GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆



 これは、夕方、ゴンchanと散策時の芦田川河川敷の一コマなんです。
 何でもない景観ですけど、芦田川近くに暮らしていますGONsanですから、こんな景観に心は癒やされます。
 これでもか、これでもかと、芦田川の景観を飽きもせず撮り続けておりますが、今からも、これからも、ズッと撮り続けて行きます事でしょうネ(^-^)/

GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(20)

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 今回の散策のスタート地点であります「かもがた町家公園」へと戻って来まして、またこの公園内を少し散策。
 この公園内の施設としましては、

 ・伝承館
 江戸前期の町家を細部にわたり修復し、当時の建築技術を見学できる建物博物館です。発見された棟札から、貞亨4年(1687)に修理をした県下で最も古い貴重な町家です。
 正面十間、側面四間、中二階建の店部分と平家建ての座敷部分からなり、正面の全体的な構成、大戸口、格子構は、大変美しく格調高い外観に仕上がっています。(旧高戸家住宅ー県指定重要文化財)

 ・交流館
 伝承館の東に並ぶこの町家は、棟札から延享5年(1748)に建てられたもので、分家の母屋です。伝承館と同様当時の部屋割りにあわせて修理を行い、かまども復元しています。
 この館では、各種グループの研修や歴史学習、伝統行事を行ったり、来訪者のための情報コーナーや和風喫茶、特産品や土産物の展示・販売コーナーがあります。二階は、郷土史料の展示室となっています。

 ・ふれあいの館(西倉)
 伝承館の北側にある土蔵。棟札から、安政3年(1856)に建てられたもので、近隣にはない立派な土蔵です。当時の重要な生活用具や什器などを収蔵していた建物です。
 二階建てとなっており、絵画、書道、工芸、陶芸、写真、生け花等の作品展示やミニコンサート、創作活動等に利用できます。

 ・郷土の館(東倉)
 交流館の北側にある土蔵。建築年代は不明。一階は、歴史や文化・観光等をパネルやビデオで分かりやすく紹介しています。二階は、公園の管理事務所となっています。

 …と、こんな施設がありますけど、その中の一つの「ふれあいの館(西倉)」に入ってみます事に。
 建設されました安政3年(1856)当時の重要な生活用具や什器が収蔵されておりましたけど、中では外人san(オーストラリアの方)お二人が、熱心にメモされながら説明を聴いておられました。
 GWのこの時期に、何でまた「かもがた町家公園」を訪れておられるのだろう?…と、不思議な気持ちも少々湧いてしまいます。
 結構、日本語を話されますから、何かの研究で訪れておられますのかも…

 とにかくGONsanはこの辺で退散です。
 駐車場に戻り周辺を見廻しますと、こんなお宅が…蔦のような植物でびっしりと覆われた建物…たまに見掛ける事がありますネ(^.-)☆
 一見、感じ良く見えるのですけど、ヨーロッパのような石造りの建物では良いのでしょうけど、木造の建物ではどぅなんでしょうねぇ~建物が傷むのでは…と危惧してしまいます。
 でも、こんな感じで植物で覆うには、どんな方法で行えば良いのでしょうねぇ~コツがありますのかも(^_^)v

 それでは、「かもがた町家公園」とお別れです(^-^)//"

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今夜は「福山鞆の浦弁天島花火大会」の開催でありました(^.-)☆

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 本日・5/26(土)は孫が通っています水呑小学校の「春季運動会」の開催日。で、GONsanも観戦でA.M.8:40過ぎから小学校行きとなりました。
 朝の内はドンヨリとした曇天で、暑くなさそうで絶好の運動会日和り…と思っておりましたら、なんのなんの(^-^;
 キツい日差しの下、暑い気温の中での観戦となりました(^.-)☆

 夕方からは、今度は「福山鞆の浦弁天島花火大会」の見物で田尻行き。
 ここ近年は、鞆の浦弁天島花火は、杏畑・エクセル鞆の浦を見下ろします田尻町の山の斜面からの見物です。

 打ち上げ開始はP.M.7:30ですけど、1時間前のP.M.6:30に我が家を出発。
 JA福山田尻支店sanの駐車場に無断駐車(JAsan、申し訳ないです)し、そこから杏まつりの時の散策ルートで十三仏近くまでテクテク山側を歩きとなりました。
 昨年同様に誰もおられませんで、GONsanが独り寂しくカメラを弁天島に…と想いながら、昨年と同じ場所に到着しますと、先客がお一人おられますから少々ビックリ。なんでも市内の川口町から来られましたとか(^-^)
 時間を見ますと、打ち上げまで未だ30分ばかり。この待機時間が大変長く感じられますのです(^-^)

