GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

旅の景観・話題

天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
04-720-555

 ◆田村智義 --- 山人 ---

 ・1960年 群馬県前橋市に生まれる
 ・1984年 東京造形大学彫刻科卒業
 ・1990年 播磨新宮石彫シンポジウム
 ・1991年 二科展(以後毎年出品)
 ・1992年 かさおか石彫シンポジウム
 ・1999年 第3回 雨引の里と彫刻

 ◆佐光庸行 --- 海辺の風景 ---

 佐光庸行は、美濃加茂市に生まれ、大学を卒業後、イタリアに渡り大理石彫刻の技術を修得しました。国内外数々の野外彫刻展に参加し、各地に大型の彫刻が設置されました。硬く重い石を柔らかい布や紙のように限界まで彫り込み、自在な風や水を表現しました。そして、石と向き合うなかで自然と人との関係を見い出そうとしました。

 …と、WEB上には、こんな簡単な記載がありましたネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(3)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
08-720-555

 石の彫刻…拝見しておりますと大変楽しいですネ(^.-)☆
 ただ、凡人のGONsanには、創作者が何を表現しておられますのかは、サッパリ(^-^;ですけど、こぅして観て廻りますのは実に楽しいですねぇ\(^o^)/
 後方を振り返りますと、先ほど登りました栂丸山の頂きが(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(2)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
01-720-555

 不思議な形をした様々な石の彫刻が連なります『彫刻広場』…春先とか秋でしたら、のんびりとアートを楽しめますのですけど、暑い中でのウォーキングですから流れる汗(^-^;
 それでも、彫刻広場は楽しめます(^.-)☆
 さすがに、この辺りまでは人影はありませんでしたネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(2)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
04-720-555

 ◆日髙 定光(ひだかさだみつ)

 1959年 高知県土佐清水市に生まれる
 1981年 名古屋芸術大学彫刻科卒業
 1987年 第41回二紀展奨励賞受賞。同作品88年に東広島美術館に設置
 1988年 広島県美展奨励賞受賞
 1992年 第2回かさおか石彫シンポジウム(岡山)かさおか太陽の広場に設置・福山市立福山高等学校に作品設置
 1993年 第45回広島県美展奨励賞受賞・福山市立芦田中学校に作品設置
 1995年 倉敷第一病院の中庭、石のゲートを制作
 1996年 1996日向現代彫刻展にて「三樹博」記念賞を受賞
 2003年 株式会社アキタに作品設置(広島)
 2007年 第10回KAJIMA彫刻コンクール模型入選(東京)
 2010年 ふくやまアートウォーク・2010
 現 在 広島県福山市を拠点に制作活動中

 ◆高濱 英俊

 1957年 熊本に生まれる
 1983年 瀧富士賞
 1985年 東京芸術大学大学院修了・新制作展
 1988年 熊谷野外彫刻展・石のさとフェスティバル・新制作展
 1989年 ヘンリームーア大賞秀作展・現代日本彫刻展・現代九州彫刻展・神奈川県美術館・カジマ彫刻コンクール・野外の表現展・ユーモァ彫刻展(奨励賞)・OPEN AIR EXHIBITION IN WANPAKU 1989・新制作展
 1990年 ロダン大賞優秀作品展・須磨離宮公園現代彫刻展エスキース展・個展[ギャラリー山口]・昭和記念公園野外彫刻展・個展[銀座熊本館]・五木の子守唄コンクール(準大賞)・オブジェ東京展・新制作展
 1991年 風のビエンナーレまくらざき・石のさとフェスティバル(タダノ賞)・国際彫刻シンポジウム<ハンガリー>・ロダン大賞優秀作品展・路上美術館<池袋>・野外の表現展・新制作展・ストーンミュージアム石の彫刻展(以後毎年)
 1992年 現代日本具象彫刻展・木内克大賞野外彫刻展・野外の表現展・個展[CTIウィンドウ ギャラリー]・かさおか石彫シンポジウム・個展[原宿ストーンギャラリー]
 1993年 風のビエンナーレまくらざき・富士見高原国際彫刻シンポジウム・日向現代彫刻展・新制作展
 1994年 モダンアート展(以後毎年)・宮崎現代彫刻空港展・日向現代彫刻展・モダンアート明日への展望展(俊英作家賞)・個展[原宿ストーンG]
 1995年 宮崎現代彫刻空港展・鳩山野外彫刻展・山口大理石現代彫刻展・荒川リバーアート コンテスト(特賞)・個展[G和田]・モダンアート明日への展望展(以後毎年 1999年を除く)
 1996年 ハウスクエア横浜ウィズアート96展・富士火災アートスペース・個展[ときわ画廊]
 1997年 個展[G青羅]・モダンアート展(奨励賞)・宮崎現代彫刻空港展
 1998年 宮崎現代彫刻空港展・モダンアート展・個展[ときわ画廊]
 1999年 個展[ギャラリー space S]・ロックハートシンポジウム・グループ展[すどう美術館]
 2000年 空間との対話展(熊本県立美術館)・子供美術館(熊本県立美術)
 2001年 Private Landscape展(Landギャラリー)・二人展(ギャラリーINOS)・個展[奈義町現代美術館]・個展[大丸 東京店]

 ◆槇 渉

 1949年 石川県に生まれる
 1972年 金沢美術工芸大学彫刻科卒業
 1976年 新制作協会展(新作家賞)
 1978年 雲洞庵シンポジウム企画参加(新潟)
 1979年 金沢彫刻展(以降毎年出品)
 1984年 大宮野外彫刻展('87年/埼玉)・大宮彫刻シンポジウム
 1987年 白馬野外彫刻シンポジウム(長野)
 1989年 現代茨城の美術展(茨城県立近代美術館)
 1991年 ラブロード50石の彫刻コンクール(優秀賞)
 1992年 大理石彫刻家シンポジウム(長野)
 1993年 第3回かさおか石彫シンポジウム(岡山)
 1995年 公募彫刻展in能生入選(新潟)
 1997年 第5回笠岡石彫シンポジウム(岡山)
 1998年 おかやま彫刻アート・ジャンボリー(優秀賞)
 1999年 第3回雨引の里と彫刻('01 茨城)

 WEB上で検索しますと、こんな方々のようですネ。
 ただ、高濱英俊sanに関しましては、こんな記載もありました。

 ◆通行人女性に下半身見せる、彫刻家の男逮捕 余罪多数か 群馬県警

 --- 2018.6.21 14:32 THE SANKEI NEWS ---

 女性の前で下半身を露出したとして、群馬県警前橋署などは21日、公然わいせつの疑いで、同県吉岡町上野田の彫刻家、高浜英俊容疑者(60)を逮捕した。調べに対し容疑を認め、「ストレスがたまってやった」と供述している。
 逮捕容疑は8日午後6時20分ごろ、前橋市内のアパート駐車場で、通行人の女性会社員(40)の前でズボンのチャックを開けて下半身を露出したとしている。
 女性が「何をしているんですか」と話しかけたところ、現場から逃走した。同署管内では平成27年10月ごろから、同様の事件が約10件発生しており、余罪があるとみて調べている。
 画廊や美術館のホームページで公開されている経歴によると、高浜容疑者は熊本県生まれで、昭和60年に東京芸術大大学院美術研究科彫刻専攻修了。埼玉県朝霞市にある東洋大学キャンパスや、帝国データバンクの東京ビル(東京都港区)や大阪ビル(大阪市西区)などの屋外彫刻を手掛けている。

 …と、こんな記載でしたけど、高濱英俊sanのご経歴には2002年以降が公表されていませんようですから、創作活動面で深い悩みでもお持ちでしたのかも…
 人生、色々ありますねぇ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(1)

01-720
02-720
02-721
02-722
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
04-720-555

 「神島天神社」を後にしますと、これもせっかくの便だから…と、これまた久し振りに「かさおか太陽の広場」をウォーキングして帰ります事に(^.-)☆

 ◆かさおか太陽の広場

 笠岡湾干拓地の締切堤防沿い約3kmに及ぶ多目的広場です。遊歩道沿いには四季折々の花が咲く花壇と転々と連なる石の彫刻などがあり、散歩やジョギングには最適。また、ローラースケート場やBMXコースなどが整備されており、大人から子どもまでが楽しめます。噴水広場は夜の間、光のイルミネーションがきれい。自転車・遊具は管理棟にて無料貸出しています。

 ・彫刻広場
 不思議な形をした様々な石の彫刻が連なります。のんびりアートを楽しむのもおすすめです。
 ・千本桜
 笠岡湾干拓の堤防沿い約3kmにわたって大島桜という品種が植えられ、千本桜として親しまれています。見頃:4月上旬~4月下旬。
 ・芝桜
 芝桜を見られる、県南では数少ない名所のひとつです。4月中旬~下旬に見頃を迎えると、可憐な花が石の彫刻を囲むように咲き誇ります。

 ◆かさおか太陽の広場

 市制施行40周年記念事業として平成6年5月に完成した「かさおか太陽の広場」は子供から高齢者まで幅広い年齢層の人達の健康づくり、仲間づくりができる野外型の交流広場として広く利用されています。
 無料駐車場は7箇所で480台程度ご用意しています。

 …と、こんな「かさおか太陽の広場」であります。
 笠岡湾に沿って南北に伸びておりまして、マップ上で計測しますと、2,897mですから、南端の駐車場から往復しますと、往復5,794mです。約6kmのウォーキングとなりますけど、画像に納めながら進みますと、結構時間を要しますかも(^.-)☆
 早速、ウォーキング開始です(^-^)
 駐車場を北方にスタートしますと、スグに彫刻広場が続きますので、順番に拝見して行きます事に。

