GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

旅の景観・話題

10/8(日)は、ノンビリと備北丘陵公園を散策でした(^.-)☆(7)

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10/8(日)は、ノンビリと備北丘陵公園を散策でした(^.-)☆(6)

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(39)

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 うん、うん、この三毛猫が駅長見習いの「よんたま」なんですねぇ~
 気持ちよく眠っているのかと思いましたら、シッカリ眼を開けておりました(^.-)☆「またカメラを手にした観光客の人達が…」とでも思っていますのかも(^-^)

 とにかく、この伊太祈曽駅までの観光を終え、今回の研修旅行行程は凡て無事に終了です。
 後はひたすら福山にと帰るのみ。
 一泊二日のバス旅行ではありましたけど、それなりに楽しい旅でありました。GONsanにとりましては(^-^)//"

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(38)

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 話しのネタにGONsan達が乗車しましたのは、和歌山電鐵貴志川線貴志駅~伊太祈曽駅の区間でありました(^.-)☆
 乗車の電車は、『いちご電車』でありました。

 ◆伊太祈曽駅

 伊太祈曽駅(いだきそえき)は、和歌山県和歌山市伊太祈曽にある和歌山電鐵貴志川線の駅。駅番号は09。
 2006年(平成18年)4月1日に当駅が南海電鉄から和歌山電鐵に譲渡されたが、その際に伊太祁曽駅から現駅名に改称された。和歌山電鐵は、駅名標やパンフレット等の表記について、折を見て修正していく方針としており、駅名標、案内サイン等は旧駅名がそのまま存在している。
 当駅進入前と発車直後、車内では「鞠と殿様」をアレンジしたチャイムを鳴らす。

 ★歴史

 1916年(大正5年)2月15日 -- 山東駅(初代)として開業。
 1929年(昭和4年)11月 -- 社名変更により山東鉄道の駅となる。
 1931年(昭和6年)4月28日 -- 社名変更により和歌山鉄道の駅となる。
 1933年(昭和8年)8月18日 -- 貴志駅までの延伸により中間駅となる。同時に伊太祁曽駅に改称。
 1957年(昭和32年)11月1日 -- 和歌山電気軌道との合併により同社鉄道線の駅となる。
 1961年(昭和36年)11月1日 -- 南海電気鉄道との合併により同社貴志川線の駅となる。
 2006年(平成18年)4月1日 -- 和歌山電鐵への継承により同社貴志川線の駅となる。同時に伊太祈曽駅に改称。
 2012年(平成24年)1月5日 -- 三毛猫「ニタマ」が駅長に就任。
 2017年(平成29年)1月5日 -- 三毛猫「よんたま」が駅長見習いに就任。

 ★駅構造

 島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。
 2000年(平成12年)10月からの日前宮駅、岡崎前駅の無人駅化、和歌山電鐵転換時からの貴志駅の無人駅化に伴い、和歌山駅を除いて貴志川線内では唯一の有人駅となった。ただし運賃等の支払いは電車内で行う形になっており、駅窓口ではもっぱら一日乗車券や和歌山電鐵グッズなどの販売を行っている。日中の列車の一部がこの駅で折り返しとなる。ここから先、貴志方面には、行き違いのできる設備が無いため、当駅で必ず上下列車の交換が行われる。
 構内には車両基地があり、貴志川線で使用される全車両が配置されている。昼間時間帯では、通常は全6編成のうち半数の3編成のみが使用され、余った車両はここに留置される。和歌山電鐵の本社も本駅構内にあり、貴志川線の中枢となる駅である。

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 「ニタマ」たま二世駅長sanは、出社しておられましたけど、気持ちよさそうに眠っておられました(^.-)☆

 ◆たま(猫の駅長)

 --- Wikipedia フリー百科事典 ---

 たま(1999年(平成11年)4月29日-- 2015年(平成27年)6月22日)は、和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を務めた雌の三毛猫。同駅名誉永久駅長。
 2007年1月5日に和歌山電鐵から正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。その主な業務は「客招き」である。任期はなく終身雇用であり、報酬は年俸としてのキャットフード1年分であった。
 乗客数の増加・観光へのアピールへの功績から、同社からは「スーパー駅長」(後に「ウルトラ駅長」に昇進)・「和歌山電鐵社長代理」の肩書きを、和歌山県からは「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」「和歌山県観光招き大明神」などの称号を与えられている。たまの登場が火付け役となり、空前の猫ブームが招来され、ネコ専門のSNSサイトが開設されたり、2012年から2016年の4年間で飼い猫の頭数が30万匹増え987万匹となり、近いうちに飼い犬の頭数を抜くだろうと予測されるなど社会現象ともなり「ネコノミクス」なる新造語も生まれた。
 たまは同駅の売店である小山商店(こやましょうてん)の飼い猫である。同居する雌猫のちび(2000年(平成12年)5月12日--)と、たまの母親であるミーコ(1998年(平成10年)10月3日-- 2009年(平成21年)7月20日)も助役に就任した。このうちミーコは死んだ後の7月26日に「永久助役」とされた。

 ★生い立ち

 たまの母猫であるミーコは元々、南海電気鉄道時代の貴志駅舎南側にあった倉庫内の作業員詰め所で飼われていた。一駅隣の甘露寺前駅で生まれたという。やがてミーコは貴志駅で4匹の子猫を出産し、そのうちの1匹が三毛であった。兄弟達のうち1匹は死んでしまい、他の2匹は新しい飼い主に貰われていったが、一番性格のおっとりしたおとなしい三毛の子は「たま」と名付けられて、ミーコと一緒に小山商店で飼われるようになった。ちびは生後間もない頃に駅前に捨てられていたのを拾われ、たまが母親代わりとなって育てていた。
 たま達は売店と倉庫の間に作られた猫小屋で飼われるようになり、昼間は売店の前で過ごすようになった。近所の人たちや駅の利用客にかわいがられるいわば「駅のアイドル」であった。また、たまは「必要以上に耳を掻く仕草をすると、次の日の降水確率は90%以上」という天気予報の特技があり、三毛猫が船を護るという言い伝えもあってある漁師から譲ってもらえないかと相談されたこともあったという。

 ★駅長就任の経緯

 2003年、貴志川線を運営していた南海電鉄が赤字解消が困難なことを理由に路線廃止を表明したが、岡山県を中心に公共交通事業を行っている両備グループが経営を引き継ぐこととなり、同グループの岡山電気軌道の子会社として「和歌山電鐵」が設立された。
 この経営移管に際して、路線や駅の敷地は南海の社有地から貴志川町(現在の紀の川市)の公有地となり、倉庫は取り壊して駐輪場に、倉庫と駅舎の間はホームへの公道として整備されることになったため、そこに置かれていたたま達の猫小屋は立ち退きを迫られることとなった。困った飼い主が2006年4月1日に和歌山電鐵の開業記念式典を終えた後の小嶋光信社長(両備グループ代表と兼務)に「猫たちを駅の中に住まわせてもらえないか」と相談した。小嶋自身は自宅では長い間紀州犬を飼っていたこともあって猫よりもむしろ犬好きであったが、このとき「たまちゃんと目があった瞬間、ピカッとたまちゃんの駅長姿が頭にひらめきました」とたまにほれ込んだ小嶋の発案によって、「招き猫」になって欲しいとの願いを込めて、それ以前から駅の利用者に親しまれていたたま達を駅長などに任命することになった。これは和歌山電鐵移管後に合理化のために貴志駅を無人駅化したことも背景にある。猫に駅長を嘱託した例は日本の民営鉄道では初である。
 さらに2014年1月5日には、たまは「ウルトラ駅長」に昇進、全ての駅長を統括する職となった。

