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 もぅ随分前になりますけど、JPBLのチェアマンに川淵三郎氏が就任された旨、ニュースで知ってはおりましたけど、バスケットに深い関心がありませんGONsanですから、聞き流しの形で現在に至っておりました。
 が、ご縁有りまして、本日、㈱広島ドラゴンフライズ関係者の方とお話しします機会に恵まれました。
 で、「B.LEAGUE」に関しまして、初めて関心を抱きました状況なのであります(^.-)☆

 ◆ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ

 ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ((英語:Japan Professional Basketball League、JPBL) は日本の男子プロバスケットボールリーグ、およびその運営法人。通称は「B.LEAGUE」(Bリーグ、ビー・リーグ)。初年度(最初のシーズン)は2016年9月22日に始まる予定である。

 ・JPBLが発足するまでの経緯

 日本における男子バスケットボールのトップリーグは2005年にbjリーグがJBAおよびJBL機構から独立する形で発足して以来、2リーグの並立する状態が続いていた。これに対して懸念を示したFIBAが両リーグの統合を促すも実現に至らず、2014年11月にFIBAがJBAの会員資格を停止するに至った。
 2015年1月、FIBAは両リーグの統合を含むJBAの諸問題を改革するため川淵三郎がチェアマン(代表)を務める作業チーム「JAPAN 2024 TASKFORCE」を発足させた。その後TASKFORCEの主導のもと両リーグの統合を検討したうえで2015年4月1日にJPBLが設立され、川淵がその初代チェアマン(理事長)に就任した。

 ★広島ドラゴンフライズ

 広島ドラゴンフライズ(ひろしまドラゴンフライズ、英: Hiroshima Dragonflies)は、広島県を本拠地とするB.LEAGUEの男子プロバスケットボールクラブチームである。

 ・概要

 2013年創設。2014-15シーズンから3シーズンはNBLに参加し、2016-17シーズンからはBリーグに参加している。
 ホームタウンは広島県。中国・四国地方における初のNBL参加チームである。
 チーム名の「ドラゴンフライ(Dragonfly)」は、トンボの英語名。廿日市市の厳島(安芸の宮島)に生息する絶滅危惧種「ミヤジマトンボ」を由来とし、バスケットボールをプレーする様をトンボの生態と重ね合わせ、またトンボの前のみに進む不退転の様は戦国時代に「勝ち虫」と呼ばれ縁起物とされていたことから、この名前をつけることになった。

 チームカラーは、メインが「朱色」サブが「青色」。朱は宮島にある厳島神社の鳥居から、青は瀬戸内海から。
 チームロゴは、ミヤジマトンボと“剣”を中央に、バックは朱と青をベースとした“楯”がデザインされ、バスケの攻守を表現した。
 ホームアリーナは西区商工センターの広島サンプラザホールをメインに各地でホームゲームを開催する。
 運営会社事務所は西区観音新町のマリーナホップ内にあり、オフィシャルショップを併設している。
 事務所やホームアリーナは広島市にあるが、下記設立経緯や必勝祈願を厳島神社で行うなど、廿日市市とも関係深い。

 ・歴史(創設)

 広島のバスケットボール界隈において、小中学校年代では全国レベルのチームは存在するものの、高校以上になると優秀な選手の受け入れ先が無いため、タレントが他県に流出してしまっていた。また、トップカテゴリ(社会人・実業団)チームに関しては、プロスポーツの野球やサッカーのチームあるいは全国的なリーグで活躍するバレーボールやハンドボールのチームはあったものの、バスケットボールに関してはプロチームどころか2003年W1リーグに参加していた広島銀行ブルーフレイムズが廃部して以降、全国的なリーグに参加するチーム自体存在していなかった。

 2005年bjリーグ開幕、2007年日本リーグはJBLに再編する。この中で、広島県バスケットボール協会では地元開催した2006年バスケットボール世界選手権以降のバスケ熱を活かそうと模索していた。
 JBLが再編されNBL発足が決定すると、2013年4月2日廿日市市でスポーツ用品通信販売会社を経営する清水敬司が中心となって「バスケットボールトップリーグ“NBL”に所属するプロチームを広島に立ち上げる会」が発足する。同年5月県バスケ協会に了承されサポートを受けることが決定し、同年7月NBL理事会に参入を届け出て同年8月認可を受け正式参加が決定した。

 2013年8月チーム名を「広島ドラゴンフライズ」に決定、同年10月に運営会社を設立した。発起人となった清水は球団専務に就任、社長には県バスケ協会副会長・専務理事の伊藤信明が就任した。
 初代ヘッドコーチには元日本代表で前日本バスケットボール協会理事を務めていた佐古賢一が就任する。またアシスタントコーチには元日本代表であり元パナソニックトライアンズACの大野篤史が就任した。彼らを起用したGM西明生はシーズン開幕前の2014年7月に退任し社長の伊藤がGM兼任となったが、2014-15シーズン中に佐古がHC兼任でGMを担当している。

 一方、設立当初から営業面に問題を抱えていた。スポンサー契約交渉は難航しメインスポンサーどころかユニフォームスポンサーのないまま2014年NBL開幕を迎え、ユニフォームに関してはシーズン中である2014年12月から入るようになったほどである。そこで、今後始まる予定のJPBL加入に向け営業強化を目的として経営陣一新が決定し、2015年3月に社長の伊藤や専務の清水含め取締役3人が辞任し、新社長として元広島県信用農業協同組合連合会幹事でドラゴンフライズ顧問であった岸房康行が就任した。

 ◇佐古HC時代(2014-)

 創設期から数年の間のチーム編成はほぼ以下の方針がとられた。
 ①創設1年目は、将来を見据えて育成重視で大卒選手を多く獲得。
 ②経験と実力を兼ね備えた選手の補強。特に佐古HCおよび大野ACと過去に縁のありリーグ優勝経験のある選手たちが選ばれた。
 ③地元広島の選手を獲得。

 ①が北川弘・田中成也・坂田央ら、②が竹内公輔や平尾充庸・岡田優介や朝山正悟、③が仲摩匠平と岡崎修司にあたる。これに外国人選手と、その通訳を兼ねて栗野譲を編成に加えチームが作られていった。

 ・NBL 2014-15

 試合経験のないルーキーの多い中、シーズン途中には主力の怪我による離脱や主力として期待されていたオマー・リードの不調からの途中退団など戦力が安定せず、2度の8連敗を記録し勝率は4割を切るなどリーグ勝率自体は芳しくなく、更には1試合平均観客数は1,184人と目標値を下回るなど営業努力にも問題があった。それでもウエスタンカンファレンス3位でプレーオフ進出することが出来(PO1回戦敗退)、そしてオールジャパンでは創立1年目にして準優勝を達成した。

 ・NBL 2015-16
 カンファレンス制が無くなり、上位8チームが出場できるプレイオフ進出を目指したが、8位と5.0ゲーム差の9位に終わる。

 ・B2 2016-17
 今シーズンよりNBLとbjリーグが統合して誕生した新リーグ・Bリーグの2部に所属。

 …と、「B.LEAGUE」&「広島ドラゴンフライズ」は、こんな環境にありますようですねぇ~
 そうなんですか…今月下旬からはBリーグの最初のシーズン開幕なんですねぇ~㈱広島ドラゴンフライズ関係者の方のお話しは、実に勉強になりましたGONsanなのであります。
 機会がありましたら、チケットを求めて、一度、観戦してみたい気持ちも湧いて来ましたネ。10月か11月でしたか…福山でも2試合の開催がありますようですから(^-^)//"