 ◇MEMORY(メモリー)末田龍介
 熊本県生まれ
 東京芸大彫刻科卒
 展覧会 -- 新制作展・現代日本美術展・かさおか石彫シンポジウム・小田原城野外彫刻展・第4回大分アジア彫刻展等
 モニュメント -- 風の門(岡山県笹岡市民病院正門)・PRIMORDIA:DREAM(大分県きのこ研究指導センター)・風の標識(神奈川県小田原市上府中公園)・G3の木(熊本県小国町交通センター)・MEMORY(岡山県笹岡市太陽の広場)・天の稜線(熊本県庁新庁舎)・水鳥(熊本市営プールアクアドームくまもと)

 ◇移りゆく光と影のための彫刻 岩間 弘
 岩間 弘 イワマ ヒロシ
 1956年 富山県出身
 1981年 金沢美術工芸大学大学院彫刻コース修了
 1990年 新制作展 新作家賞受賞(同賞 1991年受賞)
 1995年 第5回東京野外現代彫刻展 東京都知事賞受賞 新制作協会 会員推挙
 2000年 個展 ギャラリーせいほう(同 2005年)
 2006年 米子彫刻シンポジウム参加
 2010年 タッチアート展(川越市立美術館)
 2014年 岩間弘彫刻展「交感」(スパイラルガーデン)
 2019年 第29回平櫛田中賞受賞

 …と、WEB上で調べてみますと、いずれも凄い方々のようであります。ですが、作品と作品に付けられましたタイトルに眼を向けておりますと、う~ん、GONsanには難しすぎる(^-^;
 楽しく拝見出来るのですけど、凡人のGONsanには、仲々難解な作品ではありますネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

栂丸山から下山後は、「神島天神社」に立ち寄りでした(^.-)☆(4)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
01-720-555

 「カブトガニ繁殖地」の案内表示板にカメラを向けながら、この沖を笠岡諸島へのフェリーが通過しましたら、イィ景観なのに…と思ったりもするのですけど、残念ながら一隻も通りませんでしたネ(^-^)
 それでは、「神島天神社」から退散です(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

栂丸山から下山後は、「神島天神社」に立ち寄りでした(^.-)☆(3)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
03-720-555

 境内には、他にも「人生是れ行なり 笠岡市長 小野 博」の石碑や、「小見山 輝」の歌碑が…

 ◆故 小野 博(初代~第6代笠岡市長)

 「明治42年12月10日~平成9年2月8日」
 昭和13年7月笠岡町役場に入り、地方行政に参与すること37年、昭和22年地方自治法の施行以来笠岡町長5年、笠岡市長24年(6期)を務め、特に土地と水不足の解消を実現するなど、本市の発展と自治の振興に献身されました。

 ◆神島の歌人、小見山輝氏の歌碑。

 ・小見山輝 プロフィール

 昭和5年岡山県笠岡市生まれ。昭和26年「篭」入会。服部忠志に師事。昭和28年、加藤克巳の「近代」に参加。平成7年「篭」代表。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ参与。岡山県歌人会会長。平成24年岡山県文化賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 --- 『小見山輝歌集 現代短歌文庫』より ---

 …と、こんな方々のようであります(^.-)☆
 そして、神社前の防波堤の向こうは、「国指定 天然記念物 カブトガニ繁殖地(カブトガニ保護指定地区域)」ですネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

栂丸山から下山後は、「神島天神社」に立ち寄りでした(^.-)☆(2)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
02-720-555

 境内を見廻しておりますと、こんな歌碑が…

 遣新羅使人
 月よみの光を清美 神島の磯廻乃浦中 船出すわれは 万葉集
 鹿児島寿蔵 書

 と、刻まれておりましたので、早速、WEB上で検索です。そうしましたら、こんな記載がありましたネ(^.-)☆

 ◆遣新羅使(けんしらぎし)

 よみ
 月読(つくよみ)の、光りを清(きよ)み、神島(かみしま)の、礒廻(いそみ)の浦(うら)ゆ、船出(ふなで)す我(わ)れは

 意味
 月(つき)の光が清らかなので、神島(かみしま)の、磯に沿って浦を通って船出(ふなで)をします、私たちは。

 補足
 天平八(西暦736)年、遣新羅使(けんしらぎし)が別れを惜しんで詠んだ歌、海路で心を痛めた思いを陳(の)べ、その場その場で詠んだ歌々のひとつです。
 月読(つくよみ)は、月(つき)のことです。

 ・神島の天神社の歌碑
 岡山県笠岡市神島にある天神社にはこの歌の歌碑があります。

 ついでに、「遣新羅使人」も検索です。

 ◆遣新羅使

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 遣新羅使(けんしらぎし)は、日本が新羅に派遣した使節である。特に668年以降の統一新羅に対して派遣されたものをいう。779年(宝亀10年)を最後に正規の遣新羅使は停止された。

 ◇背景・前史

 日本(倭国)は4世紀に新羅を「臣民」としたことが「広開土王碑」に見え、451年(元嘉28年)には宋から済が「使持節都督新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事安東大將軍倭國王」(『宋書』倭国伝)にされるなど、一定の交流関係があったことが推定されている。『日本書紀』によると、6世紀、新羅真興王に伽耶が滅ぼされるなど極度に緊張した日羅関係下にも、新羅から倭国へは任那の調の「朝貢使」や高句麗使の送使などを名目とした使者の派遣があり、倭国からも推古朝の草壁吉士磐金、皇極朝の草壁吉士真跡、高向博士黒麻呂などの新羅への派遣があったことが記録されている。

 特に遣新羅使が頻繁に任命されるようになったのは、唐の進出により百済が滅亡し、白村江の戦いにより唐との関係が緊張してからである。このような状況の下、日本と唐は遣唐使を行うなどで関係改善しつつあったが、唐が日本を征伐するという風聞があったこと、668年に高句麗の宝蔵王が唐に投降(唐の高句麗出兵))たことで唐からの圧力が強まったことに危機感を覚えた新羅との利害が一致した。そこで、共同で対抗しようとする動きの一環として交流は頻繁になったとみられる。白村江の戦いにおいて日本と新羅との直接的な戦闘がほとんどなかったことなどから、日本側も受け入れやすかったと推定されている。日本側の目的としては、先進技術の収集のほかに、海外情勢の調査もあったと考えられている。

 ◇経緯

 統一新羅からの第1回目の使者の帰国に際しては、朝廷から新羅王に対して船1隻、絹50匹、綿500屯、韋100枚が賜与されており、当時の朝廷の対新羅観を見ることが出来る。このころには新羅への留学僧が帰国後重用され、日本の律令官制の特徴である四等官への新羅官制の影響が認められるなど日羅関係は極めて良好であった。

 しかし両国関係は、朝鮮半島を統一し国家意識を高め、日本との対等な関係を求めた新羅に対して、日本があくまで従属国扱いしたことにより悪化した。『続日本紀』によれば、735年(天平7年)入京した新羅使は、国号を「王城国」と改称したと告知したため、日本の朝廷は無断で国号を改称したことを責め、使者を追い返した。しかし統一新羅になってからは「遣新羅使」の名称が示すとおり必ずしも日本への朝貢関係をとったとはいえない。このころ、渤海の成立を受け新羅と唐の関係が修復されてきており、渤海も日本へ遣日本使を派遣していることが関係していると見られている。翌736年(天平8年)には遣新羅大使の阿倍継麻呂が新羅へ渡ったが、外交使節としての礼遇を受けられなかったらしく、朝廷は伊勢神宮など諸社に新羅の無礼を報告し調伏のための奉幣をしており、以後しばらくは新羅使を大宰府に止めて帰国させ、入京を許さなかった。なお、阿倍継麻呂は新羅からの帰国途中に病死し、残された遣新羅使の帰国後、平城京では天然痘とみられる疫病が流行った。このことから、古くからこの疫病が新羅から持ち込まれたと信じられてきた(『続古事談』巻5・『塵添壒嚢鈔』巻5第23)。

 752年(天平勝宝4年)、新羅王子金泰廉ら700余名の新羅使が来日し、朝貢した。この使節団は、奈良の大仏の塗金用に大量の金を持ち込んだと推定されている。朝貢の形式をとった意図は明らかではないが、唐・渤海との関係を含む国際情勢を考慮し極度に緊張していた両国関係の緊張緩和を図ったという側面と交易による実利重視という側面があると見られている。金泰廉は実際の王子ではないとする研究があり、王子の朝貢を演出することによってより積極的な通商活動を意図していたとも考えられている。

 しかし翌753年(天平勝宝5年)には唐の朝賀で遣唐使大伴古麻呂が新羅の使者と席次を争い意を通すという事件が起こる。この年の遣新羅大使は、新羅で「日本国使至。慢而無礼。王不見之。乃廻。」(『三国史記』)と王(景徳王)に謁することが出来なかった。このような緊張関係のもと、759年(天平宝字3年)には恵美押勝が渤海との連携により軍船394隻、兵士4万700人を動員する本格的な新羅遠征計画(藤原仲麻呂の新羅征討計画)を立てたものの、国内政治情勢の変化や渤海側の事情の変化等により中止されている。

 『日本後紀』によると、780年に正規の遣新羅使は停止され、以後は遣唐使の安否を問い合わせる使者が数度送られたのみとなった。

 …との事であります(^-^)
 仲々勉強になりました。ですが、この歌碑の書の「鹿児島寿蔵」とは、どんな方?うん、うん、WEB上には、こんな紹介が…

 ◆鹿児島 寿蔵

 揮毫した鹿児島寿蔵氏は、福岡県生まれで、歌人・人形作家です。アララギ派の歌人で紙塑人形の創始者で人間国宝でもあります。
 福岡県福岡市西区宮浦唐泊の「東林寺」の遣新羅使の万葉歌碑も揮毫されています。
 東林寺の記事は⇒コチラ(https://hakataboy.com/temple.php?dirpath=temple/Fukuoka/Fukuoka/TourinJI2/)
 また、福岡県立美術館には鹿児島寿蔵氏作「有間皇子」の紙像が収蔵されています。

