GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

旅の景観・話題

嫁さんの甥の挙式で、8/2~8/4の3日間は金沢行きのGONsanでした(^.-)☆(50)

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 それではこの辺で尾山神社とお別れです。
 長町武家屋敷跡界隈も散策してみたい気持ちでしたけど、次回の機会を見つけまして訪れてみたいと思います。
 数日後には、新婚ご夫婦から楽しそうな画像が届いておりましたネ(^-^)//"

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 ①本殿
 建造は古式に則った三間社流造で、簡素にして神厳に満ちた社殿です。本殿に向かって右側面の玉垣は珍しいレンガ造りで、剣梅鉢のご紋すかしとなっています。レンガを使用したのは、金沢ではここが最初です。

 ②拝殿
 入母屋造屋根瓦葺
 中央天井は格天井作りで各間毎に岩絵具による極彩色のうどんげの花が美しく描かれています。これは旧金谷御殿から移築したものです。欄間は約八寸厚の欅の一枚板に見事な梅花紋を透彫にし、極彩色の華麗な彫刻で、これもまた旧金谷御殿から移築したものです。

 ③神門<国指定重要文化財>
 明治8年の建築で、和漢洋の三洋式を混用した異色の門として全国に知られ、兼六園と共に金沢市のシンボルにともなっています。第一層には戸室石(角閃安山岩)を用いてあり、第三層は四面五彩のギヤマン張りで、もとは御神灯が点灯され、その放つ光は金沢の街を照らし、また遠く日本海を航行する船の目標たらしめたものです。なお第三層目に設置された避雷針は、日本最古のものです。

 ④利家公像
 織田信長公に仕え青年時代は赤母衣衆として従軍しました。槍の名手だったため、「槍の又左」の異名をもって敵軍に怖れられました。

 ⑤お松の方像
 前田利家公の正室で、学問や武芸をたしなむ才能豊かな女性であったと伝えられています。実母が利家公の母の姉で利家公とは従兄関係であり、利家亡き後は、芳春院と号しました。

 ⑥授与所
 平成27年秋に完成したばかりの新しい授与所。開放的なガラス張りのデザインで、施設内には、金沢城など市内の観光地の四季の風景を映し出すディスプレイを設置してあります。

 ⑦金谷神社
 二代藩主前田利長公をはじめ三代から十七代までの藩主、当主と正室(夫人)をお祀りしています。

 ⑧東神門
 旧金沢城の二の丸の唐門で、明治3年以来旧卯辰山招魂社前にあったものを、昭和38年に当社境内地に移築しました。金沢城は、たびたび火災にあい、そのほとんどが焼失しましたが、この門が幸い難をのがれたのは、唐門の二匹の竜が水を呼んだためと言い伝えられています。今では、桃山風御殿建築の様式を偲ぶ貴重な建造物です。

 ⑨神苑
 旧金谷御殿の庭園であって、古代舞楽の楽器を模した地泉廻遊式の名園です。神苑の水は、三代藩主利常公の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して、兼六園から暗渠で導き、響遠瀑から落としていました。現在は、当時の水路が断絶したので、井戸を堀り地下水を池に流しています。

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 またまたWEB上で「尾山神社」を検索し、どなたかの記述をパクらせて頂き、尾山神社をご案内致します(^.-)☆

 ◆北の小京都・石川県金沢市

 石川県金沢市には北陸の小京都という呼び名があります。京都と同じくらい古い町並みや文化が残っている、金沢市だからこそつけられた呼び名です。
 そんな石川県や金沢市の礎が築かれたのは、江戸時代のこと。当時の石川県は加賀藩と呼ばれ、前田家によって統治されていました。加賀前田家の初代当主が前田利家です。
 金沢市内には、前田利家および加賀藩の精神を記念するため建立された尾山神社があります。和漢折衷でありながら洋式の風格も備えた、特徴的な神社である尾山神社を紹介します。

 ★まずは前田利家について解説

 新しい物好きであった前田利家は、当時まだまだ未発展だった金沢を開発し、現在の金沢の経済や文化、教育などの基礎を固めました。
 現在最も知られているのは、利家とその妻・松の物語。2002年には2人を主役とする歴史ドラマ『利家とまつ』が放送さたほどで、2人の仲睦まじさを伝えるエピソードは、現在まで語り継がれています。ドラマは高視聴率を獲得しただけではなく、金沢の知名度も飛躍的に上げました。

