にいたのが、川越進です。

 彼は日向国選出の鹿児島県会議員として初めて、県会議長に就任し、宮崎県の分県を実現。その後も宮崎県会議長や衆議院議員として宮崎県の発展に尽くしました。
 川越進の存在があったからこそ現在の宮崎県があると言っても、決して過言ではありません。

 ふ~ん、こんな立派な方のようですネ(^.-)☆

 そして次は、宮崎神宮に隣接の「宮崎県護国神社」の画像でありました(^.-)☆
 こちらもWEB上で検索です。

 ◆宮崎県護国神社について

 宮崎県護国神社は、国家公共に尽くしたご英霊をまつる神社です。みんなで感謝の誠を捧げましょう。当神社は宮崎神宮境内の西側です。

 宮崎神宮に隣接した場所にある美しい神社です。
 昭和28年4月宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり、神社の再建に着手、昭和30年3月竣工、同日鎮座祭を斎行し今日に至ります。主に大東亜戦争で国に命を捧げたご英霊の遺品を展示している遺品館があります。

 …との事です(^-^)

 ところで、明日・土曜日は、友人はお休みなのでしょうか?もしお休みなのでしたら、また宮崎周辺の観光行きなのかも分かりませんねぇ~ただ、明日の天候が…
 大した降雨でもなさそうにも思われますけど、また出掛けられます先々の画像を楽しみに待っていたいと思います(^-^)//"

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