 …と、こんな方のようですけど、何でこの方が、どんなご縁で、「神島天神社」の遣新羅使の万葉歌碑を揮毫されましたのでしょうねぇ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

栂丸山から下山後は、「神島天神社」に立ち寄りでした(^.-)☆(1)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
04-720-555

 栂丸山から下山しますと、せっかくの便ですから「神島天神社」に立ち寄ります事に(^.-)☆
 立ち寄りとは言いましても、我が家への帰路方向ではありませんけど(^-^)
 今まで神島を訪れます度に「神島天神社」が気になっておりまして、いつの日か、便があれば立ち寄ろう…と思ってはいましたが、いつまでもそんな機会は訪れませんので、今回、出掛けてみます事に(^_^)v

 「神島天神社」をWEB上で検索しますと、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆天神社(てんじんじゃ) 岡山県笠岡市神島5335

 --- https://genbu.net/data/bicchuu/ten_title.htm ---

 ・御祭神 -- 菅原道眞
 ・合 祀 -- 式内社
 備中國小田郡 神嶋神社 御崎神社 岡山県笠岡市にある。笠岡駅の南東5Kmほどの神島天神に鎮座。
 笠岡港にかかる神島大橋を渡り、神島の海岸沿いを走る195号線を進み少し海側に入ると、砂地の境内がある。この付近は、カブトガニの繁殖地らしい。
 境内は広く、駐車するスペースも大きい。境内入口は南側のようだが境内や社殿は海に面して北向き。ということで、北の鳥居に回りこんで参拝開始。が、参拝時刻が午後だったため、やや逆光ぎみ。
 眩しい太陽に目を細めながらの参拝。

 鳥居をくぐり境内を進むと正面に社殿。海の側の砂地にあるためか、拝殿は、やや海の家の雰囲気がした。拝殿の後方には、瓦葺き流造の本殿。拝殿内の扁額には「自在天神宮」。
 参拝は年末の休日。社殿には多くの提灯が提げられ、社殿前には幟も立てられていた。残念ながら、当社の由緒は未入手。
 『式内社調査報告』によると、神島御崎に鎮座していた御崎神社が式内社・神島神社の論社となっているが、現在は同所の天神社に合祀されている、と記されている。その天神社が当社だろうか。
 当社は、神島の東部に位置しているが、御崎は神島の西端。福山湾をはさんで備後の式内社・沼名前神社と対峙した地である。
 社殿に提げられた提灯には、梅鉢の紋。
 当社の神島天神祭(船による神輿の巡行)は、笠岡市重要無形民俗文化財らしい。

 『式内社調査報告』記載の、当社に合祀されている御崎神社の元社地だが、神島御崎に鎮座していたという。
 神島の地図を見ると神島の西端に御崎という岬があり、現在はキャンプ場やフィッシングセンターになっているようだ。
 暇だったので、その御崎まで車で向かってみたが、御崎の少し手前、御手洗池の側にある見埼に、小さな神社を見つけた。
 地図では、三日月神社と記されているが、鳥居扁額には、「御崎宮」と掲げられている。上記の御崎神社と関係在るのだろうか。
 残念ながら、この社に関する詳細も未入手なのだ。

 ◆天神社 岡山県笠岡市神島

 --- http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1070396096.html ---

 [住所]岡山県笠岡市神島5335
 [電話]0865-64-5030

 天神社(てんじんじゃ)は、岡山県笠岡市神島にある神社。神島天神社とも。県道195号線、極楽寺の近く、海沿い。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
 南北朝時代の延文年間(1356年-1361年)、地頭の小見山某の発願により、創建された。御祭神は菅原道真。
 江戸時代前期の貞享4年(1687年)6月、備後福山城主水野美作守勝慶が社殿を再興し、境内を拡張した。

 寛政4年(1792年)、鴨方の儒者西山拙斉、神辺の詩人菅茶山らが、当社祠官の小寺清先を訪ねた。
 その際、詩を社殿の柱に題した。その後30年あまりして、頼山陽が当地を過ぎ、墨跡を見て景仰の念に勝えず、詩一篇を賦した。
 明治23年(1890年)、本殿改築の際、これら前賢の遺墨はすべて失われた。昭和47年(1972年)、石碑として建立された。
 摂社に御崎神社・大歳神社がある、とも。『式内社調査報告』によれば、当社は神島の西端、御崎に鎮座していた御崎神社を合祀した。
 御崎神社は『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 小田郡「神島神社/神嶋神社」に比定される式内社(小社)の論社である。他の論社に、神島外浦の式内同名神社がある。

 当社の例祭は9月第3日曜日で秋季例大祭、いわゆる神島天神祭である。神東・中村・汁方・福浦・高・寺間・見崎の7地区の千歳楽が宮入りする。
 神東・福浦・見崎・寺間の4地区は船で宮入りし、御渡り行事が行われる。7地区の千歳楽が一斉に担ぐ総担ぎ、天神祭特有のマッセーは、担ぐ様子が非常に勇壮。
 この祭典は、市の重要無形民俗文化財に指定されている。なお、神苑内に上述のものの他、万葉集その他の石碑がある。付近には、カブトガニの繁殖地がある。

 …と、こんな「神島天神社」でありますようです(^.-)☆

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

7/21(火)は、笠岡市神島の「栂丸山(つがのまるやま)」を散策でした(5)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
02-720-555

 暫く栂丸山山頂からの眺望を楽しみましたので、それでは、駐車場所まで下山です。
 ノンビリと車の場所まで下りて来まして、はて、さて、どぅしたものか…と、暫し思案となりました。
 最近はスマホがありますから実に便利。せっかくですから、車道右側の登山道を進み「竜王山(267m)」に向かおうか…との想いも抱くのですけど、その前に「竜王山」を検索です。
 ふ~ん、竜王山の山頂からは瀬戸内の眺望は臨めないようですねぇ~思案のあげく、竜王山行きは断念で、そのまま上って来ました道を下山となりました(^.-)☆

 狭い登山道を下山時には、対向車と予期しません遭遇で、もぅ真っ青のGONsanでした(^-^;
 対向車は、大型のRV車ですからタマりません(^-^;
 確か、双方がバックしましても、お互いが擦れ違えますスペースは、無かったような…
 で、車を降りて対向車に近付きますと、結構、怖そうなお顔の男性。助手席には可愛いぃ女性が同乗です(^.-)☆

 お顔から推察しますと、「コペン号のお前がバックしろ!!!」とでも言われるのだろうなぁ~恐る恐る近付きますと、意に反して仲々紳士の強面男性でありました(^_^)v
 「チョッとしんどいけど、コペンだから貴方がバックして貰えたら助かります。暫くバックされたら、コペンでしたら擦れ違える場所がありますから…」との事で、指示通りGONsanがバックしますことに(^-^)
 ですけど、GONsanはC級ライセンスホルダーですから、コペン号と言いましてもキツいバックとなりましたネ。
 左側は崖…右側は側溝…と、バックします環境は最悪です。
 四苦八苦の冷や汗状況で、僅かな距離ですけど、GONsanには随分長い距離に感じられてしまいましたよ(^-^;

 どの位バックしましたでしょうか…対向車の強面男性が、「そこ、そこ!!」と合図。
 指差されました場所に眼を向けますと、雑草が生い茂りました場所ですけど、コペン号なら何とか入れそうなスペースが(^_^)v
 またまた、怖々、そのスペースに入りますGONsan。そぅしましたら、「ブッ!!」とクラクションと同時に深々お辞儀されます男性のお顔。GONsanも、それにお応えし手を振ってバイバイです(^-^)/
 可愛いぃ女性を乗せてはおりますけど、それに不釣り合いなお顔の強面男性。乱暴そうなお顔にお見受けしましたけど、なんのなんの、実にスマートな紳士でありました\(^o^)/
 冷や汗で、ドボドボのGONsanですけど、無事、擦れ違いが出来まして、これは大変嬉しかったですネ(^_^)v

 で、また、下山再開です。
 この強面男性は、たまたま登山道を熟知しておられましたから助かりましたけど、また対向車がヤッて来ましたら、どぅなるのでしょうねぇ~
 そんな想いを抱きながらの下山再開となりましたけど、どぅにか登山口まで下りる事が出来ました。ヤレヤレです(^-^)
 強面男性との遭遇場所は、確かに、今から振り返りますと、カーブだらけの崖道ですから、GONsanがバックしまして正解でした。何度も「栂丸山」への登山道を走行しておられます方でしたのでしょうねぇ~
 本当に、ラッキーでしたねぇ(^-^)/
 それにしましても、どの位の距離をコペン号でバックしましたのか分かりませんけど、左が崖…右が側溝…おまけに両サイドは雑草に覆われていますから、これも実に恐かったですねぇ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

7/21(火)は、笠岡市神島の「栂丸山(つがのまるやま)」を散策でした(4)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
01-720-555

 山頂を目指して進んでいますと、男性がお一人下山して来られました。「今日は」と挨拶しますと、少々お疲れ気味のお返事が帰って来ました(^-^)
 麓からズッと歩いて登って来られましたのでしょうねぇ~標高306mの栂丸山ですけど、暑い中を山登りですから、さぞお疲れの事とは思います。
 GONsanなんぞも、ほとんど車で上がって来まして、僅かな距離を歩きとは言いましても、もぅ流れる汗でドボドホです(^-^;
 山頂を目前に緩やかな勾配の上り道なんですけど、こりが仲々キツイのなんの(^-^;
 山頂のテレビ塔が次第に近付いて来まして、ヤッとこさ山頂に到達となりました。
 山頂からの眺望は仲々素晴らしく、眼下の小さな島は「差出島」なのでしょうネ…こぅして画像に納めますと、絵になりますネ(^_^)v