 ★駅長勤務

 駅長・助役への任命に際しては3匹それぞれに正式な委嘱状が交付され、たまには特製の駅長帽と金色の名札も支給されている。帽子は(人間の)社員が使っている物を小ぶりにしたもので、社内では唯一帽子に金色の線が入っている。小さ過ぎて作るのが難しく、完成までに半年余り掛かったという。2008年7月には夏用の制帽も支給されている。金色の名札は2007年10月10日に何者かに持ち去られたのか紛失してしまったが、このことを知った動物カメラマンから新たに手製の名札が贈られ、金色の名札が再支給されるまでの間代わりに身に付けていた。
 たま駅長たちの勤務日は月曜から土曜日で祝日も勤務しており、基本的に昼間の勤務となる(時間は季節によって変化有り)。また、2270系「おもちゃ電車」のテープカットや利用促進のための「貴志川線祭り」などのイベントで伊太祈曽駅等に出張したこともある。
 たまは大人しく、駅長就任から1年ほど経つ頃には堂々と風格が出てきたとも評されている。ミーコは人懐こい性格で、生前はしばしば娘のたまに代わって乗降客に愛嬌を振りまいていた。ちびは人見知りする性格で猫小屋にこもっていることが多い。2007年5月11日にはちびが専用ケージから脱走して行方不明となる事件も起こったが、5月16日5時頃駅に戻って来た所を乗客が発見し、保護された。
 2009年7月20日、ミーコ助役は体調を崩して死に、初七日が明けた7月26日に「永久助役」となった。四十九日が明けた同年9月6日に両備グループのホームページにて公表された。

 ★死去とその後

 2015年5月19日から鼻炎のため入院していたが、復帰することなく同年6月22日に急性心不全のために死んだ。
 同月28日に和歌山電鐵主催の神道形式による社葬が貴志駅構内で営まれ、社長の小嶋光信が弔辞を捧げ、たまに「名誉永久駅長」の称号を追贈した。
 「たま」の死後、和歌山電鐵は貴志駅に鎮座する神社の一つについて「たま神社」と命名し、2015年8月11日に社長の小嶋、仁坂吉伸(和歌山県知事)らが参列してたま神社の宮開き神事を執り行うと共に、神社に「たま」の銅像2体を設置した。
 また、これと前後する格好で、同年7月22日から8月13日まで、岡山電気軌道の東山線全線に於いて「たま」を追悼する特別仕立ての電車を運行させた。この電車は「たま電車」車両(後記参照)を使い、車内の広告掲出箇所(窓上と中吊り部)に在りし日の「たま」をとらえた写真28枚を掲出したものとなっていて、運行初日(7月22日)には岡山市中区に所在する車庫内でセレモニーを挙行、招待された地元保育園児達が早速乗り込んで歓声を上げていた。
 死後「たま」はTwitter公式アカウントで「天国行きの列車に乗り込んだ」とツイートしたが、その後「天国に到着したと小嶋社長に連絡を入れたら、“ たまは神(道形)式で葬式をしたから天国には行かないよ”という返事があり、天国の門番さんにも確認したら其の通りだった」とツイート。そのあと再び貴志駅へ戻り、現在は上記の「たま神社」に祀られた神様(兼・名誉永久駅長/県観光招き大明神)として、末永く駅の利用者を見守り続ける事となった。

 「たま」の死は、生前と同様、海外メディアに於いても相次いで報じられた。死後2日経った6月24日に新華社通信や聯合ニュースなどの中国・韓国系メディアが伝えたことを皮切りに、翌25日にはイギリスBBCやアメリカCNNなどのテレビ局やAFPやAP通信などの通信社、デイリー・メールやウォール・ストリート・ジャーナル、リベラシオン、ツァイト等の有力紙に於いても報じられた。さらにはガーディアンやニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどの主要メディアが6月28日に営まれた「たま」の葬儀の模様も交えつつ報じた。
 死後7ヶ月余り経過した2016年2月2日、和歌山県は、生前の「たま」が残した功績を同県として永く称えるべく、急遽創設した「和歌山殿堂」の第1号として殿堂入りさせることを決めた。これを受け、和歌山県立図書館2階に入っている文化情報センターに「たま」を象った青銅製レリーフ(縦45cm×横35cm)が、生前の功績を掲載したパネルや年表と共に設置されることになっている。
 これに先立ち、同年2月16日の午前中にそのレリーフの除幕式を挙行、同式に於いて和歌山電鐵社長・小嶋に対するレリーフのレプリカ贈呈も行われることになっている。
 たまの生誕18周年となる2017年4月29日には、日本および世界の11の国・地域のGoogle Doodleが、たま駅長仕様になった。

 ★駅長代行「ニタマ」の「たまII世駅長」襲名

 2012年1月5日、駅長就任5周年記念式典において、新たに三毛猫「ニタマ」に対して「貴志駅長代行兼伊太祈曽駅長」に任命する辞令が交付された。ニタマは仔猫だった前年春頃に、両備グループの地元である岡山市内の国道沿いで交通事故に遭いそうになっていたところを保護され、三毛猫という縁から和歌山電鐵の親会社である岡山電気軌道に譲られ、そこで人好きな性格をかわれて駅長見習いに抜擢された。ニタマという名前は「たまに似た二番目の駅長猫」という意味が込められている。土曜日、日曜日、祝日などたまが貴志駅を休む時には「貴志駅長代理」を務めることになる。同年2月18日には伊太祈曽駅にも猫用駅長室が作られて平日(水、木は除く)はそこで勤務する。
 なお、たまの「ウルトラ駅長」昇進に伴い、ニタマが「スーパー駅長」の地位を引き継いで昇進している。
 2015年8月10日のたまの50日祭を機に、翌8月11日には「たまII世駅長」を襲名し、ニタマは通称となることが発表された。

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 もっと時間がありましたら、ユックリと散策を楽しめましたのですけど、時間的制約から駆け足で(^-^;

 ◆和歌山城西之丸庭園

 和歌山城西之丸庭園(わかやまじょうにしのまるていえん)は和歌山県和歌山市の国の史跡和歌山城内にある日本庭園。通称は紅葉渓庭園(もみじだにていえん)で、その名の通り庭園内には紅葉が繁茂する。国の名勝に指定されている。

