◆M-3Sロケット
M-3Sロケット(ミュー3エス)は、東京大学宇宙航空研究所と後継機関の文部省宇宙科学研究所(現宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所、以下、東大、ISAS)が日産自動車宇宙航空事業部(以下、日産)と共同で開発し、日産が製造、東大とISASが運用した科学衛星打ち上げ用の3段式の固体燃料ロケットである。
・技術的特徴
L-4Sに誘導制御装置を付加したL-4SCロケット(5機打ち上げ)のうち、4号機、5号機を用いて開発が行われた。 第1段目が無誘導であったM-3Hロケットの第1段に、TVCとSMRCによる誘導制御機能を付加したもの。
SMRCは、ノズルが左右に2つ付いた小型の固体燃料ロケットで、ロケット本体が燃焼中、SMRCの燃料も常時燃焼している。そして常時燃焼している噴出ガスは、内部の電磁弁によって、左右のノズルに振り分けて噴出されることによりロールの制御を行う。
SMRCの実用化には、電磁弁が焼けないような低温の燃焼ガスを長時間、高圧で噴出させる固体燃料が必要であり、宇宙研が開発した独自の技術である。
SMRCは第1段目の4枚の尾翼の先端に装着されている。
「Satellite」・「Sphere」を意味している、L-4Sロケット、M-4Sロケット末尾アルファベット「S」とは異なり、本機の末尾のアルファベット「S」は、「Super Performance」の頭文字「S」である。
…との事ですけど、GONsanにはサッパリ(^-^;
こんな所で働いておられます方々は、素晴らしい人たちばかりなんでしょうねぇ(^_^)v
JAXA内之浦宇宙空間観測所からの帰路では、宮崎県串間市の野生馬を画像に納められましたようですネ(^.-)☆
◆都井(とい)岬の野生馬
都井(とい)岬に住む馬達は御崎(みさき)馬と呼ばれ、堂々として大人しく、人間が近寄っても怖がる様子もありません。海を見下ろす岬で静かに草を食む様子は、穏やかそのもの。
彼らがここに住むようになったのは、およそ300年前。この地を治めていた藩主が軍馬を育てるために放牧した事がきっかけで、その後、ほぼ人の手が入らずに繁殖を繰り返し、野生化したと言われています。
昭和28年(1958年)に純粋な日本在来馬として、国の天然記念物に指定されました。現在約80数頭が、半分人間に守られながらここで暮らしています。
都井岬は南国・宮崎の最南端に位置しますが、やはり冬は寒く、御崎馬たちは森の中で寒さをしのぎます。毎年一月下旬に野焼きが行われ、春から初夏にかけて緑の草原が再生されます。これから暖かくなるにつれて御崎馬たちは、草が豊かな丘で過ごすようになり、春には仔馬(春駒)の姿を見かけるようになります。仔馬はふかふかで、一際可愛らしいのです!
◆御崎馬
御崎馬(みさきうま、岬馬)は、宮崎県串間市の都井岬に生息する日本在来馬の一種。国の天然記念物に指定されている。
・特徴
体高130センチメートル前後、体重300キログラム前後で、ポニーに分類される。
日本在来馬の中では中型馬に分類される。軽種競走馬のサラブレッドやアラブ種と比べると一回り小さく、体形はがっちりして頭部が大きいが、農耕馬として育成されたほかの日本在来馬と比べると足が細いなど幕藩体制下の乗用馬の特徴が保存されている。
毛色は鹿毛、黒鹿毛、河原毛が多く、足首が黒いのが御崎馬の特徴である。
モウコノウマや古い品種のウマによく見られる鰻線という色の濃い線が背中に現れるものが多い。
御崎馬は、都井岬に牧場が開設されて以来300年以上の間、人為的管理をほとんど加えない周年放牧によって粗放に飼養され、繁殖と育成が自然にまかされてきたため、粗食に耐え、体質が強健で、斜面が多い環境に適した発達した後躯を持つなど、都井岬の自然環境に適応した資質をもつ。
御崎馬は1頭の牡と数頭の牝とその仔馬で形成されるハーレム単位で行動する。ハーレムをもたない若い牡などは、牡だけの群れを作る。平均寿命は牡が約14年、牝が約16年。牝は3歳ごろから出産、12歳過ぎごろまでほぼ1年おきに平均5-6頭を産む。仔馬は1-2歳で産まれたハーレムを離れる。