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

7/21(火)は、笠岡市神島の「栂丸山(つがのまるやま)」を散策でした(3)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
05-721
06-720
05-720-555

 栂丸山の山頂には、いくつかのテレビ塔が存在します。車道をノンビリと歩いて上がっておりますと、最初のテレビ塔が視界に入ってきました(^.-)☆
 最初のテレビ塔の少し上辺りに「神島 石鎚神社」の石標が…
 この石標の左側に神社への参道が…せっかくですから参拝しようとも思いましたけど、雑草が生い茂りましたフェンス沿いの参道は、ヘビでも出そうですから石鎚神社への立ち寄りは、迷わず今回はパスとなりました。
 それでは、引き続き、山頂を目指して前進です(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

7/21(火)は、笠岡市神島の「栂丸山(つがのまるやま)」を散策でした(2)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
01-720-555

 車道の脇には栂丸山への登山道が…ほとんど、車道に沿って登山道が続いていますのかも…
 反対側の登山道を進めば竜王山に向かうのでしょうネ(^-^)
 暫し駐車スペースから前方の島を眺望です。右手前から高島、白石島、北木島なんだと思います。白石島の港をズームです。そして、麓の町も。体育館併設の建物は、きっと神島外小学校なのでしょうネ…
 それでは、車道を栂丸山に向かう事に致します(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

7/21(火)は、笠岡市神島の「栂丸山(つがのまるやま)」を散策でした(^.-)☆(1)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
04-720-555

 出掛けたいところは多いのですけど、コロナ禍でアチコチ出掛けますのは億劫ですから、7/21(火)は笠岡市神島の「栂丸山(つがのまるやま)」に出掛けてみます事に(^.-)☆
 栂丸山山頂には車で楽に登れます。でも、登山道の車道は1台がヤッと走行可能ですから、下って来ます車輌と遭遇しましたら、どぅしたものやら…
 登山口には、案内表示板があるのですけど、ほとんど読めません。多分、「瀬戸内海の眺望 ↑ 塚の丸山(高さ306m)登山口」と記載してあるのでしょうねぇ~
 WEB上には、こんな記載が…

 ・栂(塚)の丸山について
 神島内浦では「塚の丸」、外浦では「栂の丸」と、2つの呼び名を持つ神島の最高峰(標高306メートル)である。山頂からは瀬戸内海の美しい景色を楽しむことができる。

 …との事で、GONsanは「つがのまるやま」と呼んでいますけど、この看板には『塚の丸山』と記載されてましたネ(^-^)
 まぁ、どちらでも構わないのですけど…

 幸いに下りて来ます車もありませんでしたから、ドンドン上って行きますと四叉路へ。
 ここには「登山案内図」が…この案内図を確認しますと、栂丸山へは多分、直進です。また暫く上がって行きますと、車が2台程度は駐められます場所に到達です。
 西日本豪雨時に崩れましたのかも…これをキレイに修復してありますので、ちょっとした小スペースの駐車場です(^-^)
 ここから車道を右に進みましたら、栂丸山山頂方向へ。左の登山道を進めば「竜王山」に向かうのでしょうけど、竜王山への登山道は、少々荒れ気味の登山道に見受けられましたから、今回は「栂丸山」を散策です。
 このまま車で走行してもイィのですけど、この小スペースに車を駐め、歩いて栂丸山山頂に向かう事に致します(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/15(月)は、浅口市方面の「殿山古墳・金比羅古墳」見学行きとなりました(6)

01-720
02-720
03-720
03-721
03-722
03-723
04-720
05-720
06-720
01-720-555

 この、金比羅古墳の50mばかり東に「観音塚古墳」が存在しますようなのですけど、民家の庭続きの場所にあり、GONsanには場所がよく分かりませんでした(^-^;
 観音塚古墳は、石室奥に観音様の石像が安置され、金比羅古墳同様、古墳が民間信仰のためにリサイクル活用され、現在に至っていますようであります(^.-)☆

 車を駐めています市道にと下りて来まして、里庄町役場方向を眺望です。画像の中央方向に里庄町役場が存在です。
 それでは、「金比羅古墳」とお別れし、福山へと帰る事に致します(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/15(月)は、浅口市方面の「殿山古墳・金比羅古墳」見学行きとなりました(5)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
05-720-555

 「不動の滝」の見学後には、せっかくの便ですし、比較的近くまで来たのですから…と、里庄町役場付近の「金比羅古墳」に立ち寄りです(^.-)☆
 WEB上に「金比羅古墳」を検索してみますと、これも色んな方々が綴っておられます。

 ◆金比羅古墳

 所在地:浅口郡里庄町里見
 形 状:横穴式石室無袖型
 紹介文:奥行約9.1m・幅約1.4m・高さ約1.95mの横穴式石室が南に開口している。

 ◆浅口郡里庄町 金比羅古墳

 おそらく町内=郡内最大の石室墳。上には色々乗ってるが内部には祀りモノが無い。
 天井が残ってるのは6mほどですが、かなり長く大きく感じられます。コレも含めて大原古墳群とのこと。
 近辺にまだ5基ほどあるようなのですが、、、探してると犬がうるさくて(汗 どうも静かな集落だと犬との戦いになることが多い(^ ^ゞ
 なおこの古墳の西側に空き地があり駐車可能ですが、土地勘がないとおそらく辿り着けません&只今下水道工事で通行止め区間多し。

 ◆大原古墳群

 町の最高峰 虚空蔵山(270m)にはその名の通り、花崗岩の洞窟に虚空蔵菩薩が祀られていますが、その麓の扇状地 大原にはたくさんの古墳があります。
 その代表的なものが金比羅古墳です。看板を頼りに民家の脇を進むと、奥行9.1m、高さ1.95m、幅1.4mの石室が現れます。かつて直径4cmほどの金環と鉄塊が見つかったそうです。塚の上に金刀比羅の祠があるので、その名がついたのでしょうか。
 金比羅古墳の50mばかり東にあるのが観音塚古墳です。民家の庭続きの場所にあり、石室奥に観音様の石像が安置され、金比羅古墳同様、古墳が民間信仰のためにリサイクル活用されていたことがよくわかります。

 ◆金比羅古墳

 里庄町里見、町役場北西500mの所にあります。役場南側の道路を通って道なりに行き水路のある辺りでY字路になっているので左側の狭い道を更に進む(私の場合道が狭かったのでこの辺りで駐車したけど)。100m程行くと右に案内表示がある。古墳はそこからすぐ北側。上に祠があるが墳丘は割とよく残っている。南西側に石室が開口、ここに説明板があるが案内板と共にまだ真新しく最近設置されたばかりのようだ。石室は全長9.1mの無袖式、前部が少し破壊されている。天井部が一段下がって羨道と玄室を区別しているようだ。奥壁は2段積み、下に巨石の鏡石を据え上にやや小型の石を積み重ねる。共にひびが入っているのが残念だけど石室が良好だから特に問題なしか。駐車スペースはないけどこの後の観音塚の方にやや広い道がある。

 …と、WEB上にはこんな記載がありました(^.-)☆

 GONsanは、「金比羅古墳」の案内板近くの狭い路上に駐車です。もし車が走行して来ますと擦れ違いは出来ませんから、クラクション鳴らして怒りのお言葉が飛んで来そうですけど、数分間で画像にのみ納め、サッサと退散の予定でしたから、叱られますのを覚悟で、とりあえず路上駐車となりました(^-^)
 民家脇の雑草が生い茂りました細い道を進みますと、スグに「金比羅古墳」にと到着。
 古墳脇には、案内表示板が…

 ◆金比羅古墳

 里庄駅北の虚空蔵山は、里見大原地区に多くの扇状地を形作っているが、この山麓、大原西地区を中心として大原古墳群が発見されています。
 代表的なものが、この金比羅古墳で、南西に開口する無袖の横穴式石室を持ち、石室長9.1m、幅1.4m、高さ1.95mとなっています。
 --- 里庄町教育委員会 ---

 …と、こんな説明がありました。この「金比羅古墳」からは、かって、直径4cmほどの金環と鉄塊が発掘されましたとの事。
 「町内=郡内最大の石室墳」とも、どなたかのホームページに記載がありましたけど、う~ん、確かに大きい古墳でありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/15(月)は、浅口市方面の「殿山古墳・金比羅古墳」見学行きとなりました(4)

101-720
102-720
103-720
104-720
105-720
106-720
107-720
01-500-555
21-720-555
P6158193-2-555

 「不動の滝」の前には小さな橋が架かっておりまして、この橋の下(滝つぼ)に下りる事が出来るようです。
 で、早速、下りて滝つぼの前に。
 水量が豊富で、豪快に流れ落ちておりましたら、さぞイィ景観となりますのでしょうねぇ~WEB上には、何年か前に撮られました画像がありましたけど、うん、うん、こんな感じなのですネ(^_^)v
 行者の方の修行シーンもありましたけど、仲々豪快な流れではあります。今では、こんな光景はとても望めませんのかも…

 暫し滝つぼの景観を見廻しまして、また上がって来ました際に眼に入りましたのが、マンホールの蓋(^.-)☆
 絵柄は、瀬戸大橋とカニsanでありました。寄島町はカニの産地なのかも分かりませんねぇ~

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/15(月)は、浅口市方面の「殿山古墳・金比羅古墳」見学行きとなりました(3)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
03-720-555