 ★概要

 江戸時代初期に、紀州藩初代藩主徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に築いた池泉回遊式庭園である。虎伏山麓の斜面という立地を生かして湧水を利用した2段の池と瀧を設け、さらに内堀の一部をもう一つの池として庭園に取り込むことで広がりをもたせており、内堀の畔に池亭「鳶魚閣」を配することにより連続性を確かにしている。
 江戸時代初期築造の大名庭園において日本屈指の名園と評されていたが、明治維新後は長らく荒廃していた。しかし城郭内に現存する庭園の遺存例は極めて少なくその希少性もあって文化庁主導の下1970年代より大掛かりな発掘調査と復元整備が開始され、1985年11月27日国の名勝指定を経て、2006年4月に御橋廊下が復元されている。

 ・施設

 鳶魚閣(えんぎょかく)
 紅葉渓橋
 紅松庵(こうしょうあん) -- 1970年の発掘調査で確認された茶室の遺構に建てられた数奇屋造の茶室。1973年に和歌山市出身で名誉市民の松下幸之助が寄贈したもの。
 御橋廊下 -- 二の丸と西の丸を結んで斜めに架かる廊下橋。2006年4月に復元された。

 ・利用情報

 開園時間 -- 9:00-16:30(紅松庵は16:00まで)
 休園日 -- 12月29日-12月31日(紅松庵は翌年1月3日まで)
 入園無料
 紅葉の見頃 -- 11月下旬-12月上旬
 所在地 -- 〒640-8146 和歌山県和歌山市一番丁

 和歌山城とお別れしますと、次は『たま駅長』で有名な『貴志駅』に向かう事となりました。

 ◆貴志駅

 貴志駅(きしえき)は和歌山県紀の川市貴志川町神戸(こうど)にある和歌山電鐵貴志川線の駅。駅番号は14。
 当駅の売店の飼い猫「たま」が同社より正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。

 ★歴史

 南海電気鉄道時代は有人駅で、駅の隣側に倉庫が建てられていた。貴志川線の和歌山電鐵への移管に伴い2006年4月1日から無人駅とされた。この際に駅と倉庫の間に置かれていた猫小屋が、土地が紀の川市の公有地となったため撤去を求められ、「猫たちを駅の中に住まわせてもらえないか」とたま達の飼い主から相談を受けた和歌山電鐵社長の小嶋光信が「たまを駅長に就任させる」というアイデアを打ち出した。
 たまの駅長就任以後、改札口では、平日昼間にはたま駅長が改札台の上に乗って乗降客を出迎えていることがあった。2008年1月5日にたまが客招きの功績から「スーパー駅長」に任命されたのを機に、同年4月20日に出札窓口の跡を利用して、水戸岡鋭治デザインの猫用「駅長室」が設置された。

 ★年表

 1933年(昭和 8年) 8月18日 -- 伊太祁曽駅(現在の伊太祈曽駅)--当駅間の延伸に際し、和歌山鉄道の駅として開業。
 1957年(昭和32年)11月 1日 -- 和歌山電気軌道との合併により同社鉄道線の駅となる。
 1961年(昭和36年)11月 1日 -- 南海電気鉄道との合併により同社貴志川線の駅となる。
 2006年(平成18年) 4月 1日 -- 和歌山電鐵への継承により同社貴志川線の駅となる。同時に無人化。出札窓口は閉鎖され、待合室に設置されていた自動券売機も撤去された。
 2007年(平成19年) 1月 5日 -- 駅の売店「小山商店」の飼い猫「たま」が駅長に就任。同居する「ちび」「ミーコ」も助役に就任。
 2008年(平成20年) 4月20日 -- 出札窓口跡を改装して、たま用駅長室を設置。
 2010年(平成22年) 2月   -- 開業以来の初代駅舎を解体し、新駅舎建設開始。
                   8月 4日 -- 新駅舎「たまステーション貴志駅」竣工、使用開始。
 2012年(平成24年) 1月 5日 -- 三毛猫「ニタマ」が駅長代理に就任。
 2015年(平成27年) 6月22日 -- たま駅長が死去。同月28日に駅構内にて葬儀(神葬祭・和歌山電鐵社葬)。
          8月11日 -- ニタマ駅長代理が駅長に昇格、「たま2世」を襲名。

 ★駅構造

 貴志川線の終着駅。単式ホーム1面1線と1線の保線用留置線を持つ地上駅である。線路は駅を過ぎても続いており、踏切を越えた先に2両分の引上線がある(保線用留置線も同じ位置まで伸びている。下の「改修後のホーム」画像参照)。夜間滞泊設定駅である。
 駅舎は長らく開業以来の木造駅舎であったが、老朽化のため観光拠点としてふさわしいよう2010年に建て替えられた。2270系「いちご電車・おもちゃ電車・たま電車」のリニューアルデザインを手がけた水戸岡鋭治による、「エコでネコロジー」をテーマとした猫の顔をモチーフとしたデザインで、南海辰村建設による和歌山県産の木材を多く用いた木造の駅舎に、伝統工法を用いた檜皮葺の屋根となっており、駅舎には「たまミュージアム貴志駅」という名前が付けられている。
 内部には正面より見て左側にたま駅長の飼い主が経営する売店「小山商店」とたま駅長の「駅長室」(共に日曜日休業)が、右手側には地元特産の果物のジュースやジェラートを販売する「たまカフェ」(毎月第3水曜日休業)が設けられている。右手側外には別棟で男女別および車椅子対応のトイレ、およびホームへの車椅子用のスロープが設置されている。
 ホームには「いちご神社」「おもちゃ神社」「ねこ神社」の三つの小さな祠が建立され、それぞれに電車と果物はじめ農作物、電車とおもちゃや遊具、電車とねこや動物全般を祀っている。 なおこのうち「ねこ神社」については、たま駅長の死に伴い、神葬祭を経てその「御霊」を鎮座させ、「たま神社」へと改装した。
 南海電気鉄道からの移管以前・以後を通じてスルッとKANSAI対応のカードは使用できない。かつて販売していた3・3・SUNフリーきっぷは利用可能であった。朝夕・混雑時のみ有人集札を実施し、小山商店では回数券と一日乗車券のみ販売している。

 ◆和歌山電鐵

 和歌山電鐵株式会社(わかやまでんてつ、WAKAYAMA ELECTRIC RAILWAY Co., Ltd.)は、和歌山県和歌山市に本社を置き、鉄道路線貴志川線を経営する会社である。岡山電気軌道(岡電)の完全子会社で、両備グループに属する。

