GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

旅の景観・話題

6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(2)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
01-720-555

 球場のバス駐車場に到着は、12:20頃でしたでしょうか…試合開始1時間前の到着となりました。予定通りの到着と言う事なのでしょうネ…
 一応、晴天でデーゲームですから、日差しが当たれば暑いのでしょうけど、「内野指定席 1階 3塁側 通路北20 27列 L312番」ですからラッキー(^.-)☆
 2階席の天井に遮られまして直射日光は、避けられそうですねぇ\(^o^)/

 それはさて置きまして、交流戦に入りまして不調のカープ。
 勝っても負けてもカープファンとは言いましても、勝ち試合に期待したいのですけど、さて、どぅなんでしょうねぇ~

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(1)

01-720
02-720
03-720
04-720
01-900-555

 5月の中旬でしたか…日頃あまり折り込みチラシに眼を通しませんGONsanなんですけど、郵便受けから朝刊を取り出します際に躓きまして、新聞をドサッと落っことしてしまいました(^-^;
 その際に折り込みチラシがバラけてしまいまして、拾う際にタマタマ眼に入りましたのが、この『カープ応援バスツアー』のチラシでありました(^.-)☆
 ふ~ん、今まで気付きませんでしたけど、中国新聞販売所sanは、こんな企画を毎年…
 参加費用は、大人一人「9,900円」ですから、内野指定席「3,600円」と福山~広島間の往復交通費を勘案しますと、まぁこんなもんなんでしょうけど、参加希望者は応募し抽選での決定とか(^-^)
 で、とりあえず、即日、E-mailで応募はしておきました。ら、5/29(水)に「当選しましたので、キャンセルはしないで下さい…」との電話があった旨を嫁さんが言っておりました(^.-)☆

 ふ~ん、クジ運は決して良くありませんGONsanですから、応募者が少なかったのかも分かりませんネ。その時は、そぅ思っておりました。
 が、後日、知らされましたけど、結構、応募者は多かったとの事でありました(^_^)v

 こんな経緯がありまして、6/23(日)には「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆
 当日は、中国新聞水呑販売所前で、A.M.10:10にバスに乗車ですから、ノンビリと歩いて定刻10分前に販売所に向かいますと、既にバスは待っておりましたネ(^-^;
 GONsanが乗り込みますと、スグにバスは発車です。これも後で分かりましたけど、水呑販売所からはGONsanを含め3人が乗車でした。
 バスは、水呑販売所 -- 明王台オンリーワンバス停 -- 中国新聞瀬戸販売所と走行し参加者が乗車。総勢30名弱の皆様のようでありました。

 福山西ICから山陽自動車道で広島に向かいますけど、途中、1回だけ小谷SAでトイレ休憩。
 ここでは、GONsan達同様にカープ観戦に向かわれます方々が、大勢休憩中でありました(^.-)☆
 小谷SAを出まして暫くしますと、「事故車有り渋滞中」の表示が…そして、ほどなく渋滞です。が、さほどの渋滞でもありませんで、ユックリではありますけど車は流れておりました。
 1km程度走行しますと、トンネル入口近くの路傍に若者お一人とオートバイが…そして、トンネル内に入りますとスグに1車線の規制が…
 先ほどのバイクのトラブルで、車線規制のようでしたネ。オートバイ単独のトラブルでしたのかも…

 とにかく、大した渋滞でもありませんで、比較的スムーズに広島東ICから広島高速へ走行となりました(^-^)/"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

6/21(金)には、菅原神社のカキツバタ鑑賞に出掛けたのですけど…(1)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
05-720-555

 毎年、笠岡市の菅原神社のカキツバタを一度見てみよう…と思いながらも、出掛ける事なく現在に至っておりました。
 が、6/24(金)の午後でしたか…今が見頃だろう…と、出掛ける事に致しました。
 ら、う~ん、残念(^-^;
 そぅでしたネ…カキツバタの鑑賞は、5月上旬~5月下旬間が見頃でありました(^-^)GONsanが出掛けました時には、当然ながら、ご覧の状況でありました(^.-)☆
 時期を一ヶ月勘違いしておりましたネ。

 とは言いましても、せっかく訪れましたのですから菅原神社を散策です。
 全円アーチの眼鏡橋は珍しいようですけど、菅原神社を訪れますと、まず眼に入りますのがこの眼鏡橋。明治20年に地元の石工が造られましたようですけど、仲々印象的でありました(^-^)//"

 ◆菅原神社(スガハラジンジャ)

 ・由緒

 本神社の創建は延宝2年(1674)吉浜干拓地が完成したのを記念して、備後福山の藩主水野勝慶が造営されたといわれ、眼鏡橋は明治20年地元の石工が築き、ともに笠岡市の文化財に指定された。
 享保2年(1717)、寛政5年(1793)、文化13年(1816)に社殿の屋根修復。文政6年には拝殿の再建を行った。大正10年本殿、拝殿の修復。昭和25年10月本殿、神輿蔵の修理を行った。

 ・菅原神社の眼鏡橋とカキツバタ

 菅原神社は江戸時代の干拓によってできた吉浜地区の氏神として造営されたといわれています。境内の御手洗池には約2千株のカキツバタが群生。毎年5月になると、あざやかな青紫の花が目を楽しませてくれます。池にかかる石造の眼鏡橋とのコントラストがとてもきれいです。

 ・カキツバタ

 カキツバタは美人の例えに「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」など言われるようにアヤメ、そしてハナショウブともよく似た花です。見分け方は色々ありますが、花びらの根元に網目模様があるのがアヤメ、黄色い模様があるのがハナショウブ、そしてカキツバタには白い模様があります。
 見頃:5月上旬~5月下旬

 ・眼鏡橋

 境内の御手洗池にかかる眼鏡橋は、明治20年(1887年)に地元吉浜村の石工である佐藤豊吉(豊造)が棟梁となり完成させました。全国的にも珍しい全円アーチの石橋で県の重要文化財に指定されています。
 その名の由来となった洞門のような2つのアーチは半円形ではなく、水面下でも弧(こ)を描き、眼鏡のような全円を形作ります。

 ・概要

 住所:〒714-0074 岡山県笠岡市吉浜1661
 アクセス:井笠バスカンパニー 笠岡~福山線「吉浜」下車。徒歩1分。
 山陽自動車道笠岡インターから5.6km

 ・備考

 花の見頃の時期には、菅原神社のカキツバタと周辺の名跡などを巡るウォーキングツアー行われます。イベント情報をチェックするか笠岡市観光連盟までお問い合わせください。

 …と、菅原神社のホームページには、こんな記載がありました(^.-)☆

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(36)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
07-720-555

 ◆小樽市 小樽オルゴール堂

 株式会社オルゴール堂(小樽市住吉町4番1号、柳田春義代表取締役)が経営する小樽オルゴール堂は、年間400万人の観光客らが訪れる小樽屈指の観光スポットだ。小樽市指定歴史的建造物の本館、堺町店、手作り体験遊工房の3店舗をはじめ、アンティークオルゴールやからくり人形などを展示している2号館、小樽からくり動物えん、キャラクターハウス・夢の音、アクセサリーマーケットおたる瑠璃工房など、本館を基点にして周辺に8つの関連店舗が点在する。

 ・圧巻、25,000点以上のオルゴールが並ぶ 小樽オルゴール堂本館

 レンガ造りと石造りの2棟からなる本館は、1912年に米穀商が本社屋として建てた木骨レンガ造り2階建ての建物を再利用している。内部は総ケヤキ造りで、高さ9メートルの吹き抜けの大ホールがあり、2万5,000点以上のオルゴールが展示販売されている。正面玄関前には、高さ5.5メートル、幅1メートル、重さ1.5トンの蒸気時計が配置されており、観光客がひっきりなしに記念撮影する姿がみられる。また、2号館には、展示されている1908年製のパイプオルガンや、アンティークオルゴールのミニコンサートを楽しめる。

 ◆北一硝子

 北一硝子(きたいちがらす)は、北海道小樽市にあるガラス製品の製造、販売を行う会社。

 ・概要

 1901年(明治34年)に創業した浅原硝子が前身。当初は石油ランプの製造を行っていたが、当時活況を呈していたニシン漁用浮玉(ブイ)の製造も手がけ、飛躍的に業績を伸ばした。
 プラスチックなどによる代替品の開発や漁業の衰退が進んだ1980年代には斜陽化が進んだが、小樽運河地区の再開発に伴い開設した観光客向けの常設ギャラリーが人気を博し、照明製造販売からガラス器の販売業への業態転換に成功した。
 当初からの国内外のガラスメーカー・商社商品の仕入れ販売に加えて、現在では自ら企画する商品や傘下の工場の運営のほか、レストランやカフェ、また日本酒やワイン等の酒類販売も手がけ、小樽市内だけでも10店舗以上の直営店を構える。
 この成功は、後に全国各地に出現した観光地型のガラスショップ・工芸館の先駆けとなった。

 ★小樽と北一硝子のあゆみ

 ・小樽・明治期の繁栄

 小樽繁栄のルーツはニシン漁にありますが、明治に入り、北海道開拓が本格化すると、その玄関港として発展します。多くの開拓移民が小樽に上陸し、それを支える様々な開拓物資や生活用品を満載した北前船(弁財船)が集結し、商港としての発展基盤がここで生まれます。
 明治13年に日本で三番目の鉄道が札幌との間に敷かれて、流通の要となった小樽では、港湾の整備が進められ、積荷を保管する木骨石造倉庫が次々に立ち並びました。明治32年には開港場として指定され、国際貿易港になります。この時すでに営業倉庫は250を数え、うち石造倉庫が百棟以上もありました。北一硝子の代表的な店舗施設であります三号館もその中のひとつでした。

 ・三号館倉庫の歴史

 北一硝子三号館は、木村倉庫社長、初代木村円吉により明治中期(明治24年)に建てられた木骨石張倉庫です。この倉庫は時代とともにその役割が大きく変わってきました。当初は漁業用倉庫として、みがきニシンなど魚の加工品が納められておりましたが、ニシン漁の衰退とともにさまざまな物資が納められるようになりました。
 木骨には、エゾ松、トド松、床下の主要部分にはヒノキを使っています。外壁には小樽軟石が用いられております。
 軟石は断熱効果にすぐれ、倉庫の壁材としては最適のもので、百年以上を経た今でも、昔のまましっかりとした姿を残しております。この歴史ある倉庫を当社が譲り受け、昭和58年2月、北一硝子三号館として開店いたしました。旧倉庫を再生した最初の成功例として、他の石造倉庫の転用を促進した意義は大きいとの評価を受けております。平成3年、小樽市歴史的建造物第21号に指定されております。

 ・一世紀におよぶ小樽での歩み

 北一硝子の前身、浅原硝子が生まれたのは、小樽函館間の鉄道工事が始まる前年の明治34年のこと。初代社長の浅原久吉が薩摩キリコの発祥の地、九州より北海道へ渡り、小樽で石油ランプの製造を始めました。電気が普及していない当時、浅原硝子の製造するランプは、人々の生活必需品でした。さらに明治43年には漁業用の浮き玉の製造も始め、小樽、室蘭、旭川、釧路、樺太と製造工場を増設し、従業員数も約400名となり、当時の北海道では大企業に名を連ねていたのです。

 ・小樽の文化とガラスの調和

 前述の通り、小樽は明治以降の日本において急速に発展した土地です。それも北海道の全域の開拓の玄関港として、道産品の搬出の積出港として、また樺太への中継港として飛躍的な発展をとげました。この時代は、鎖国を解いた明治政府の国策として、さまざまな舶来文化、文明が怒涛のごとく押し寄せてきた時代でもありました。鉄道や大邸宅、寺社仏閣、旅館、料亭など、どんどん新しく建ち並ぶ勢いがあったのです。
 しかし、昭和20年の終戦を境に大発展は完全に止まります。その後の法改正や社会情勢の変化により昭和40年代に入ると北海道経済の中核は完全に札幌へ移行され、その後の小樽は「斜陽」という形容詞がしばらくついて推移しました。
 しかしながら、偉大な文化遺産のすべてが失われたわけではありませんでした。明治大正期の建築物や町並みは、貴重な文化遺産としてその形を今にとどめることになります。そしてその貴重な歴史的・文化的な遺産の価値を正しく認識した上で、硝子との調和をどのように図るか、が当社北一硝子の大きなテーマとなっております。