 それでは、「不動の滝」を拝見です(^.-)☆
 通常期は滝の上で水を堰き止めているため、水流は無いとの事のようですけど、梅雨真っ只中の現在ですから、基本的には水量も豊富で「通常期」では無いように思いますけど、乏しい水量でありました(^-^;
 どなたかのホームページに、「この周辺でバイパス工事が進行していますようで、水の流れも変わったのかも…」と綴られておりましたけど、こぅした事も乏しい水量の要因なのかも分かりませんネ…
 梅雨時ですから、滝らしい景観を想像して、殿山古墳行きの便を利用し訪れましたのですけど、う~ん、残念でしたネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/15(月)は、浅口市方面の「殿山古墳・金比羅古墳」見学行きとなりました(3)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
11-720
05-720-555

 殿山古墳の見学後は、県道284号と古墳との間に狭い道がありまして、この道を少し北上しますと「鳴滝不動尊」が存在。この「鳴滝不動尊」脇の「鳴滝不動の滝」を見学です(^.-)☆
 WEB上で「不動の滝 浅口市」で検索しますと、色んな記載がありました。

 ◆鳴滝不動明王(円珠院末寺)

 --- http://www.tok2.com/home/ryutaroh/Kamogata/NarutakiFudonoTaki/1225EnzyuIn.html ---

 県道284号東安倉鴨方線にそって寄島から鴨方へ向かう途中、安倉八幡社をすぎて上りスローが始まる処に殿山古墳が見えてくる。この古墳は現地説明板によると6~7世紀に作られたもので石室の長さ3.8m、幅1.4m、高さ1m、二枚の天井石の構成、覆土は焼失しているが石室はほぼ完全な姿で残っている…と書かれていた。
 つまり、三郎島に八幡神社を再建した安倍晴明の時代には既にこの東安倉には住人が住んでいたことになる。
 寄島町で自分の眼で確認できた古墳は、この殿山古墳の他に福井古墳と鏡古墳の二箇所だが、いずれも小型の石造古墳だ。
 ここが大峰山系の修験道の行場として、参拝者が絶えないのはいつの時代からなのだろう。
 「よりしま地名考」によると『鳴滝不動庵は六條院の円珠院に属し、不動明王を祀る。13年ごとに「御開帳」の祭礼があり、昭和初期頃まで旧暦一月十六日に会陽が行われた。白褌の男は宝木を争い、白装束の女性は滝に打たれて修行をした。当時は露店も出てたいそうな賑わいであった。』寺内は不動明王を筆頭に千手観音像・菩薩像・石鎚三神像など、彩色軸もありさまざまな仏像が建ち並んでいた。

 ・不動を冠する滝の分布

 この滝の紹介を寄島町HPをのぞくと、「竜王山系の侵食谷の渓流にかかる直下30mの飛瀑」と紹介されている。
 不動滝というキーでウェブ検索すると、この滝名はごく一般的は滝の代名詞のごとく全国的に分布していた。
 北海道から九州宮崎県まで、サイト検索でこのサイトにヒット。ここでは管理者は300箇所を超える滝を確認しているようだ。
 http://tokyo.cool.ne.jp/fudoutaki/fudoutaki.htm#okayama
 このうち、岡山県下では13例がリストアップされており、この寄島の滝もちゃんとリストに拾われている。だが、何故に不動滝が全国的に分散分布したのか、その時代背景と理由については報告されていなかった。
 三重県が68箇所と修験道の霊地だろう、もっとも多い。修験道の本場は役小角の熊野だから、もっと遡れば一言主命の葛城山かもしれない。寄島近隣では安倍晴明伝説と西大島の御嶽山(神々が地上に降臨する峰の意味か?)が有名。
 鳴滝~御嶽の連携があったかもしれない。

 ・不動の滝

 通常期は滝の上で水を堰き止めているため、水流はないとのこと。
 小字が鳴滝で、滝の名前が不動とは、この一帯が修験道の行場であったことがわかる。寺内には沢山の小仏像が安置されている。左の不動明王石仏は中央祭壇に祀られていた。ご本尊であろう。
 脇には木造の猪と不動明王像や石鎚三神もあった。

 ◆浅口市 寄島町 鳴滝不動の滝

 --- http://can1833.blog.fc2.com/blog-entry-668.html ---

 鳴滝不動の滝は、20m程度は有ろうかと思われる滝ですが、通常の水量はないに等しい。雨の翌日でもこの有様であります。
 アクセスは分りやすく、寄島から北の鴨方へ抜ける県道284号沿い(正確には旧道沿い)の西側に落ちてきている。寄島町といえば海沿いの町、ここの滝も海から1km弱という距離のところにあります。
 滝のそばに鳴滝不動尊の祠があります。立ち寄るにはすごく便利な場所です、さらに撮影は橋の下から可能ですので、大雨の日にでも立ち寄れば雄姿を拝め、なおかつ傘もささずに撮影できるという状況です。ですので、一度はその雄姿を拝みたいものだと思います。

 ◆不動の滝(鳴滝)

 --- ふどうのたき なるたき ---

 いわゆる岩垂れの滝で、赤黒い岩肌を流れ落ちて浅い滝壷を作っている。滝壷近くには不動明王が祀られていて、アタマノワルイヒトに霊験があるとされている。
 (提供:岡山県観光連盟)

 ◆鳴滝不動の滝(浅口市)

 浅口市寄島町東安倉の県道284号線沿いにある鳴滝不動尊の横に落ちている滝です。高さは25mと結構高いのですが、普段は水量が少なく、雨の時でなければ滝らしい姿を見ることは出来ません。海まで約800mと、岡山では一番海に近い滝です。

 ◆不動明王鳴滝

 鳴滝不動
 安倉峠の中ほどにある不動の滝。春は桜、夏は緑陰、秋は紅葉と風情豊かな景勝地である。また、この地には鳴滝不動庵があり、円珠院の末寺で明王の尊像は円珠院に安置されている。
 毎年旧正月16日に例祭がおこなわれていたが、現在は12年に一度の開帳祭となっている。

 …と、このような色んな記載がありました(^.-)☆
 とりあえず、鳴滝不動明王(円珠院末寺)を画像に納めます事に(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/15(月)は、浅口市方面の「殿山古墳・金比羅古墳」見学行きとなりました(2)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
01-720-555

 いざ、見学…と、いきたいところですけど、う~ん、古墳への進入路がありません(^-^;
 多分、この側溝に2枚の鉄板が敷いてある場所が進入路なのでしょうけど、葉っぱが生い茂っておりまして、おまけにフェンスというかネットが張ってありまして、とても入れそうにはありません(^-^;
 んっ、ひょっとしたら、この古墳、個人の私有地の中に存在します、個人所有の古墳なのでしょうか!?

 仕方なく、側溝に沿って左側の民家方向に舗道を進んでみますけど、やはり古墳への進入路はありません。
 多分、あの鉄板が敷いてあります箇所が、正規の進入路なのでしょうねぇ~
 WEB上で「殿山古墳」を検索してみますと、皆さん、イィ画像を撮っておられます。それに、畑もキレイに手入れされ、鉄板からの進入路も鮮明に(^.-)☆
 古墳見学で訪れます方々の為に、年に何度か整備されますのでしょうけど、残念ながら、この時期ではないようですねぇ~

 WEB上で「殿山古墳」を検索してみましたら、色んな記載がありました(^_^)v

 ◆殿山古墳(とのやまこふん)

 岡山県浅口市寄島町2741
 浅口市指定 記念物 指定年月日:2011/10/25
 寄島中安倉から鴨方へぬける県道、鳴(なる)滝(たき)不(ふ)動(どう)尊(そん)より約100m南下した県道上の畑中にある。現在封土はほとんど流失して、天井石や側石が露呈している。復元した形を推定すると、高さ3m、墳径約10mの円墳が想定できる。

 ◆殿山古墳

 盛土は流失しているが、直径約10m・高さ約3mの円墳と推定されている。南に開口する横穴式石室が露出、長さ約3.8m・幅約1.4m・高さ約1.3mを測る。
 市指定史跡、2011(平成23)年指定。
 道から見える古墳です。家の庭にある古墳で、石室が露出しています。古墳をよく見てみると、コンクリートで補強してあったり、物が入れてあったりしていました。
 びっくりしましたw
 民家の横の畑にある生活密着型の古墳。倉庫代わりに物をいれていますw

 ◆殿山古墳(とのやまこふん)

 寄島町でほぼ原型をとどめる横穴式石室をもつ古墳としては最も大きい。石室は真南に向かって開いている。石室の長さ3.8メートル、幅1.4メートル、高さ1.3メートルで、天井石2枚がある。
 副葬品は、古く盗掘されたものと考えられるが、貴重な古墳である。

 ◆殿山古墳

 岡山県浅口市(旧寄島町)2008年03月訪問
 横穴式石室 位置:34°29′34″N 133°35′45″E
 現浅口市寄島町、海沿いを走る県道47号から県道284号を北に曲がって500m程、道路が大きく右カーブする辺りの正面畑の中にすっかり露出した石室が見えています。羨道壊失玄室も前部を失っているようです。内部はかなり埋もれと言うより埋もれていた土砂を掻き出したのかもしれなくて奥の方がより埋まり奥壁が僅かに見えている程度です。天井石2枚の内奥の方が一段下がっている。畑の中、内部は何かが祀られ古墳犬がうるさく吠えるので早々に退散しました。県道脇に駐車スペースあり。

 ◆殿山古墳

 石室を間近に見学できる古墳時代後期の円墳。
 鳴滝不動尊より南下した県道284号線沿いの畑の中にある、古墳時代後期の築造とされる円墳。盛土はほとんど失われているため、南側に入口が広がる横穴式石室が露出しており、内部も見学することができる。長さ約3.8m、幅約1.4m、高さ約1.3mの石室で、復元した形から、元の古墳の大きさは高さ3m、墳径約10mほどといわれている。また、岡山市の史跡に指定されている。