 ★概要

 2006年(平成18年)4月1日より、南海電気鉄道(南海)から貴志川線を引き継いで経営している。社名は親会社の岡山電気軌道が社名を一般公募しその中から選ばれたものである。選ばれた理由は「時代に流されない、地域に根ざした名前」である。和歌山電鐵が旧字体の「鐵」となっているのは、「鉄」の文字を分解すると「金」を「失」うになり縁起が悪いこと、鉄(鉄道)の基本に立ち返るという意味であえて使用したものである。
 経営のモットーは「日本一心豊かなローカル線になりたい」。地元自治体、沿線住民、沿線学校関係者、商工会で構成する「貴志川線運営委員会」を社内に設置し、沿線住民の要望を取り汲んで活かす仕組みをつくっており、現場に対するアイディアや情報提供は同委員会が行っている。
 後述する「いちご電車」「おもちゃ電車」「たま電車」の運行や、貴志駅の猫の駅長「たま」(駅長であると同時に2013年(平成25年)1月5日より社長代理でもあった。)など特異な取り組みも行っている。
 2015年(平成27年)6月24日、たま駅長が6月22日に死んだと発表された。

 ★沿革

 2003年(平成15年)に南海が貴志川線の廃止検討を表明したことに対して、「貴志川町くらしを環境を良くする会」や、「南海貴志川線応援勝手連」、「和歌山市民アクティブネットワーク」(WCAN) などの沿線市民組織が存続運動を行い、それを伝え聞いたNHKが総合テレビ『難問解決!ご近所の底力』への出演を打診したことに始まる。NHKに出演した旧貴志川町(現紀の川市)長山団地住民が中心になって「貴志川線の未来をつくる会」が正式に設立され、6,000人を越える会員を集めて注目された。
 「貴志川線の未来をつくる会」を始めとする各市民組織の活動がかなりの盛り上がりを見せ、WCAN貴志川線分科会が貴志川線存続の費用対効果分析を行って存続の社会的な意義を科学的に裏付けるなどしたこともあり、地元の自治体も存続の意思を固め、鉄道用地などを南海から買い取ることなどを決めた。
 運行主体として第三セクターを設立するのではなく民間の企業等から公募することになり、岡電やトラベルプランニングオフィスなど9つの会社と個人がそれに応じた。岡電は締め切りの最終日まで応募を迷っていたが、和歌山の市民団体から応募依頼状が届いたことと、岡山県に本拠を置く市民グループ「路面電車と都市の未来を考える会」(RACDA) からの勧めや近畿地方の鉄軌道事業者からの応募がないことなどを勘案して応募を決断したと言われている。
 選考作業の結果、運行事業者として軌道経営の経験を有する岡電が選ばれ、岡電が100%子会社として和歌山市に設立した新会社が和歌山電鐵株式会社である。

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 ◆和歌山城

 ★本丸

 本丸御殿は、虎伏山の頂上付近にあったため、藩主は二の丸御殿に住むようになっていった。初代・徳川頼宣と正室・瑤林院(加藤清正の娘)、14代・徳川茂承と正室・倫宮則子女王(伏見宮邦家親王の娘)が邸宅に定めた。また、倫宮則子女王が住んだため、宮様御殿とも称された。
 1621年(元和7年)に造られた本丸庭園には、宝船を模した七福の庭があったが、給水場設置に伴い、1923年(大正12年)に松の丸へ移築された。

 ★天守曲輪

 天守曲輪は菱形にちかい平面をしており、基壇の面積は2,640㎡ある。
 ・大天守 ・小天守 ・乾櫓 ・二の門櫓 ・天守二の門(楠門)--戦災で焼失した天守曲輪で唯一、木造で復元された。 ・台所

 ★天守

 天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられた連立式と呼ばれるものである。姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられている。
 1850年(嘉永3年)再建当時の大天守は3重3階で、天守台平面が菱形であるため、初重に比翼入母屋破風を用いて2重目以上の平面を整えている。南面に入母屋出窓があり、初重には曲線的な石落としが付けられていた。焼失した天守の創建年は不明であるが、それについては浅野幸長が創建したとする説(1600年(慶長5年)築)と頼宣が創建したとする説(1619年(元和5年)築)がある。創建時は、下見板張りの壁面であったと考えられている。
 1847年(弘化4年)に焼失した際、大天守を5重にする案も出され、天守雛形(木組み模型)と図面が作成されたが、幕府への遠慮と財政難のため、構造は先代天守を踏襲し外部壁仕上げを下見板張りから白漆喰総塗籠めへ意匠を変えるにとどまったものとみられている。
 天守は国宝(旧国宝)に指定されていたが、和歌山大空襲で焼失し、現在のものは、1850年(嘉永3年)の天守再建時の大工棟梁・水島平次郎の子孫である栄三郎が所蔵していた天守図と『御天守御普請覚張』を参考にして1958年(昭和33年)に再建されたものである。復元には東京工業大学名誉教授藤岡通夫の指示を受け、鉄筋コンクリート構造による外観復元とされた。復元設計にあたり、参考にされていた文献や図には天守群の高さが記入されていなかったため、焼失前に撮影された写真に写る他の建造物との高低比から天守群の高さが算出された。

 ★二の丸

 初代頼宣と14代茂承以外の藩主は、二の丸御殿に住んでいた。また、二の丸御殿は江戸城本丸御殿を模していたため、表・中奥・大奥に分かれていた。また、大奥があるのは、江戸城・和歌山城・名古屋城のみである。表は紀州藩の藩庁、中奥は藩主が執務を行う普段の生活空間、大奥は藩主の正室や側室たちの居所として機能した。現在、二の丸御殿の表・中奥に相当する場所は広場として開放され、大奥に相当する場所は芝生が養生され整備されている。

 ★西の丸

 和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所であった。城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。しかし、戦災で天守などとともに焼失しその後、図面などを基にして1972年(昭和47年)に鳶魚閣が再建されたが、御橋廊下復元の際に再び庭園の池などの調査を行った。それによると、鳶魚閣は実際には現在の場所ではなく、池の中央付近にあったと推測されている。また、松下幸之助から茶室紅松庵が寄贈されている。西の丸庭園は、江戸時代初期の遺構を残す大名庭園として、国の名勝に指定されている。
 また、鶴の渓門跡に浅野時代の鶴の渓庭園跡がある。西の丸庭園前の山吹谷は、徳川時代までは水堀であった。

 ★御橋廊下

 藩主が生活している二の丸と、庭園がある西の丸をつなげる傾斜のある橋。藩主が移動するのを気づかれないために、壁付になっていた。江戸時代の図面をもとに復元されているおり、実際に通ることができる。

 ★三の丸

 紀州藩の重臣である水野家や安藤家、三浦家などの上流藩士の邸宅が建ち並んでいた。廃藩置県の後は、公的機関や学校、商業施設、オフィス街になっている。

 ★御蔵の丸
 東堀沿いの石垣には、かつて多聞櫓が建てられていたため、城兵の昇降用の長大な雁木が残っている。

 ★松の丸

 松の丸櫓台から初代・頼宣が紀州富士(龍門山)を眺め、故郷の駿河国を偲んだといわれている。

 ★城門

 ・岡口門
 浅野時代には大手門であったが、浅野時代の後期に大手門から搦手門として修復された。1621年(元和7年)に徳川頼宣が行った城の大改修の際に再建された櫓門が現存している。現在の門櫓は切妻屋根であるが当初は、門櫓の両側に続櫓があった。