 ・小樽の文化をより多くの人に伝えたい

 本州各地の古い都市には、長い歴史的背景がありますが、小樽は、近代日本の夜明けに和の文化と洋の文化を同時に取り入れてスタートした町だといえます。それがまた、非常にグローバルな視点で展開したために、特異的な都市形成がなされてきました。このような小樽の成長過程を踏まえれば、都市を保存していく重要な価値があると私たちは考えています。スクラップ・アンド・ビルドによる安易な近代化からのがれ、個性を保持している小樽は、そもそも経済の集散地であるとともに文化の集散地でもあったのです。
 この町の魅力を伝えていくのも、小樽に生まれた北一硝子の大切な使命と考えております。

 …と、北一硝子sanのホームページには、こんな記載がありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(35)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
02-720-555

 眼に入ります景観を画像に納めながら、昼食場所でした日本橋の前に駐車のバスに戻りましたのが集合時間5分前。
 既に皆さんお揃いかと思いましたら、若者ご夫婦お二人とGONsanの3人のみ。

 んっ、何で!?…と添乗員さんに「他の方達は?」とお尋ねしますと、当初、昼食場所でユックリ過ごし、それからバスで指定駐車場に移動し、2時間半程度の自由行動…との事でした。
 それで、昼食後のユックリ過ごせます45分間を利用し、GONsanは小樽運河の散策へ。他の5~6名の方も、「小樽運河」「堺町通り商店街」へと散策に出掛けられましたようです。
 そして、その間に、残っておられます方々のご希望により、今からバスで指定駐車場に移動し、そこから自由行動…となりましたようですネ。
 そんな事情を知りませんGONsan達数名が、当初の集合時間にバスに戻って来ました状況のようでありました(^.-)☆

 ふ~ん、そぅいぅ事でしたら、つぃ先ほど当初の集合時間が迫りました頃に、ノンビリと小樽運河にヤッて来られました3人連れの皆様にも納得です(^-^)
 とにかく、GONsan達も指定駐車場に移動です。
 駐車場に到着しますと、自由行動で2時間少々ありますので、今度は、お土産も求めませんとなりませんし、GONsanは散策マップを片手に『堺町本通』を散策となりました(^-^)//"

 ◆堺町通り(Sakaimachi Street)

 堺町通りは北のウォール街とメルヘン交差点を結ぶ小樽有数の人気観光スポット。全長約700メートルの沿道には様々な飲食店や土産物店などが軒を連ねており、年間を通して国内外の観光客で賑わっている。最近は特にアジア系の外国人観光客が多く、外国を歩いているかのような錯覚を覚えるかもしれない。
 沿道海側には小樽オルゴール堂や北一プラザをはじめとした重厚な石造りの倉庫を活用した建物が数多く立ち並んでいるが、これはかつて倉庫の北側が日本海に面していた頃の名残り。現在の道道小樽港線や小樽港の場所は後になって埋め立てられたものである。また、かつての商家や金融機関などの建物も数多く残っており、これらの建物は飲食店や土産物店、ガラス工芸店など、観光客向けの店として活用されている。
 札幌・新千歳空港方面から列車を利用して小樽オルゴール堂や北一硝子をはじめとした堺町通り界隈を訪れるなら、小樽駅よりも南小樽駅を利用するほうが近くて便利。南小樽駅からは徒歩で約7分、小樽駅からは徒歩で約13分~15分の道のりである。

 …と、こんな「堺町通り」でありますけど、見て廻りますだけでも、写真撮りますだけでも、大変楽しい商店街でありました(^-^)/"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(34)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
02-720-555

 暫く小樽運河と、その周辺をノンビリと散策しておりまして、満開の八重桜にカメラを向けておりましたら、研修旅行のメンバーの3名の方が、こんな時間にヤッて来られました。
 「んっ、こんな時間に来られましても、そろそろ集合時間が近づいて来ましたので、食事しました場所にバスが待っていますから戻らなくてはならないのに…今から運河を散策しますには時間がありませんのに…」と、チョッと不思議な想いが…
 で、写真撮りました後に「何で今頃…」とお尋ねしようとしたのですけど、写真撮っています間にドンドン進んで行かれてしまいました(^-^;
 でも、GONsanはバスが待機の日本橋まで戻らなくては…

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(33)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
03-720-555

 小樽運河の景観をノンビリと楽しんでおりまして、眼が止まりましたのが「小さなケツ婚式」の建物でした。
 WEB上で検索しますと、このような記載が…

 ◆WHAT’S PETIT WEDDING
 もっと自由に、等身大で「ふたりらしさ」が彩る、思い通りのセレモニー

 「小さな結婚式」は、2000年に誕生して以来、上質なウェディングを、できるかぎり低価格でお届けするためアイデアを出し合い、たくさんの人に会い、世界中で良いモノを探し求めてきました。
 こうして積み重ねた時間は、ただ一つの想いに通じています。
 小さくても大きな感動を結婚式のすばらしさを、日本中に、世界中に伝えていく。
 上質なウェディングを、いつでも、誰でも、低価格で利用できる。
 それが、「小さな結婚式」という式場です。

 ◇こんな方が挙式をしています

 ・二人だけ、ご家族だけ、ご家族と親友だけで挙式をしたいという方
 ・費用や準備期間をかけずに挙式したい方
 ・大袈裟な結婚式は気後れしてしまうという方
 ・披露宴や食事会をせず、挙式だけをしたい方
 ・挙式はしたいが、親族や友人を招く予定はないという方
 ・お腹のお子さまに、負担をかけずにできる挙式をお探しの方
 ・再婚なので慎ましく挙式したいという方
 ・40~50歳にもなって若い人のような挙式は気恥ずかしいとお考えの方
 ・大切なペットと一緒に思い出を作りたいとお考えの方
 ・人とは違うオリジナルな結婚式にしたいとお考えの方
 ・過去に叶えられなかった夢を叶えたいという方

 …と、こんな記載でありましたけど、近年は、こぅした小さな結婚式をされますカップルも増えて来ましたネ。
 つぃ先日、GONsanなんぞも「私達、結婚しました…」と挨拶・紹介されまして、慌てました事も(^-^)
 時代の流れなんですねぇ~

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(32)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
03-720-555

 余市蒸留所見学の最後は、「ニッカ会館(無料試飲会場)」へ。
 結構な量を試飲されましたのか、集合時間となりましても、仲々現れません方が…皆さん手分けして捜しましたら、気持ちよさそうに眠っておられましたとか(^-^)

 ニッカ会館(無料試飲会場)につきましては、WEB上にこんな事を記しておられます方が…

 ★“マッサンとリタの愛情生活が偲ばれる素晴らしい名所です”
 何といっても無料で見学できるのが嬉しい。大きな試飲会場では3種類のウイスキーをこれも無料で試飲できる。別棟の有料の試飲会場が博物館の中にある。マッサンとリタの生活も偲ばれる。戦前に遠いスコットランドから雪深い余市に来たリタの心中はどうだったのだろうか。マッサンの愛情を全身に受けて幸福な人生だったと思いたい。

 余市蒸留所を後にしますと、まずは小樽で昼食です。昼食場所は、小樽寿司通り「日本橋」で「旬のおまかせ握り会席」でありました。
 「日本橋」のホームページを覗いてみますとこんな記載がありました。

 ◆すしの道ひとすじ…日本橋

 小樽で寿司?
 ~世界一美味しい漁具類を洗練された技で~

 北海道の海の幸は世界一美味しいと言われ、これに加えて小樽は早くから鰊漁で栄える。その恵まれた自然素材の味を活かした寿司職人が腕を競い合い、地元独自の由来を持ち、地元に親しまれて来たからこそ、小樽の寿司は独自の食文化となりました。「小樽で寿司!」の由来はここにあります。

 …と。

 それはさて置きまして、昼食後は、13:10~15:20間の約2時間を自由散策となりました(^.-)☆
 で、GONsanはとりあえず、初めての小樽ですので『小樽運河』へと(^_^)v

 ◆小樽運河

 小樽運河(おたるうんが)は、北海道小樽市にある運河。

 ・概要

 1923年(大正12年)完成。日本国内唯一となる海岸の沖合い埋立て方式で造られており、緩やかに湾曲しているのが特徴になっている。全長1,140 mあり、幅は臨港線沿いは20m、北部(通称:北運河)は当時のままの40mになっている。1986年(昭和61年)に運河の一部を埋立てて幅の半分が道路となって散策路が整備されると小樽市の観光資源になり、周辺地区を含めて観光地へと変貌した。散策路には63基のガス灯が設置されている。運河沿いにある石造倉庫群は当時の姿を残しており、夕暮れ時からライトアップしている。また、運河周辺では『小樽雪あかりの路』『おたる☆浅草橋オールディーズナイト』などのイベントを開催している。

 ・歴史

 小樽運河は、小樽港が取り扱う荷量が多くなったため、沖合いで艀(はしけ)を使った荷揚げから艀が倉庫の近くまで直接行けるために建設した水路である。
 戦後になると港に埠頭が整備されて運河は使命を終え、運河周辺の重厚な木造石造りの倉庫群などの歴史的建造物は数多く取り残された。1966年(昭和41年)、モータリゼーションによって深刻化していた小樽市内の交通渋滞緩和を図るため、臨港線(現在の北海道道17号小樽港線と北海道道454号小樽海岸公園線の一部区間)全路線を6車線化する都市決定計画を行った]。
 この計画には運河の埋立てと倉庫群の解体が伴っていたため、周辺の歴史的建造物を含めて保存に向けた市民活動が起こり、1973年(昭和48年)に「小樽運河を守る会」が設立した。10年以上に及ぶ議論が続き、臨港線は運河区間を残す一部が開通した。
 1983年(昭和58年)に「小樽運河百人委員会」を結成して約10万人の署名を集めるなど再度保存活動が盛り上がり、小樽市も北海道初の景観条例となる「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定するなど姿勢が変わった(1992年には発展的解消した「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」を制定)。
 なお、百人委員会は当時の小樽市長のリコール運動を巡る急進派と慎重派の対立により翌年に解散した。その後、慎重派が1984年(昭和59年)に「小樽再生シンポジウム実行委員会」を結成し、翌年に発展的解消した「小樽再生フォーラム」を設立した。
 最終的に、運河の幅の半分を埋立てて道路とし、残りはポケットパークの配置や散策路を整備することで議論が決着して1986年(昭和61年)に完成した。
 再生された小樽運河は小樽を代表する観光地になり、運河周辺も民間資本による投資が活発となった。小樽運河周辺は「小樽歴史景観区域」に指定されており、石造倉庫の再活用や歴史的建造物と調和したデザインの建物が新築され、ガラス・オルゴール工房や飲食店、海産物店、菓子店、土産物店などが立地している。
 運河周辺を人力車で遊覧することができるほか、2012年(平成24年)からは運河を周遊する観光船を運航している。

 …と、こんな「小樽運河」でありますようです(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(32)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
06-720-555

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(31)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
01-720-555

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(30)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
04-720-555

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(29)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
03-720-555

 次は、「1号貯蔵庫」へと向かいます。

 ◆1号貯蔵庫

 「空調設備は?」「ありません」
 「蒸溜棟」で蒸留されたお酒は樽に詰められ、熟成し、ウイスキーへと変化していくのです。その樽に詰まったお酒を貯蔵しているのが「貯蔵庫」。見学用の一号貯蔵庫は創業時に作られたもので、増築を重ね、現在は26棟の貯蔵庫が稼働しています。
 樽に入っているお酒は呼吸をします。夏になると中の空気が膨張し、樽の外へと出ていきます。冬になると中の空気が収縮し、外気が樽の中へと入っていきます。この「呼吸」によって、味わいの邪魔になる成分などが出ていき、まろやかな味わいになるのです。

