GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

旅の景観・話題

12/23(月)は、沼隈町常石の「眺洋山」を散策でした(^.-)☆(4)

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 暫し、お堂の前から瀬戸内を眺望でした(^.-)☆
 それでは少し下って、上って来ます時に「後で行ってみよう」と思いました左折の道を進んでみたいと思います。
 三叉路から左折の道を進みますと、スグに広場に到達です。

 う~ん、ただの広場で何にもありません。周囲は樹木に囲まれて眺望は不能です。
 多分、今では車では登れませんけど、随分以前の車で走行可能時の駐車場でしたのでしょうねぇ~状況から推察しますに、眺洋山管理者の方が、山の手入れ時に使用されます作業用広場として活用しておられますのかも(^-^)
 では、また、先ほどの石仏のお堂まで戻ってみます。

 やはり、ここからの眺望がイィですねぇ~
 西方に眼を向けますと、尾道造船のクレーンと船舶が…そして、その上方には尾道大橋を目前の「しまなみ海道」が(^_^)v
 手前に視線を戻しますと、浦崎町沖の小島が…小島の上には神社らしきお社が…グーグルマップで確認してみますと、『沖の観音様』と言うようですネ(^.-)☆

 ◆浦崎沖の観音(Mont Saint Michel on Onomichi)

 ・乗り越えたい試練を叶えてくれる沖の観音さま
 尾道市の東部、浦崎町の沖に浮かぶ観音堂です。普段は海の中にありますが、干潮になると歩いて渡ることができます。近年、尾道のモンサンミッシェルと呼ばれるようになってきました。

 ★沖の観音・尾道のモンサンミッシェル(おきのかんのん・おのみちのもんさんみっしぇる) Mont Saint Michel on Onomichi

 ・町の由来にもなった観音堂
 その昔、浦崎町が複数の島だった頃、このお堂のある島が「浦の崎」にある島ということから「浦崎島」と呼ばれており、現在の町名の由来となりました。

 ・無断の潮干狩りは厳禁!
 干潮の時に姿を現す干潟にはアサリをはじめとする貝が生息しています。しかし地元の漁協さんが保守管理・養殖しているので、一般の方は無許可で潮干狩りや、海産物の採取をすることは固く禁じられています。
 大潮の時期、干潮の時間を狙って浦崎の沖の観音へたどり着くと、歩いて渡れる砂浜が出現します。足元を濡らすのがイヤな方は長靴持参でお詣りすることをオススメします。

 ・長靴があるととっても便利
 大潮の時期、干潮の時間を狙って浦崎の沖の観音へたどり着くと、歩いて渡れる砂浜が出現します。足元を濡らすのがイヤな方は長靴持参でお詣りすることをオススメします。
 小島の観音堂の小島には石の階段がありますが、海草類が生えているため滑りやすいので落ち着いてゆっくり昇りましょう。

 ・ゆっくり落ち着いて歩こう
 小島の観音堂の小島には石の階段がありますが、海草類が生えているため滑りやすいので落ち着いてゆっくり昇りましょう。

 ・沖の観音さまへのお詣りについて
 観音堂を拝観するときには心を落ち着けて祈りましょう。
 「こういう壁を乗り越えたいのでヨロシクお願いします」といきなり祈るのもよろしいですが・・・「私は△△に住む、□□と申します。ただいまこういう試練に立ち向かっています。乗り越えられるように▽▽しています。どうか、見守って下さい」。
 まずは自己紹介をして、乗り越えたい試練の内容と打破するための施策を公言してから祈りを捧げることにより、自分の目標も再認識することができるので、筆者は後者でお祈りするようにしています。

 ・干潮時には景色が変わります
 干潮時と満潮時ではまったく違う景色になります。沖の観音さまの背景になっているのは福山市の常石造船さんです。

 ・観音堂から浦崎海岸
 沖の観音道のある小島の頂上から、浦崎の海岸を見た景色です。
 普段と全く違った景色に見とれるのもよいですが、引き潮が終わったら、今度は潮が満ちてきます。ホドホドにして、陸地に引き上げて下さいね。

 ・引き潮でも渡れない日
 潮の満ち引きは、月の影響を受けます。干満の差が大きい日は「大潮」、逆に干満の差が少ない日を「小潮」と呼びます。大潮の引き潮時には陸地と沖の観音さまが陸続きになりますが、小潮の日は干潮でも海水に覆われます。

 …と、こんな『浦崎沖の観音』様でありますようです。
 山の上にテレビ塔が存在しますのは、向島の高見山ですねぇ~
 とにかく、実に穏やかな瀬戸の海…そして、大晦日も目前と言いますのに、春のようなのどかな景観であります(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(23)

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 大谷1号墳の見学を終えますと、今回の「北房路の古墳巡り」は、これで凡て終了です。
 盗掘されておりませんでしたら、もっと色んなモノが出土しましたのでしょうけど、遠い昔の古代に想いを馳せ、仲々楽しい古墳巡りでありました。
 後は、国道313号線を一路、福山へ。福山到着は、予定通りP.M.5:30過ぎでありました(^-^)//"

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(8)

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 今まで、いつの日か時間が許せば出掛けてみよう…と思っておりました「久井の岩海」ですけど、仲々そんな機会は有りませんでした。
 が、今回、初めて訪れ、壮大な自然が作り出した岩海を自身の眼で確認出来まして、何とも言えません感動が(^.-)☆
 自然の力と言うモノは、実に素晴らしいものでありますネ。オシマイ(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(22)

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 大谷1号墳は、調査時にはほとんど盗掘されていましたようですけど、双龍環頭(そうりゅうかんとう)大刀(長さ約1.1メートル)や、儀式用の武具「儀仗(ぎじょう)」の頭部と推定される金銅製品等が出土したようですネ。ふ~ん、こんな形で残っていましたとは、ラッキーだったんですねぇ(^-^)//"

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(7)

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 休憩所に到達ですから、「おおごうろ」の先端部分はもぅ少し…と思ったのですけど、ここもまた雑草が生い茂っておりまして、これ以上の前進は断念です(^-^;
 多分、もぅ少しなのだと思うのですけど…この休憩所で、とりあえず一服。そして、また逆戻りです。
 三叉路、そして、「ぜにがめごうろ」の下流先端にと戻って来ました(^.-)☆

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(21)

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 ◆7世紀後半の大谷1号墳、奈良・明日香村の都塚古墳と類似

 --- 産経ニュース 2014.8.22 03:39 ---

 蘇我稲目(いなめ)の墓の可能性が高く、特異な階段ピラミッド状の古墳とわかった明日香村の都塚(みやこづか)古墳。これによく似た古墳が岡山県北部の真庭(まにわ)市にある。平成5年などに調査された「大谷(おおや)1号墳」(7世紀後半、国史跡)で、5段築成の見事な方墳だ。
 大谷1号墳は都塚古墳から約100年あとにつくられた古墳。昭和63年と平成5年に発掘調査が行われ、平成7年に墳丘が復元された。
 3段の方形墳丘部と前面2段の方形壇から成り、規模は東西12.9メートル、南北22.7メートル、最大高7.3メートル。全長6メートルの横穴式石室を持ち、内部には陶棺(とうかん)がおさめられていたとみられる。
 発掘調査では双龍環頭(そうりゅうかんとう)大刀(長さ約1.1メートル)や、儀式用の武具「儀仗(ぎじょう)」の頭部と推定される金銅製品など、豪華な副葬品が出土。吉備(きび)(現在の岡山県)を治めるため大和朝廷が派遣した「吉備大宰(たいさい)」(吉備総領)の墓とも考えられている。
 だが、真庭市教委によると、大谷1号墳は斜面にあり、後側には階段状の構造がないという。都塚古墳のように、全面が階段状の造りとは異なっている。