 ・追廻門
 砂の丸の乗馬調練場と門外の扇の芝馬場を結ぶ門である。馬を追い回したことからそう呼ばれた。姫路城などに見られる旧型の高麗門である。1984年(昭和59年)から翌1985年(昭和60年)にかけての解体修理により、江戸時代には朱が塗られていたことが分かり、赤門であったと見られている。
 赤門は御守殿(三位以上の大名家に嫁いだ徳川将軍家の娘)の住む御殿の門として建てられる、または御守殿を迎えた折りに門を赤く塗られたものをいうが、和歌山城の場合は二の丸の「御座の間」(藩主の居所)から見たとき裏鬼門(坤(南西))の方角に当たるため、魔除けのために赤く塗られたと推測されている。

 ・京橋門
 大手門(一之橋門)から北に伸びたところにあった櫓門。北堀(現・市堀川)に面しており、物見櫓もあったとされる。京橋の側に石碑が建つ。

 ・本町門
 京橋からさらに北にあり、真田堀に面したところにあった櫓門で城下町の境としていた。参勤交代の際は必ずこの門を通ったという。

 ・不明門
 「あかずの門」とも言われ、急を要する場合のみ開かれ、通常は閉じられたままであったという。和歌山城南側の三年坂に面した場所にあり、現在は和歌山城駐車場のゲートが置かれている。

 ・吹上門
 旧中消防署の前にあったとされる門。西側には吹上御門もあったとされるが明治期に埋め立てられた。現在、鳥居が建っている。

 ★石垣

 時代により石材や積み方の技法が異なっている。 豊臣秀長の時代は緑色片岩を中心とした自然石を切り出してそのまま積んだ「野面積み」の石垣が作られた。 浅野幸長の時代には、友ヶ島等に石切場を整備し、石を打ち欠いて加工しはぎ合わせて積む「打込みハギ」の石垣が作られた。徳川期には熊野の花崗斑岩を用いて、切石で精密に積んだ「切込みハギ」の石垣が作られた。

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(30)

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 集合写真を撮りましてから、いよいよい天守へと向かいますが、その前に「和歌山城」の歴史をお勉強です(^.-)☆

 ◆和歌山城

 和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)である。徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。城跡は国の史跡に指定されている。

 ・概要

 和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀とする。本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城である。
 徳川頼宣は1621年(元和7年)より城の大改修と城下町の拡張を始め、計画では完成時より更に大規模な城構えになる予定であったが、大規模な改修であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであった。しかし、附家老安藤直次の弁明で事なきを得た。
 また、外堀も拡張して総構えにしようとしたが、幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまったため、堀止の地名が残っている。後、数度の火災に遭ったが、その度に再建された。現在、城跡として現存しているのは最盛期の4分の1ほどの面積である。
 その他、特徴としては時代によって異なる石垣の積み方などがある。それに、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石がある。模様は約170種類、2,100個以上の石に確認されているが、その大半が和泉砂石である。

 現在は、本丸と二の丸が和歌山城公園となっており、本丸南西部には和歌山縣護国神社があり、南の丸には和歌山公園動物園がある。主に三の丸跡等には県庁、和歌山市役所や和歌山市消防局、和歌山地方裁判所・和歌山家庭裁判所・和歌山地方検察庁をはじめ公的機関や学校、商業施設、オフィス街、和歌山中央郵便局、県立近代美術館・県立博物館などがある。
 遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には岡口門と土塀、追廻門が現存している。中でも岡口門と土塀は国の重要文化財に指定され、二の丸にある大楠は和歌山県指定天然記念物である。また、大小天守群とそれに続く櫓・門、大手門・一之橋が復元されている。

 ・歴史・沿革

 ★安土桃山時代

 豊臣秀吉の弟・秀長は、1585年(天正13年)の紀州征伐の副将として参陣し、平定後に紀伊・和泉の2ヶ国を加増された。当時は「若山」と呼ばれたこの地に秀吉が築城を命じ、自ら「吹上の峰」を城地に選定し縄張りを行った。普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親、横浜良慶を任じ、1年で完成させた。この際に和歌山と改められている。
 1586年(天正14年)、桑山重晴に3万石を与え城代に据えた。重晴は本丸を中心に手直しを行った。1596年(慶長元年)重晴隠居に伴い孫の一晴が城代を継いだ。


 ★江戸時代

 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの後、東軍に属した桑山一晴は正式に紀伊和歌山に2万石を与えられたが、まもなくして大和新庄藩に転封となった。その後、同じく東軍に属した浅野幸長が軍功により37万6千石を与えられ紀州藩主となり入城した。幸長も引き続き城の改修を行っている。1605年(慶長10年)頃、下見板張りの天守が建てられた。その後、長晟が土塁から石垣に改修した。
 1619年(元和5年)、浅野氏は改易となった福島正則の後、広島藩に加増転封となった。代わって徳川家康の十男・頼宣が55万5千石で入城し、南海の鎮となる御三家の紀州徳川家が成立した。頼宣は兄の2代将軍徳川秀忠より銀5千貫を受領し、これを元手に1621年(元和7年)より城の改修と城下町の拡張を開始した。しかし、この改修が大規模であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであった。
 1655年(明暦元年)11月、西の丸に隣接する家臣屋敷より出火。西の丸・二の丸に延焼した。1813年(文化10年)には西の丸大奥より出火し西の丸御殿が全焼した。
 1846年(弘化3年)7月26日に雷雨があり、天守曲輪に落雷。御殿を除く大小天守など本丸の主要建造物が全焼した。当時の武家諸法度では天守再建は禁止されていたが、御三家という家格により特別に再建が許可され、1850年(嘉永3年)に大小天守等が再建された。
 1871年(明治4年)、全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(廃城令)により廃城となり、多くの建造物が解体もしくは移築された。二の丸御殿は、1885年(明治18年)に大坂城へ移築され、1931年(昭和6年)より大阪市迎賓館(紀州御殿)として使用され、戦後米軍施設として使用中1947年(昭和22年)失火により焼失した。
 1901年(明治34年)に本丸・二の丸一帯が、和歌山公園として一般開放された。
 1931年(昭和6年)に国の史跡に指定され、1935年(昭和10年)には、天守など11棟が国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし、1945年(昭和20年)7月9日のアメリカ軍による大規模な戦略爆撃(和歌山大空襲)により天守などの指定建造物11棟すべてを焼失した。
 1957年(昭和32年)、岡口門とそれに続く土塀が国の重要文化財に指定された。翌1958年(昭和33年)に天守群が東京工業大学名誉教授・藤岡通夫の指示を受け、鉄筋コンクリートにより再建された。
 1908年(明治41年)城内に和歌山県立図書館が開館。
 1983年(昭和58年)には1909年(明治42年)に老朽化し崩壊した大手門と一之橋が復元された。
 2006年(平成18年)4月、二の丸と西の丸を結んでいたとされる御橋廊下の復元工事が竣工した。また、同年4月6日、日本城郭協会から日本100名城(62番)に認定された。
 2010年(平成22年)6月から、2011年(平成23年)2月にかけて、大天守(1層)や天守曲輪の一部に対し、クリーニング及び再塗装を実施した。