 今夜の花火大会の様子は、また後日、このGONsanの絵日記に綴りたいと思います(^-^)//"

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福山トライアスロン2018…ふ~ん、今年は6/10(日)の開催なんですねぇ~

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 昨年初めて開催されました福山トライアスロン…今年も観戦を楽しみにしていたのですけど、ふ~ん、今年は6/10(日)の開催なんですねぇ~
 確かこの日は、GONsanは何か予定がありましたような…
 で、確認してみましたら、う~ん、残念。この日は親戚の法要でありました(^-^;

 法要よりもトライアスロン観戦の方が大事…と言う訳でもありませんけど、でも、やっぱり少し残念。
 こんな気持ちを抱きますと、お亡くなりになられました方に申し訳ないのではありますが…

 とにかくこのような事情で、今年のトライアスロンは観戦、そして、応援は不能。
 また来年の大会を楽しみに待つ事に致します(^-^)/"

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GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(19)

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 長川寺とお別れし鴨神社方向に進みますと、この途中に存在しますのが西山家一族のお墓が…この墓地には「西山拙斎」のお墓も…
 …と言いましても、GONsanは「西山拙斎」sanが何者なのか存知あげないのですけど(^-^;

 で、WEB上で検索致しますと、こんな記載がありました。

 ◆西山拙斎

 西山拙斎<にしやま せっさい、享保20年8月17日(1735年10月3日)-寛政11年11月5日(1799年12月1日)>は江戸時代の儒学者。浦上玉堂と同じ備中国鴨方藩(現在の岡山県浅口市)の文人。父は医師の恕玄。拙斎という名の小惑星が存在する。

 ・経歴

 16歳のときに大阪に遊学に行き、医術は古林見宣に、儒学は岡白駒に学んだ。岡白駒没後、儒学は白駒の外孫の那波魯堂から学ぶようになり、那波魯堂の上京にも従った。後に那波魯堂は古文辞学から朱子学に転じ、拙斎もまた朱子学に転じた。
 昌平坂学問所の儒官であった柴野栗山に朱子学を官学とするよう説得した。これが老中・松平定信による寛政異学の禁の遠因となったといわれる。39歳のとき、鴨方に欽塾を開き子弟に朱子学を教えた。
 生涯仕官せず、諸侯の招聘を辞した。里謡に「鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎、索我、宮の石橋。」と謡われ、名声は大坂にも知れ渡った。

 …と、こんな立派な方のようであります(^.-)☆

 「西山拙斎」先生のお墓を拝観後には鴨神社へ。
 そして、今回の散策のスタート地点であります「かもがた町家公園」へと下りて行く事となりました(^-^)//"

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GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(18)

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 長川寺まで下りて来ましたら『細川通董公墓所 90m →』の案内標識が(^.-)☆
 墓所まで90mとは至近距離ですから、早速、お参りとなりました。

 そして、WEB上で「長川寺」と「細川通董公」につきまして少しお勉強です。

 ◆長川寺

 長川寺は応仁の乱の兵火によって焼失した際に備中守護細川満国公の菩提寺として細川家に整備されました。
 その歴代細川家の中でも当寺と地域の興隆に最も尽力されたのが鴨山城主細川家七代目の細川通董公です。

 細川通董公は戦国時代から安土桃山時代にかけて備中国浅口郡を統治した武将で戦国大名毛利氏の客将として活躍しました。
 細川通董公は天正3年(1575年)からは長川寺背後の鴨山に聳えていた鴨山城を拠点としましたが、天正15年(1587年)に赤間関(現下関市)で病没されました。
 現在の墓所は4代後裔に当たる長府藩毛利家家老の細川元純が正徳5年(1715年)に建立した物です。浅口市指定文化財にも登録されています。

 ・長川寺(ちょうせんじ)縁起

 長川寺開創から鴨山城主細川家(野洲家)ゆかりの禅寺へ

 清瀧山長川寺は源頼政の末裔である西山宗久がこの地に「梵刹」という先祖供養のための礼拝施設を備えたのが始まりです。西山宗久がこの世を去ってから100年程後の応永14年(1407年)には長川寺背後の鴨山に備中守護細川満国公が鴨山城を築城し初代鴨山城主に君臨します。
 この鴨山城主細川氏の登場により、この地にも武家社会が求める先進的な禅宗寺院が必要とされました。これにより応永19年(1412年)に曹洞宗大本山總持寺の輪住七十三世住職を務められる英厳章傑(えいがんしょうけつ)和尚が長川寺へ迎えられます。
 そして長川寺は鴨山城主細川氏ゆかりの禅寺となりました。しかし細川氏が実質的に鴨山城に君臨し直接的な統治をするのは鴨山城主七代目の細川通董公の登場を待つことになります。