 A:ところで、空調設備が見当たらないのですが、見学スペースだからですか…?
 B:いえ、どの棟でも貯蔵は自然任せです。余市の気候は冬がとても寒く、湿度が高いため、貯蔵に適しているんです。この貯蔵庫も見学者から見える手前のほうは展示用の樽で中身が入っていませんが、ついたての向こう側には実際にウイスキーが入っている樽がありますよ。
 A:むしろ見学用の貯蔵庫に実際の樽があるのがすごい。

 ・むむMEMO
 樽の中で貯蔵されているお酒は、揮発して少しずつ減っていきます。知らぬ間に天使が飲んでしまったのかもしれないということで、その減った分を「天使の分け前」とも言ったりします。湿度が低く乾燥していると揮発する量が増えて、どんどんお酒がなくなってしまうので、湿度が高いことは重要な要素になるのです。

 --- http://yorimichi.airdo.jp/mumu_nikka --- より引用

 …と、こんな「1号貯蔵庫」のようです(^.-)☆
 続いて向かいましたのが「ウイスキー博物館」でありました。

 ◆ウイスキー博物館

 2棟の貯蔵庫が博物館に姿を変えた琥珀色の空気が漂う空間で生命の水の浪漫に出会う。

 1998年4月18日、余市蒸溜所に『ウイスキー博物館』が誕生した。建物はウイスキーが眠っていた貯蔵庫を改装したもので蒸溜酒、ウイスキーの歴史、製法、種類などを展示した「ウイスキー館」とニッカウヰスキーの生い立ちから現在までの歴史を映像やパネル、展示物で紹介した「ニッカ館」の2棟からなっている。
 特に「ニッカ館」には創業者である竹鶴政孝と、彼のウイスキーづくりの夢を共に分かち合ったリタ夫人の写真や遺品が展示されており、ウイスキー愛好者ならずとも興味惹かれる展示がなされている。
 ウイスキーとは何か?その応えが凝縮されている「ウイスキー館」。「ウイスキー館」の扉を開けると銅製のポットスチルと整然と積み上げられた樽が目に飛び込んでくる。
 “琥珀色の始まり”に置かれたアランビックやパネルに記された蒸溜の始まりから、蒸溜酒の誕生、世界の蒸溜所が語りかけてくるのはウイスキーの創世記。
 ウイスキーとは何か? その答えがここに凝縮されている。
 “ウイスキーづくりの道具”ではウイスキーの熟成に欠かせない樽の製造法の紹介から、使用される樽材、樽づくりの道具を展示。ウイスキーストリートを抜けると、そこは“ウイスキー倶楽部”。
 シングルカスクウイスキーやニッカの商品、世界のウイスキーが有料で試飲出来るほか、余市モルトの無料試飲が行われている。

 ◆リタと政孝のロマン溢れる「ニッカ館」

 「ニッカ館」のプロローグは“ニッカシアター・浪漫”。
 竹鶴政孝とリタ夫人の物語が、映像で綴られており、ラストの2人が仲睦まじく微笑みあうシーンは文字通り浪漫に溢れている。“竹鶴政孝の肖像”は竹鶴政孝が残した数々の資料とパネルの展示で、彼の生涯を紹介。広島の造り酒屋に生まれた政孝が、やがて洋酒づくりに興味を持ち、単身渡英。
 彼が記したノートにはウイスキーづくりのノウハウから蒸溜器の図解が丁寧に記録されており、彼のウイスキーづくりへの情熱が伝わってくるようだ。
 政孝とリタ夫人の運命を決めた場といわれる、カウン家(リタ夫人の生家)のクリスマスシーンをアンティーク家具などを使って再現したのが“クリスマスのプディング占い”。
 プディングの中に入っているのは6ペンス銀貨と指貫。未婚の男女に銀貨と指貫が入っていると「2人は将来結ばれる」。
 政孝のプディングには銀貨が、リタのほうには指貫が。言い伝えのとおり2人は結ばれ、琥珀色の夢を紡いでいくのだった。

 “リタ&政孝の軌跡”は2人の遺品の実物展示とパネルで、「大日本果汁株式会社」時代から「ニッカウヰスキー株式会社」に社名変更するまでの時代を中心に、理想のウイスキーづくりへの道のりを紹介。日本のウイスキーの軌跡を辿ることが出来る。ウイスキー、そしてニッカウヰスキーの歴史に触れることができる『ウイスキー博物館』。熟成を重ねたウイスキー同様、味わい深い空間と言ってもいいのではないだろうか。

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(28)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
01-720-555

 ガイドさんの案内に従って、旧事務所・リタハウス・旧竹鶴邸…と、ウイスキー博物館方向に進行です(^.-)☆

 ・旧事務所
 竹鶴政孝の事務所として1934年(昭和9年)に建設。余市町の「指定文化財」であり、企業内の建物としては北海道内で初めて文化財に指定された。

 ・リタハウス
 1931年(昭和6年)建設。工場の操業開始後にウイスキー製造の研究室として使用していた。見学不可。登録有形文化財、近代化産業遺産。

 ・旧竹鶴邸
 1935年(昭和10年)に竹鶴政孝・リタ夫妻の住居として工場内に建設。後に余市町の郊外山田町に移設するが、2002年(平成14年)に再び工場内に移築・復元した。玄関ホールと庭園を一般公開している。登録有形文化財、近代化産業遺産。

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(27)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
05-720-555
余市蒸留所マップ-720

 見学者待合室で暫く待たされましたけど、この待合室内で、まずはレクチャー(^-^)
 そして、蒸留所ガイドツアーがスタートとなりました(^.-)☆
 最初に見学しましたのが乾燥棟(キルン棟)で、次が蒸留棟でありました。

 ◆世界で「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」だけ!石炭直火蒸溜

 長い年月といくつもの工程を積み重ねてできる美味しいウイスキー。「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」では、先代から受け継がれたこだわりの工程を、五感で学ぶことができます。その中から「蒸溜棟」をご紹介。
 ポットスチル(単式蒸溜器)が並ぶ蒸溜棟は、原料の麦汁に酵母を加え醗酵させてできた「もろみ」を蒸留し、アルコールを取り出す作業をする施設。余市蒸溜所では世界でここだけの、創業当時から続く石炭による伝統製法「石炭直火蒸溜」が行われています。
 石炭での直火蒸留は温度調整が難しく、熟練の技を持った職人が必要不可欠。コスト面でも決して効率が良いとは言えません。それでも芳ばしい香りと力強い味わいを持ったウイスキーをつくるため、石炭直火蒸溜を守り続けます。
 施設が稼動している時期は、数分置きに約700度の熱気の中、石炭をくべる職人技を実際に見ることができます。迫力がありますよ!

 ※真夏と真冬は温度調整が難しいため蒸溜棟は稼動していません。

 蒸留棟には他にもニッカウヰスキーならではの特徴があります。それはポットスチルに飾られた注連縄。これは創業者・竹鶴政孝氏の実家が造り酒屋であったことから、「良いウイスキーができますように」と願いを込めしめられています。
 また、写真の中の小さなポットスチルは、創業当時に使用していたもの。こんなところにも注目して見学してくださいね!

 --- https://www.travel.co.jp/guide/article/4898/ --- より引用。

 次に向かいましたのが「醗酵棟」です。
 今回は見学出来ませんでしたけど、「粉砕・糖化棟」では麦芽を粉砕し温水を加え、麦汁という、いわば麦のジュースを造ります。「粉砕・糖化棟」でできた麦汁は、こちらの「醗酵棟」へ運ばれます。
 「醗酵棟」は、ガラス越しの見学になりましたが、この巨大なタンクの中で、酵母が加わり、麦のジュースが麦のお酒へと変わっていくのです。タンクには水冷ジャケットがついていて、温度管理はばっちりとの事です。
 糖化や醗酵などの行程は、外の展示パネルで詳しく説明されています。

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(26)

01-720
02-720
03-720
04-720
04-721
05-720
06-720
03-720-555

 余市町と言いますと『余市ニッカウヰスキー工場』ですネ(^.-)☆

 ◆余市蒸溜所

 余市蒸溜所(よいちじょうりゅうしょ、英:Yoichi Distillery)は、北海道余市郡余市町にあるニッカウヰスキーの工場(蒸溜所)。正式名称は、ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所。

 ・概要

 ニッカウヰスキーの創業地であり、竹鶴政孝がウイスキーづくりの理想の地を求めてスコットランドに似た気候風土を備えていた余市に蒸溜所を建設した。蒸溜所では世界的に見ても今では珍しい昔ながらの「石炭直火蒸溜」を行って「品質第一主義」を貫いており、日本国内で初となるザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になった。また、「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」として「北海道遺産」に選定されているほか、蒸溜所内の建造物9棟が国の「登録有形文化財」に登録され、「余市町のウイスキー醸造関連遺産(ニッカウヰスキー㈱北海道工場)」として経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されている。観光地としても人気があり、トリップアドバイザーから「エクセレンス認証」を授与されている。

 ・歴史

 1934年(昭和9年)、寿屋(現在のサントリー)を退社した竹鶴政孝は、かねてからウイスキーづくりの適地としていた北海道での工場建設を実現しようとしていた。竹鶴政孝が目指したのはスコッチ・ウイスキーであり、ハイランドの蒸溜所と同じように力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくることであった。北海道には原料や燃料となる大麦、石炭、ピート(泥炭)、酵母の入手が容易であり、寒冷地の気候に加えて良質な水や樽に必要な木材も豊富にあるため、ウイスキーづくりに必要な条件が揃っていた。

 当初は現在の江別市を工場予定地にしていたが、予定地が氾濫する恐れのあることがわかったために断念し、酒造家で資本家でもあった但馬八十次の紹介もあって余市での工場建設を決めた。余市は三方を山に囲まれて北には日本海があり、適度な湿度を持ちながらも澄んだ空気や余市川の良質な水があるなどの諸条件を満たしていたほか、果汁の原料となるリンゴの産地であることも工場建設の決め手になった。ウイスキーが熟成するには長い年月を必要とするため、まずはリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようと考え、同年に「大日本果汁株式会社」を設立した。1935年(昭和10年)の冬になって、ウイスキーを蒸溜するためのポットスチル(単式蒸溜器)が1器届き、翌年から製造を始めた。1940年(昭和15年)の第1号「ニッカウヰスキー」発売後、程なくしてウイスキーなどは贅沢品として製造販売が制限された。その後、余市蒸溜所は大日本帝国海軍の指定工場となったためウイスキーは海軍が買い上げることになったが、物資が乏しい中でも大麦の配給を受けることができたため、原酒を作り続けることができた。

 1934年(昭和09年):「大日本果汁」設立し、余市に工場完成。
 1935年(昭和10年):「ニッカ林檎汁」(リンゴジュース)発売。
 1936年(昭和11年):ウイスキー・ブランデーの製造開始。
 1940年(昭和15年):「ニッカウヰスキー」「ニッカブランデー」第1号発売。
 1952年(昭和27年):「ニッカウヰスキー」と社名変更し、本社が東京に移転。
 1980年(昭和55年):旧事務所が「大日本果汁株式会社(ニッカウヰスキー株式会社)工場創立事務所 」として町の「指定文化財」になる。
 1989年(平成元年):「シングルモルト余市」発売。
 2001年(平成13年):ニッカウヰスキーがアサヒビールと営業統合。「シングルカスク余市」がウイスキー・マガジン『ベスト・オブ・ベスト』最高得点獲得。
 2002年(平成14年):ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になる。「ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所」として平成14年度「緑化優良工場経済産業大臣表彰」受賞。
 2004年(平成16年):「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」として「北海道遺産」認定。
 2005年(平成17年):建造物9棟が国の「登録有形文化財」登録。
 2007年(平成19年):「余市町のウイスキー醸造関連遺産(ニッカウヰスキー㈱北海道工場)」として経済産業省の「近代化産業遺産」選定。
 2008年(平成20年):「シングルモルト余市 1987」がウイスキー・マガジン『ワールド・ウイスキー・アワード』(WWA)シングルモルトウイスキー部門で世界最高賞受賞。
 2016年(平成28年):西川浩一工場長が『アイコンズ・オブ・ウイスキー』(IOW)の「ワールド・ベスト・ディスティラリー・マネージャー」受賞。