 …と、こんな和歌山城のようであります(^-^)//"

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(29)

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 養翠園での散策を終えますと、次は和歌山城にと向かいます。到着しますと、まずは皆さんと集合写真を2枚ばかりパチリ(^.-)☆
 なんでも、ここが「和歌山城の撮影ポイントです」との事でありました(^_^)v

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5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆(13)

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 約1時間半の伏見稲荷大社境内での参詣・散策でしたけど、う~ん、やはり時間が随分足りませんでしたネ(^-^)
 また機会がありましたら訪れてみたいと思います(^-^)//"

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(28)

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 ◆御馬場
 堤防に面したところにある長細い場所で、和歌山城追廻門外にあった馬場と違い、馬を走らせる場ではなく藩主の供揃えの場とされる。

 ◆屋養翠亭
 御茶屋養翠亭は1821年に創建された。全国唯一の左斜め登り御廊下がある。畳敷きで、畳や障子は菱形である。

 ◆湊御殿

 藩主の別邸で当初は大浦街道に面した場所にあった。
 1698年(元禄11年)に2代徳川光貞が造営し、8代徳川重倫はここを住居とし、1832年(天保3年)に11代徳川斉順(11代将軍徳川家斉の7子)が新たに造営、藩政をここで執る。
 御殿は江戸城にならって壮美を尽くしたものであったと伝えられる。
 1853年(嘉永6年)に藩庁は和歌山城に戻り、湊御殿は廃され、明治以降は所有者が民間に移ったものの、個人での保存は困難という点から市に無償譲渡され、現在は1棟のみが養翠園内に移築されている。
 御殿内には書院や茶室、狩野派絵師による杉戸絵がある。尚、御殿内は撮影禁止だが職員の説明を受けることが出来る。

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 暫く上って行きますと、ご年配の外人観光客のご夫婦が休憩しながら何やら『警告』の表示板を覗き込んでおられます。
 とりあえずGONsanも少し一休み。
 そして、このお二人がまた歩行再開で去られましたので、GONsanも表示板に視線を(^.-)☆

 眼を通してみますと、こんな警告文が。

 『警告 境内にイノシシが出没しています。絶対に近付かないで下さい。特に夜間は充分にご注意下さい。-- 稲荷神社大社 --』と、こんな警告が。
 ですが、外人ご夫婦は別段心配されますご様子も無く、サッサと歩いて行かれましたネ(^.-)☆
 みんなで上れば、イノシシなんぞ怖くもない…と言ったところでしょうか(^-^)

 まぁ確かに、こんなにも大勢の参詣客ですから、イノシシなんぞ恐れるに足らないのも納得ではありますが(^_^)v

 …と言う訳で、GONsanも歩行再開です。
 暫く進みますと、また伏見稲荷大社境内案内図。現在地は『三つ辻』です。
 頂上と言いますか「一ノ峰」まではまだまだですから、GONsanはここでギブアップとなりれました。

 WEB上に「三つ辻」で検索してみましたら、こんな記載が…


 ◆“三ツ辻や四ツ辻までなら観光気分で歩けます”

 --- 2014/05/13に投稿しました ---

 車で行きました。境内に駐車場もあるようでしたが、観光シーズンだったので線路より西側の少し離れた普通のコインパーキングに停めました。でも、京都は道も狭いし、渋滞するし、車よりも電車が断然お勧めですね。ここは京阪・伏見稲荷やJR奈良線・稲荷駅から徒歩が便利です。

 裏参道にはお土産物屋さんや食事処が並んでいます。どこでもあるものですが、やっぱり「おいなりさん」をいただきました。
 本殿をお参りした後、千本鳥居へ。四ツ辻を回って下りてくると40~50分くらい。緩やかですが上りの石段で、運動不足の私は少し息切れしました。途中にいくつか小さなお社があって、目や足腰の病気に御利益のあるお社などでは、御祈祷やお守りを授けてくださるところもありました。

 四ツ辻までには、熊鷹社と三ツ辻に分岐点があり、引き返さずに下りられる道があります。足腰の不安な方は、熊鷹社までなら負担が少ないと思います。しかし四ツ辻を越えると、一ノ峰まで登りきれない場合は引き返さなければならないので、三ツ辻や四ツ辻から下りる人が多かったです。日暮れの早い晩秋だったので、私たちも早めに下りてきました。

 --- 2013年11月に訪問 ---

 …と、こんな記載が。
 確かにそうかも分かりません。三つ辻まででしたら観光気分で歩けます。
 そして、ここには分岐点がありまして、別ルートでの下山が可能。ですから、ここで引き返されます方々は結構おられましたようですネ(^.-)☆
 「一ノ峰」までの登頂は、後日の機会に譲りたいと思います(^-^)//"

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 日本庭園としては珍しい直線状の三ツ橋…うん、うん、これですネ(^_^)v

 ◆国指定名勝 元紀州徳川家庭園

 紀州藩第10代藩主徳川治宝(とくがわ はるとみ)によって、文政元年(1818年)から文政9年(1826年)にかけて造営された西浜御殿内の広大な大名庭園である。
 西浜御殿(ごてん)とは、現在の県立和歌山工業高校付近(和歌山市西浜)にあった。紀伊藩10代藩主徳川治宝(はるとみ、1771~1853)の別邸で、文政元年(1818)に完成した。
 和歌山湾沿いの立地を利用して、海水を引き込んだ「汐入り」の池が特徴的で、潮の干満に応じて細波が立ち、水面が上下する独特の風情がある。この池には、日本庭園としては珍しい直線状の三ツ橋を渡しており、背後の天神山と章魚頭姿山(たこずしやま)=高津子山を借景としたこの構図は、中国の西湖を模したものと伝えられている。

 「養翠園」は紀州徳川家第十代藩主・徳川治宝が隠居所であった西浜御殿からの清遊の場、外来者の接待の場、として1818年(文政元年)より8年ほどかけて造営した大名庭園で、敷地面積約7,000坪あり、池が3,500坪あります。
 徳川治宝公が養翠園に来遊されるおりは、西浜御殿より船で出て大浦湾を経て、園内御船蔵へ入り、庭園内へ直接上陸されたとのこと。
 御客様は駕籠にて、正門より来園する。
 養翠園は何回か行ってるが池の周りをじっくり歩いたのは初めてである。かきつばたは園内の順路の最後の方にあった。

 …と、こんな記載もWEB上にありましたネ(^-^)//"

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 昔は駆け足で最終地点を目指しておりましたけど、こんなに参詣の皆様が多いのですから、そぅいぅ訳にもいきません(^-^;
 表示板に眼を向けますと、う~ん、まだまだ先が長いですねぇ~
 時間的な制約もありますから、適当な地点でギブアップとなりそうです(^.-)☆