 WEB上には、こんな記事掲載もありました。
 それでは、今から、大谷1号墳の見学です(^.-)☆

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(6)

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 「おおごうろ」には、両側に遊歩道がありますから、三叉路に戻りましてから、まず左側の遊歩道で「おおごうろ」の上流(先端)に向かってみたいと思います。
 また水音峡を横目に進んで行きますと、右側ルートに休憩所が…この上流辺りが「おおごうろ」の先端部分なのかも…
 左側ルートでは、まだ先に進めるのでしょうけど雑草が生い茂り、これ以上の前進は断念です(^-^;

 で、ここで引き返し、今度は右側ルートで休憩所に向かってみたいと思います。引き返していますと、往路では気付きませんでしたけど、遊歩道脇に小さな池と言うか泉が…
 三叉路に度って来ますと、右川ルートを休憩所方向に。
 途中で、岩の上を渡って「水音峡」の表示板近くの岩に立ち、耳を澄ましておりますと、うん、うん、確かに岩の下から水の流れます音が(^.-)☆

 久井の岩海入口の案内表示板には、

 ・水によって地表に現れた岩海

 久井の岩海は、多く岩が現れる“ごうろ”が谷間に出来ているね。水が集まりやすく水の力が強い谷間の斜面では、地中にあった岩の周りの真砂土が水によって洗い流され、岩が地表に現れて、久井の岩海はできたものと考えられているんだ。久井の岩海の中にある水音峡では、岩の底を流れる水の音が聞こえるよ。

 …と記載がありましたけど、確かに水の音が聞こえます(^_^)v
 この場所からのみ聞こえて来ますから、チト不思議。他の岩の上では聞こえませんから(^-^)
 それでは、休憩所方向に歩行続行です(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(20)

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 暫く進んで行きますと、今度は反対側の右側にズラッと短歌・俳句の石碑が並んでおりました(^.-)☆
 そして、「大谷1号墳」の麓に到着です(^_^)v

 ◆大谷1号墳(おおやいちごうふん)

 大谷1号墳は大谷・定古墳群のなかでも早くから注目され、調査研究が行われた古墳です。3段の墳丘と前面に2段の基壇をもつ、5段築成の方墳という全国的にもあまり例のないもので、規模は東西で22.7m、南北で16.2m、高さは1段目から墳頂まで8mを測ります。
 石室は両袖式の横穴式で、切石を積み上げて築かれています。埋葬には木棺と陶棺の2種類の方法が用いられています。陶棺は大谷・定古墳群中唯一の須恵質のものです。石室内はすでに盗掘されていましたが、奥壁に沿ったところに金銅装環頭大刀と金銅製品が盗掘から免れ遺っていました。
 大谷・定古墳群は平成20年に国の史跡に指定されました。

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(5)

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 久井の岩海は3本の流れで構成されていますから、3本の真ん中に位置しますから「なかごうろ」と言いますのかも…とにかく、水音峡を横目に「なかごうろ」の上流方向へ前進です(^.-)☆
 「なかごうろ」は規模的には「ぜにがめごうろ」よりも小規模のようです。ほどなく、先端付近に到達ですけど、それから先は雑草が生い茂っておりまして、前進は断念。まだまだ続いているのでしょうけどネ…

 また、いつの日か出直して再訪し、雑草が刈り取られ整備されています頃に訪れてみたいものであります(^-^)
 それでは、戻って「おおごうろ」に向かってみましょうか(^-^)/

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(19)

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 定北古墳の見学を終えますと、今回の「北房の古墳巡り」の最後の訪問地であります「大谷1号墳」に向かいます。
 バスから降りて定古墳までの歩行コースを逆戻りです。国道313号線まで戻りまして国道を渡り、大谷1号墳までは、約400mの上り坂なのですけど、皆様、仲々お元気で(^-^)
 お疲れのご様子も無く、サッサと難なく歩かれますから感心するばかり。

 途中、路傍に句碑が存在です。
 『喜雨の田を 巡りしぶきの 眼鏡拭く (兵庫県 酒井吉清)』と、刻まれておりましたけど、ふ~ん、この「兵庫県 酒井吉清」sanとは、何者なのでしょう?
 WEB上で「酒井吉清」sanを捜してみましたけど、何にも出ては来ませんでしたねぇ~で、仕方なく『喜雨の田を 巡りしぶきの 眼鏡拭く』の句で検索してみましたら、うん、うん、ヤッと分かりましたねぇ(^.-)☆
 こんな記載がありました(^_^)v

 ◆新・万葉の歌「心」

 編/岡山県北房町
 ●定価1,500円(本体価格1,429円+税)
 ●四六変形、155頁、上製本カバー付き
 ●ISBN4-906577-15-6
 ●1998年7月初版発行

 西の明日香村・岡山県北房町に全国から寄せられた短歌と俳句の秀作266点。 短歌の選者は佐佐木幸綱、直木田鶴子、中島義雄、能見謙太郎。俳句の選者は岡本 眸、児仁井しどみ、竹本健司、中尾吸江。

 短歌作品例
 ・生命とは予期せぬまでに無防備で花束の如吾子を抱けり (佐々木一郎)
 ・バイテクの蘭誕生の一瞬ぞ緑萌え立つフラスコを割る (高原康子)
 ・吾の指をすりぬけてゆくものは皆美しすぎて水・風・あなた(角 浩介)
 ・北房の天空広し草を食む乳牛と山川と吾を包みて(北浦 勉)
 ・他愛ないジョークで君を笑わせて友達のまま歩く夕暮れ(島袋真基)

 俳句作品例
 ・追伸の母率直に風邪引くな(川崎悦子)
 ・健康のおかげの日傘回しけり(清水睦美)
 ・香水をさみしさみしとふりかける(古川美恵子)
 ・喜雨の田を巡りしぶきの眼鏡拭く(酒井吉清)

 …と、こんな記載が。
 西の明日香村・岡山県北房町に全国から寄せられた短歌と俳句の秀作266点の中の一つの作品なんですねぇ~
 …と言う事は、この秀作266点の中から厳選されたいくつかの作品が、こんな形で北房町内の要所要所に設置されていますのかも分かりませんネ(^_^)v

 季語は「喜雨」なのでしょうけど、どんな意味?またまたWEB上でお勉強となりました。
 こんな記載がありましたネ。

 【喜雨(きう)】夏の土用の頃、日照りが続いているときに降る雨。雨(あま)喜び。慈雨(じう)。

 また一つ、知識吸収のGONsanなのでありました(^-^)//"

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(4)

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 550mの長さの「ぜにがめごうろ」の先端部分(最上流)までヤッて来たかも…と思うのですけど、まだ先が有りますのかも…それ以上先に進みたいのですけど、雑草が生い茂っておりますから断念です。
 「←岩の滝」の標識がありましたから、この先には滝のように連なった岩があるのかも分かりません。でも、これから先の進行は断念となりました(^-^;
 とにかく、巨石が上流から下流に流れるような景観は、本当に壮観ですねぇ(^-^)
 それでは、下って、「なかごうろ」に向かってみたいと思います(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(18)

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 外から伺った様子では、定東塚古墳よりも内部は少し狭い感じの「定西塚古墳」のようでした。
 さすがに、入りにくそうな入口ですから、定西塚古墳の内部に入られます方は少なかったですネ(^-^)
 「定西塚古墳」の見学が終わりますと、次は、「定北古墳」に向かいます。

 またまたWEB上で「定北古墳」を検索しますと、こんな記載が…

 ◆定北古墳

 東西21m・南北25.3m、3段築成の方墳で墳丘には3重の列石がめぐる。埋葬施設は南に開口する両袖型の横穴式石室で全長10.2m、礫岩の切石を用いて構築されている。
 室内には陶棺4基と木棺1基が納められ、うち陶棺の1基には「記」の字が線刻されていた。出土遺物は鉄刀や鉄鏃、銅碗、須恵器など。7世紀中頃の築造。国指定史跡(大谷・定古墳群)、2008(平成20)年指定。