 ★尾山神社の4つの見所

 ・見所1 -- 和洋折衷 尾山神社神門

 尾山神社には普通の神社と異なり、日本式と西洋のスタイルが融合した門があります。
 オランダ人によって設計された門で、レンガと木材の3層構造で建造されました。最も特徴的なのは第3層に作られた西洋のステンドグラスです。最上部には日本最古の避雷針が設置されています。
 神門が建てられた明治時代は、日本に西洋文化が流れ込んできた時代。愛媛県の道後温泉や石川県の山代温泉古総湯など、当時の建築物の多くにはステンドグラスが採用されていいます。
 尾山神社の神門は、それらの建物と比べてもさらにユニーク。健在にレンガと木材の両方を採用した、和洋折衷の不思議な建築物なのです。
 神門に施された彫刻にも注目してください。これは前田家の紋章である「梅」を表しています。夕方以降に訪れる方は、日没後のライトアップもぜひご覧になってください。優しい光がステンドグラスを通り、見る者を魅惑的に照らします。普通の神社では得られない体験です。

 ・見所2 -- 和漢の融合 尾山神社本殿

 神門を抜けると、すぐに目に飛び込んでくるのが、和漢折衷の神社本殿です。本殿の屋根には中国の伝統的な建築様式が採用されており、ひとつの建築物の中に日本と中国、2つの国の要素が混ざり合っています。
 本殿の中で祀られているのが、加賀藩の創設者である前田利家です。

 ・見所3 -- 金鯰尾兜

 神社内では至る所に前田利家を記念する彫刻や置物を目にすることが出来ます。
 要チェックなのが、こちらの金色の兜。金鯰尾と呼ばれる、昔前田利家が使っていたものと同じモデルの兜です。霊力を持つと考えられていた鯰の尾をデザインしており、金沢市の特産である金箔が施されています。
 妻・お松の彫刻も前田利家像とそう遠くない場所に置かれています。出兵する旦那を静かに見守る姿を描いているそうです。

 ・見所4 -- 東神門

 尾山神社の後方にある東神門は、もともともと金沢城に備え付けられていたものです。東神門を通れば、前田一族がかつて暮らした金沢城遺跡へ行くことが出来ます。GONsan達は、この「東神門」から尾山神社に入りました(^.-)☆
 尾山神社は、和・漢・洋の3つの様式が融合している珍しい神社。新しいもの好きの前田利家らしい神社と言えるかもしれませんね。
 金沢市にやって来たら、尾山神社にも足を伸ばしてみてください。きっと前田利家も喜んでくれるに違いありません!

 ◆母衣

 母衣(ほろ)は、日本の武士の道具の1つ。矢や石などから防御するための甲冑の補助武具で、兜や鎧の背に巾広の絹布をつけて風で膨らませるもので、後には旗指物の一種ともなった。ホロは「幌」「保侶(保呂)」「母蘆」「袰」とも書く。

 ・概説

 母衣は古くからあり、後には武士の「七つ道具」の一つとされたほど由緒ある道具である。古代の母衣は鎧の上から全身を覆う保呂衣(ほろぎぬ)という戦袍(せんぽう)であり、防寒のためだったとする説もある。それが平安時代末から鎌倉時代になると、母衣は懸保呂(かけぼろ)となった。縦に縫い合わせた長い絹布(5尺8寸、5幅ほど)を、首、冑、手の甲などに紐で結びつけて、それが風をはらんでふくらむことで、後方からの弓矢や石を防ぐ役割を果たした。また前方に対しても母衣を頭から被って矢を防いだとする説もある。日本においては古代から中世まで長らく弓を主武器とする戦闘法が用いられており、隙間の多い大鎧をまとって馬を駆る当時の武士には適していたのであろう。

 しかし(日本独自に様式化された)騎馬戦闘が廃れ、南北朝時代(室町時代)頃から集団戦に移行したことで、古式の母衣は実用性が低下し、見栄えが重視されるようになった。内部に鯨のひげや竹などで作った骨(母衣骨、母衣籠)を入れて常にふくらんだ形状を維持できるように変化して、前には「だし(山車)」というものを立て、串をもって鎧の後ろに挿して、敵味方に自分の存在を示す標識ともなる差物(さしもの)の一種となった。保呂指物(または提灯保呂)は、大きさも大型化し、10メートルを超えるような巨大な布が棚引くものもあった。戦国時代に鉄砲が伝来すると補助防具としての実用性は失われたが、大将側近の近習や使番だけが着用を許される名誉の装飾具となった。(母衣衆)