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 早速、養翠園庭園内を散策開始ですけど、少しWEB上でお勉強です(^.-)☆

 ◆養翠園

 養翠園(ようすいえん)は、和歌山県和歌山市にある池泉回遊式の日本庭園。公家の三条公修(三条実美の祖父)が命名した。国の名勝に指定されている。

 ・概要

 紀州藩第10代藩主徳川治寶によって、文政元年(1818年)から文政9年(1826年)にかけて造営された西浜御殿内の広大な大名庭園である。元々は、紀州藩士山本理左衛門の下屋敷であったと伝わっている。総面積は33,000平方メートル。
 和歌山湾沿いの立地を利用して、海水を引き込んだ「汐入り」の池が特徴的で、潮の干満に応じて細波が立ち、水面が上下する独特の風情がある。この池には、日本庭園としては珍しい直線状の三ツ橋を渡しており、背後の天神山と章魚頭姿山(たこずしやま)を借景としたこの構図は、中国の西湖を模したものと伝えられている。

 この汐入の池は、海南市にある近代の温山荘園の作庭に影響を与えることとなった。なお、日本の大規模な庭園で汐入の池をもつものは、これらの他には東京都港区の浜離宮恩賜庭園だけである。
 大名庭園としては、全国唯一の個人所有の庭園であり、平成3年(1991年)より平成6年(1994年)にかけ文化庁指導の下、養翠亭解体修理工事が行われた。この御茶屋「養翠亭」の内部は原則非公開ではあるが、毎月第1日曜日には月釜茶会「あさも会」(会員制)が開かれている。
 治寶は西浜御殿に表千家家元や樂家当主、三井北家当主の三井高祐などを招いた。
 平成7年(1995年)のNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」のロケ地である。
 平成18年(2006年)11月に和歌山市の施設として、和歌山市指定文化財建造物「湊御殿」が園内桃畑跡に移築復元され、内部が有料公開されている。

 ・施設

 御茶屋「養翠亭」-- 文政4年(1821年)築、建坪94坪、部屋数19室(内部の鑑賞には事前申し込みが必要)
 左斜め登り御廊下 -- 養翠亭内に在り、全国唯一の遺構
 2畳台目茶室「実際庵」-- 表千家の茶室
 和歌山市指定文化財建造物「湊御殿」

 ・利用情報

 開園時間 1月1日 -- 11時~17時、
      4月1日~8月31日 -- 9~18時
      9月1日~3月31日 -- 9~17時
 休園日 -- 年中無休

 ・所在地
 〒641-0036 和歌山県和歌山市西浜1164

 …と、こんな養翠園でありますけど、この養翠園は個人の所有のようですネ。
 女性の方のようですけど、現在まで独身を保っておられまして、このままの状況ですとねこの女性がお亡くなりになられますと、養翠園の所有はどぅなりますのでしょうねぇ~
 チョッとそちらの方に多大な関心が向いてしまいますGONsanなのであります(^-^)//"

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 ノンビリとした早朝散歩でしたが、いつの間にかGONsan達の宿泊ホテル「和歌浦温泉『和歌の浦 萬波』」下の海浜にと戻って来ました。
 今度は、蓬莱岩方向に歩いてみる事に致しました。
 途中には、もぅ使用されておりません建物が…今から改修工事にと入られますのでしょうか?…それとも、解体工事に?…
 いずれか分かりませんけど、1970年代頃には多くの観光客も訪れまして、さぞ賑わいましたのでしょうねぇ~

 今では、蓬莱岩の観光表示板も有りませんし、当時の賑わいを伺わせます形跡も見当たりません。
 何となく時代の流れを感じさせます景観として、GONsanの眼には入ってしまいましたねぇ(^-^)//"

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5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆(8)

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 限られた時間ですから、何処まで上がれますか分かりませんけど、それでは今から「千本鳥居」上がりに挑戦です。さて、どこら辺りで引き返しとなりますでしょうか(^-^)
 とにかく、駆け足で挑戦です(^-^)//"

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6/18(日)は、孫達と第六十一番札所「香園寺」に参詣でした(^.-)☆

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 6/17(土)には、しまなみ海道で死亡事故が発生しましたようですけど、その翌日・6/18(日)には孫達と「しまなみ海道」を走行し第六十一番札所「香園寺」に参詣となりました(^.-)☆
 この日の様子はまた後日、この絵日記に綴りたいと思いますけど、対面通行の「しまなみ海道」ですから、事故現場を通過時にはチョッと身構えてしまいましたネ。
 とりあえず、この日の一コマを何枚かご案内です(^-^)//"

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(22)

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 浪早ビーチでUターンし今まで進んで来ました道を逆戻りです。
 今度は、少しジックリと周辺の景観を楽しみながら(^.-)☆

 港では、早朝から大勢の釣り客が訪れておられます。意外にも、女性の釣り人・ご家族連れの方々が多いのにもビックリです。
 そして、大きな駐車場もあるのですけど、ここは有料のようであります。駐車場入口では、係員の方が、これまた早朝からシッカリと駐車料金を徴収ですから、感心してしまいます(^.-)☆
 それにしましても、次から次に釣れますこの小さな白い魚は、何という魚なのでしょうねぇ~

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5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆(6)

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 本満寺を後にしますと、アミタ本店での昼食です。

 ◆アミタ本店

 住所:京都府京都市左京区岡崎平安神宮北
 最寄駅:JR京都駅より京都市バス停留所熊野神社前から徒歩3分

 京都の最大級の土産ショップで多彩な京土産が揃い、中でも京都で千年以上の歴史がある、京象嵌には職人の実演コーナーもあり、間近で匠の技を見学できます(無料)。オリジナルアクセサリーも注文する事ができます。
 最近では京ぞうがん、京七宝の体験教室の他に30分程度でできる、①匂袋の調合②七味唐辛子の調合③土鈴人形の絵付(いずれも1ね890円、要予約)もあり、修学旅行生や家族連れにも大人気です。

 …と、こんな「アミタ本店」でありました(^.-)☆

 昼食を終えますと、次は千本鳥居で有名な伏見稲荷への参拝です。
 修学旅行の皆様もおられ参拝客の多いこと(^_^)v
 この時期でも、こんなにも多い参拝客に少々ビックリのGONsanなのでありました(^-^)//"

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(21)

01-720
02-720
01-720-5555

 遊歩道を進んで行きまして、程なく眼に入りましたのが『夢の鐘』。
 早速、WEB上で検索です。

 ◆夢の鐘

 山部赤人が詠んだ万葉の歌をモチーフにしているという「夢の鐘」。和歌にちなんで数羽の鶴が空に舞い上がっているイメージでデザインされています。
 この鐘を鳴らすと、幸運が訪れるのだとか。鳴らしてみると、思いのほか大きな透き通った音がします。願いをこめて鐘をついてみてください。