 ◆定北古墳

 定古墳の背後に位置する丘陵の斜面に築かれた、3重の列石をめぐらす整った形の方墳で、南辺で21.0メートル、東辺で25.3メートルの規模をもっている。南に向かって開口する横穴式石室は、この地域でとれる礫岩(れきがん)の切石でつくられており、全長10.2メートルをはかる。
 石室からは、4基の陶棺と、1基分の木棺痕跡が確認され、銅鋺(どうわん)の蓋や、 大刀、鉄鏃(てつぞく)、斧(おの)状鉄製品や、須恵器などと、やや新しい時代の蔵骨器が出土した。
 3号陶棺の蓋と身には、「記」の文字が刻まれていた。陶棺や須恵器などから、この古墳は、7世紀の半ば過ぎに築造されたことがわかっている。
 定古墳--定北古墳--大谷1号墳という首長墓の系譜がうかがわれ、石室に用いられた 石材の加工技術にも、徐々に発達がみられる。(現地案内板)

 …と、こんな「定北古墳」なのであります(^.-)☆

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(3)

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 それでは、標識に従って、まず「ごうろ台地」に歩行です。そうしますと、スグに「ぜにがめごうろ」の標識が眼に入ります(^.-)☆
 550mもの長さに及ぶ「ぜにがめごうろ」ですけど、これだけの巨石がずっと上のほうから広がる光景はなかなか壮観でありました(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(17)

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 定北古墳には後で訪れますようですから、まず「定東塚古墳」に(^.-)☆
 中は結構広いですネ(^_^)v
 東塚の石室からは4基の陶棺が出土しましたようですけど、確かに中は広いですから納得です。
 ただ哀しいかな、GONsanはストロボを持参していませんから…仕方なく、スマホを取り出しフラッシュを効かせて何枚かパチリです。

 定東塚古墳を見学しますと、次は、お隣りの定西塚古墳です。
 ここは入口が狭いですし、中には飛び降りるほどの段差が…皆さん、少し苦労して入っておられますようでしたから、GONsanはパス。皆さんの古墳への出入りを後方からパチリとなりました。
 西塚からも6基の陶棺と、木棺の痕跡がみつかった…との事ですから、ここも中は広いのでしょうねぇ(^-^)//"

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(2)

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 岩海への進入路を進んで行きますと、まず山小屋風の休憩所が。
 そして、その先には、岩の海と言うよりも、岩の流れが(^-^)「岩海」と言いますよりも「岩流」と言った方が良いのかも(^.-)☆
 休憩所には、この「岩海」がどのように形成されましたのか、分かり易い説明が(^_^)v

 ◆「久井の岩海」はどのようにしてできたの?

 ぼくは花崗岩の仲間、花崗閃緑岩という種類の岩だよ。花崗岩は風化しやすいんだ。風化とは、雨風や日光、気温変化などでだんだん破壊されていくことだよ。

 ・花崗閃緑岩が風化するまで

 ①岩盤に節理ができる ②岩の塊ができる ③四つ角が風化 ④さらに節理ができる ⑤砂に風化
 
 最初は巨大な花崗閃緑岩の岩盤に縦横に規則正しい割れ目(節理)ができる。すると割れ目に沿って岩盤から切り離された部分が、それぞれ岩の塊になるんだ。
 岩の塊は、さらに節理ができて小さく分かれたり、玉ねぎの皮のように岩の四つ角や表面が風化して剥がれたりしながら、最後には完全に風化して砂(真砂土)になるんだよ。

 ・地中での風化(深層風化)

 上部 -- 風化して真砂土になった層
 中部 -- 岩の塊ができた層
 下部 -- 風化していない岩盤

 花崗岩の風化は、地中にあるうちから起こっているんだ。風化の影響を受けやすい地表は、風化が進んで真砂土になっているよ。

 ・水によって地表に現れた岩海

 久井の岩海は、多く岩が現れる“ごうろ”が谷間に出来ているね。水が集まりやすく水の力が強い谷間の斜面では、地中にあった岩の周りの真砂土が水によって洗い流され、岩が地表に現れて、久井の岩海はできたものと考えられているんだ。久井の岩海の中にある水音峡では、岩の底を流れる水の音が聞こえるよ。

 ・日本の地質百選

 多岐にわたる貴重な日本の地質現象を顕彰し、広く知ってもらうため、「日本の地質百選選定委員会」により、2007年に83か所、2009年に37か所、あわせて120か所の日本の地質百選が選定されました。久井の岩海も2007年にそのひとつに選ばれました。
 他の地質百選にもぜひ行ってみてください。

 寄贈 ライオンズクラブ国際協会336-C地区3R・2Z 合同アクティビティ -- 平成23年11月 --

 …と、こんな分かり易い説明がありました(^.-)☆
 眺めておりますと、結構、迫力がありまして、「岩の海」なんですけど、GONsanには「岩の流れ」「岩流」の方がピッタリ来ますような(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(16)

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 大谷1号墳入口の国道313号線の脇には、大きな標識が設置されています。「古代王墓の谷」「←大谷1号墳」「定古墳→」の案内が…
 まずは、私達は国道東側の山方向「定古墳」にと向かいます。
 中津井川方向に田んぼを横切る市道を歩行し、中津井川を渡りますと右折し土手を南下です。そうしますと、ほどなく「定古墳・定北古墳」の案内表示が…で、ここを左折し暫く進みますと、うん、うん、定東塚古墳が眼に入りましたネ(^.-)☆

 ◆定東塚・西塚古墳
 この古墳は、それぞれに横穴式石室をもつ、東塚と西塚の2基の方墳で構成されている。石室は、いずれも古くから開口していたが発掘調査の結果、東塚の石室からは4基の陶棺が出土し、西塚からも6基の陶棺と、木棺の痕跡がみつかった。

 定東塚古墳に入ります前に、ふるさとセンターでの解説後、定古墳・大谷1号墳にも同行して頂いた「荒木山の古墳を顕彰する会」の奥田健治先生からわかりやすい説明を(^_^)v
 定古墳下の駐車場からは、定東塚古墳がよく見えます。その左には定西塚古墳がありますようですネ(^-^)//"

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府中まで来たのですから、ついでに「久井の岩海」にも…(1)

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 三郎の滝から退散します前に、チョッと思案のGONsan。せっかく府中市と御調町の境界付近までヤッて来ましたのですから、ついでに、この便を利用し「久井の岩海」まで行ってみようかと…
 スマホで、三郎の滝~久井の岩海間の距離を確認しますと、うん、うん、最短距離で「15.5km」のようですネ(^.-)☆
 この距離でしたら1時間も要しませんし、ナビの指示通り最短距離を走らされ狭い山道でありましても、車はコペン号ですから大丈夫だろう…と(^-^)
 で、急遽、久井の岩海行きとなりました(^_^)v

 ナビの案内通り従って行きますと、案の定、狭い山道を走行です。が、コペンですから対向車が来ましても、多分、離合は大丈夫。こんな心配はありましたけど、結局、久井の岩海に到着まで、1台も対向車とは遭遇しませんでしたねぇ\(^o^)/

 無事、久井の岩海駐車場まで到着しますと、まずは「久井の岩海」の事前勉強となりました。
 WEB上には、こんな記載が…

 ◆久井の岩海の詳細

 --- 三原市教育委員会 ---

 旅行村から東に約2km、いろんな形をした岩がゴロゴロ。ここは日本最大規模の岩海。聞こえてくるのは風の音と野鳥のさえずり。岩に耳をあてれば流水の音。
 昭和39(1964)年、国の天然記念物に指定された久井岩海は、備南最高峰、宇根山(標高699m)のふもと(標高480m~530m)にあり「ごうろ」とも呼ばれています。
 ゆるい谷にそって直径1m~7mの巨岩・怪石が特異な景観をなしており、岩に耳を当てれば、地下に流水の音。久井岩海は静寂の中で、人々にやすらぎを与えるまさに自然のオアシスです。
 岩海をおとずれると、どうしてこんな大きな岩が、こんなにたくさん、それもこんな所にと素朴な疑問がわいてきます。

 ・岩海

 岩海の成因は、基盤の岩石に霜の作用ではく離してできた方状の割れ目から空気や水が入り、その作用により周辺が風化して岩塊ができました。そして、長期間にわたって豪雨のたびに土砂が洗い流され、地表部の玉石が重なりあってゆるい傾斜の谷に残ったのです。また岩に耳を当てると聞こえてくる流水は、その水量、その深さ、その水源、流れ行く先も明らかにされていません。まさに不思議の川瀬と言えます。

 ◆日本最大級の岩海はどうやって出来たの?