 新井白石の『本朝軍器考』では「母衣」という表記はその形状と用途から妊婦の胞衣になぞらえたものであるという説を載せているが、民俗学者南方熊楠は、中国古典より「羽衣」の字を写し間違えたという説を主張していた。

 ・歴史

 『日本三代実録』の貞観12年(870年)3月16日の条には、小野春風が甲冑の薄さを補うために大量の「保侶」を朝廷に乞うたという記事が見られ、このころから用いられていたことが確認される。この時代はまだ武士の大鎧は形成されていない。
 『中右記』には永久元年(1113年)、源重時の郎従が甲冑の上に流れ矢を防ぐための保侶という布をまとい、これを一族の風として習い、源重武の郎従達も久安3年(1147年)の合戦で身にまとい、人目を驚かせたという。12世紀中頃では、武士甲冑による集団(一門)が揃って保侶を身にまとうという行為は、まだ珍しかった。吾妻鑑第18巻には、「建仁3年(1203年)9月9日、実朝公が初めて鎧を着し給わりし時、甲冑は母廬等を着する次第故事をさづけ奉った」の記述が登場する。
 文永の役の際、紅の母衣をかけた肥後国の大将菊池二郎武房が蒙古人の首ふたつを太刀と長刀(なぎなた)の先に刺して持っていたという記録がある。武房は仲間の死体の中から起きあがってかろうじて生き延びたとあることから、かなりの混戦だったとみられるが、紅の母衣が確認できるあたり、ちぎられなかったとわかる。

 15世紀末前後成立の『鴉鷺合戦物語』の「第八 母衣次第、正素嫡子七郎折檻、鵠越後守上洛之事」の条には母衣について詳しい記述があり、それによれば本式は紅であり、赤白の色もあり、これは陰陽の2色であるとし、白は老武者がかけるものと説明している。大きさについては「五幅五尺」、すなわち5尺の長さで約36cm幅の布を5枚縫合わせたもので「五大五仏」を表し、他に「八幅八尺」や「十幅一丈」(一丈は10尺)のものもあると記し、縫う糸についても口伝ありとする。その色から大きさ、製作まで信仰と密接に繋がっていたことがわかる。また陣中でかける母衣、合戦時にかける母衣、勝戦(かちいくさ)にかける母衣、歩立(かちだち)のかける母衣、討死が確定した状況でかける母衣と、状況によって使用する母衣は異なるとしている。『鴉鷺物語』が記述された15世紀時点では、紅・赤・白以外の色の記述は見られない。

 上泉信綱伝の『訓閲集』(大江氏の兵法書を改良したもの)の巻十「実検」には、母衣をかけた武者の首は獄門にかけてはならず、仏法で母衣武者の首を何の配慮もなしに獄門にすれば、その首は成仏できないとの理由から扱いに気をつけるようにといった内容の記述があり、あえて討死にする際は母衣をつけたともあり、母衣で首を包むのが決まりとなっていた。つまり母衣を身に付けているのといないのでは、首の扱いに待遇差があった。

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 兼六園の金沢城公園方向への出口付近に存在します、この防犯カメラ…色んな角度から狙っておりますから、別に悪い事をしていなくても、つぃ身構えてしまいますネ(^-^)
 でも、園内の防犯カメラは、ここしか無かったような…GONsanが気が付きませんだけで、色んな場所に監視カメラの設置がありましたのかも…
 兼六園を出ますと、金沢城公園にと向かいます。
 こちらも既に昼間・夜間共に訪れていますので軽くスルーのGONsanでありました。

 そして、玉泉院丸庭園にと下りて来まして庭園内を一廻りし、次に向かいましたのが尾山神社であります(^.-)☆
 東神門(裏門)側から尾山神社境内へ。
 ほどなく「井村徳二顕彰碑」が眼に入りましたけど、う~ん、「井村徳二」sanとは何者なのでしょう?早速、WEB上で検索です(^.-)☆