 …と。

 早速、GONsanも力を込めて思いっきり突かせて頂きましたが、いゃいゃ、まだ眠っておられます方々を起こすのでは…と思わせるイィ音色でありました\(^o^)/
 もぅ少し遠慮気味に突かせて頂きましたら良かったのかも(^.-)☆

 そして、早朝から釣りを楽しんでおられます方々を横目にドンドン進んで行きまして辿り着きましたのが『浪早ビーチ』。

 ◆浪早ビーチ

 ビーチには船をモチーフにした遊具やバーベキュー施設などが整備され、家族連で楽しむことができます。湾の入り江に海水浴場があるため、波が穏やかになっています。平成18年環境省選定「快水浴場百選」に選定されています。

 ビーチ  --- 全長:200メートル 深さ:4メートル
 営業期間 --- 7月1日から8月31日まで
 営業時間 --- 午前9時から午後5時まで (注)期間中無休

 ・アクセス
 JR和歌山駅または南海和歌山市駅からバス「雑賀崎方面」【田の浦口】下車、徒歩10分
 阪和自動車道和歌山インターチェンジから約13キロメートル
 駐車場台数 92台
 駐車料金 普通車1日あたり610円、大型車1日あたり920円

 ・設備情報
 シャワー:有(有料)
 トイレ:1か所(障害者用トイレ有)・AED設置
 売店:有
 バーベキュー:可(有料・指定場所のみ)
 キャンプ・花火:禁止
 サーフィン・ジェットスキー・ウインドサーフィン:禁止
 海への飛込み行為:禁止

 …と、こんな「浪早ビーチ」のようであります。

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5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆(5)

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02-720
01-720-55555
 
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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(20)

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02-720
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 翌朝は、A.M.5:00起きを予定しておりましたがA.M.4:00過ぎには眼が醒めてしまいました。
 窓の外に眼を向けますと、まだ真っ黒。なら、もう少し眠っておこうか…と横になるのですけど、一旦、目が覚めますともぅ眠れません(^-^)
 仕方なく、洗顔・着替えを終え早朝散策に出掛ける事となりました。

 宿泊ホテルの外に出まして、まずはホテルの外観をパチリ。時間を見ますと、A.M.4:45でありました(^.-)☆

 フロントで教えて頂きました散策コースは、ホテル前の坂を下り、ガードレールの切れる辺りで右に折れ海岸にと下りて行く…との事でしたが、その通りに坂を下って行きますと、ガードレールの切れる所に『遊歩道路入口 ビーチ・夢の鐘』の表示板。
 この表示板に従い海岸にと下りて行きますと、まず眼に入りましたのが『蓬莱岩』でありました(^_^)v

 ◆蓬莱岩

 和歌浦観光遊歩道を新和歌浦漁港から歩くと、最初に出会う観光スポットがこの「蓬莱岩」である。
 奇岩といわれ、かつては観光案内には必ず紹介されたものだが、今では立て札もなく、釣り人と画家以外は気にもしないで通り過ぎてしまう程度の岩場である。
 広辞苑によると「蓬莱山:中国の伝説で東海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされる霊山」とあり縁起の良い名前なので、新世紀の元旦を祝って載せる事にします。

 …と、WEB上で検索致しますと、こんな記載がありましたネ(^_^)v うん、うん、確かに表示板も何も見当たりませんでしたねぇ~
 まぁそれはともかく、和歌浦観光遊歩道を散策開始となりました(^-^)//"

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5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆(4)

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 本堂で参詣・読経後は、暫し本堂内を拝観です。
 前回、本満寺を訪れました時にはおられませんでしたけど、今回は住職の息子さん・副住職が本満寺の歴史をご説明。つぃ最近まで教員として勤務しておられましたせいか、仲々分かり易い聞き易いお話しでありました(^.-)☆

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(19)

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5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆(3)

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(18)

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 GONsanもカラオケは結構好きなんでありますが、この方達も好きですねぇ~
 マイク持って放さない(^.-)☆

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5/28(日)は、中村講中の皆様と京都・本満寺への参詣でした(^.-)☆(2)

01-720
02-720
01-720-55555

 参加者は、総勢29名でしたでしょうか…観光バスでの京都行きですから、車内は比較的ユッタリ感が(^.-)☆
 定刻・A.M.6:30に中村集会所駐車場を出発です。
 途中、吉備SA・三木SA・西宮名塩SAの三ヶ所でトイレ休憩ですけど、大概、車内では眠っておりましたGONsanで、バスが駐まります度に眼が醒めておりました(^-^)

 西宮名塩SAを出ますと、またスグに睡眠となりましたけど、時折り眼を開けますと観覧車とか上空の旅客機が眼に入っておりました。
 そしてまたウトウト。
 京都に入ったかな…と眼を開けますと、車窓からお城が…何と言うお城なのでしょうねぇ~

 以降はズッと車窓から景観をボンヤリと眺めておりましたが、定刻・A.M.11:00に本満寺にと到着です。
 正確には、本満寺近くの路上でバスから降りまして、本満寺まではテクテクと歩き。道幅が狭いですからバスは進入不能ですから(^-^)

 ◆本山 本満寺(広宣流布山 本願満足寺)

 本満寺(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は広布山。塔頭が四院ある(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)。

 ・歴史

 1410年(応永17年)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白・近衛道嗣の子)が開基。
 当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。1536年(天文5年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない1539年(天文8年)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。

 山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、1545年(天文14年)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、1590年(天正18年)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。

 1751年(万治4年)徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府祈願所となった。
 近世にはたびたび火災に遭っており、1661年(寛文元年)の火災、1708年(宝永5年)の宝永の大火、1788年(天明8年)の天明の大火により焼失するが、その都度再建されている。本堂は1911年(明治44年)2月8日にも焼失し、1927年(昭和2年)に再建された。
 現住は62世伊丹日章貫首(大阪市雲雷寺より晋山)。莚師法縁(隆源会)縁頭本山。

 …と、こんな本山・本満寺(^-^)//"

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5/20(土)~5/21(日)は、某協会の和歌山方面研修旅行でありました(^.-)☆(17)

01-720
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 紀三井寺への参詣を終え後にしますと、少し早めですけど今夜の宿・和歌浦温泉『和歌の浦 萬波』へと向かいます。
 到着後は、まずはゆったりと入浴。そして、宴会にと進行。
 この様子は、お顔が鮮明に分かりますと叱られるかも分かりませんので、少し小さめの画像でご案内です(^-^)//"

 ◆和歌の浦温泉

 ・特徴

 和歌山市郊外の風光明媚な景勝地に湧く温泉。
 万葉の古人も愛した和歌の浦湾の海岸線や、湾を一望できる高台に数軒の温泉宿が建ち並び、絶景を望みながらの湯浴みを楽しめる。源泉から湧きだす無色透明の湯は肌に柔らかく、神経痛、冷え性、火傷など様々な疾病に効果があるとされる。

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  • んっ!?…朝早くからキャリアカーが車輌を卸しておられます(^.-)☆
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