 「久井の岩海」は、なんといっても広さが半端ありません。この広さは、実は日本では最大級の岩海なんだとか・・旧広島市民球場の10倍の面積(20a)もあるそうですよ。ハイキングしたら、かなりの運動になりそうですね。

 岩海の出来方ですが、大きな花崗閃緑岩の岩盤が気温の変化などで割れ目(節理)に沿ってはがれおち、また風化によって丸みを帯びた岩石として残っているきわめて珍しく、学術上大変貴重なものなんだそうです。実は、久井の岩海とセットになっている矢野の岩海もあります。二つの岩海は直線で10キロ離れていますが、久井の岩海の方が規模が大きく、矢野の方は、ひとつひとつの巨大な岩が渓谷を埋めたような形になっていて、その下には洞窟状の空洞ある点などが違うそうです。久井の岩海・矢野の岩海ともに国の天然記念物ですよ。

 ・矢野の岩海:広島県府中市上下町矢野にあります。
 見れば見るほど不思議な光景!行かなきゃ分からない面白さ

 ◆久井の岩海

 岩海は、備南最高峰の宇根山(標高約699m)の東南麓に傾斜の緩やかな三条の谷間に沿って分布し、「ごうろ」と呼ばれています。この呼び名は長さや岩の形状からでしょうか、銭亀(ぜにがめ)ごうろ、中ごうろ、大ごうろ、小ごうろとそれぞれ呼ばれます。一番長いのもは、銭亀ごうろで、長さ550m、幅65mあります。また、大ごうろは、長さは350mで幅90m、深さが10mにも及ぶ巨大なものです。
 時折、鳥のさえずりを聞きながら、壮大な自然が作り出した世界を見るのは、何とも言えない感動に駆られますよ。

 ・広島で唯一日本の地質百選に選ばれた場所!

 久井周辺は、珍しい地層などが、道路近くで見ることが可能な場所です。ため池なども多くて珍しい植物や昆虫なども生息しています。
 岩海自体、ちょっとしたハイキングが出来るスポットでもあります。四季折々の自然美を楽しむことが出来るので、是非リフレッシュされたい時には、訪れたい場所ですね。
 ちなみに、ごうろの場所によりますが、「水音響」と言って、岩の下深くを流れる水の音が聞こえる場所もあり、神秘的な気持ちになれますよ。
 平成19(2007)年には、日本の地質百選に選ばれています。

 …と、こんな「久井の岩海」のようであります。
 それでは、散策してみましょうか(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(15)

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 北房振興局の駐車場に戻って来ますと、昼食のため、皆さんバスの中から各自の荷物を持ち出しです。そして、北房振興局に隣接の「真庭市北房文化センター」にと向かいます。

 ◆北房振興局 北房文化センター

 平成15年に完成した新しい文化センターです。2階建てですがエレベーターを完備しています。
 会議にも使用できる部屋から、料理などをできる調理室や子どもの検診などの会場になる部屋まで、多くの部屋があります。
 ホールでは、文化的な講演会や、クラシックからロックまでいろいろなイベントが毎年多く開催されています。
 また、施設内には図書室を完備しており、幼児から大人まで楽しめる本が多くありますので是非ご利用下さい。4ヶ月に1度は、岡山県立図書館から約700冊の本を借りていますので幅広い蔵書がご利用いただけます。

 ○施設名 北房文化センター
 ○住 所 真庭市上水田3131
 ○電 話 0866-52-5220
 ○休館日 毎週月曜日、年末年始

 380席の多目的ホール・ボランティア室・談話室・美術工芸室・トレーニングルーム・研修室・調理室・検診、機能回復室・母子保健指導室があります。

 …と、こんな「真庭市北房文化センター」のようであります。2階の会議室の一つをお借りし、ここで昼食(^.-)☆
 昼食後には、またバスで、国道313号線を南下し、次の訪問地「定古墳・定北古墳」へと向かう事となりました(^-^)//"

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11/22(金)は、紅葉を求めて「三郎の滝」を散策でした(^.-)☆(8)

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 駐車場に戻って来ますと、丁度、1台の車が駐車場にと入られました。駐車場には、今、入られました車も含めて5台が駐車。
 時間はと確認しますと、A.M.10:15でありました。
 …と言う事は、GONsanは、三郎の滝で40~50分ばかり散策を楽しみましたようですねぇ(^.-)☆大変キレイな紅葉の景観でありました。それでは、三郎の滝から退散です(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(14)

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 2階展示室を一通り見終えますと1階展示室へ。
 ここでも、「荒木山の古墳を顕彰する会」の奥田健治先生の興味深いお話しが続きます(^_^)v
 その間に、GONsanは、再度、1階展示室を一巡りです。そうしましたら、「佐井田城」の模型が…で、早速、WEB上で「佐井田城」を調べてみます事に(^-^)

 ◆佐井田城(さいたじょう)

 ・所在地--岡山県真庭市下中津井・別名--斉田城、才田城・高さ--332m(比高120m)・指定--真庭市指定史跡・築城期--鎌倉時代又は戦国時代・築城者--山田重英、又は植木秀長・城主--山田氏、植木氏、三村氏など・遺構--郭、堀切、石垣等

 ◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)

 佐井田城は備中国の中間部の北方にある山頂に築かれた城砦で、特に北の伯耆国とを結ぶ現在の国道313号線を東麓に臨む位置に所在する。ちなみに、この313号線は、南は広島県福山市から北上し、備中を経由し、鳥取県東伯郡北栄町に至るルートで、佐井田城は、いわゆる要所の位置であった。
 典型的な連郭式山城で、東に伸びる尾根伝い先端部に出丸を設け、そこから上に向かって五ノ壇から二ノ壇まで連続の郭段を配し、本丸(二ノ壇)の向背に一ノ壇を接続させ、奥の尾根には二条の堀切を設けている。

 ★佐井田城跡

 標高332mの山上にある山城跡です。鎌倉時代初期の築城で文治2年(1186)山田駿河守重英の居城であったといわれています。
 その後戦国時代に庄氏の一族植木秀長、孫下総守秀資へと受け継がれました。戦乱の続く中、備中北部攻防の中心城で、津々の加葉山城と連携し、要害堅固な備中三名城のひとつと称えられました。

 …と、こんな「佐井田城」のようでありました。
 「北房ふるさとセンター」を後にしますと、昼食のため、「北房振興局」へとテクテク歩いての帰路となりました(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(13)

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11/22(金)は、紅葉を求めて「三郎の滝」を散策でした(^.-)☆(6)

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 三郎の滝の周辺の景観を充分楽しみましたので、そろそろ退散です(^.-)☆
 夏場になりますと、流れます水量も増えまして滝らしく感じられますのですけど、今は水量が少ないですから、少々寂しさも(^-^)
 それでは、退散、下山です(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(12)