 ◆長川寺と鴨山城主 細川家(野洲家)の盛衰

 長川寺は鴨山城主細川氏(野洲家)ゆかりの禅寺として発展しましたが、二世密山章巌(みっさんしょうごん)和尚代の応仁年間(1467年~1468年)に発生した兵火に遭い伽藍を焼失してしまいます。
 しかし文明年間(1469年~1486年)に入ると鴨山城主三代目細川教春公の助力の下に三世等厳字倫(とうがんじりん)和尚が伽藍を再建されました。この戦乱の時代の中にあって当寺院は衰退しつつもその偉容を維持しました。
 それは長川寺を開かれた英厳章傑和尚以来の男女平等下での布教活動と観音菩薩や地蔵菩薩を中心とした民衆の救済活動が結実したからです。他にも当時の曹洞宗が他宗派よりも葬儀を重視し死後の菩提供養に篤かった事が背景に挙げられます。
 ですが鴨山城主細川氏(野洲家)は畿内の紛争に敗れて急速に求心力を失いつつありました。鴨山城主六代目細川通政(後に輝政に改名)公の時には出雲国(現島根県)の戦国大名尼子氏の圧力を受けて伊予国(現愛媛県)へ逃れてしまいます。

 ◆長川寺と戦国武将 細川通董(ほそかわみちただ)公の興隆

 鴨山城主細川氏(野洲家)は数々の紛争で備中国の支配体制を殆ど失っていました。その領地回復に挑んだのが鴨山城主七代目細川通董公です。細川通董公が各城を転々としながら領地回復のための拠点と位置付けたのが、自身の先祖である備中守護細川満国公によって築かれた鴨山城でした。そして天正3年(1575年)には鴨山城へ入城し、長川寺を自身の菩提寺と定めて寺領120石を寄進し長い戦乱の中で荒廃した諸堂を整備されました。

 このご縁から長川寺には細川通董公の肖像画と墓所が浅口市指定の文化財として現存しています。細川通董公は戦国大名毛利氏の客将として足利義昭等と親交を結び、この地で存在感を増しましたが、豊臣秀吉の九州征伐から帰国中の天正15年(1587年)に赤間関(現下関市)で病没されました。
 そして慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで敗北した毛利氏は周防国と長門国の防長二ヵ国(現山口県)へ減封されます。細川通董公の子息である細川元通公も毛利氏に随ってこの地を去りました。城主不在の鴨山城は廃城となり、この地と鴨山城主細川氏との190年に及ぶ関係は終わりを迎えます。しかし長川寺と鴨山城主細川氏(野洲家)の子孫は仏縁で繋がり続けました。

 ◆江戸期における長川寺の受難と復興

 鴨山城主細川氏(野洲家)が鴨山城を去るとこの地は幕府の直轄領となりました。そして長川寺は慶長10年(1605年)に備中国奉行の小堀遠州公より15石の寄進を受け、また池田輝政公からも10石の寺領を与えられ大いに興隆します。
 しかし元和年間(1615年~1624年)に入ると土砂災害が発生し再び伽藍を流失してしまいました。これに輪をかけて寛文六年(1666年)には岡山藩主池田光政公が寺社整理政策に乗り出すと多くの寺社が統合され、長川寺の末寺も廃寺となりました。

 これら一連の出来事により長川寺は再び荒廃してしまいます。しかし元禄年間(1688年~1704年)に入ると十二世徳雲重憲(とくうんちょうけん)和尚は荒廃した長川寺の復興を決意され、岡山藩主や長府藩の家老にまで出世していた鴨山城主細川氏(野洲家)末裔である細川元教公の協力を取りつける事に成功しました。この多大な援助の下に元禄17年(1704年)、本堂が再び造営されました。それが現在の本堂です。

 また十三世千岳育穏(せんがくいくおん)和尚代の享保年間(1716年~1736年)には鐘楼堂を再建し、十四世嫩昌月柱(どんしょうげっけい)和尚は僧堂や東司を元文2年(1737年)に再造営され、長川寺は往時の風格を取り戻しました。
 この地が幕府直轄領から岡山藩の支配下に移ると、長川寺の歴代住職は旧正月の4日には籠に乗って岡山在住の鴨方藩主に拝謁する事が慣例になり、江戸初期の災害や時代の変革に晒されながらも長川寺は歴代住職と檀信徒各家の信頼と協力によって復興したのです。