 …と、こんな『余市蒸溜所(余市ニッカウヰスキー工場)』でありますようです(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(25)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
01-720-555

 う~ん、この建物はキレイですネ(^.-)☆

 ◆豊平館
 豊平館(ほうへいかん)は、札幌市中央区中島公園内にある西洋館。

 ・概要

 1880年(明治13年)、今の大通に面する位置に高級西洋ホテルとして開拓使が建造した。最初の利用者は明治天皇で、以後要人の宿泊、祝賀会、各種大会に用いられた。後に公会堂となり、第二次世界大戦中に日本軍、戦後にアメリカ軍に接収された。1958年(昭和33年)に中島公園に移設され、以後は2012年(平成24年)3月まで市営の結婚式場として利用されていた。重要文化財(1964年5月26日指定)。平面積562.194㎡。運営費は年間約2,800万円。

 豊平館の設計は、開拓使工業局営繕御用掛の安達喜幸により、工事は大岡助右衛門が請け負った。1879年(明治12年)に建築をはじめ、翌年11月に完成、12月3日に落成式が催された。完成当時、完全な西洋式のホテルは日本にほとんどなかった。
 豊平館最初の宿泊客は明治天皇で、札幌行幸のとき、1881年(明治14年)8月30日から9月2日までの4日間、行在所に用いた。これによって開拓使は面目をほどこし、豊平館の格式もあがった。同年11月6日に開拓使は旅館と料理店の経営を民間に委ねた。しかし、天皇が泊まった2階客室に他の人を泊めることをはばかり、1階だけを利用させたため、ただでさえ少ない客室がさらに減ることになり、料金も高く、ホテルとしての利用は低調であった。中央の高官の宿泊のほか、祝賀会や各種式典の場として用いられた。
 札幌市の発展とともに式典・大会会場の需要が高まったため、札幌市は1921年(大正10年)に宮内省に願い出て豊平館を譲り受け、1926年(昭和元年)に豊平館の裏に新しい建物を作って連結した。豊平館と新しい建物は市の中心部にある公会堂として盛んに利用された。昭和初期に、明治天皇ゆかりの場所である豊平館は聖蹟とされた。そして1933年(昭和8年)に国の史蹟に指定された。

 豊平館は、第二次世界大戦中に北部軍に利用され、戦後にアメリカ軍に接収された。後にアメリカ軍が三越札幌支店を接収すると、三越にかわりの店舗として貸与された。アメリカ軍が近郊に建設したキャンプクロフォードに移転した1947年(昭和22年)に、札幌市のもとに戻った。以後、新旧の建物は公民館、市民会館として利用された。
 長く大通公園の東の端にあった豊平館は、1957年(昭和32年)に中島公園への移築のため解体された。跡地には新しい市民会館が建てられた。移築の対象は明治時代からの古い建物だけで、翌年に建築当時の姿に近い形で復元された。以後の豊平館は、市営の結婚式場として利用されていた。この間、史跡指定は1948年に解除されたが、1964年に明治時代の歴史的建築物として改めて重要文化財に指定された。

 2012年4月より2016年6月まで、耐震補強を含む保存修理工事のため、休館していた。工事完了後の利用方法について市は「集客交流資源として積極的に活用していく施設としてリニューアルオープンする予定」としていた。2016年春に札幌市は、6月20日に再オープンし昼間は観覧施設、夜間は貸し室として使用することを発表した。貸し室の用途には、修理工事以前と同様、結婚式の使用が認められている。

 中島公園入口方向に進んで行きますと、こんな碑が…「四翁表功之碑」と刻まれていますけど、どんな碑なのでしょう…

 ◆四翁表功之碑

 この碑は、中島公園にある[日本庭園]の入り口に建立されています。この四翁とは、札幌の開拓に尽力した[水原寅蔵][大岡助右衛門][石川正叟][対馬嘉三郎]の四翁の事です。
 [四翁表功之碑]は、1918年(大正7年)が開道50年と札幌本府創建50周年の年でした。これを記念して翌1919年(大正8)に創建当初の功労者を顕彰するためにこの碑を建立したものです。

 中島公園とお別れし、ホテル方向に戻っていますと、豊川稲荷札幌別院が…

 ◆豊川稲荷札幌別院

 豊川稲荷札幌別院(とよかわいなりさっぽろべついん)は、本院が北海道札幌市清田区北野7条2丁目8-18、祖院が中央区南7条西4丁目1-1にある曹洞宗玉宝禅寺の別称である。
 豊川稲荷(愛知県豊川市)の別院である。祖院は明治31年(1898年)開創。本院は昭和59年(1984年)建立。

 ・沿革

 祖院は札幌市の歓楽街・薄野の中心部のやや南側に位置する。1871年に遊郭が設置されて以来、薄野は商業地・繁華街として発展したが、商売繁盛を司る稲荷神への信仰は早くから存在し、1880年代初頭には既に無住の稲荷堂が建てられたという。その後1894年に地元の酒造業者・波多野与三郎によって、豊川稲荷の分霊を迎えようという計画が持ち上がり、現在の札幌市中央区南3条西4丁目に設立寺務所が設けられ、募金活動が開始された。波多野が花柳界と繋がりが深かったこともあり、発起人には料亭・芝居小屋・遊郭・見番(芸妓の登録組織)などの関係者が数多く名を連ねた。1年足らずの間に現在の金額で1億円近くの浄財(寄付金)が集まり、1895年から現在地で稲荷堂の建設が始められ、1898年5月に落成した。

 以後、豊川稲荷は「薄野の守護神」と呼ばれ、地域の人々の崇敬を集めることとなる。玉垣や門柱には寄進者として、地元の有力者や興行主などの他、見番に属する芸妓などの名前も数多く刻まれており、花街との関わりは特に深いものがあった。昭和初期までは、芸妓や遊女、小料理屋の女主人や仲居など、水商売に縁のある女性が、お百度を踏む光景が頻繁に見られたという。また、毎年9月22日に催された例大祭は、かつては札幌神社祭・三吉神社祭とともに、札幌三大祭と呼ばれるほど盛大なものであった。
 1976年5月25日、札幌料飲業団体連合会会長・熊谷秀一らを中心とした「薄野花街哀悼碑建立期成会」によって、薄野の花柳界の無縁仏と見づ子(水子)を哀悼する「薄野娼妓並水子哀悼碑」が建立された。境内を取り囲む玉垣は、地域の再開発などによって、昔よりも大幅に縮小されているが、災害などでの損壊を免れた本殿や門柱などとともに、遊郭時代の薄野を偲ばせる数少ない遺構となっている。
 清田区の本院は1984年、開創88年を記念して新寺として建立された。上記の経緯もあり、本院・祖院では水子供養が行われており、毎月24日には水子供養合同法要、毎年5月24日は水子石碑建立記念法要が催されている。

 …と、こんな豊川稲荷札幌別院のようであります。
 ホテルに戻りますと朝食を済ませ、そしてバスに乗車し余市町行きとなりました(^.-)☆
 途中、バス車内から「北海道庁旧本庁舎(レンガ)」をパチリです(^-^)/

 ◆北海道庁旧本庁舎

 北海道庁旧本庁舎(ほっかいどうちょうきゅうほんちょうしゃ)は、かつて北海道庁の本庁舎として建築された煉瓦造りの西洋館である。「旧道庁」や「道庁赤レンガ庁舎」、「赤レンガ」などと呼ばれ、親しまれている。重要文化財(1969年3月12日指定)。館内は北海道開拓関係資料を展示・保存する北海道立文書館等として一般に公開されているが、一部は隣接する現道庁の会議室として現在でも使用されている。北海道(道庁)にとっての象徴的存在であり、広報番組などのタイトルにしばしば「赤レンガ」が用いられている。道庁前のイチョウの並木は大正14年、勅任技師名井九介の指導により植えられたものである。

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(24)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
02-720-555

 札幌護国神社まで散策して来ましたが、ソロソロ引き返さなくては…
 帰路もまたノンビリと歩きながら…「札幌コンサートホールKitara」の方に歩いておりましたら、途中に「レナード・バーンスタイン」sanの像が…
 んっ!?…このお名前、何となく聞き覚えが…でも、どなたか分かりません(^-^;早速、WEB上で検索です。

 ◆レナード・バーンスタイン

 レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein、1918年8月25日-1990年10月14日)は、ユダヤ系アメリカ人の作曲家、指揮者であり、ピアニストとしても知られている。アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者になり、ヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティと並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家だった。愛称はレニー。妻は、チリ出身の女優・ピアニストの、フェリシア・モンテアレグレ。

 ・生涯

 バーンスタインは、ウクライナ系ユダヤ人移民の2世として、マサチューセッツ州ローレンスに生まれる。生まれた当初の名前はルイス(後にレナードに改名する)。父親サミュエルは敬虔なユダヤ教徒であった。家族には音楽的な環境は全くなかったが、母親ジェニーが持っていた蓄音機の音楽に耳を傾けるのが大好きな赤ん坊だったという。理髪店を経営した父親の強い反対を押し切って、プロの音楽家の道を志した。
 ボストン・ラテン・スクールを経て、ハーバード大学・カーティス音楽院で学ぶ。彼が指揮者を志したのはディミトリ・ミトロプーロスの刺激だった。指揮ではフリッツ・ライナーやセルゲイ・クーセヴィツキーに師事し、作曲はウォルター・ピストンに師事した。ピアノはイサベラ・ヴェンゲーロワに師事している。カーティス音楽院を卒業後、しばらく仕事を得られない時期があったが、1943年夏にアルトゥール・ロジンスキの指名によりニューヨーク・フィルハーモニックの「副指揮者」(Assistant Conductor)に就任した。

 1943年11月14日、病気のため指揮できなくなった大指揮者ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(現・ニューヨーク・フィルハーモニック)を指揮、この日のコンサートはラジオでも放送されていたこともあり一大センセーションを巻き起こす。この時の曲目は以下の通りである。
 ロベルト・シューマン『マンフレッド序曲』
 ミクロス・ローザ(ハンガリー出身の作曲家、映画「ベン・ハー」の音楽などが代表作)『主題、変奏曲と終曲 Op.13a』
 リヒャルト・シュトラウス『ドン・キホーテ』(チェロ:ジョゼフ・シュスター、ヴィオラ:ウィリアム・リンサー)
 リヒャルト・ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲
 1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任する。バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、同フィルの黄金時代をもたらした。作り出す音楽の魅力、気さくでおおらかな性格、指揮者としての情熱的な指揮ぶり(興に乗ると指揮台上でジャンプすることもあった)などでファンを魅了し、スター性も備えていた。CBSレコードと録音契約を交わした際には「彼の録音に際しては、録音曲目の決定をほぼ彼に一任する」待遇を受け、当時としては画期的なレパートリーも数多く録音した。

 1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は常任指揮者等の特定のポストには就かず、ウィーン・フィル、イスラエル・フィル、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演した。ことに同じユダヤ系作曲家であるグスタフ・マーラーの交響曲の演奏は自ら“自分で書いたような気がしてくる”と言うほどで、数々の演奏を残した。音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行った。マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも有名である。

 1985年8月に広島を訪れ、被爆40周年を悼むための「広島平和コンサート」を開催した。1989年のクリスマスには、直前に起きたベルリンの壁崩壊を受け、ベルリンで東西ドイツ・アメリカ・ソ連・フランス・イギリスの各オーケストラの混成メンバーでベートーヴェンの交響曲第9番を指揮、この時第4楽章の「歓喜の歌」の“Freude”を“Freiheit(自由)”にして演奏し、東西冷戦終結を象徴する演奏会として記憶されることとなった。また翌1990年6月にも、民主化されたチェコスロバキアのプラハの春音楽祭で同曲を指揮した。
 これらのように音楽家として社会的なメッセージを発信する活動も数多く行ったが、時にはそうした行動が物議を醸すこともあった。
 1990年6月には札幌でパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)を開始し、後進の育成にも力を入れようとしていたが、既にバーンスタインは病に冒されていた。同年8月19日のタングルウッド音楽祭におけるボストン交響楽団との演奏(ブリテン:「4つの海の間奏曲」、ベートーヴェン:交響曲第7番)が最後の舞台となり、10月9日に指揮活動からの引退を表明する。それから5日後の10月14日に、肺癌のためニューヨーク市内の自宅で逝去した。この年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。