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 ◆双龍環頭大刀(そうりゅうかんとうたち)

 柄頭だけでなく鞘の栫も良好に遺存し、全体の形状がよく分かる点で希少な古墳時代の環頭大刀である。
 柄頭、鍔、鞘の飾金具および責金具は金銅製で、鉄製の刀身や鞘木も部分的に残る。柄頭には透かし彫りにより2匹の龍が向かい合わせで玉を食む姿が表され、柄や鞘にはS字形または蕨形のモチーフで飾られる。双龍環頭大刀は、朝鮮半島の新羅などの影響を受けて6世紀に古墳の副葬品として登場し、本品は龍文様の退化などから7世紀にまで製作年代が下ると推定される。
 古墳時代の対外交流をうかがい知る考古資料として非常に重要である。

 ◆大谷1号墳

 定古墳、定北古墳から中津井川を挟んで南西には、定北古墳より少し遅れて7世紀後半に作られたと思われる大谷(オオヤ)1号墳があります。昭和63年(1988)になって発見されました。
 方形3段の墳丘の前面部にだけ更に2段の石段があって、計5段の方墳という全国でも珍しい形式で、定古墳との共通点があります。木棺と陶棺の他、なんと全面に金箔の貼られた双竜環頭太刀や金銅製品など、やはり貴重な出土品が見つかっています。
 被葬者は、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に味方して功績のあった吉備大宰石川王(キビノオオミコトモチイシカワノオオキミ)ではないかといわれており、当地と大和朝廷との深い関わりが推測されています。石川王は鬼ノ城の主とも言われており、日本書紀によると、679年に没した際に天武帝より諸王二位を贈られています。

 ◆頭椎大刀(かぶつちのたち)

 柄頭(つかがしら) が倒卵形でやや傾いたような形をしている、日本の上古時代特有の大刀拵(たちこしらえ) 。この部分は鉄製もあるが金銅製であることが多い。後期古墳から出土することが多く、実戦用というより儀仗用と思われる。

 6世紀後半-7世紀初頭の大刀。柄頭(つかがしら)がこぶし状にふくれているのが特徴。柄頭は金銅製が普通で、倒卵形の鍔(つば)をつけ、鞘(さや)にも金銅板を飾ったものが多い。実戦用よりはむしろ儀礼用の外装と思われる。

 古墳時代の刀装形式の一種。柄頭(つかがしら)が拳(こぶし)状に膨らみをもったわが国独自の形式で、後期にみられる。鉄地に銀象眼(ぎんぞうがん)を施したものもあるが、一般には金銅(こんどう)製で、表面が滑らかなものと、数条の畦目(うねめ)がつけられたものとがある。鐔(つば)は大きな倒卵形で、鞘(さや)も金銅の薄板に連珠文(れんじゅもん)を打出しの技法で表現し装飾的であり、かつ1メートルを超す大形であるなど実戦用というより儀仗(ぎじょう)用の大刀と考えられる。頭椎の名は記紀に「箇歩豆智(かぶつち)」とあるところから、江戸時代以後よばれるようになったといわれる。

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11/22(金)は、紅葉を求めて「三郎の滝」を散策でした(^.-)☆(5)

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 二郎の滝を通り過ぎますと、ほどなく「三郎の滝」に(^.-)☆
 この「三郎の滝」につきましては、色んな方々がWEB上に綴っておられますので、これらの記事を拾ってみますと、

 ◆三郎の滝

 広島県の東部、府中市にある「三郎の滝」は自然の川の流れによって長年岩肌が削られ、すべり台のようになっていることから「天然のウォータースライダー」を楽しめる場所として夏場には多くの家族連れでにぎわいます。
 その長さはなんと30メートル、7月には「三郎の滝フェスティバル」などのイベントも開催されています。また、滝に隣接して「三郎の滝・龍王荘」というお店があり、うどんやおにぎりなどの食事もとることができるほか、要予約ですが、バーベキューも楽しめるようになっています。

 三郎という名前は、滝の数を数えたもので、実際には、一番下流から順番に「一郎」「二郎」と続き、天然のウォータースライダーのある「三郎の滝」があります。駐車場から遊歩道を歩いていくのですが、周囲は川が流れており、木々に囲まれているせいか、とても涼しいです。
 お食事どころの「三郎の滝・龍王荘」は一郎の滝と二郎の滝の中間にあります。

 長さ30メートルの天然のウォータースライダーを滑り降ります。プールと違い、川の流れがありますので、一味違う爽快感があります。
 また、夏だけでなく、秋には紅葉の名所としても有名で、四季を通じその時々の水辺の情景を楽しめる場所として、多くの観光客でにぎわいます。

 ◆【広島県・三郎の滝】

 --- 自然の川のすべり台30m!大人になっても残る思い出を ---

 三郎というからには、次郎もいます。一郎もいます。滝の三兄弟です。自然の川の一枚岩がそのまますべり台になっています。
 自然のすべり台という夢のようなシチュエーション。子どもたちが夢中になること間違いなし。たっぷりと遊んだ記憶は、必ず大人になっても鮮明に残っているはずですよ。
 三郎の滝は広島県府中市にあります。広島県ではちょいと知られた自然がつくり出した天然すべり台。夏の時期には、多くの子どもたちの歓声でにぎわいます。そして、子どもに戻ったおじさん、おばさんの歓声も聞こえます。

 …と、こんな「三郎の滝」であります。

 >子どもたちが夢中になること間違いなし。
 >たっぷりと遊んだ記憶は、必ず大人になっても鮮明に残っているはずですよ…

 …とは、全く同感ですネ(^.-)☆
 GONsanも小学生時代に、子供会の皆様と何度か訪れ滑っておりますけど、当時の楽しい様子が、未だに鮮明に蘇ってしまいます。
 自然の滑り台の楽しさは何とも言えませんで、何度も何度も飽きもせず滑っておりました。ですから、GONsanも含め大概の子供達が、帰ります頃には、お尻の部分が擦り切れて穴が開いておりましたネ。
 現在も同様なのか否か分かりませんけど、水着の材質も向上していますから、擦り切れることは無いのかも分かりませんけどネ(^.-)☆

 こぅして三郎の滝を画像に納めておりますと、小学生の頃が実に懐かしく想い出されてしまいましたねぇ(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(11)

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 この巻物絵図は大変丁寧に描かれておりまして色彩もキレイ。尾張徳川家への奉納品との事でした。
 1階の展示室内を見終えますと、次は2階の展示室へ…ここには、弥生時代(後期)の焼けた米とか、後で訪れます大谷1号墳から出土の「金銅装環頭太刀」等の展示品がありまして、仲々興味深いものでありました(^.-)☆

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11/22(金)は、紅葉を求めて「三郎の滝」を散策でした(^.-)☆(4)

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 「三郎の滝龍王荘」から少し先に進みますと、「二郎の滝」に到着です。

 ◆三郎のすべり滝/二郎の滝

 三郎のすべり滝は、広島県府中市南西部を流れる矢谷川に懸かる滝の総称である。二郎の滝は、その最上流に懸かる落差7mを三段になって落ちる段瀑である。「次郎の滝」と表記される場合もある。滝口には鉄製の柵が掛けられているいるが、その上流で遊ぶ子供が過って落下しないようにするための安全柵である。その上流が三郎の滝から始まる「すべり滝」となっている。

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(10)

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 ふ~ん、この陶棺には文字『記』の記載がありましたのですネ(^.-)☆
 それにしましても、この地では、実に優秀な人材を輩出しておられますようですネ。展示室内には「箕作秋坪」「菊池大麓」のお二人の功績の紹介が…