 ◆井村徳二

 井村徳二(いむら とくじ、1899年(明治32年)11月18日-1958年(昭和33年)10月27日)は、石川県出身の実業家、政治家。
 創業者の井村徳三郎の後、宮一大丸の社長に就任し、合併に伴い大和の初代社長に就任。
 衆議院議員(1期)。参議院議員(1期)。
 父は井村徳三郎(大和の前身である宮市百貨店創業者)。息子は井村寿二(勁草書房創業者、元大和会長)、宮太郎(元大和社長)。
 1953年(昭和28年)4月24日の第3回参議院議員通常選挙では林屋亀次郎が国務大臣として行った地元石川県の内灘試射場の用地接収(内灘闘争)を批判して組合を味方につけ、現職の国務大臣を破る大番狂わせを演じた。
 当時林屋が旧丸越本店の場所で後に丸越となる百貨店を武蔵として経営し、井村が大和を経営していたため、このときの争いは「武蔵」と「大和」の内灘沖会戦と呼ばれたが、対立候補の林屋は1943年(昭和18年)12月21日に林屋が経営していた丸越との合併で大和となった際に林屋が初代会長で井村が初代社長を務めた関係でもあった。また、北陸鉄道の代表取締役社長を1949年から1954年まで歴任した。

 …と、こんな地元の名士でありました(^_^)v

 ◆尾山神社

 尾山神社(おやまじんじゃ)は、石川県金沢市尾山町に所在する神社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
 主祭神は、加賀藩の藩祖前田利家で、創建は1873年。旧社格は、別格官幣社。境内摂社に歴代藩主を祀った金谷神社がある。神門は津田吉之助によって建てられたもので、重要文化財に指定されている。例祭は利家の命日である4月27日。

 ・歴史

 慶長4年(1599年)に前田利家が没すると、前田利長はその霊を祀ろうとしたが、公然と祀るには憚るところがあったので、越中国射水郡の式内社物部神社(現 富山県高岡市東海老坂)に併祀されていた八幡神を勧請して金沢城の東に卯辰八幡社を建て、ここに合祀した。この神社は、幕末になると藩の財政が乏しくなり荒廃が目立つようになった。明治時代になって、1872年(明治5年)に教部省出仕加藤里路(元金沢藩の権大属・宣教掛で、のちに尾山神社の社司)と石川県参事桐山純孝が新たに藩祖を祀る神社を建てる計画をする。旧藩臣が集まり、前田土佐守家の前田直信が代表になり、1873年(明治6年)金沢城の金谷出丸の跡地に新たに建立することとなった。元の卯辰八幡社は明治11年(1878年)、宇多須神社となっている。

 1873年(明治6年)3月に政府より神社創立許可が出て、同月14日に創建し、社号を尾山神社とした。同月30日に、1871年(明治4年)7月、卯辰山三社の一つである卯辰山天神社(卯辰神社、卯辰山天満宮)に一時的に遷座していた神像を尾山神社に遷座した。11月16日にはときの県令内田政風を始めとする官吏が参列して、卯辰山八幡宮より神霊遷座が行われた。当初、社格は郷社に列格され、翌年に県社に昇格する。

 1873年(明治6年)11月には前田家当主前田斉泰の子の少教正・大聖寺藩知事前田利鬯(としか)が説教を行っている。次々と境内施設が整えられていくなか、1875年(明治8年)11月に特徴的な神門が造立されることとなる。この神門は長谷川準也・大塚志良により計画され、長谷川家出入りの大工・津田吉之助(1827年-1890年)によって建てられた。1879年(明治12年)7月には前田利長・前田利常が相殿に祀られる。同年9月には歴代藩主を祀る境内摂社として金谷神社が創建される。
 1874年(明治7年)3月に石川県中教院が設置された。同年5月1日には中教院神殿の祭神4柱(造化三神・天照大神)の鎮座式が前田利鬯を祭主として県令・県下神職僧侶参列の上で行われた。
 1902年(明治35年)4月26日、長年の昇格請願運動が実り、米沢の上杉神社と同時に別格官幣社に昇格している。7月3日から5日には昇格慶賀祭が行なわれた。

 本殿と拝殿は1873年(明治6年)に建てたものである。

 ・祭神

 尾山神社、相殿にそれぞれ次の神が祀られている。
 尾山神社:贈従一位権大納言菅原朝臣利家(前田利家)
 相殿:贈正二位権大納言菅原朝臣利長(前田利長)、権中納言従三位菅原朝臣利常(前田利常)