 バーンスタインは生涯に7度来日した。最初の4回(1961年、1970年、1974年、1979年)はニューヨーク・フィルを率いて。1985年には8月上旬に前述の「広島平和コンサート」を開催し、9月前半にはイスラエル・フィルを率いて来日公演を行った。最後(1990年)はPMF、それに続いてロンドン交響楽団を率い、東京で2回の公演を行った。しかし、バーンスタインの病状悪化が周囲に知らされず、2回の東京公演以降に予定されていた演奏会をキャンセルし、途中でアメリカに帰国することになる。この一件は、7月10日の演奏会に天皇が招待されていたことや、自作(「ウェスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス)を弟子の大植英次に指揮させたこともあり、観客の一部と主催者との間にトラブルを起こす事態にまで発展した。

 …と、こんな方のようであります。1985年8月の広島平和コンサートでお名前のきおくが有りましたのかも…
 札幌コンサートホール前には、大きな卵のようなオブジェが…でも、何の説明表示もありませんでしたような(^.-)☆
 中島公園内には、天文台もありましたネ(^-^)//"

 ◆札幌市天文台

 札幌市天文台(さっぽろしてんもんだい)は、北海道札幌市中央区にある公開天文台。札幌市青少年科学館が管理し、中島公園内に位置する。所在地は北海道札幌市中央区中島公園1-17。

 ・概要

 札幌市天文台は1958年に開館した。内部には20cm口径のレンズを持つF12屈折望遠鏡を備えており、昼間公開として午前10時から午後4時まで、太陽を観察対象として無料開放を行っている。また、夜間公開も実施しており、2007年は雨天または曇天時以外、全12回・60日間の星の観望会を行う。休館日は月曜日の午後から火曜日と、年末年始を含む国民の祝日。観察対象は日によって異なり、主に月・土星やしし座、ペガスス座、アンドロメダ座が見られるほか、日食などの特殊な天文現象が起こる日には、特別の観望会を行う場合もある。
 天文台は中島公園内に位置しており、近隣には札幌コンサートホールKitara、豊平館、北海道立文学館がある。最寄り駅は札幌市営地下鉄南北線・中島公園駅など。

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(23)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
04-720-555

 中島公園内には、何ヶ所かオブジェが設置されておりますけど、これはその中の一つ「風景の夢(小田 襄)」なんです(^-^)

 ◆小田 襄(おだ じょう)風景の夢

 このオブジェは、南14条西4丁目の伊夜日子神社の裏側に当たる中島公園内に建立されています。制作者の小田 襄さんは1936年東京で生まれ東京芸術大学彫刻科を卒業ご数多くの作品を制作されていますがステンレスを使った彫刻が有名で国際的な金属造形作家のお一人です。

 …と、制作者「小田 襄」sanは、こんな方のようですネ(^.-)☆
 そして、中島公園に隣接し、札幌護国神社が…

 ◆札幌護国神社

 札幌護国神社、札幌護國神社((さっぽろごこくじんじゃ)は、北海道札幌市中央区にある神社。護国神社の一つである。
 1879年(明治12年)に、西南戦争で戦没した屯田兵の霊を祀るために建立され、以後各戦争における戦死者の霊を合祀してきたが、1949年(昭和24年)9月より多賀大社の祭神を勧請し、次いで1971年(昭和46年)9月に山鼻地区(札幌郡山鼻村)の鎮守であった山鼻神社の祭神を合祀し、現在に至る。
 そのため、同社は創建当初からの祭神を祀る本殿と、多賀大社より勧請した神々および旧・山鼻神社の祭神を祀る多賀殿(多賀神社)から構成される。

 …と、こんな護國神社でありますが、中には入れず、外から拝見するのみでありました(^.-)☆
 GONsan同様に、公園内を散策しながらパチパチ画像に納めておられます若者がお二人ばかり…GONsanのような観光客の方なのでしょうねぇ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(22)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
03-720-555

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(21)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
02-720-555

 宴会の楽しいひとときが終わりますと、後は解散で、皆さん自由時間となりました(^.-)☆
 二次会に行かれます方…カラオケを楽しむ方…観覧車に向かわれます方…と、様々なんですけど、GONsanはまたまた大通公園を散策となりました。
 明るい内に観ておりますから、さほど、目新しい場所も…ただ、夜景はまた趣が異なりまして、それはそれでイィものであります(^_^)v

 翌朝は、A.M.5:00に起床です。が、さすが北海道です。外はスッカリ太陽の日差しで明るいものでありました(^_^)v
 洗顔後、ホテルを出まして暫し思案。はてさて、どちらに向かってイィものやら…
 観光よりもウォーキングを楽しみます事に…
 で、向かいましたのが中島公園でありました。WEB上で「中島公園」を検索しますと、

 ◆中島公園

 中島公園(なかじまこうえん)は、札幌市中央区にある公園・地名。「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」選定。

 ・概要

 札幌の歓楽街・すすきのに隣接しているが、水と緑豊かな公園になっている。国指定の重要文化財である豊平館や八窓庵、人形劇の専門劇場である札幌市こども人形劇場こぐま座、音楽の専用ホールである札幌コンサートホールKitara、札幌市天文台などがある。また、春には「さっぽろ園芸市」、「北海道神宮例祭」(札幌まつり)では屋台や見世物小屋の会場になるほか、年の瀬には「歳の市」を開催している。入口近くの「菖蒲池」は、春から秋までボートの貸し出しを行っている。また、冬には通路がクロスカントリースキー(歩くスキー)のコースになり、スキー道具一式を無料で貸し出している。

 ・歴史

 中島公園は豊平川の流れによって生まれた地形が由来になっている。開拓使が札幌に本府を設定した頃、豊平川の流路は本流のほかに多くの分流があった。これらの分流の内、鴨々川が唯一当時の形を今に残しており、それ以外の川はすべて地上から姿を消している。鴨々川と本流に挟まれた地域を字鴨々中島と呼び、本流と対岸の地域を中島(なかのしま、現在の豊平区中の島)と区別していた。開拓使は札幌本府建設のため現在の創成川東地区に工作所を設置し、木材を豊平川の上流から創成川を経由して運び入れていた。開発が進むと鴨々中島にあった小さな池を貯木場にする工事を行って池は四角い堀が2つ並んだ形となり、工事を請け負った鈴木元右衛門に因んで「元右衛門堀」(現在の菖蒲池)と呼んだ。

 1949年(昭和24年)に中島球場が完成し、進駐軍から払い下げの兵舎を利用した日本国内初の公立児童館が開館。1954年(昭和29年)の第9回国民体育大会開催に向けてスポーツ施設を建設した。中島スポーツセンターでは大相撲札幌場所やプロレス、サーカス、コンサートなどの興行も開催していた。1957年(昭和32年)、都市公園法(1956年(昭和31年)公布)に基づく都市基幹公園(総合公園)となる。
 札幌市はそれに伴い同年「札幌市都市公園条例」を制定し、食堂・売店・料亭などの民営施設を法律や条例上適正なものへと時間をかけて修正していった。1958年(昭和33年)に「北海道大博覧会」が開催され、前年に移築した豊平館も郷土館と美術館として活用した。また、博覧会の一施設として設置された子供の国や天文台などの施設は、博覧会終了後も残された。博覧会跡地は百花園として整備した。百花園は1995年(平成7年)に閉鎖されるまで、バラなどの花の名所として親しまれた。1976年(昭和51年)には公立では日本国内初となる人形劇の専門劇場「こぐま座」がオープン。1980年(昭和55年)の中島球場廃止後は芝生広場を整備した。1995年(平成7年)には、札幌市資料館(大通西13丁目)内の施設であった「北海道文学館」が公園内に移転し、北海道立文学館として新たに開館した。1995年(平成7年)から4カ年をかけて中島公園の再整備を行い、藻岩山への景観軸を継承するため芝生広場を広げ、鴨々川の親水性を高めて長岡安平が描いた「池泉回遊式庭園」の魅力向上を図った。1997年(平成9年)には札幌コンサートホールKitaraがオープンし、豊平館や八窓庵とともに札幌市の文化の拠点としての機能を高めた。
 2007年(平成19年)から、札幌雪祭り期間中の2月上旬に「ゆきあかりin中島公園」というイベントが毎年開催されている。このイベントは、小樽市の「雪あかりの路」などの先行イベントも参考にして、年々規模を拡大させている。公園内を雪とキャンドルで装飾し、幻想的な雰囲気の中で様々な催しが開かれている。イベントの企画や会場の設営・運営などは、周辺のホテルなどの企業・施設・学校等の関係者や、地元住民・数多くの市民ボランティアによって行われている。

 ◆北海道大博覧会(第二会場)

 中島公園を会場とした最後の大規模博覧会は、1958年夏に行われた北海道大博覧会である。ただしメインの会場は桑園で、中島公園は第二会場となり、18館の建物が建てられた。小樽の第三会場を合わせて、戦後日本の最大の博覧会と言われた。
 会期は7月5日から8月いっぱいの58日間があてられた。桑園の第一会場が産業見本市的な展示を主としたのに対し、中島会場の方は文化・娯楽の色彩が強く、人気の「子供の国」もあって入場者数は130万人と第一会場をしのぐほどであった。
 会場敷地は公園の南半分があてられた。池の東南畔をアプローチ路として、中間あたりに正門が設けられた。門を入るとメイン通路をはさんで左手に科学館、健康と生活館、アメリカ館、小型自動車展示場、右手に菓子館、電波館、住宅館が並び、南端(画像の上)に国鉄館、自転車館、メートル館などが配置された。

 ◆子供の国

 博覧会ではパビリオンといっしょに「子供の国」が設けられた。当時の案内書を見ると、空中観覧車、宙返りロケット、豆汽車、豆自動車、人工衛星塔、飛行塔、メリーゴーランド、オクトパス、ウォーターシュート、自動木馬などの大型遊具が揃えられていたのが分かる。
 道内ではかって眼にしたことのないものがほとんどだったというから人気のほどは想像に難くない。博覧会が終わった後、これらは常設の遊戯施設としてそのまま同じ場所に残され、札幌市の外郭団体である札幌振興公社に運営が引き継がれた。
 1994年5月8日、子供の国を廃止。1995年4月29日、円山動物園子供の国に再生。その後、2010年9月円山子供の国キッドランドも閉鎖。中島公園で始まった「子供の国」の幕は閉じられた。

 …と、こんな中島公園のようですネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(20)

01-720
02-720
03-720
04-720
03-720-555

 東急REIホテルに戻って来ますと、P.M.7:00までには少し時間がありますので、暫しユックリと過ごし、再度、ロビーに集合です。
 ここから歩いて今夜の夕食場所であります「札幌かに家本店(きよみず会席料理)」行きとなりました。5~10分程度は歩きましたでしょうか…

 ◆札幌かに家本店
 札幌市『すすきの』に位置する地上7階、地下2階の北海道内最大級の超大型カニ料理専門店。料理人が厳選したズワイかに、毛蟹、タラバガニ等を中心とした豪快な北海道の味覚『かに料理』と、道産料理・日本料理の数々をお楽しみください。
大小個室多数、大広間120名様程度まで。ご会食・法事・忘年会・その他各種ご宴会など好評承り中。店内には道内では貴重な能舞台もございます。

 …と、こんな「かに家本店」のようであります(^.-)☆
 東急REIを出まして、かに家本店までの道中をキョロキョロしておりましたらビルの合間から観覧車が(^-^)何時まで営業していますのでしょうねぇ~
 WEB上で検索しましたら、こんな記載がありました。

 ◆観覧車ノリア(nORIA)

