GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

福山市内の何でもない景観

昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆

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 昨日・2/3(金)の夜は、〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした。
 早めに夕食を済ませ、19:00から開催ですけど、嫁さんは30分前にサッサとお寺行き。GONsanは、15分前に我が家を出る事となりました。
 お寺に到着しますと、まず眼に入りましたのが参詣者の方々の靴の数…う~ん、ヤケに少ない(^-^;
 中に入りますと、閑散としたもので参詣者の少ないこと。
 年が変わりましてから、福山市の一日のコロナ感染者数は随分減少にはありますが、依然としてコロナ禍ですから、参詣者の少なさに、内心、安堵の気持ちが無いことも(^-^)
 でも、少々寂しい…
 定刻に祈祷会は始まりまして、終わりましたのは、19:45でありました。
 いゃいゃ、通常は2時間ばかり要しますけど、今回は実に短時間で執り行われましたネ。
 これは助かりましたけど、ても、何で!?
 それに、星祭りの方は、本日の参加者の方々のみのお名前の読み上げで、特別祈祷の方は全くお名前の読み上げは無し。これでは、45分間で終了も納得ですけど…
 先にお寺に来ておりました嫁さんに、小声で「特別祈祷者の名前の読み上げが無いし、星祭りの方は、参加者のお名前のみの読み上げは、何で?…」と尋ねますと、「事前の申込時に、当日の参加の有無を尋ねられ、当日の参加者が少ないのは、お寺は把握済み。〝厄除け星祭り〟と〝特別祈祷〟の名前は、本日15:00からの僧侶の皆様のみで御祈祷法要を行い、その際に、申込者の御祈祷の読み上げは済ませておられるから、夜は、参加者のお名前のみの読み上げにされた…」との事でありました。
 ふ~ん、とにかく、納得のGONsanであります(^-^)
 なら、毎年、このような執り行いにして貰えたら、短時間で終わるのに…と、思ったりもしてしまいます。まぁ、あまり簡素化されましたら、御蔭か無くなりましてもイケませんから、何とも(^-^)
 まぁとにかく、〝追難節分会・厄除け星祭り〟も無事終わり、軽やかな足取りで、お寺を後にしますGONsanなのでありました(^-^)//"

 ◆星祭

 --- http://nichiren-saga.jp/specialedition/hoshimatsuri.html ---

 星祭とは、一年ごとに巡ってくる運命を左右する星を供養し、個人の一年間の幸福を祈り、災いを除くお祭りです。仏教本来の教えではないのですが、仏教が各地に広まる際に、道教や陰陽五行説などの影響を受けつつ、まず迷い多き衆生を救い、仏の教えに導くための方便として釈尊滅後に独自に成立、発展したものです。現在、日蓮宗に限らず、多くの宗派が行っています。
 古来、世界の各地で、一切の事象の吉凶は、天体の運行によって予測でき、そして人間の運命もまた、その人が生まれた年や月などの星によって禍福が支配されていると考えられていました。東洋では、その人の運命を支配する星を本命星といいます。本命星には九種類あり、日(太陽)、月、火星、水星、木星、金星、土星という目に見える七つの星と、羅喉星と計都星という架空の二つの星があります。この九つの星は毎年、居場所が変わります。自分の生まれた年に、中央に配置されている星が自分の本命星になります。この位置を観て各人の星をお祀りして除災得幸を祈念します。
 日蓮宗では、大聖人が龍口法難の際、月のような光物(月天子)によって難を免れ、翌日に「明星のような大星が下って、梅の木にかかった」ということから、法華経の行者に、月や星の守護が得られると信仰しています。さらに法華経の「諸天は昼夜に衛護す(取意)」等の経文から、星(九星・曜)に願いをかければ、必ず守護があるとしています。
 また、星祭の起源としては『中国のある村で、旅の高僧が貧しい村人達から精一杯のもてなしをしていただいた。その心遣いに感動した僧が、村が豊かになるようにひとつの秘法を授けた。冬至の日の夜明けに、空に太陽と月と星(三光)が同時に登っている一瞬を狙って報恩の祈りを捧げれば、望むものが手に入るというものだった。果たして村人達は高僧の言いつけ通りに祭りを実行し、富を得てその後永く栄えた』と言われるものもあります。しかし、冬至の夜明け(標準時で朝の七時頃)にお祭りを営むのは、現実には難しいものがあります。最近では、だいたい冬至の前後、もしくは星の移り変わる旧暦の年の初めである立春・毎年二月四日あたりに行う寺院があります。
 また、北辰妙見大菩薩を祭祀し修法する事から十五日に行う寺院もあります。