 ・祭礼

 1891年(明治24年)は前田利家による金沢城修築(1592年(天正20年))より300年目であったため、初代金沢市長稲垣義方らが金沢城修築三百年祭を行なうことを提案し、同年10月11日-15日に行なわれた。11日の祭典には、前田利嗣夫妻も出席して執り行われた。
 祭典費として利嗣は1,000円を寄付している。また天皇は幣帛料20円を下賜している。13日には初めての神輿渡御がかつての前田家行軍式(備押)を模して行なわれた。
 1899年(明治32年)は、前田利家の死後300年にあたり、前田家の旧家老八家であった本多政以・横山隆平・長克連らの計画で、前田利家三百年祭(封国祭)が行なわれた。期間は4月27日から5月3日の7日間であった。29日に前田利嗣を祭主に、前田利同を副祭主にして祭祀が執り行われた。石川県知事・志波三九郎が奉幣使として参列した。神輿渡御が1日2日に行われたが、大盛況だったという。

 現在毎年6月中旬に行なわれている百万石まつりは1923年(大正12年)より封国祭にあわせて金沢市祭として行なわれるようになった奉祝行事に起源するものである。終戦により、尾山神社奉賛会が主催となり市祭としては行なわれなくなったが、1952年(昭和27年)より金沢市と金沢商工会議所が中心となって行なわれている。

 ◆東神門

 もともとは、金沢城二の丸御殿で利用されていた。二の丸御殿はたびたび火事にあっているが、その際この門は一度も燃えなかった。その理由としては、立派な龍の彫刻が施されており、この龍が水を吹いて火災を免れたという伝説がある(作者名は不明)。
 その後、金沢城は廃城となり、金沢城跡が陸軍の拠点となると、訓練などに支障が出るとして卯辰山の寺院に移動された(なお、この後にも陸軍が二の丸御殿で火事を起こしている)。卯辰山の寺院がなくなると、尾山神社に移され、現在は裏門として利用されている。

 そして、眼に入りましたのが、何となく奇抜な「母子順風之像」でありました。
 これも、WEB上で検索してみますと、こんな記載が…ですが、詳しい記載は見当たりませんでしたネ。

 ・神社の境内にあるのがなんとも言えない母子順風之像。母子順風之像~参拝者の度肝を抜かすアクロバティック母子~
 ・「報恩感謝」の崇高な理念が込められているという銅像。

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 暫し石川四高記念文化交流館のライトアップを楽しみまして、そろそろ戻りませんと(^-^)
 アパホテルのあります片町に戻って来まして時間を確認しますと、う~ん、もぅこんな時間。P.M.8:55でありました(^.-)☆
 別にお腹も空いていませんけど、何か食べようか…と言う事になりまして…ですが、この片町にはファミレスなんぞありませんから、ブラブラ歩いて近くの居酒屋へ。
 披露宴後の二次会も終わりましたのでしょうか…暫くしまして、新婚ご夫婦も合流です。
 こぅいぅメンバーが揃いますのは、何年振りなんでしょう…ここ近年は福井に出掛けていませんから、久し振りのような感じも…

 GONsanは、挙式前日に金沢観光は終えていますけど、姪は挙式当日に金沢にヤッて来ましたので、翌日は、弟夫婦・姪・私達夫婦の5人で、またまた兼六園へ(^-^)
 まぁGONsan夫婦は年齢的に入園料は無料ですから、何度出掛けても構わないのですけどネ(^-^)//"

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 挙式・披露宴も無事終わりましたので、少しユックリ過ごしましてからの夕方、嫁さんの弟夫婦・姪で、ライトアップされています金沢城公園に散策となりました。
 金沢城公園下のバス停付近で、嫁さんの従兄ご夫婦・甥夫婦と合流です(^.-)☆
 散策コースは、金沢城公園--玉泉院丸庭園--石川四高記念文化交流館でありました。まぁそれなりに楽しめますライトアップでありました(^-^)//"

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 翌・8/3(土)の挙式日は、式場が宿泊ホテルの対面ですから、ノンビリと歩いて出掛ける事となりました。
 着付けがありますから、嫁さんの方はとっくに式場行きですけど、GONsanの方は1時間前の12:40頃に式場入り。それでもタップリと時間が有りますので、カメラ片手にブラブラと過ごします事に…
 挙式・披露宴の画像は結構な枚数で撮らせて頂きましたが、この日の様子は説明文無しで、画像のみでご案内する事に致します(^-^)//"