 「ノリア(スペイン語:観覧車)」は、直径45.5m、地上78mに達する札幌初の屋上観覧車。緑に囲まれた美しい札幌の街並を遥か遠くまで見渡せます。ゴンドラは全部で32台、1周の所要時間は約10分。
 定員は4名様なのでお一人様はもちろんのこと、グループでもお楽しみいただけます。また、ゴンドラはすべてバリアフリー対応なので、車椅子のままでのご乗車も可能です。
 寒さに備えゴンドラ内のシートにはヒーターを完備。暖かな空間で地上へと舞い降りる雨や雪の様子を眺めるのもおすすめです。ぜひノリアにて北の大地、札幌の空中散歩を体験してみませんか?乗車の思い出に記念写真もいかがですか?ご希望の際はスタッフにお声掛けください。

 ・1人/600円
 ・2人/1,200円
 ・3人/1,800円
 ・4人/2,000円
 ・2周/1人800円
 ・福祉割引/1人400円(手帳を掲示してください)
 ・子ども料金/3歳以下無料
 ※記念写真は1枚1,000円(受付/月-金は16:00~、土・日・祝は12:00~)

 ・営業時間 --- 日~木・祝 11:00~23:00、金・土・祝前日 11:00~翌3:00
 ※受付は営業終了10分前まで 電話番号:011-261-8875

 …との事で、結局、忘れておりまして乗りませんでしたけど、乗れば良かった…と、少々悔やまれますネ(^-^)
 
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(19)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
01-720-555

 さっぽろテレビ塔から降りて来ますと、次は「札幌市時計台」へ。
 途中、北海道新聞社本社ビルがありましたので、これをパチリ。そして、時計台へ(^.-)☆
 夕闇迫りますこんな時間ですから、訪れます方はおられないのかも…と思いましたら、なんの、なんの。若者グループの観光客の皆様が結構おられまして、GONsan同様にパチパチやっておられましたねぇ~
 時間を見ますと、18:20。そろそろ帰路につきませんと…

 帰路は、狸小路商店街経由で(^-^)

 ◆札幌市時計台

 札幌市時計台(さっぽろしとけいだい)は、北海道札幌市中央区北1条西2丁目にある歴史的建造物である。重要文化財(1970年6月17日指定)。
 正式名称を「旧札幌農学校演武場」と称する。現在の通称は「札幌時計台」、もしくは単に「時計台」と呼ばれ、たくさんの観光人が訪れる名所になった。

 ・概要

 三角屋根の上に大時計を載せた特徴的な外観の建築物である。
 計画者は札幌農学校の2代目教頭であったウィリアム・ホイーラーであり、北辺警備に備えた訓練を目的として、安達喜幸をはじめとする北海道開拓使工業局による設計・監督の下建造された、バルーンフレーム構造の木造2階建(時計部分の塔屋を除く)である。屋根は鉄板葺き、高さは19.825m、延面積は約760㎡である。
 北海道大学の発祥の地であるため、同大学とは密接な関係にあり、1階の展示室では北海道大学附属図書館に所蔵されている資料が多く展示されている。この他、同大学のイベント会場としても使用されることが多く、現在でも「時計台サロン」などの市民公開セミナーなどが開催されている。また、1階売店では北大関連グッズも販売されている。
 2階は貸ホールとしての機能も有しており、コンサートなどのイベントが頻繁に開催されている。

 かつては札幌市の図書館として使われていたこともある。2008年(平成20年)から指定管理者制度を導入。
 北海道庁旧本庁舎(赤レンガ庁舎)と並び、札幌市中心部の有名観光スポットであり、札幌市のカントリーサインのデザインとしても使用される札幌市の象徴的建物である。また道外では札幌ラーメンの店の看板や北海道観光のポスターに多用されるなど、札幌のみならず北海道の象徴とされる例も多いほか、北海道日本ハムファイターズの応援歌の歌詞にも使われている。
 壁面は白く塗られているが、1995年(平成7年)から実施された保存修理時の調査で、創建当初は壁が灰色、柱や窓枠が茶色に塗られていたことが判明した。壁は緑色に塗られていた時期もあり、白の塗装となったのは1953年(昭和28年)からである。上述の保存修理に際して、壁の色は創建時の灰色に戻すことはせず、長年親しまれた白色としている。

 ◆北海道新聞社

 株式会社北海道新聞社(ほっかいどうしんぶんしゃ、The Hokkaido Shimbun Press)は、ブロック紙の北海道新聞を発行する新聞社である。子会社として道新スポーツなどを持つ。

 ・概要

 1942年(昭和17年)、新聞統制によって北海道の11紙が統合され「北海道新聞」が誕生。その発行会社として設立された。
 道内に系列放送局(北海道放送(HBC)、北海道文化放送(UHB)、テレビ北海道(TVh)、エフエム北海道(AIR-G'))を複数擁し、北海道のマスメディアで独占的な地位を確立。年間売上高は750-760億円で、新聞業界第6位の規模を誇る。
 2005年(平成17年)3月期の決算では当期利益35億円をあげ、全国紙の毎日新聞社と産経新聞社を抜き、業界第5位であった。
 また、関連事業の多角化として、プロ野球パ・リーグの北海道日本ハムファイターズや、サッカーJリーグの北海道コンサドーレ札幌、バスケットボールBリーグのレバンガ北海道などにも出資。
 特に日本ハムファイターズの札幌フランチャイズ化はグループあげてキャンペーンを展開し、ヘルメットスポンサーにもなっている。新聞関連企業としては、読売新聞グループ本社・中日新聞社に次ぐ球団経営の本格参画を図ると見られている。

 ◆狸小路商店街

 狸小路商店街(たぬきこうじしょうてんがい)は、札幌市中央区に所在する商店街。

 ・概要

 狸小路は南2条と南3条の中通であり、道路名は「市道南2・3条中通線」。創成川河畔の西1丁目から西10丁目まである横長の街区になっている。「札幌狸小路商店街振興組合」に加盟しているのは西1丁目から西7丁目までのアーケード(全蓋式、国道36号部分は除く)がある区域であり、総延長約900メートル(m)、店舗数約200軒の北海道で歴史ある商店街の一つになっている。狸小路商店街は新しいものを積極的に採り入れており、札幌市に初めて電話交換局が設置された際にすぐ電話を設置したのが狸小路の商人であったほか、札幌市でラジオやテレビの放送が始まるとすぐに宣伝広告(コマーシャルメッセージ)を行い、商店街としていち早くインターネットを活用し、光ファイバーや無線LANによる商店街LANを構築している。24時間歩行者専用になっており、許可を得た車両以外の通行を禁止している。

 ・名称の由来

 「狸小路」の名称については諸説あり、1891年(明治24年)の『札幌繁昌記』によると「狸小路とは綽名なり。創成川の西側、南二条と三条との間の小路をいう。このところ飲食店とて、西二丁目三丁目にて両側に軒をならべ、四十余の角行燈影暗きあたり、一種異体の怪物、無尻を着る下卑体のもの、唐桟の娘、黒チリ一ツ紋の令嬢的のもの、無りょ百三四十匹、各衣裳なりに身体をこしらい、夜な夜な真面目に白い手をすっくと伸ばして、北海道へ金庫でも建てようと思い込みかつ呑み込み、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を巧みにいけどり、財布の底を叩かせる。ハテ怪有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なれば、人々かくは『狸小路』となんよべるなり」とあるほか、1934年(昭和9年)の『北海タイムス』(1934年)に掲載された写真家・三島常磐による回顧談によると、1873年(明治6年)か1874年(明治7年)頃に現在の南3条西4丁目に侠客の松本代吉が「東座」(あずまざ)を建てると「それが切掛になって一杯酒の店が出る、白首(ごけ)が出だすという按排(あんばい)で、それ迄一帯の大ヤブであった地が次第に賑わって来た(略)。
 徒(あだ)に付けた白首小路、則ち狸小路の名がその儘本名になってしまったんだから面白い。大ヤブに出る狸で、狸は白首の異名であった」とあり、言葉巧みに男を誘う女たちをタヌキに見立てた説があるほか、1898年(明治31年)に『北海道毎日新聞』に掲載された深谷鉄三郎による回顧談によると、3丁目に「曖昧女」(白首)をかかえた「仙北屋」が開いたことが狸小路の始まりであり、次いで「雨風」とあだ名のついた女が2丁目で料理屋兼曖昧屋とした「安津満屋」(あづまや)を開いたことが第2の狸小路の始まりであるという説、実際にタヌキが生息していたから狸小路と呼ばれたという説、明治から大正初期にかけて人を化かして仕入れ価格の2倍で商品を売って暴利をむさぼる商店があったため、当時の商売人をタヌキに例えたという説がある。

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(18)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
02-720-555

 大通公園をノンビリ歩いておりましたが「さっぽろテレビ塔」に到着です(^.-)☆
 早速、搭乗してみたいと思います。入場料金は、720円のようですネ。

 ◆さっぽろテレビ塔

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 さっぽろテレビ塔は北海道札幌市中央区大通西1丁目の大通公園内にある電波塔である。札幌市の中央にあり、総工費1億7,000万円で1957年(昭和32年)に完成し、同年8月24日に開業・電波の発射を開始した。高さ147.2メートル。設計者は内藤多仲。

 ・歴史

 1957年(昭和32年)に完成した当初はNHK札幌放送局および札幌テレビ放送(STV)の電波発信塔としての役割を担っていた。1956年(昭和31年)12月22日には開業に先駆けて完成した塔体からNHKがテレビ放送の電波を、開業後の1959年(昭和34年)4月1日にはSTVがテレビ放送の電波を発射し始めた。
 しかし1956年(昭和31年)に北海道放送(HBC) が手稲山を開拓して送信所を設置しテレビ塔より広いサービスエリアを構築してからはNHKが1962年(昭和37年)5月27日に、STVが1969年(昭和44年)1月19日に手稲山に移り、STVが移った時点で全てのテレビ送信所が手稲山に一本化された。現在はNHK-FM・AIR-G'・NORTH WAVEのFM各局の中継局施設(札幌大通中継局)とNHKの予備送信所(総合・Eテレ・FM放送)が残るのみとなった。2005年(平成17年)9月にはNHKの地上デジタル放送の手稲山送信所へ放送波を転送するためのSTLアンテナが設置された。

 1961年(昭和36年)に松下電器産業(現・パナソニック)の寄贈により展望台の下、地上65メートルの四面に電光時計が取り付けられた。「時計を付ければ必ず見てくれる」という松下幸之助の発案だったという。電光時計は1998年(平成10年)と2006年(平成18年)の2度改修工事が行われ、現在は発光ダイオード製である。広告表示は当初「ナショナル」だったが英語表記の「National」になり、2006年(平成18年)の改修で「Panasonic」に変更された。節電のため、0:10-5:00の間は電光時計は消灯される。
 鉄塔部分の色は、完成当初は銀色だったが、煤煙汚れが目立ち、また冬季の視認性の問題が指摘されたことなどから、1963年(昭和38年)に「コッパーローズ(薄朱色)」に塗り替えられた。さらに、1969年(昭和44年)にはさらに濃い「クラウディレッド」となった。

 2002年(平成14年)に内外装の大改修が実施され、2・3階部分の外壁の色が薄い緑色から現在の濃い緑色になった。
 完成当初はまだ市内中心部も高層の建物が少なく、札幌市内を一望できる数少ない施設としてまたプラネタリウム(現在も3階屋根部分、南面に存在する灰色のドーム形状部屋)や映画館(どちらも現在は廃止)などの観光施設もあったことから多くの市民や観光客が訪れ、展望台に上るために1時間待つのが当たり前であったという。現在は雪まつり期間中を除き、長時間待つことは少なくなった。
 今も大通の景観上重要な存在だが、近隣に40階建ての超高層マンションとなるシティタワー札幌大通が完成するなど周囲の建物の高層化が進み、かつての突出感はなくなった。