 …と、長川寺にはこんな歴史がありますようですネ(^_^)v

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GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(17)

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 そぅこぅしておりますと、左手に長川寺が見えてきました。どうやら「鴨山城跡」散策も終わりに近付いて来ましたようです(^.-)☆
 GONsanは逆廻りの散策でしたけど、正規ルートの入口には「あさくちトレッキングMAP トレッキング&ウォーキングルート」の案内表示が(^_^)v

 それにしましてもこの長川寺は仲々立派な、そして大変整備されましたキレイなお寺のようですねぇ~
 お寺の建物も新しい感じで墓地もまた整然としています。ここ近年に整備されましたのでしょうか…随分古い歴史のありますお寺のようなんですけど…

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GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(16)

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 磨崖仏を画像に納めながら下って来ましたけど、この場所のみ樹木と樹木を繫ぎましたロープが存在です。
 緩やかな斜面の下り道なんですけど、何でロープが!?…と、少し不思議ではありました。が、ロープには眼もくれず下りようとしましたら、ズルズルと滑りますからもぅビックリ(^-^;
 思わずロープをわしづかみ(^-^)
 もし、このロープがありませんでしたら、迷わず滑って転倒しますところでありました。
 幸いにロープ近くを下っておりまして、助かりましたねぇ~

 眼で見ます限りでは滑るとは思えません緩やかな斜面なのですけど、どぅしてどぅして下から見ますと結構な急斜面。
 おまけに落ち葉が結構な量ですから、どう考えましても滑ります。
 いゃぁ、本当に危ないところでありました(^-^)/"

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GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(15)

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 色んな場所に存在します「磨崖仏」なんですけど、時たま、磨崖仏を真正面から拝観しますには、どうしたら行けるのだろう…と、少々悩みます事も(^-^;
 スグ先に磨崖仏があるのですけど、その正面に行こうにも高さのあります岩を下らなくては…この岩を飛び降りましたら、今度は元の場所に戻りますのが難しいし…
 結局、勇気を出して隣りの岩に飛び移り、ヤッとパチリとなりました(^.-)☆

 画像に納めますと、また元の岩に飛び移り。磨崖仏を拝観しますのも、仲々労力が必要でしたネ(^-^)//"

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GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(14)

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GW終盤の5/5(土)は、浅口市の「鴨山城跡」を散策でした(^.-)☆(13)

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 長山寺の西側からの「鴨山城跡」への登山道を、GONsanはあちこちに存在します「磨崖仏」に眼を止めながらの下山ですけど、こんな登山道は下りますよりも上って行きます方が楽なのかも(^.-)☆
 滑らないように結構気を遣いながらの下山です。

 ・鴨山城跡への登山道

 長山寺の西に登山口がある。標高168.2mの山頂までは徒歩で20分程で登れる。途中「磨崖仏」がある。
 別に近くまで車で登る道もある、但しこの道を登る場合「磨崖仏」を見ることはできない。長川寺境内には、第7代鴨山城主 細川通董公の墓碑がある。

 こんな記載がWEB上にありますけど、確かにこの登山道を通りませんと「磨崖仏」には参拝できません。
 少し眺望が開けました地点まで下りて来ましたので、暫し休憩し眺望です(^_^)v
 東方向に眼を向けますと長山寺の墓地が…その向こうの林道をGONsanは往路として選択。
 南方向に眼を向けますと、面白い屋根が付きました建物が…この少し変わった建物は「ふるさとかもがたプラザ(ビッグハット)」と言うようですネ。うん、うん、言われてみますと『ビッグハット』ですねぇ\(^o^)/

 ・浅口市天草総合公園((あさくちしあまくさそうごうこうえん)

 軟式野球の試合などで活気あふれる野球場、気軽に楽しめるテニスコート、水泳にはB&G海洋センターのプールがあり、天草公園体育館や天草公園武道場ではさまざまなスポーツ等でにぎわっています。
 また、全天候型多目的施設のふるさとかもがたプラザ(ビッグハット)では、スポーツ利用のほか、各種催し物も多数開催されています。

 …と、これもWEB上に記載がありましたけど、このビッグハットの下には何にも有りませんようですから、なるほど多目的に使用出来ますようです。
 色んなイベントで賑わいます場所なのでしょうねぇ~

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プロフィール

 ・名前 GONsan
 ・年齢 大人
 ・性別 男子
 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


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