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(13)

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 沢山の境内社の中で、ひときわ目立ちますのが『御野護国神社』です。石段脇に設けられました説明板によりますと、

 ◆
御野護国神社

 国家の平和と繁栄のため身命を捧げた方々をお祀りしております。
 御祭神 -- 神辺町御野地区戦没者英霊 160柱
 由 来 -- 昭和11年6月3日 御野小学校校庭に戦没者忠魂碑建立・昭和20年12月30日 現在地に移築、御野神社と改名・平成17年4月29日 御野護国神社と改名・平成22年11月28日 戦没者顕彰碑を建立
 毎年行事 -- 慰霊祭 4月第2日曜日 午前9時 掃除 8時30分
 年末掃除 -- 12月29日 午前10時
 世話人 -- 上御領・下御領・平野 各1名

 --- 神辺町御野地区遺族会 御野護国神社護持会 ---

 …と、こんな神社でありました。
 年末掃除の日時まで定められていますのに凄さを感じますし、
〝下御領八幡神社〟全体が大変綺麗に整備されていますのも納得です(^.-)☆
 それでは、この辺で
〝下御領八幡神社〟とお別れです。
 神社の西側に隣接の、この溜池…よくよく見ますと、うん、うん、もぅ随分前に使用されていました『プール』ですネ(^-^)
 まだ、小学校にプールが設備されておりません時代に、この地区の学童の皆様が、賑やかに過ごしていましたのでしょうねぇ~
 暫し、このプールを見つめておりますと、遠い昔に想いが…勿論、GONsanが小学生時代には、まだプールはありませんでしたけどネ(^-^)//"


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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(12)

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 境内を見廻しますと、大鳥居横に「百度石」、その後ろには、「右石州ぎんざん道」「左九州をうくわん」の道標が移設され建てられています。その横にも「右かさをか道」「左かみがた道」の道標が建っています。
 拝殿前、そして、本殿前には狛犬が…左の狛犬には、玉を登ろうとする子狛犬がいましたけど、これは大変珍しいかも(^.-)☆
 本殿の両側には参道階段があり、奥には沢山の境内社が鎮座していましたネ(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(11)

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 それでは、まずは〝下御領八幡神社〟に参詣し、境内を拝見です(^.-)☆
 んっ!?、〝石の亀〟…説明板に眼を通しますと、こんな記載が(^-^)

 ◆石の亀
 マムシ除けとして奉納されました。悪い虫に付かれる事なく健やかであられますようお守りしています。

 …との事ですから、とりあえず、石碑の前の石の亀に触り膜っておきました(^-^)
 ところで、注連縄を付けられましたこの石碑…表面には何か記載と言うか刻まれていますのですけど、判読不明。何と綴られていますのでしょうねぇ~
 社殿の右側方向に進んで行きますと、砲弾が奉納されておりました。砲弾下の台座には、『明治39年5月 発起者 土肥七郎』と刻まれておりましたけど、『土肥七郎』sanのお名前は、〝好右衛門義擧碑〟〝延宝の水害 供養塔〟にも記載がありましたネ。当時の有力者でしたのでしょうねぇ~
 それにしましても、福山市内のアチコチの神社に『砲弾』が奉納されておりますけど、これは、