 ・構造

 地下1階はさっぽろ地下街オーロラタウンと接続しており、「テレ地下グルメコート」と称する飲食店街になっている。地上1階は案内所やチケット売場などがあり2階は多目的ホールと管理事務所、3階には土産店とレストランが入居している。
 地上90メートルの位置に展望台がある。3階までは無料(ただし3階の「テレビ父さんのほほんパーク」へは展望台チケット所持者のみ入場可能)だが展望台は有料で、3階よりエレベーターを利用する。展望台から西に大通公園を見おろし遠く円山や大倉山まで見通す眺めは季節ごとにさまざまな顔を見せ、札幌の代表的な景色となった。また、さっぽろ雪まつりなど公園で行われる催事ごとに様々な媒体にも登場する。なお展望台フロアのみ、フリーWi-Fiのアクセスポイントが設置されており無料で使用できる。
 NHKのカメラは展望台部分に設置されている。

 ・新テレビ塔構想の中止

 2007年に50周年を迎えたさっぽろテレビ塔は老朽化が著しいことから最近では高さ650mの新しい塔への建て替えの構想が持ち上がっていたが、運営する北海道観光事業の売り上げ不振に加え同社社員による着服事件が続発したことなどにより資金調達の目処が立たず、2009年8月7日には正式に中止が発表された。

 …と、こんな歴史のあります「さっぽろテレビ塔」のようです(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(17)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
03-720-555

 リフトで「札幌オリンピックミュージアム」まで降りて来まして、とりあえず館内へ。

 ◆札幌オリンピックミュージアム
 オリンピックとパラリンピックの歴史を、選手の用具や貴重な資料で学べる施設です。競技の体験コーナーもおすすめです。

 館内のロビーで休憩しておりますと、ウィンドゥ越しに韓国のグループの皆様が記念撮影を…
 ふ~ん、同窓会で訪れられましたのかも…
 大倉山ジャンプ競技場の駐車場を後にしますと、あとは今夜の宿であります東急REIにと向かいます。途中、北海道神宮第一鳥居をくぐりましたけど、大きな鳥居でバス車内より1枚パチリ(^.-)☆

 ◆北海道神宮第一鳥居
 1895年北海道神宮第一鳥居として札幌軟石で建てられたが、1928年に外側に銅板を巻いた高さ8.7mの鉄筋コンクリートに生まれ変わる。隣には10階建てのマンションがあり、その7階部分にまで届く大きさは圧巻。

 ◆札幌 東急REIホテル
 札幌 東急REIホテル(SAPPORO TOKYU REI HOTEL)は、札幌市中央区にあるホテル。札幌の歓楽街・すすきのに位置しており、1980年(昭和55年)に「札幌東急イン」としてオープンした。2015年(平成27年)に東急ホテルズのブランド再編によって名称変更した。
 ・概要
 札幌 東急REIホテルは、東急不動産のグループが開発・管理・運営している都市型商業施設「A-FLAG札幌」(旧称「東急プラザ 札幌」)の中核施設であり、札幌市内最大級の客室を有する宿泊施設になっている。また、商業施設としてレストラン街「レストランプラザ札幌」(旧東急プラザ)を併設しており、飲食店がテナント入居している。

 東急REIには、P.M.5:10頃に到着です。P.M.7:00からの夕食には、まだ随分時間が有りますので、大通公園を散策する事に致しました。まず、札幌テレビ塔へ(^.-)☆
 大通公園西4丁目噴水を過ぎ暫く進みますと、大通公園西3丁目噴水が。
 ここには、山田良定 作「湖風」のブロンズ像が(^_^)v

 ◆山田良定

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 山田 良定(やまだ りょうじょう、1931年(昭和6年)10月5日--平成14年(2002年)1月30日)は、日本の彫刻家。日展理事。浄土宗専念寺住職・滋賀大学名誉教授。滋賀県出身。

 ・略歴
 昭和6年(1931年)10月5日、滋賀県神崎郡五個荘町奥(現東近江市)に生まれる。滋賀大学卒業後富永直樹に師事し、昭和50年(1975年)・51年(1976年)日展で連続特選を受賞した。平成2年(1990年)には文部大臣賞、平成11年(1999年)「開幕の刻」で芸術院賞を受賞した。この間県立石山高校教諭や母校滋賀大の教授(退官後名誉教授)を務め、大津市公民館児童美術教室で子供達への指導を行った。平成14年(2002年)1月30日、栗東市の病院で肺炎により死去。

 …と、山田良定sanは、このような方であります(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(16)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
03-720-555

 展望ラウンジ(スタートハウス)からの眺望は仲々キレイでありました。あのドームは、札幌ドームのようですネ(^.-)☆

 ◆札幌ドーム

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 札幌ドーム(さっぽろドーム、英称:Sapporo Dome)は、北海道札幌市豊平区羊ケ丘にあるドーム球場である。施設は札幌市が所有し、札幌市と道内財界各社が出資する第三セクター・株式会社札幌ドームが運営管理を行っている。
 日本で唯一の完全屋内天然芝サッカースタジアムであり、天然芝サッカー場移動方式「ホヴァリングシステム」を世界で初めて採用した。このシステムによりサッカー用天然芝グラウンドと野球用人工芝グラウンドの併用が可能となっている。「第44回BCS賞」・平成14年度(2002年)「赤レンガ建築賞」受賞。

 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)北海道コンサドーレ札幌のホームスタジアム、日本プロ野球(NPB)パシフィック・リーグの北海道日本ハムファイターズの本拠地球場として使用されている。以前はプロ野球マスターズリーグ・札幌アンビシャスも札幌ドームを本拠地としていた。また各種イベントにも利用されており、様々な国際大会が開催されている。

 開業時より「Hiroba」の愛称がある。2017年現在、パシフィック・リーグで唯一命名権を導入していない本拠地球場でもある。
 日本では唯一プロ野球チームとプロサッカーチームがそれぞれ公式戦の開催、特定のチームが本拠地として共同使用しているスタジアムである。
 開業15周年を迎えた2016年6月2日にマスコットキャラクター「チャームコロン」が誕生。

 …と、こんな札幌ドームのようであります。今回は、ただドーム部分を眺望するのみでありました(^-^)
 リフトで札幌オリンピックミュージアムまで降りて来ますと、館内へ入ってみます事に。

 ◆札幌オリンピックミュージアム
 オリンピックとパラリンピックの歴史を、選手の用具や貴重な資料で学べる施設です。競技の体験コーナーもおすすめです。

 館内では、「日本最高級のソフトクリーム」の販売が(^_^)v
 この日の大倉山ジャンプ競技場は、多少の肌寒さを感じ求めませんでしたけど、価格はいくらでしたのでしょうねぇ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(15)

06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
11-720
12-720
07-720-555

 ◆大倉山ジャンプ競技場

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 大倉山ジャンプ競技場(おおくらやまジャンプきょうぎじょう)は、札幌市中央区にあるスキージャンプの競技場(ラージヒル)。宮の森ジャンプ競技場とともにナショナルトレーニングセンター(NTC)競技別強化拠点施設になっている。

 ・概要

 1931年、ホテルオークラ創業者である大倉喜七郎が、私財を投じて建設。1972年(昭和47年)の『札幌オリンピック』(日本国内初開催の冬季五輪)スキージャンプ競技が開催された場所であり、現在でもサマージャンプやナイタージャンプが可能な設備を整えており、国内大会や国際大会を数多く開催している。ジャンプ台とその周辺は観光地になっており、標高307mの展望ラウンジからは札幌の市街地や石狩平野、石狩湾を一望することができるほか、ジャンプ台の前には札幌ウィンタースポーツミュージアム、大倉山クリスタルハウスがある。公式キャラクターとして「くらやん」(モデルはエゾモモンガ)が誕生している。

 ・大倉山ジャンプ競技場の施設

 190万人が暮らす北方圏最大の都市・札幌。
 その街なみと遥か彼方の地平線までをも望む大倉山は、1972(昭和47)年に開催された冬季オリンピック札幌大会でジャンプ競技場の開催場所になったことでも知られています。
 現在はサマージャンプやナイタージャンプも可能な近代的設備が整い、国際的な大会が数多く開催されています。
 リフトを使って頂上へのぼると展望ラウンジがあり、標高307mの地から札幌の市街地や石狩平野、石狩湾が一望できます。さらに、ジャンプ台のスタートラインを目の前に見ることができるのも魅力のひとつ。急斜面のアプローチを真上から見下ろせば、ジャンプ競技選手の気持ちが伝わってくるようです。
 駐車場から、長いエスカレーターに乗って、大倉山展望台、2017年2月にリニューアルオープンした札幌オリンピックミュージアム、大倉山クリスタルハウス(ラムダイニング大倉山)へ。大倉山の各施設を楽しんだあとは、ラムダイニング大倉山で、素敵な夜景を眺めながら食事をお楽しみいただけます。

 …と、こんな大倉山ジャンプ競技場のようです(^.-)☆
 ここからの夜景は、さぞキレイでしょうねぇ(^-^)//"
 
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(14)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(13)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
02-720-555

 ◆支笏湖ビジターセンター

 ・支笏湖に着いたら、まずビジターセンターへ

 支笏湖ビジターセンターでは、支笏湖の自然を親しみやすく、興味深く展示しています。
 建物には支笏湖周辺を産地とする自然素材を使い、太陽光発電やヒートチューブによる地熱利用といった自然エネルギーを活用した環境配慮型の施設になっています。
 建物内の展示施設は、「森へ、山へ、湖へ もう一つの支笏湖の旅へ」をテーマに、今もなお活動を続ける火山の様子や、支笏湖周辺に生息する生き物の生態、湖の中の世界など、模型や大型写真などにより支笏湖の自然をより魅力的に紹介しています。
 ビジターセンターの展示を楽しんだら、そこで得た知識をもとに、自然の中に飛び込んでみませんか。そこでは、生きた自然との出会いが待っています。支笏湖畔には、「野鳥の森」といった自然に親しむための散策路もあります。
 ※ 団体の見学の予約は必要ありません。

 ・インフォメーションコーナー
 入口では3頭のヒグマ剥製がお出迎え。国立公園の紹介、支笏湖周辺マップなどのご案内のほか、ビジターセンタースタッフによる旬の自然情報を掲示しています。

 ・レクチャールーム
 大型スクリーンで、支笏湖の自然や地史などの魅力をわかりやすい映像で放映しています(約15分)。言語は日本語のほか、英語、中国語(北京語、広東語)、韓国語、タイ語にも対応しています。

 ・ヒメマス水槽
 支笏湖名産の魚、ヒメマスを展示しており、間近で観察することができます。季節によっては生まれたばかりの稚魚や、繁殖期を迎えて赤い婚姻色に色づいた姿も見ることができます。

 ・自然探訪ターミナル
 支笏湖の成り立ちや見どころを映像や写真で紹介しています。中央には立体模型もあり、支笏湖の地形が手に取るように分かります。

 ・苔の洞門 実物大パネル
 樽前山山麓にある「苔の洞門」のほぼ実物大のパネルです。高さは9メートルあります。

 ・森の世界
 森に暮らす動物や、樹木、昆虫などを紹介しています。バードボイスでは18種類の野鳥のさえずりを楽しめます。

 ・山の世界
 活火山・樽前山の厳しい気象条件に適応した高山植物や火山岩の紹介をしています。

 ・湖の世界
 支笏湖に生息する魚や水草のほか、湖底に見られる不思議な地形・柱状節理などを紹介しています。

 ・自然と人々の関わり
 探検家・松浦武四郎や札幌オリンピックの滑降コース、かつての鉄道や鉱山など、支笏湖と人々の関わりについて紹介しています。

 ・ラウンジ
 支笏湖を眺めながら読書、休憩、語らいなど自由にくつろげます。

 ・多目的室
 写真、絵画の展示会やイベントなどが行われています。

 ・その他
 支笏湖ビジターセンターでは、車イスの貸出を行っており、館内の使用はもちろん館外の園路でもご使用になれます。ご希望の方は、カウンタースタッフにお申し出ください。ただし、数に限りがございますので詳しくはお問い合わせください。ビジターセンター館内のトイレは、多目的トイレもあり車イスの方やおむつ替え等でもご使用になれます。