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 外国人観光客の皆様がノンビリと過ごしておられますので、GONsanもユッタリと園内を散策しておりましたが、閉園のアナウンスが…
 時間を確認しますと、P.M.6:05でありました。そぅでしたネ、閉園はP.M.6:00ですけど、とっくに時間は過ぎ去っておりました。
 まだ凡てを見終えてはおりませんけど、遅い時間帯からの入園ですから、少し時間が足りませんでした。
 この兼六園の入園出入り口は、何ヶ所かありますのでしょうけど、閉園の準備をしておられます担当の方が、GONsan達を「こちらにお進み下さい」と誘導です。
 支持されました方向に進みますと、うん、うん、金沢城公園側の出入り口でした。
 閉園時間到来ですから仕方ありませんけど、もぅ1時間ばかりユックリと散策が出来たら…と、チョッピリ残念な気持ちも生じてしまいましたネ(^-^)

 兼六園を後にしましての帰路には、「石浦神社」に参拝です(^.-)☆

 ◆石浦神社

 石浦神社(いしうらじんじゃ)は、石川県金沢市本多町に鎮座する神社である。旧社格は県社。『延喜式神名帳』加賀国加賀郡の小社「三輪神社」に比定される式内社論社で、金沢市最古の神社であるともされる。

 ・祭神 -- 大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神(別名、白山比咩大神)、天照皇大御神、天児屋根大神(別名、春日大神)、市杵島姫大神、誉田別大神(別名、八幡大神)

 ・由緒

 越前国加賀郡に住む三輪の氏子が奈良時代に居住地に社祠を建て、大和国大神神社の神霊である大物主大神を勧請し「三輪神社」と号したのが起源であるとか、聖武天皇の天平11年(739年)5月に勅を以て創建したとか、花山天皇の勅を以て創建した、或いは養老年中(717–723年)に松浦氏の女性が大和国の長谷観音を勧請して創建した加賀石浦の長谷観音堂が前身であるなどと伝承されている。
 このように諸説があるが、古来より加賀郡石浦郷七ヶ村の総社として崇敬を集め、延喜の制で加賀郡13座中の「三輪神社」に列した式内社であるとされる。

 やがて本地垂迹説による神仏習合の思想が起こるに及んで、当社に勧請した大物主大神が近江国日吉神社の神と同体であるので、当社を「石浦山王」、或いは「地主権現」と称した。また、大神神社の神宮寺である大御輪寺の本尊が十一面観音である関係から、本社の本地仏も十一面観音とし、「大和国長谷観音」と号し、寛永年間(1625–1643)末には、「長谷山慈光院」と改め、別当社僧が奉仕していた。創建当初(奈良時代)の社地は、下石浦村(今の長町3番丁辺り)の地で、江戸時代の藩士(浅香氏・由比氏)の邸地の一区域とも、西外惣構堀藪ノ内の藩士高畠石見守の旧邸があったとも伝えられ、室町時代にはここに大きな社殿があった。
 天正8年(1580年)、佐久間盛政が加賀一向一揆の拠点である金沢御坊を攻略した時、兵火に遭いことごとく焼失した。その時、神体と仏像を合祀していたが、本地仏十一面観音は小立野の山崎村の愛宕社に安置し、その後、卯辰山の観音院に移した。
 慶長6年(1601年)、加賀藩2代藩主前田利長から本多町に社地600余歩を賜り、翌年3月29日、一向一揆の首領であった山本若狭守家芸が拠点としていたといわれる上石浦村(現在の下本多町3番丁)の旧石浦砦跡地に社殿を再興し、ようやく石浦村に帰座した。
 元和元年(1615年)、この地が藩老本多安房守政重の下屋敷となった際に邸地内に編入された。
 寛保3年(1743年)12月には、社地170歩が加増され、770余歩となった。