 …と、こんな記載がありました。
 皆さん、古墳の中まで見学できましたようですけど、GONsanは不能でしたネ(^-^;
 少し離れた場所からの見学を強いられましたけど、古墳の上には、散水用のホースが這っておりました(^.-)☆
 また、いつの日か機会がありましたら、畑が整備されています時期に再訪してみたいものであります(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/15(月)は、浅口市方面の「殿山古墳・金比羅古墳」見学行きとなりました(^.-)☆(1)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720

 6/15(月)は、1ヶ月に1回通っています岩崎皮膚科san行きのGONsanです。
 患者sanの多い岩崎皮膚科sanですから、GONsanは、大概、毎回、A.M.8:15には到着するよう出掛けます。受付開始はA.M.8:30からですから、開院まで15分程度は外で待機。
 それでも、先客は3~4人おられます。が、この日は、なんとお一人のみですから、GONsanは2番目。ラッキー\(^o^)/
 挿入の画像は、診察開始前の待合室の一コマです。受付のシールドを撮りましたのですけど、ハッキリとは分かりませんネ(^-^;

 A.M.9:00に診察開始で、GONsanは2番手ですから、診察を終え精算し時間はと見ますと、A.M.9:25でありました(^_^)v
 近来まれにみる早さ(^_^)v
 予想外の早い時間で岩崎皮膚科sanを後に出来ましたので、急遽、浅口市方面の古墳見物(殿山古墳・金比羅古墳)に出掛けます事に…以前から一度出掛けてみたいと思ってはいたのですけど、わざに出掛けますのも億劫ですし(^-^)
 で、予定外の空き時間が出来ましたので、急遽、出掛けます事に(^.-)☆

 まず、最初に、浅口市寄島町の『殿山古墳』に出掛けます事に。
 走行ルートは、笠岡バイパスから海岸沿いを走行し寄島へ。寄島町漁港の少し先から左折し山側へ走行して行きますと、程なく道路沿いの「殿山古墳」案内表示板にと到着です。
 30分程度で到着するものと思いましたら、意外に時間を要しまして所要時間は50分。結構、時間を要しました(^-^;
 それでは、車は適当に路肩に駐めまして、古墳見学開始です(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(32)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
03-720-555

 筆影山展望台からは、眼下に瀬戸の海…そして、三原市の都心部も(^.-)☆
 竜王山には今回初めて出掛けましたけど、筆影山には50年振り近くの再訪です。実に懐かしさが漂いますけど、展望台からの眺望はもっと素晴らしかったような…
 多分、展望台周辺の木々が随分成長して来まして、視界が遮られているからなのかも分かりません。当時も今と同様でしたのかも…気のせいなのかも…
 とにかく、50年振りの再訪ですから、GONsanの他にも訪れておられます方が何人かおられますのが、結構、嬉しい気持ちにも(^.-)☆

 四季を通じて、この筆影山からの眺望を画像に納めます写真愛好家の方々は、さぞ多い事でしょうねぇ~
 筆影山・竜王山からの素晴らしい、美しい海霧を、画像に納めておられます方々は大勢おられます。GONsanも、腕が良ければ、そしてカメラも良ければ、わざわざ筆影山に出向いて海霧を画像に納めるのですけど、腕・カメラの両面で、とてもムリ(^-^)
 でも、いつの日か機会が有れば嬉しいですねぇ(^-^)/
 挿入の「海霧」の画像は、JTBsanからのパクリです(^-^;

 ◆三原の筆影山・竜王山からの海霧

 --- JTB 感動のそばに、いつも。https://www.jtb.co.jp/kando/detail/357.asp ---

 ◇概要

 晩秋から冬にかけて、瀬戸内海で見ることができる不思議な絶景。それが、筆影山・竜王山から臨める海霧のショーです。明るい時間には瀬戸内海に浮かぶのどかな多島美を満喫できる場所ですが、これが早朝になると一転、全く雰囲気の異なる神秘的な景色が目の前に広がります。瀬戸内海を漂う海霧が島々の間を流れて海面を滑り、あるいは島を乗り越えたりしていく様子は、まるで巨大な生き物のようにも見えます。霧があたり一面を覆い隠してしまうのではなく、風が霧を押し流し、霧のベールの隙間に島々や海面が見え隠れするさまは、何とも神秘的です。

 ◇見ごろの時期・時間

 時期:10月末~1月中旬頃まで
 時間:日の出前後の早朝  
 天気:晴れ

 ◇見所・お勧めポイント

 早朝の風に流される海霧のベールが、海に浮かぶ島々を隠したり、ちらりと姿を覗かせたりする様子は、一時も目が離せません。海霧が移動するのにあわせてどんどん目の前で景色が移り変わっていくので、すっかり日が昇るまで、時を忘れて見入ってしまうことでしょう。

 ◇背景

 瀬戸内海国立公園の一部にある筆影山(標高311m)と竜王山(標高445m)は、瀬戸内海随一と謳われる多島美が見られる絶景ポイント。地元では畑山という名で親しまれており、春になれば花見客でにぎわう定番のお出かけスポットでもあります。よく晴れた日には、竜王山の展望台から、しまなみ海道に10ある橋のうち7つの橋を見ることができます。

 それでは、筆影山とお別れし、福山にと帰ります。オシマイ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(31)

01-720
02-720
03-720
03-721
04-720
05-720
06-720
07-720
01-720-555

 それでは、駐車場に戻り竜王山から下山ですけど、その帰路に「筆影山」に立ち寄ってみます事に(^.-)☆

 ◆筆影山展望台

 広島県三原市街の南、三原湾、佐木島、しまなみ海道の島々を眼前にする筆影山(標高311m)の山頂にある展望台。狭いながらも山頂までは車道が通じていて、山頂は桜の植栽された園地になっています。ルートは北側の和田から上る和田口と南側の須波口の2本。山頂の駐車場から200mほど歩くと東屋が展望施設となった展望台があります。

 ◆筆影山(ふでかげやま)

 三原市街地から車で30分ぐらいのところに瀬戸内海国立公園筆影山がある。海に映る姿が筆に見えることからその名がある。
 標高445メートルで、頂上からは眼下に瀬戸内の島々が一望できる。はるかに四国連山をも望み、美しい瀬戸の海に浮かぶ無数の島々は、多島美のパノラマを満喫させてくれる。
 頂上へは、ドライブウエーが通じ、展望台の施設が完備している。また、頂上付近には約2,000本の桜が植えられており、春の花見シーズンには多くの観光客でにぎわう。筆影山から約3キロメートル登った同じ国立公園区域内に竜王山がある。

 ◆筆影山

 標高311メートルにある瀬戸内海国立公園であり、山頂展望台から望む多島美は瀬戸内海随一といわれています。また、サクラの花の満開時期は瀬戸内海の景観をひときわ際立たせます。染井吉野:2,000本-「平成21年度版 広島県観光便覧」

 ◆筆影山

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 筆影山(ふでかげやま)は広島県三原市に位置する標高311mの山である。山名は海に映ると山の形が筆の様に見えるところから、江戸時代後期の儒者である頼山陽が命名。
 南西に連なる竜王山とともに、この山なみ一帯は地元で畑山(はたのやま)と呼ばれ親しまれてきた。
 山頂の展望台から眺められる多島美は瀬戸内海髄一と評される。1950年瀬戸内海国立公園の一部に指定された。
 山頂付近は園地となっており、桜の名所としても有名。例年3月下旬から4月上旬にかけて時は桜がライトアップされる。

 ・交通アクセス -- 三原駅から車で約30分。道の駅みはら神明の里から車で約40分。

 …と、こんな筆影山であります(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(30)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
06-720-555

 境内入り口の寺号標には、「曹洞宗 白雲山 能満寺」と刻まれ、記念碑は「梵鐘」の後方に設置されておりました。
 境内には「供養塔」と「石像」も…祠の中にも石像が祀られておりましたネ。
 本堂には、

  小早川隆景公の祈願所 脳の病気関係の御利益
  諸々の願ひもここに能満寺 御法も高き畑の峰かな 詩 小早川隆景

 …と、記載されました表示板も(^.-)☆
 WEB上で「曹洞宗 白雲山 能満寺」を検索しましても、詳細な説明は出て来ませんけど、三原ですから「小早川隆景」と縁がありますお寺なのかも分かりませんねぇ~
 境内からは、GONsanが走行して来ました「竜王みはらしライン」を眺望出来ましたネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(29)

01-720
02-720
03-720
04-720
01-720-555

 竜王山展望台からは、「しまなみ海道」にある10橋のうち7つの橋を見ることが出来るのでしょうけど、モヤが掛かりまして今一の景観でありました。
 展望台から見る南南東方向の眺望です。左に「佐木島」、中央奥に「生口島」、右手前が「高根島」なのでしょうけど、ヤッパリ今一ですねぇ~残念(^-^;

 展望台からはサッサと退散となりまして、駐車場まで下りて来ますと「三原地方初のテレビ受像に成功の地」の案内板が…
 昭和30年(1955)当時は、姫路市が限度とされていた「NHK大坂」の電波を、この地で受信に成功したと言う。「能満寺」境内には、この記念碑があるというので、今から立ち寄ってみます事に。

 ◆三原地方初のテレビ受像に成功の地

 能満寺境内の記念碑のある場所は、昭和30年(1955)3月3日午後7時、三原市城町、講崎電気通信研究所(後の講崎テレビサービス)の講崎幸造氏(当時25才、昭和60年7月30日、55才で死去)が姫路市が限度とされていたNHK大阪テレビジョン(大阪・生駒)の電波を自作のテレビ受信機で東南方向からの反射波をキャッチし、この地方でのテレビ初受像に成功したところである。
 ここに講崎氏の功績を讃え石碑を建立し後世に伝えるものである。