 …と、こんな支笏湖ビジターセンターでありまして、結構、楽しめましたネ(^.-)☆
 支笏湖ビジターセンターから出ますとバス駐車場方向へ。
 途中、昔懐かしい蓄音機が…こんな火の傍に置かれて、傷まないのかなぁ~
 支笏湖を後にしますと、次は、大倉山ジャンプ競技場へと向かいます(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(12)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
05-720-555

 湖畔を散策しておりましたら、「野鳥の森・展望台」の案内表示が…それでは、展望台に上がってみたいと思います。
 展望台への上りの石段が結構キツくて、呼吸は次第に荒くなってしまいます。
 どぅにか上りきりますと、また案内表示。
 「←展望台80m」「野鳥の森100m→」わずか20mの距離差となりますけど、上りの階段がキツかったですから、迷わず「←展望台80m」を選択となりました(^.-)☆

 展望台には先客が4名おられました。韓国からの観光客のようでしたネ。
 それにしましても、展望台とは名ばかりで、周辺の木々に阻まれて支笏湖の眺望は全くダメ(^-^;
 かろうじて、どぅにか支笏湖が臨めます箇所がありましたけど、周辺の樹木を整備しませんと、苦労して展望台を訪れました方々はガッカリされますのかも(^-^)
 展望は不可でしたけど、展望台前の新緑は大変キレイでありました(^_^)v
 この時期の新緑は本当に美しいものであります。

 それでは、支笏湖ビジターセンターの方に戻る事に致します(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(7)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
01-720-555

 ポニーショーが終わりますと、また外に出ましてホースパーク内を散策再開です。
 駐車場付近では何やら作業中。ふ~ん、明日の日曜日に何かイベントの開催がありますのでしょうねぇ~その準備中のようにも伺えます(^.-)☆

 園内マップを片手に、「ザ キッチン K'sガーデン」の建物内を通り抜け「ボタニタルガーデン」へ。

 ◆ボタニタルガーデン
 北海道の大人の庭をイメージした絵になるスポット。約1,000品種の草花が楽しめます。

 との記載がありましたけど、その通り落ち着いて散策できますキレイなガーデンでありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(6)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
03-720-555

 暫く厩舎・パドックの馬達を眺めながら散策しておりまして、時間を確認しますとA.M.11:10でありました。
 そぅそぅ、頂いたパンフレットにA.M.11:00からは、パラッツォ・ベガ ポニー館で「ハッピーポニーショー」開催案内の記載がありました。ふ~ん、皆さん、そちらに行かれましたか(^.-)☆
 ならGONsanも…

 出掛けてみますと、既にショーの終盤あたりでありました(^-^)
 途中からでしたけど、うん、うん、それなりに楽しめましたネ。よく訓練されましたポニーでありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/2(木)は、古代山城「鬼ノ城」を散策でした(^.-)☆(12)

01-720
岩屋マップ2
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
02-720-555

 鬼ノ城とお別れしますと、次は岩屋へと向かう事に致します。「鬼城山ビジターセンター」から「岩屋駐車場」までは、距離にして2.2kmですから車で所要時間5分程度。
 比較的鬼ノ城から近くではありますけど、訪れます方は誰もおられないのかも…
 ですが、北門でお見掛けしました、あの凜々しい女性3人のグループが向かっておられますかも…

 岩屋に到着しますと駐車場に車を駐め、早速、散策開始です。「鬼の差し上げ岩」→「岩屋寺」→「皇の墓」の順番で。
 駐車場には1台の車が駐まっておりましたけど、少し離れた所から車内の様子を伺いますと、年配の男性が気持ちよさそうに眠っておられましたネ(^.-)☆
 それでは、まず「鬼の差し上げ岩」にと向かいます。
 途中、家の前の崖が崩れ、この状況では怖くてとても住めそうにありません民家が…昨年7月の豪雨で、こんな状況になりましたのでしょうか…
 どなたか住んでおられるような気配も無く、廃墟となりましたのかも分かりませんねぇ~崖崩れが発生までは、平和に暮らしておられましたのかも…お気の毒に感じてしまいます。

 鬼の差し上げ岩までの路傍には、「岩屋寺」「皇の墓」の案内表示が…まず先に「鬼の差し上げ岩」に向かい、帰路に立ち寄ってみる事に致します。
 WEB上で「岩屋」を検索しますと、こんな記載が…

 ◆岩屋寺

 高梁市から総社市へと移動した。総社市近辺は以前の旅で中途半端に立ち寄っていた。どうしても見ておきたいのは市街地にある総社宮になるが、まだちょっと時間の余裕がありそうなので、ひとつだけ別の寺に立ち寄ることにした。
 市街から史跡鬼ノ城方面に分け入り、そのさらに奥の山中にある寺、岩屋寺である。
 特に事前に下調べをしていた訳ではない。道を走っていて、寺の案内板が出ていたので吸い込まれてしまったのだ。
 寺は近くに駐車場がありそこから少し山に入ったところにあった。石垣はかなり立派。石垣をのぼった先には本堂の観音堂。かなり寂れた雰囲気。

 岩屋寺は平安時代に栄えた山岳霊場で、室町時代末期には戦乱で廃寺となった寺だとのこと。さすがに伽藍を失ってから長い時間が経っているため、大きな寺があったという気配はあまり感じられない。以前、奥州藤原時代の寺の跡を見たときも、こんな感じだったな。
 本堂から左手に石段が見えた。登ってみよう。石段の先にあったのは毘沙門堂。毘沙門堂の横には巨大な岩座いわくらがあった。
 鬼の差し上げ岩といい、桃太郎の鬼のモデル温羅が、岩を積んで造った隠れ家という伝説がある。
 花崗岩が方状節理で風化した大岩が砂の中から露出しているという地形。地質学の知識がなければ、人為的に造られたようにしか見えない。これまでにも山陽地方で何ヶ所か見てきたがやはり神秘的だ。
 むかしの人がこれを見たら、計り知れない力を持った巨人がこの石を児戯のように積み上げたという想像をするのも不思議ではない。

 ◆鬼の差し上げ岩

 ・パワースポット
 総社市の観光名所「鬼ノ城」の一部ではあるが、鬼ノ城からは少し離れた場所にあります。1時間以内で見て周れます。近年、パワースポットとして注目を集めている場所です。

 ・温羅伝説
 鬼ノ城から少し離れた「岩屋」というところにある巨石です。鬼のモデルとされる温羅が岩を持ちあげて造ったという伝説があります。とんでもないほど大きな岩でした。駐車場は、少し離れたところにありました。

 ◆岩屋について

 鬼ノ城から峰続きで約3キロのところにある山上の集落に、岩屋寺というお寺がある。その背後にある、花崗岩の大きな洞窟が「鬼の岩屋」である。吉備津彦命の温羅退治の伝説に出てくる温羅という鬼のすみかといわれる。この巨岩には手形のようなくぼみがあり、「鬼の差上岩」の別名もある。

 ◆岩屋の皇の墓(いわやのおうのはか)

 寺伝によると、岩屋寺の開祖で文武天皇の皇子:善通大師の墓塔と伝えられていることからこの呼び名がありますが、埋葬された人物は不明です。花こう岩製の無縫塔で、基礎・竿・中台は八角形、蓮台・塔身は円形で、すべてが別石造となっています。無銘ですが、特徴から南北朝時代につくられたものとされ、中世につくられた県内の無縫塔の中では最も古い様式をもちます。
 無縫塔:卵塔ともいい、台座の上に卵形の塔身をもつものをいいます。

 …と、こんな記載がありました。これを参考に散策となりましたけど、時期が時期だけに蛇でも出て来そうで、少々怖さも…
 登山用のスティックでも持参すれば良かったのですけど、そこまで気が廻りませんでしたから(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(4)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
02-720-555

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(3)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
04-720-555

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(2)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
03-720-555

 秋田・青森の境界辺りでしたか…窓の外に眼を向けますと、頂きに雪を抱いた山が…何と言う山なのでしょうネ…
 岩木山なのかも…でも、岩木山は青森県ですから…う~ん、分からん(^-^;
 そぅしていますと、これはGONsanでもわかります。本州最北端の大間崎が窓の外に…

 ◆本州最北端の地 大間崎

 津軽海峡をはさんで、函館市汐首岬までの距離はわずか17.5キロメートル。天気のよい日は、函館の五稜郭タワーまで肉眼で確認できます。マグロのモニュメントで、ぜひ記念写真を。大間の漁師に一本釣りされた440キロのマグロがモデルになっています。
 下北半島全体は、「下北ジオパーク」として日本ジオパークに認定されており、2017年11月、台湾の野柳地質公園と連携協力協定を結びました。大間崎は、下北ジオパークの16カ所あるジオサイトの中の1つです。

 こんな大間崎で、機内で退屈しておりましたけど、ヤッと新千歳空港到着も間もなくです。
 予定通り到着となりまして、最初の訪問地は空港近くの「ノーザンホースパーク」。

 ◆ノーザンホースパーク

 ノーザンホースパーク((Northern Horse Park) は、北海道苫小牧市字美沢にある社台グループの体験型公園・テーマパーク。株式会社ノーザンホースパークが運営している。1989年(平成元年)7月開園。広さは478,982m2。「馬と大地と人との絆」をテーマにしているように、乗馬、馬車、ハッピー ポニーショーなどの馬のアトラクション、蹄鉄に装飾するホースシュースタンド作りなどの体験プログラムのほか、家族で楽しめる各種イベント、レストラン、馬グッズを集めた売店などが用意されている。 毎年7月に行なわれる競走馬のセリ市場、セレクトセールの会場でもある。2007年にバーベキューハウス「バックヤードグリル」がオープンした。2011年にチャペル & パーティレストラン「ディアド ブエナビスタ」がオープンした。

 ★主な施設

 ・ディアド ブエナビスタ(結婚式場 冬季はレストランとして営業している。)
 ・K's(ケーズ)ガーデン(道内最大級の庭園を眺めながら食事ができる。結婚式も行われている)
 ・パラッツォ・ベガ ポニー館(日本初の全天候型ポニーショー専用会場)
 ・バックヤードグリル(無煙グリルのバーベキューハウス)
 ・ホースギャラリー(社台グループ、ノーザンファームで生産、育成された馬たちの博物館)
 ・インドア乗馬場(全天候型の覆馬場。毎年7月に開催されるセレクトセールの会場)
 ・ライディングエリア(障害飛越競技、馬場馬術競技、ウェスタン競技の会場)

 ★アクセス
 新千歳空港から車で約15分。空港から無料シャトルバスがバスのりば1番付近(南側送迎バス乗り場)から運行されている。

 ★繋養馬

 中央競馬で活躍したジャガーメイル(天皇賞春優勝馬)、アドマイヤジュピタ(天皇賞春優勝馬)、ブランディス(中山大障害・中山グランドジャンプ優勝馬)、デルタブルース(菊花賞・メルボルンカップ優勝馬)、アロンダイト(ジャパンカップダート優勝馬)のGI競走優勝馬の他にインティライミ、フォゲッタブル、シルクフォーチュンなど多数の引退した競走馬が余生を過ごしている。
 中央競馬クラシック三冠馬ディープインパクトの母である ウインドインハーヘアは、2014年より離乳後の乗馬のお世話係として繁養されている。
 サラブレッド種の他にも数多くの種類の馬が在籍しており、約80頭の馬たちが生活している。
 ポニーも繋養されているがそのうちの1頭「チッチ」(2010年生・牡)はサッカーボールを使った曲芸が得意である。本パークが2015年にコンサドーレ札幌とのクラブパートナーシップを締結した際、チッチは背番号「77」を与えられクラブの一員(名誉選手に近い扱い)となった。
 ポニーの「すーちゃん」は2016年冬よりAmazonのCMに登場している。

 …と、こんな「ノーザンホースパーク」のようであります(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)
にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ
ギャラリー
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
  • 6/23(日)は、「カープ応援バスツアー」で広島行きとなりました(^.-)☆(5)
プロフィール

 ・名前 GONsan
 ・年齢 大人
 ・性別 男子
 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


GONsan's ホームページ 「日本全国通過旅」


Since '00/04/19




↓ 何となく笑えます(^.-)☆

















↓ 今は亡きGON子です



  • ライブドアブログ