 ◆箕作秋坪

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 箕作 秋坪(みつくり しゅうへい、文政8年12月8日(1826年1月15日) - 明治19年(1886年)12月3日)は江戸時代末期から明治時代にかけての日本の洋学者(蘭学者)、教育者、啓蒙思想家。名は矩、通称は文蔵。号は宜信斎。

 ・生涯

 文政8年(1826年)、備中国(現・岡山県)の儒者・菊池陶愛(菊池應輔亮和の婿養子である医者菊池好直正因の養子である菊池慎の子。名は文理。通称は士郎。)の次男として生まれた。
 はじめは美作国津山藩士の箕作阮甫、次いで緒方洪庵の適塾にて蘭学を学び、それぞれの弟子となった。嘉永3年(1850年)、阮甫の二女・つねと結婚して婿養子となり、つねとの間に、長男・奎吾(夭折)、次男・数学者の大麓(秋坪の実家・菊池家の養嗣子)、三男・動物学者の箕作佳吉、四男・歴史学者の箕作元八の4男をもうけた。

 幕末の外交多事のなか、幕府天文方で翻訳に従事する。安政6年(1859年)、幕府蕃書調所(東京大学の前身)の教授手伝となる。文久元年(1861年)の幕府による文久遣欧使節に福澤諭吉、寺島宗則、福地源一郎らと随行しヨーロッパを視察する。慶応2年(1866年)、樺太国境交渉の使節としてロシアへ派遣される。

 明治維新後は、かつての攘夷論者が率いる明治新政府に仕えるのを好まず、三叉学舎を開設。三叉学舎は当時、福沢諭吉の慶應義塾と並び称される洋学塾の双璧であり、東郷平八郎、原敬、平沼騏一郎、大槻文彦などもここで学んだ。また、日本初の本格的私立法律・経済学校である専修学校(専修大学の前身)の開設においても、法律経済科を設置し創立者である相馬永胤らに教授を任せるなどの協力をしている。明治12年(1879年)、教育博物館(国立科学博物館の前身)の館長となり、従五位に叙せられた。明治18年(1885年)には東京図書館(帝国図書館及び国立国会図書館の前身)の館長も務めた。東京師範学校摂理も務めた。
 また、明治6年(1874年)、森有礼らと明六社を創立してまもなく社長に就任する。明治12年(1879年)、福澤諭吉、西周、加藤弘之らとともに東京学士会院の創設に参画し、創立会員7名の一人となる。

 秋坪は古賀侗庵に学んだ漢学の大家でもあった。教育者として、秋坪は2・3歳から6・7歳までの児童を教育することが最も効果的だと主張し、教育能力を欠く家庭の父母、特に女子への教育の重要性を説いた。
 妻・つねの死後、その妹で箕作省吾の未亡人であったしん(ちま、阮甫の三女)と再婚。しんとの間には長女・直子(人類学者の坪井正五郎に嫁ぐ)をもうけた。
 明治19年(1886年)、肺炎のため死去。

 ◆菊池大麓

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 菊池 大麓(きくち だいろく、1855年3月17日(安政2年1月29日) - 1917年(大正6年)8月19日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の数学者、教育行政官。男爵、理学博士。
 東京帝国大学(東京大学の前身)理科大学長・総長、文部次官・大臣、学習院長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、帝国学士院院長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。

 ・生涯

 蘭学者の箕作秋坪とつね夫妻の次男として江戸に生まれ、父の実家・菊池家の養嗣子となった。秋坪は蘭学者箕作阮甫の弟子で、つねはその阮甫の三女である。
 蕃書調所(東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に渡り英国に留学した。2度目の留学ではケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学と物理学を学び学位を取得した。ケンブリッジ大学を卒業した初めての日本人留学生となった。

 帰国後の1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらした。同大学総長、学習院院長、京都帝国大学総長、理化学研究所初代所長等を歴任し、1902年(明治35年)には男爵を授爵された。福澤諭吉とは知己の仲で、1874年(明治6年)には福澤に招聘されて明六社に参加、福澤がその後に設立した交詢社にも発足時常議員としてもその名を連ねている。1889年(明治22年)には帝国学士院の前身・東京学士会院会員に選任された。

 英国留学中には高校大学を通じて相関係数で有名なカール・ピアソンと同窓で親友となり、帰国後ピアソンの編集した本を日本で翻訳出版している。1884年には、グリニッジ子午線を経度0と決めた国際子午線会議に日本の代表として出席している。

 菊池は数学者・教育者であるとともに政治的手腕もあった。1890年(明治23年)9月に貴族院勅選議員に勅任されると研究会に所属して、1912年(明治45年)5月に枢密顧問官に勅任されて議員辞職するまで22年間国政に参画した。この間、文部省では専門学務局長から、1897年(明治30年)11月から翌年5月まで第2次松方内閣から第3次伊藤内閣にかけての文部次官となり、浜尾新・西園寺公望・外山正一の3大臣を補佐、1901年(明治34年)6月には第1次桂内閣の文部大臣を拝命して翌年7月まで国政の枢機に携わった。1913年(大正2年)6月には京都帝大の名誉教授となっている。枢密顧問官は1917年(大正6年)8月に死去するまでつとめている。このほか帝国学士院でも1909年(明治42年)に第2代院長に選ばれ、死去するまでその任にあった。

 1917年(大正6年)7月下旬より避暑で茅ヶ崎の別荘を訪れていたが、同年8月19日に新聞を読んでいる最中に脳溢血を起こし、医師による応急治療を受けたがそのまま死去。

 ・逸話

 ケンブリッジ大学時代は数学で常に首席を占めていたため、他のイギリス人学生から嫉視されていた。あるとき大麓が風邪をこじらせて入院すると、イギリス人学生たちは示し合わせて大麓が欠席中の講義ノートを彼に貸さないことにした。それによっていつも2番目の成績だったブラウンという秀才を首席に押し出そうという企みだったが、当のブラウンは病院の大麓を毎日見舞って清書した当日のノートを彼に渡していたため、結局大麓の首位は動かなかった。大麓はその後ことあるごとに「ブラウンの高潔なイギリス魂ほど私を深く感動させたものはない」と当時を回想していたという。

 この留学中の1872年にはラグビーの試合に出場したことが記録に残っており、菊池が日本人初のラグビープレイヤーだったことも想像に難くない。

 …と、こんな人物のようであります。
 
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11/22(金)は、紅葉を求めて「三郎の滝」を散策でした(^.-)☆(3)

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 ノンビリと歩いて来ましたら、「一郎の滝」にと到着です(^.-)☆
 マップ上では「三郎の滝観光案内所」と記載されていますけど、この『三郎の滝龍王荘』が観光案内所も兼ねていますのでしょうネ(^-^)
 WEB上で「三郎の滝龍王荘」を検索しますと、こんな記載がありました。

 ◆三郎の滝龍王荘

 全国的にもめずらしい天然のすべり滝にある売店龍王荘で、自然を満喫しながら楽しんでください。夏はもちろん、春は桜、秋は紅葉、また、釣り堀もあり釣れたマスといっしょに牛肉と野菜のバーベキューが楽しめます。バーベキューは、前日までに予約が必要です。

 ◆『三郎の滝龍王荘』

 --- 府中市観光協会 2018年11月8日 ---

 天然のすべり滝として、また近年は紅葉の名所として有名な三郎の滝へは、龍王荘売店があり、そこでは、味のしゅんだ名物おでんや府中みそラーメンなどを販売されています!
 ひんやりと澄み切った風の流れを感じ、水の流れる音を聞きながら、またきれいな紅葉を見ながら、おいしいグルメも堪能してくださ~いね(*^^)
 ※ 無料の駐車場がありますが、道中の道が狭いので、お気を付けてお越しください。