 『国事雑抄』所収の寛延2年(1709年)2月、慈光院より宝幢寺[要曖昧さ回避]宛の文書には、「当社者山王権現惣本地薬師如来・客人大明神(菊理媛神)本地十一面観音・市姫宮(市杵島姫神)本地如意輪観音、右之三尊者往古天平年中より安置仕候」とある[要出典]。氏子地域は、石浦郷七ヶ村(石浦村、笠舞村、保島村、朱免野村、木新保村、今市村、山崎村)で、現在の武蔵ヶ辻付近から犀川の左岸に至る広大な地域であった。
 このように、当社は金沢城地の産土の神として、また城の鎮守神として歴代の加賀藩主の崇敬も厚く、2代藩主利長は社殿を再建、5代藩主綱紀の時は妻女の出産に際し安産を祈願し、以来安産の神としても人々から厚く信仰されている。
 藩老五万石の本多氏も、当社が元は下屋敷地内にあったために祈祷所となし、初代政重が寛永18年(1641年)3月に200両を当社に寄進したのをはじめ、2代政長・6代政行・8代政礼らが社殿の再建・造営を行うなど、同家から格別の崇敬・報賽を受けている。
 元来、当社は三輪神社として大神神社の主祭神、大物主大神を奉斎してきたが、本地仏である十一面観音に圧倒され慈光院(俗称ジクイン)の俗称により世人からは寺院として知られ、三輪神社の社号を潜称して、式内社にしようとする神社も出現した。しかし、当社が延喜式内社三輪神社であることは、承応2年(1653年)6月26日書写の『加賀国式内等旧社記』に「三輪神社、式内一座石浦郷石浦村鎮座称石浦山王石浦郷七箇村惣社今属石川郡也」と記されていることからも明らかであるとされる。

 旧藩時代、石浦山王・地主権現・慈光院などと呼称され、親しまれて来た当社も、明治維新の神仏分離令により、明治元年(1868年)12月、氏子地の石浦の郷名をとって「石浦神社」と改称し、同13年9月、下本多町から広坂通り112番地の現住所に移転した。
 石浦の名は、犀川・浅野川を支配していた、石浦豪族(他の豪族にだましうちに遭い、全国に移り住んだ。地名・苗字に名を残した。高山の石浦町のように[要出典])金沢は旧石浦郷である。

 …と、こんな石浦神社のようであります。
 ここでも外国人観光客の皆様が眼に付きましたネ(^-^)//"

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 ・霞ヶ池(かすみがいけ)
 兼六園の中心部にある、約5,800平方メートルの池。眺める位置によって異なった様相を見ることができ、園内では一番大きい池で、池の中には蓬莱島という亀の形をした島が浮かんでいます。
 カモやサギが羽を休め、鯉などの魚が泳ぐ姿は優雅で、見る人の心を和ませます。見どころがこの池の周辺に配されているので、散策の際はこの池を中心に回るとよいでしょう。

 ・鶺鴒島(せきれいじま)
 別名「夫婦島」とも言われる。陰陽石(誕生)・相生の松(結婚)・石塔(死)が島の中にあり、人生の三儀式を表しています。背後の石碑には「和合長寿」を詠った和歌が彫られており、是非カップルで訪れていただきたい場所です。

 ・根上りの松(ねあがりのまつ)
 40本以上の根が土から盛り上がったように見える松で、13代藩主斉泰が植えたと言われています。
 松の根は地表近くに成長するという性質を用いて、盛り土をしてその上に松を植え、 後で土を取り除いて根上にしたと言われています。約2メートルも地上部分にせり出した松の根の壮観な立ち姿が有名です。

 鶺鴒島の近くでは、どなたか帽子の忘れ物が…汗を拭いながら、そのままお忘れになられましたのかも…

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 ・山崎山(やまざきやま)
 小立野口付近にある築山。この山崎山はカエデ、トチノキなど落葉広葉樹林が多く植えられており、秋になると赤や黄に美しく色づくので「紅葉山」とも呼ばれます。山腹には白川御影石でつくられた五重の塔(御室の塔)があり、また、山麓の岩間から流れ出る水は、約570mの曲水となって霞ヶ池に注いでいます。「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」という松尾芭蕉の句がふもとの句碑に刻まれています。

 ・龍石(りゅうせき)
 形が龍に似た石で、兼六園三名石の1つ(他に虎石・獅子巌)。後ろには「龍石の椿」と呼ばれる椿があり、愛好家の間では有名です。

 ・山崎山にある石造りの五重塔
 石造りの五重塔ですが、塔というよりは灯篭といったほうがしっくりくるような気がしました。山を登って裏側から見ると穴が三日月のような形をしています。反対側は丸なので、満月?でしょうか?御室、すなわち仁和寺のあの五重塔を模しているそうで、都への憧憬を読み取れます。

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