・歴史
江戸時代の1697年に高鍋藩の秋月家が軍事に欠かせない馬の放牧を都井村御崎牧(現在の御崎牧場)の藩営牧場で始めたのが始まりとされる。
明治維新後の1874年に御崎牧場は組合員155名からなる御崎組合の共有牧場として払い下げられた。
1897年に明治政府は種牡馬検査法を公布し、その後国策として内国産馬の体格を向上させるために洋種馬の血統を導入する計画を実施した。御崎馬も国策としての内国産馬改良事業から完全に逃れることはできず、都井岬には1913年に父がスタンダードブレッド、母が北海道和種と南部馬の雑種の北海道産牡馬である小松号が導入され、種馬として1年間供用され数頭の牝馬が種付けされた。
小松号の特徴は、栗毛、流星、珠目正、鼻白、右後一白だった。それ以来、御崎馬には栗毛や白持ちで大柄の馬も出るようになった。しかし、小松号の影響は限られたものにとどまり、御崎馬は純粋度の高い馬群を維持する数少ない日本在来馬として残った。
御崎馬は戦中から戦後にかけて数が減少し、農業の機械化にともない農耕馬としての需要も見込めなくなった。しかし、1953年に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定され、1967年と1968年に発足した都井岬馬保護対策協議会と都井岬馬保護対策協力会が御崎牧場に協力、援助する体制ができた。さらに、1974年からは国、宮崎県、串間市の補助事業として保護策がとられ、御崎馬の頭数はじょじょに増加傾向に転じた。
近年は120頭前後で安定し、半野生状態を維持された希少な日本在来馬として宮崎県の重要な観光資源となっている。
御崎牧場では、御崎馬本来の特徴を守るため、小松号由来の洋種馬の影響を残す栗毛や白持ちの馬を規格外の御崎馬として牡馬を去勢したり要望があった観光牧場や個人農家などの受け入れ先へ出し、御崎馬本来の特徴を保持した馬群を復元、維持するよう努めている。
・伝染病感染による殺処分
2011年3月、宮崎市の日本中央競馬会宮崎育成牧場で、乗用馬1頭が、ウイルス性の家畜伝染病である馬伝染性貧血(伝貧)に感染していることが判明し、殺処分された。馬伝染性貧血の発症例は、日本国内では1993年以来18年ぶりであり、この個体が都井岬生まれであったことから、都井岬の御崎馬の疫学検査が開始された。
4月11日、宮崎県は、前年10月に59頭から採取してあった血清を使った抗体検査によって、都井岬の御崎馬のうち、先に殺処分された馬の母馬を含む5頭から、馬伝染性貧血の陽性反応が出たと発表。さらに5月中旬、約100頭の御崎馬(台帳に記載のあるものは114頭)のうち、馬追いで柵内に収容できた96頭について血液検査が行われ、20日、すでに感染がわかっていたものを含めて計12頭の感染が判明したと発表された(すべて発症を伴わない不顕性感染)。7月にも2度目の馬追いが行われた。
御崎馬は野生馬とされることから、家畜伝染病予防法による殺処分の対象外であり、県は当初「馬伝染性貧血は親子関係で感染することが多く、虫などが媒介し感染が広がる危険は少ない」として、現地で感染馬を隔離、健康状態を観察する方針をとった。しかし、農林水産省は「隔離してもほかに感染する可能性はある」としており、事実、感染馬のうち母馬の反応が陰性であったものが3例確認されたことから、母子感染以外の可能性が浮き彫りとなった。結果、県は国と協議のうえ、「吸血性昆虫の媒介による感染の可能性があり、隔離しても他の馬に感染が拡大する恐れがある」として、7月22日、12頭を薬殺処分した。
時事通信社の報道によれば、この処分により、御崎馬の数は計85頭となった。
…と、都井(とい)岬の野生馬には、こんな歴史がありますようですネ(^-^)
この画像は運良く撮れましたのか、それとも常時こんな光景は眼に出来ますのでしょうか…とにかく、85頭の内の4頭が眼に出来ましたのですねぇ(^-^)//"