 場 所:三郎の滝 広島県府中市三郎丸町90
 問合せ:三郎の滝 ℡0847-41-7900

 ◆天然のすべり滝(ウォータースライダー)として全国的に有名な三郎の滝は、長い歳月をかけて生まれた大自然の傑作であり、長さ30メートルの天然すべり台を清流に乗って滝つぼに飛び込むそう快さは格別です。また、秋には紅葉も楽しむことができます。なお、三郎の滝・龍王荘では、季節を問わず炭火焼きバーベキューを楽しめます(要予約)。

 所在地 〒726-0026 広島県府中市三郎丸町
 お問合せ先 三郎の滝・龍王荘 電話:0847-41-7900
 関連イベント 三郎の滝フェスティバル 三郎の滝紅葉まつり
 利用料金 バーベキュー 1人 3,000円(3日前までに要予約。なお、持ち込みでのご利用はできません。)
 備考 龍王荘では食事を取ることができます。うどん、おにぎりなど品揃えも豊富です。
 ※ 一郎の滝のすぐ上にあります。

 …と、こんな「三郎の滝龍王荘」のようであります。
 まだこんな時間帯ですから、管理人sanお一人が忙しそうに営業前の準備中と言ったところでしょうか(^-^)
 自販機が二つばかりありましたので、その内の左端の自販機に向かいますと、う~ん、残念、「故障中」の張り紙でした(^-^;

 とりあえず、ここで一服後、「二郎の滝」「三郎の滝」に向かってみます事に(^-^)//"

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 センター内に入りますと、「定北古墳」から出土の陶棺に圧倒されてしまいます。
 1階展示室には、その他にも色んな出土品が展示されておりましたけど、皆さん、興味深く見つめておられました。勿論、GONsanも同様でありました(^-^)//"

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11/22(金)は、紅葉を求めて「三郎の滝」を散策でした(^.-)☆(2)

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 散策しておられます方は、どなたもおられませんから、ノンビリと廻りの景観を画像に納めながらの歩行です(^_^)v
 実に紅葉がキレイです\(^o^)/

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(8)

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 暫く歩きまして、ヤッと「北房ふるさとセンター」にと到着です。センター建物の左脇には、「中世期の鍛冶炉」の案内表示板が…

 ◆北房振興局 北房ふるさとセンター

 北房ふるさとセンターは、学習と歴史的文化の交流の場となっています。
 真庭市南部に位置する北房地域は吉備文化と、出雲文化が接したため高度の古墳文化が栄えました。
 戦国時代になると戦乱の舞台となり、今でも当時築かれた遺跡が残っています。
 北房ふるさとセンターでは、大谷一号墳に代表される北房地域の遺跡、古墳からの価値ある出土品を保存しており、学習と歴史的文化の交流を促進する場となっています。北房地域では約250基以上の古墳が見つかっています。中でも、大谷一号墳・定古墳群は国指定の遺跡となっています。
 貴重な出土品や民具、刀剣を展示していますのでご覧ください。

 ○開 館 日 毎週 水 ・ 土 曜日
 ○開館時間 午前10時~午後5時
 ○入 館 料 一般(高校生以上)200円、団体(20人以上)160円
 ○アクセス 北房ICから西へ約7km、車で約10分
 ○問い合わせ先
    ・北房ふるさとセンター 0866-52-4546
    ・北房振興局地域振興課 0866-52-2111

 …と、こんな「北房ふるさとセンター」でありますようです(^.-)☆
 本来なら、GONsan達が訪れました11/17(日)は休館日なのですけど、「備陽史探訪の会」の皆様の為に、特別に開館して頂けた…との事でありました(^_^)v

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11/22(金)は、紅葉を求めて「三郎の滝」を散策でした(^.-)☆(1)

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 11/10(日)に紅葉を求めて虚空蔵山を散策しました時には、紅葉の景観もあまり有りませんでしたから、11/22(金)には、今度は府中市の「三郎の滝」を散策となりました(^.-)☆
 テレビニュースでも、再三、三郎の滝の景観が映し出されておりました事もありまして、久し振りに出掛けます事に…

 我が家を出ましたのが、A.M.8:40少し過ぎ。芦田川土手西側を上流方向に走行し、途中から芦田町の福山市立動物園方向に山越えで府中市河南町に抜け、御調川を渡りますと、少し府中市街地方向に逆戻りで三郎の滝到着となりました。到着時間は、A.M.9:30で所要時間は50分程度。
 よく分からないままナビの指示に従って走行して来ましたけど、結果的には、多分これが最短コースなのでしょうねぇ(^.-)☆

 ◆三郎の滝

 天然のすべり滝(ウォータースライダー)として全国的に有名な三郎の滝は、長い歳月をかけて生まれた大自然の傑作であり、長さ30メートルの天然すべり台を清流に乗って滝つぼに飛び込むそう快さは格別です。また、秋には紅葉も楽しむことができます。なお、三郎の滝・龍王荘では、季節を問わず炭火焼きバーベキューを楽しめます(要予約)。

 ・夏は観光避暑地、秋には紅葉

 渓谷の清流が巨岩の斜面をはしり、岩肌をゆるやかな曲面に磨きあげ、天然のすべり台となっている三郎のすべり滝は、歳月と水の合作で生まれた傑作であり、長さ30mのその天然すべり台を水にのって滝つぼに飛び込む爽快さは格別で、大人もこどもも暑さを忘れて楽しめます。
 夏は観光避暑地として、また、秋には紅葉で楽しめ、県内、県外からの観光客の人気を集めています。
 三郎の滝は広島県内7位の人気の高い紅葉スポットです。

 ・紅葉の見頃 -- 11月上旬~11月下旬

 平日でもありまして、さすがにこの時間帯では来訪者はおられません。駐車場には、GONsanの車がポツンと1台存在となりました。
 車から降りますと、早速、散策開始です(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(7)

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 立1号墳とお別れしますと、次は「北房ふるさとセンター」に向かいます。またバスに乗り、バスは「北房振興局」の駐車場へ。
 ここで下車し「北房ふるさとセンター」にはテクテク徒歩で(^-^)

 でも、北房振興局とは、どんな部署なんでしょうネ…

 ◆北房振興局

 本庁との連携を密にして、市民サービスの向上に努めます。北房振興局地域振興課は、真庭市役所北房振興局1階で、総務・観光に関する総務振興班、産業・建設に関する産業建設班、
住民・年金・国保・医療・環境・税務収納等に関する市民サービス窓口で業務を行っています。

 北房振興局地域振興課での主な業務内容は次のとおりです。

 《総務振興班》
 ○災害対策、消防団、交通安全、告知放送 ○市政提言、自治会、地域自主組織、コミュニティ ○観光、イベント ○公有財産 ○商工関係、雇用、結婚推進 ○生涯学習、文化振興、スポーツ振興 ○人権、男女共同参画 ○統計調査

 《産業建設班》
 ○農業振興、転作・中山間直接支払制度、農業委員会、農業共済 ○林業振興 ○簡易水道、浄化槽、農業集落排水事業 ○市道・河川等の維持管理、除雪 ○市営住宅関係 ○北房ダム ○有害鳥獣対策、畜産

 《市民サービス窓口》
 ○証明書交付、生活総合相談窓口、市税に係る諸証明・収納事務 ○国民健康保険、介護保険、各種医療制度 ○戸籍、印鑑登録、国民年金、自動車臨時運行許可、墓地等の許可 ○狂犬病予防注射、一般家庭ごみ収集、コミュニティーバス ○民生委員・児童委員、災害時要援護者、生活保護、高齢者支援

 …と、こんな業務を遂行しておられますようです(^.-)☆

 北房ふるさとセンターまでの周辺の景観は、紅葉が結構キレイでありました。途中、建物の壁面に大きく「国重の里」の記載が…「国重の里」とは何なのでしょうネ…
 WEB上で「国重の里」を検索しますと、こんな記載が…