 昭和63年(1988)年3月3日
 功徳者 三原市郷土を愛する会
 協力者 ㈲三原ビデオサービス タナカVプロ 田中 悦郎

 …と、案内板にはこんな記載がありました(^.-)☆
 それでは、能満寺に向かってみます事に(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(28)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
04-720-555

 「竜王みはらしライン」ですか…仲々快適なドライブが出来ますイィ道です(^_^)v
 途中で展望台らしきスペースを見つけ暫し眺望です。穏やかな瀬戸内を臨めますが、海と島の景観です。が、ノンビリとした気持ちにはなれますネ(^.-)☆
 そしてまた走行再開で、スグに竜王山駐車場にと到着です。

 竜王山を訪れています方は、それなりにおられますようです。
 「竜王山」の駐車場付近にある石碑には、「龍王山水神 慰霊観音」とあり、慰霊観音由来には、「太平洋戦争で英霊となった友ら同胞に大慈大悲の眼を注いでいます」と記載がありましたネ(^.-)☆

 WEB上で「竜王山(三原市)」を検索してみますと、色んな記載がありました。その中から少し拾ってみますと、

 ◆竜王山(三原市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 竜王山(りゅうおうざん)は広島県三原市にある山。標高は445mである。展望台からの眺めは非常に素晴らしく、北東に隣接する筆影山と並び瀬戸内海髄一の眺望と言われている。晴れた日には四国山地も遠望でき、しまなみ海道の10橋のうち7橋を見ることができる。この地は1185年に屋島の戦いで敗れた平家の重臣、秦四郎国重(はたしろうくにしげ)が開いたという伝承があり、三原市の北にある龍王山(665m)と区別して葉田竜王山とも呼ばれている。
 2017年3月26日、三原市幸崎町久和喜から竜王山山頂までを結ぶ総延長4.6kmの竜王みはらしライン(林道久和喜竜王線)が開通した。

 ◆標高445mの竜王山

 竜王山一帯の集落は、1185年に屋島の戦いで敗れた平家の家臣秦四郎國重(葉田重五郎正時という説もあり)が落ち延びて開いたという伝えがある。
 この山並み一帯は地元では畑山(はたのやま)と呼ばれて親しまれてきた。(三原市観光情報サイトより)
 「ハタ」には葉田・畑・畠などの漢字を当てるが、伝説的には「葉田」が古い由来を示しているようだ。1185年2月、屋島の戦いで源氏に破れた平家が更に瀬戸内海を西へと敗走する中で、葉田重五郎国重一族だけは船を龍王山麓(ろく)の海岸に着けて上陸、険阻(けんそ)な山腹斜面や深い谷をよじ登って、尾根や谷間に隠れ里を作ったという。
 山頂付近を境として北西部を和田ハタ・田野浦ハタ(登町)、南西部にかけて須波ハタ(沖浦町)と言われてきた。(毎日新聞より)

 ◆「筆影山山頂、竜王山の展望台」多島美は瀬戸内海随一

 筆影山山頂、竜王山の展望台から眺められる多島美は瀬戸内海随一と評されています。筆影山の標高は311m。名前は、海に映ると山の形が筆の様に見えることから命名されたそうです。
 筆影山の南西に位置し、テレビ塔のある山が竜王山です。
 標高は、445mで二等三角点があります。山頂付近は、いこいの森として整備され、桜の名所です。
 展望台からの眺めは実にすばらしく、晴れた日には四国山地が遠望でき、しまなみ海道の10橋のうち7つの橋を見ることができます。
 この地は、1185年に屋島の合戦で敗れた平家の家臣、秦四郎國重(はたしろうくにしげ)が開いたという伝承があり、三原市の北にある竜王山(668m)と区別し葉田竜王山とも呼ばれています。

 …と、こんな記載がありました。
 では、山頂展望台に向かってみましょう(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(27)

02-720
03-720
11-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720

 福山への帰路は、海岸沿いを走行です。お腹も空いてきましたし、今治造船広島工場手前にセブンイレブンがありましたので、ここで暫しランチタイム。
 パンと牛乳を手に、堤防沿いに今治造船を眺望です。昔は、この辺りから「幸陽船渠」の社名が眼に入りましたけど、う~ん、今では「今治造船」なんですねぇ~

 ◆幸陽船渠

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 幸陽船渠株式会社(こうようせんきょ)は、かつて存在した日本の造船メーカーである。

 ・概要

 今治造船グループに属する中手造船所として、新造船建造を主力事業としてきた。2014年2月1日に今治造船によって吸収合併され、今治造船広島工場となった。
 建造設備として、800t級のゴライアスクレーン4基、200t級のゴライアスクレーン2基、計6基のゴライアスクレーンを所有している。設備規模は今治造船の建造所で最大級。
 大規模な設備を利用してコンテナ船、バラ積み運搬船、タンカーといった大型船舶の建造を行っている。
 また、2002年には高度な技術を要するLNG船、2007年には超大型コンテナ船(8100TEU)の建造に中手造船所として初めて着手している。特に、超大型コンテナ船の建造は、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド、三菱重工に続いて日本で3番目に建造することになった。
 日本で建造された船舶の中で、技術的、芸術的、社会的に優れた船を日本船舶海洋工学会が表彰する「シップ・オブ・ザ・イヤー2008」の大型貨物船部門賞に、当社建造のLNG船(液化天然ガス運搬船)「TRINITY ARROW」が選ばれた。
 2009年10月LRQAジャパンよりOHSAS18001の認証を取得し、安全面強化。
 元参議院議員の溝手顕正は過去に同社の副社長、社長を務めた。

 ◆幸陽ドックが吸収合併 今治造船広島工場に

 --- 2014年2月15日 せとうちタイムズ ---

 広島県三原市幸崎町の幸陽船渠(こうようドック)が国内最大手の愛媛県今治市の今治造船に2月1日吸収合併され「今治造船広島工場」になった。
 敗戦後、山羊一頭を連れて廃工場跡を守り再興した…と、故木曾清社長の回顧(苦労)談をえんえんと聞かされたことがある。その木曾社長は「尾道出身だが、海ではなく山側の木曾だ」と、こだわっておられた。特に政界と造船業界との疑獄事件もからまって中型造船組合の故大平派(香川)の旗を振り、宮沢派(福山)に反旗をひるがえしていたことでは中選挙区時代から小選挙区に移る過程では注目されてきた。

 同社は1949年設立。戦後の経済復興の波に乗り再興したものの造船業界の構造的不況の波にのまれ86年に今治造船に買収され、今造の広島県側の中核として付加価値の高い船に集約する。最近は大型コンテナ船や液化天然ガス運搬船を建造。船価の高い建造量が増える傾向にあり幸陽船渠を吸収合併、経営を効率化して韓国や中国勢に対する競争力を備える。(村上幹郎)

 …と、こんな経緯のあります今治造船広島工場なんであります(^.-)☆
 そぅ言えば、3年ばかり前ですけど、2017年01月17日の中国新聞sanの朝刊に、こんな記事もありましたネ。
 せっかくの機会ですから、「竜王みはらしライン」を走行し「竜王山」に上がってみましょうか…そして、下山途中に「筆影山」にも立ち寄ります事に(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(26)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
01-720-555

 「乃木将軍腰掛の岩」からの眺望を楽しみました後は、駐車場へと歩行続行です。が、結構、ノンビリと下って来ました積もりなんですけど、ご家族連れに追い付いてしまいましたネ(^.-)☆
 よほどノンビリと歩いておられましたのでしょうねぇ~
 時計台(時計塔?)まで下りて来まして時間を確認しますと、P.M.0:30丁度でありました。この時計が正しく時を刻んでおればですけど(^-^)

 駐車場をスタートしましてからスタート地点に戻って来ますまでの所要時間は、丁度、1時間30分でありました。
 意外に速かったようにも感じますけど、黒滝山散策には丁度イィ所要時間でしたかも(^_^)v
 それでは、福山にと帰ろう(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(25)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
06-720-555

 それでは、下山開始です。
 やっぱり下山は楽ですネ、アッと言う間に休憩所・展望台、幸福の鳥居くぐり、乃木将軍腰掛の岩へと下りて来ました。休憩所付近からは、再度、「観音堂&大岩」を振り返りです(^.-)☆
 そして、「乃木将軍腰掛の岩」ではGONsanも腰掛けまして、遠い昔の乃木将軍への想いを馳せます事に(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(24)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
01-720-555

 黒滝山山頂からの眺望も充分楽しみましたので、少し下山して「山頂ひろば」に向かってみます事に…
 レストハウスの屋根・鯉のぼりとフラッグが見えます辺りが、「山頂ひろば」なんでしょうネ…それでは、「山頂ひろば」へと下山です(^.-)☆

 山頂ひろばに到着しますと、まず眼に入りますのが、この「大燈籠」であります。この大燈籠は、背丈よりもはるかに高く立派なモノでありました。
 そして中央正面には「宗忠神社」&「天照皇大神宮」が…いずれも祠のようなものはなく、石に名前が彫られているだけでした。石段などがありますので、創建されました当時は、立派な建物があったのかも分かりませんネ(^-^)
 『忠』の文字から何となく「忠海の神社」なんだと思いましたけど、ふ~ん、WEB上で調べてみましたら「黒住教」の神社なんですネ(^-^)
 「Wikipedia」には、こんな記載がありました(^_^)v