 ◆国重の里

 --- 2015年05月23日 00時30分 ---

 さて、今年の初めごろからニュースで度々話題ですが、日本刀に興味をもつ若い女性が増えています。博物館や美術館、神社の特別公開など、例年の数倍来観と騒がれてますね。
 真庭にも、実は名刀の故郷があるんです。そう、北房地区中心部は青江から流れを組む水田派国重の里です!
 ・これは北房ICから国道313号至高梁方面100m程にある碑
 はい、曇りの日の逆光でわかりにくい写真ですね。
 こちらは北房ふるさとセンター
 入館料は200円で、開館日は水、土曜日、鍛刀工程展示や刀や槍、火縄銃も数点展示されています。国指定古墳の里でもあるので石棺や双龍環頭大刀なども展示されています。
 ・鍛冶炉
 見学の際には入り口横の鍛冶炉も見落としなく。
 国重で有名な刀と言えば、新撰組三番隊組長、斎藤一の愛刀 鬼神丸国重(摂津国の刀工)が有名ですが、彼の父大月安左衛門国光は水田国重の刀工です。

 ★備l中国水田住国重

 備l中国水田国重の祖先は、瀬戸内海の水軍を支配し蒙古襲来で元の船に切りこみ武勲をあげた川野道明 を祖先とし、伊予湯築城城主でしたが、豊臣秀吉の四国平定で城を追われ毛利家の家老安国寺恵慶の援助で刀工として備後国竹原に移り、安国寺恵慶の死後良質の鉄を求めて備l中の山中に移動したと伝えられています。
 備l中国水田派は、古青江為次の末流が荏原村や砦部郡松山などの地で再興をはかり、特に戦国時代末期(1530年)から元禄頃(1700年)に亘って60余名の同銘鍛冶を輩出し、非常に繁栄した一派です。
 この派は新刀期に入ると、大月派を代表とする大与五国重派と為家を代表とする河野派の二代派閥にわかれます。水田国重の刀は新刀期に於いては高い評価を得ていました。
 この刀は湾れ調の直刃で、地肌のよくつんだ国重の特徴をあらわしています。拵えについている家紋は渡辺星で、遠くは摂津国渡辺氏より起こった嵯峨源氏が渡辺氏を称する。
 毛利家臣の渡辺勝、豊臣氏家臣の渡辺糺等は子孫です。又、徳川譜代大名渡辺氏は渡辺綱の後裔と称し綱のひ孫の源正の流れを汲むといいます。いずれにしても武家の家宝として大切に代々受け継がれてきたものと思われます。この刀のたどってきた歴史に思いをはせるのも楽しいものです。

 …と、こんな記載が(^-^)
 ふ~ん、「国重の里」とは、名刀「水田派国重」の故郷でありますようです(^.-)☆

 そして、また暫く進んで行きますと、今度は「井弥の穴」の案内標識が…で、またまたWEB上で『井弥の穴』を検索です。

 ★井弥の穴

 備中川の右岸、諏訪の穴から約1km下流に位置する厳島神社の境内にある全長85mの鍾乳洞。入口の自然石には、室町時代末から江戸時代の頃のものと思われる「薬師如来」の文字が彫りこまれています。

 北房町の町役場のすぐ近くに小さな鍾乳洞がある。井弥(いや)の穴だ。豊永台というカルスト台地を備中川がけずった崖の下にある。
 鍾乳洞の前には籠り堂があり、お寺と鍾乳洞が一緒になっている。案内によれば、深さは85mあるとのこと。それほど深くはない。20mくらい入ったところで天井が低くなっていた。
 ほふく前進すれば楽々入れそうだったが、服が砂だらけになりそうだったのでやめておいた。
 根性無しなのだが、単独行なのでビビリに徹してどんな無理もしないつもり。でもたぶん、よほど変な支洞に這込まない限りこの鍾乳洞には危険な場所はないと思う。
 洞内に祀られている石仏。
 上のほうに向かっている支洞がある。この穴は台地の上に降った雨水が崖からしみ出してできた鍾乳洞なのだろう。
 お堂の内部には地蔵尊が祀られていた。

 …と、こんな記載。
 ここもまた機会が有りましたら、一度出掛けてみたい気持ちです。
 それでは、また、「北房ふるさとセンター」に向かって歩行続行となりました(^-^)//"

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11/17(日)は、北房路の古墳巡りでした(^.-)☆(5)

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 荒木城御崎古墳とお別れしバスの所まで戻って来ますと、次の訪問地は「立1号墳」であります(^.-)☆
 マップで確認しますと、歩けば時間を要しますのでしょうけど、比較的近くのようであります。少し走行しまして、市道脇にバスは停車。そこには「立1号墳」の案内石碑が…
 WEB上で「立1号墳」を検索しますと、こんな記載がありました。

 ◆立1号墳(たちいちごうふん)

 ・形--前方後円墳 ・所在地--真庭市上水田 ・前方後円墳竪穴式石室
 ・紹介文
 立1号墳が所在する上水田地域は、荒木城御前古墳をはじめとする首長古墳・寺院・群衙などが集中し、原始・古代の地域史を考えるうえで重要な土地柄です。平成7年に発掘調査が行われ、墳長約90mの前方後円墳で有ることが明らかになりました。葺石や埴輪は確認できませんでしたが、くびれ部の後円部より竪穴式石槨が発見されました。年代は墳形からみて5世紀代のものと思われ、吉備北部では最大級の古墳です。(案内板の内容より)

 ◆立1号墳

 ・所在地--岡山県真庭市上水田立 ・形式--前方後円墳
 ・規 模--全長:90m、後円部--直径:58m、高さ:12m、前方部--先端幅:50m、高さ:5.5m
 ・築 造--5世紀中葉

 ★立1号墳

 固有の通称はなく古墳群に通番をつけて立1号墳とされ岡山県真庭市上水田立の丘陵上にあります。
 現地へ訪れてはいませんので現在の状況などの点で資料が中心に説明を加えました。
 資料の読み方や、発行時期などからすでに破壊されている場合もありますので、もし破壊されている場合は過去にこのような古墳があったと理解してください。

 墳丘は鍵穴のような形をした日本独特な形式で前方後円墳と呼ばれています。
 墳丘の規模は、三段構築された後円部の径58m、高さ12mで、前方部の最大幅は50m、高さ5.5mを測り、墳丘全長は90mとなっています。
 基本的には土が盛られて造られたものなので、1500年あまりの年月の風雪に耐えながらも自然崩壊など発生しています。

 コンクリートなどで固められたものなら、それ相当の数値誤差も少なくなりますが、また水平面を出してから築造されたものなど皆無です。
 どこからどこまでを墳丘としたのかが明確なものはないといっても過言はありません。
 現在のような機械的測量をおこなって築造されていないわけですから、これらの規模数値もおおむねとして捉えるのが良いでしょう。
 現在でもなわ、木などの自然素材だけをつかって測量したなら、完全な水平面や長さを測ることなどほぼ不可能と思われますから、これらの規模の計測数値は必ずしも確定的なものではありません。

 埴輪の出土がなく埴輪の配列はなかったものとされています。葺石が墳丘に施されていたかは不明とされていますが、なかったものとみられます。発掘調査が1995年に行われています。
 後円部くびれ部寄りにある埋葬施設は、竪穴式石室となっています。立古墳群を構成しています。
 古代において、この美作は出雲文化圏との接点で若干異にする部分もありますが、吉備地域の一翼をにない、畿内文化圏に飲み込まれる古墳時代後期にいたるまで、畿内の文化圏に対抗しうる一大文化圏を営んでおりました。
 この古墳の築造は、古墳時代の中期にあたる5世紀中葉ごろと推定されています。
 ちなみに平成の自治体大合併で合併しており、2005年03月以前は上房郡北房町になっていました。

 …と、こんな「立1号墳」であります(^-^)//"

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