 ◆宗忠神社

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 宗忠神社(むねただじんじゃ)は、黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社である。京都および、黒住宗忠の生地で黒住教の本部のある岡山にある。

 ◇京都の宗忠神社

 黒住宗忠は嘉永3年(1850年)に歿し、安永3年(1856年)に朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられた。文久2年(1862年)、宗忠の門人の赤木忠春らが、吉田神社より社地の一部を譲り受けて宗忠を祀る神社を創建した。慶応元年(1865年)には朝廷の勅願所とされ、皇室や公家から篤い崇敬を受けた。明治時代には県社に列格した。
 岡山の宗忠神社との区別のため、鎮座地名から「神楽岡宗忠神社」とも呼ばれる。
 流造の本殿は明治45年(1912年)に改築されたものである。本殿の北には、二条家より遷された天照大神を祀る神明宮がある。他に、白山比咩大神を祀る白山社、赤木忠春(赤木忠春神)を祀る忠春社がある。

 ◇岡山の宗忠神社

 岡山の宗忠神社は、宗忠の生地である岡山県岡山市北区上中野(通称 大元)に明治18年(1885年)に創建されたものである。
 京都の宗忠神社と混同を避けるため、教祖生誕地という意味で「大元神社(おおもとじんじゃ)」とも呼ばれる。鎮座地区名の「大元」はこれに由来している。かつて黒住教教団本部が置かれていたが、現在は岡山市北区尾上(通称「神道山」)に移転している。
 毎年4月に例祭として黒住教最大の行事である「宗忠神社御神幸」が行われる。神体を載せた鳳輦が岡山の街中を巡行して後楽園まで往復する祭で、岡山さくらカーニバルの中心行事ともなっている。

 ◆天照皇大神宮

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 ・天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)

 ①皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別名。
 ②神奈川県川崎市中原区井田中ノ町にある神社。
 ③福岡県糟屋郡久山町猪野にある神社。 旧社格は県社。通称は伊野天照皇大神宮・伊野皇大神宮・伊野神社。

 仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中、仲哀天皇は「われを祭れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」という神の託宣を疑ったために、その祟りをうけ香椎宮で崩御したといわれる。そのことを知った神功皇后は、小山田の村に斎宮(いつきのみや)を建て、自ら神主となり、天照大神を祀ったとされる。
 『三代実録』巻卅二に、元慶元年(877年)12月15日辛巳(原作壬午)授筑前国従五位下織幡神正五位下。正六位下天照神従五位下。とある。

 室町時代の末期には、都で大神の祭祀を司っていた豊丹生有時が、座列争いの罪で豊前国英彦山の麓に流されたとき、大神の御神体も豊前に移した。有時の子・兵庫大夫は神のお告げをうけて、御神体を伊野(猪野)に移し、宮居を建てた。天正14年(1586年)、立花城を攻めた島津氏は伊野にも侵入すると、兵庫大夫は御神体を守ろうと竃門山にかくしたが、島津兵はこれを奪って薩摩国に持ち去ろうとした。しかし途中で神の祟りを恐れて豊後国柞原八幡宮に納めた。その後、柞原の宮司に「伊野の里に帰すべし」との大神の託宣があり、柞原の宮司はその旨を伊野に知らせたので、兵庫大夫は御神体を再び伊野に迎え、以前のとおりお祀りすることができるようになったと伝えられている。

 立花城主戸次道雪、名島城主小早川隆景、筑前藩主黒田長政など大名も崇敬した。筑前藩第3代藩主黒田光之は、延宝5年(1677年)に別所に社殿を造営し、大神宮を遷移し、造営に際して宮司豊丹生信重と工匠工藤太夫清重を伊勢神宮に派遣して、本殿から鳥居に至るまで伊勢神宮に模して造らせた。

 天照皇大神宮では20年毎の式年遷宮も行われている。前回は平成19年(2007年)4月8日に挙行された。

 …と、こんな記載がありましたけど、忠海の「天照皇大神宮」も、こうした関係の神社なのでしょうネ。まぁ、よく分かりませんけど(^-^)
 時間はと見ますと、もぅ正午過ぎでありました。レストハウスでは、ご家族連れの皆様が丁度、お食事中でありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(23)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
05-720-555

 大峯神社・出雲大社から西方向の奥の方に進みますと、途中、視界が開け白滝山・展望台が眺望出来ました(^_^)v
 そして道は行き止まり。と言う事は、この辺りが黒滝山の頂上なのかも…とは言いましても、後方の大峯神社・出雲大社を振り返りますと、そちらの岩の方が高そうにも感じます。

 行き止まり手前辺りに先客がお二人。
 「こんにちは」と挨拶しましたが、返答はありませんでした。よくよく見ますと、女性お二人は外人sanでありました(^-^)

 多分、黒滝山頂上の案内標識は無かったように思います。見落としたのかも分かりませんけど…
 …と言う訳で、結局、何処が黒滝山の頂きなのかは分かりませんGONsanなのでありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(22)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
03-720-555

 それでは、石鎚神社から下りまして「大峯神社・出雲大社」へ。
 大峯神社・出雲大社は石鎚神社ほど険しい岩でもありませんから難なく上がれまして、祠の中を覗いてみますと、『大峯神社』と彫られました石が祀られておりました。
 位置的には、大峯神社の方が石鎚神社よりも少し高いようですネ(^.-)☆

 ここが黒滝山の頂上かと思いましたら、ここからもぅ少し奥の方に続いておりまして、ここよりももぅ少し高そうな岩が…
 その岩が黒滝山の頂上なのでしょうネ(^-^)
 それでは、また歩行再開で頂きに向かう事に致します(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(21)

01-720
02-720
03-720
04-720
06-720
07-720
08-720
09-720
03-720-555

 チョッとだけ険しい岩をよじ登っていますと「石鎚神社」と刻まれた石碑が…石碑というか石標と言った方が良いのかも…この石標を横目に、忠海の町・大久野島を眺望出来ます石鎚神社に到達です。
 石鎚神社の祠の中には、石鎚大神と赤い石が祀られておりました。
 赤い石には何と刻まれていますのでしょうネ…よくよく見ますけど、分かりません。「先達?蔵」と彫られていますのかも…
 まずは、石鎚神社をパチリです。後方には、後からお参りします「大峯神社・出雲大社」の石祠が(^-^)/"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(20)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
06-720-555

 ヤッと黒滝山頂きに到着で、左に進んでみましょうか…
 左方向にと行きますと、正面の岩の上に小さな石祠と、「大峯神社・出雲大社」と刻まれました石碑が…そして、その後方と言うか忠海町を眺望します方向に「石鎚神社」が存在です(^.-)☆
 まずは先に、石鎚神社にお詣りですネ。
 石鎚神社に上がります前に左側の岩盤に眼を向けますと、鎖場が…観音堂近くの鳥居の脇に鎖場がありましたけど、鎖を利用して上がって来ますと、ここに到達しますのですねぇ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(19)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
01-720-555

 それではまた、黒滝山山頂・石鎚神社・大峯神社に向かって歩行再開です。
 この鳥居の鎖場を使用しますと最短距離で到達しますのでしょうけど、ジジィのGONsanにはムリ!整備されました歩道を進む事となりました。
 木製の階段を上がって行きますと、ほどなく三叉路に到達で、「←白滝山・黒滝山」「山頂ひろば→」の標識に従い左方向へ(^.-)☆

 木々の間の狭い歩道を進んで行きますと、「ロープをつたって頂上まで登る」の案内表示板が…
 ふ~ん、左に入って行きますと、途中からでも鎖を使用して石鎚神社に向かう事が出来ますようですネ(^_^)v
 構わずGONsanは直進あるのみです(^-^)

 暫く進みますと開けた場所が…ここからは、先に登りました白滝山の龍泉寺、八畳岩(岩の上にはお二人の人影が…)、そして展望台が明瞭に(^.-)☆
 西日本豪雨時の爪痕もまたハッキリと。
 ここから白滝山に向かおうとしますと、一旦下って、また上がらなければなりませんのかも…ですが、先ほどの案内板には「←白滝山 1.5km」の表示でしたから、そんなに遠い距離でもありません。高低差の少ない尾根伝いのルートがありますのかも…またいつの日か、黒滝山に上がり、その後で白滝山に上がり、同じルートで黒滝山に戻り下山しますのも楽しい山歩きとなりますかも分かりませんねぇ~

 とにかく、もぅ少しで黒滝山山頂に到達なのだと思います(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)
QRコード
QRコード
ジャンル(絵日記)
日常生活を通じて眼にしたこと、感じたこと、出掛けた先の景観…等を、備忘録代わりに絵日記として綴っております(^-^)/"
ギャラリー
  • カープ、打てません…勝てません…哀しい(^-^;
  • カープ、打てません…勝てません…哀しい(^-^;
  • 我が家近くのこの畑…何でも作るのがお上手です(^.-)☆(4)
  • 我が家近くのこの畑…何でも作るのがお上手です(^.-)☆(4)
  • 我が家近くのこの畑…何でも作るのがお上手です(^.-)☆(4)
  • 我が家近くのこの畑…何でも作るのがお上手です(^.-)☆(4)
  • 我が家近くのこの畑…何でも作るのがお上手です(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
  • 天神社からの帰路には「かさおか太陽の広場」をウォーキングでした(^.-)☆(4)
プロフィール

 ・名前 GONsan
 ・年齢 大人
 ・性別 男子
 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


GONsan's ホームページ 「日本全国通過旅」


Since '00/04/19  ブログパーツUL5




GONsanの「気まぐれ独り言」 - にほんブログ村

↓ 何となく笑えます(^.-)☆








↓ 落書きですけど、お上手ですネ(^_^)v









↓ 今は亡きGON子です

お天気ノート


  • ライブドアブログ