 ◆仏教の戦争責任⑤ 寺に残る「砲弾」と「天皇の位牌」

 --- https://news.yahoo.co.jp/byline/ukaihidenori/20220724-00304989 ---

 ・寺に残る戦争の痕跡

 戦時中は多くの寺が銃後運動を熱心に推進した。その戦争の痕跡は地域の末寺にも残されている。それが「顕彰碑」「天牌」「戦時戒名」「奥津城」などである。戦利品の砲弾を祀ったり、大規模な防空壕が残っていたりする寺もある。戦争の痕跡を求めて全国の寺院を訪ねた。
 戦地における勇士らを讃えた「顕彰碑」が今なお、残っている寺がある。顕彰碑は特に日露戦争時に多くつくられた。太平洋戦争が始まり戦局が悪化すると、顕彰碑をつくるための人材も余裕もなくなり、あまり顕彰碑はつくられていない。
 能や歌舞伎の演目でも知られる和歌山県にある道成寺には、日清・日露戦争時の大きな顕彰碑がある。その顕彰碑の台座には、日露戦争時のロシア軍の砲弾が埋め込まれている。これは1904(明治37)年の旅順攻囲戦でロシア軍を撃破した時の戦利品だ。この顕彰碑の前では戦時中、陸軍主導で、戦意発揚のための追悼法要が実施されていたという。

 ・なぜ寺に砲弾が?

 なお、各地の寺院や神社にはなぜか、砲弾が奉納されていることが多い。これは日清戦争後、「陸軍戦利品整理委員会」が戦争記念品として自治体に分配したのがきっかけだ。そこから寺院や神社、学校、役場などに分けられた。日清戦争後、国内では砲弾およそ8,700個が献納され、日露戦争ではおよそ2万個以上の砲弾が神社仏閣に奉納されているという。
 東京・青物横丁にある海晏寺境内にも、複数の砲弾が置かれているのを確認した。最大のもので高さ90センチ近くある。それが、日清・日露戦争のいずれの砲弾かは不明であるが、戦艦の主砲のものとも考えられる。同寺に聞けば、境内には岩倉具視の墓所(非公開)があり、そこには別の砲弾と大砲が置かれているという。
 しかしながら、砲弾の多くは太平洋戦争時の金属供出によって回収。再び、砲弾などの武器に使用された。…

 …と、こんな記載がWEB上にありましたけど、〝明治39年5月〟と言いますと、日露戦争の戦利品と言ったところでしょうか…
 『日清戦争後、国内では砲弾およそ8,700個が献納され、日露戦争ではおよそ2万個以上の砲弾が神社仏閣に奉納されている…』との事ですから、福山市内のアチコチの神社で眼にしますのも納得です(^.-)☆
 社殿の東方に進みますと、〝艮神社〟が…
 急いで、サイフの中を確認しますと、〝ロト6〟〝ロト7〟の一枚買いがありましたので、丁重に当選祈願をしておきました(^-^)
 でも、お賽銭をケチりましたので、願いは叶いませんかも(^-^)//"

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グラウンド状況が最悪でも、上手い人は〝ホールインワン〟を(^.-)☆

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 冷たい朝のグラウンドゴルフ…GONsanなんぞは、たいぎいし、億劫だし、おまけに、気持ちも乗らないから、参加しますのもイヤなのでありますが、そぅは言いましても、毎週、土・日・火曜日の週3日の参加ですから休む訳にもいきません(^-^;
 昨朝なんぞは、あまりにも冷たくて手が痺れてしまいましたよ(^-^;
 なのに、参加者は、こんな時期でも18~19名ばかりおられますから、感心してしまいますよ。それも、毎日ですから(^.-)☆
 我が町内のGGクラブは、総勢24名でしたか…一部、体調の関係で参加されません方が何人かおられますので、ほぼ全員参加ですから…
 年齢からみますと、GONsanなんぞは、若い方から2番目ですけど、先輩の皆さんのお元気さには脱帽です(^-^)
 今朝も、19名の皆様と実施となりました。
 昨朝もそぅでしたが、今朝も、地面は凍ってカチカチです。
 前日の、公園で過ごされました方々の足跡が凍っておりまして、足で平そうとしまして固くて無理(^-^;
 こんな悪環境の中でのGGですから、ボールは狙い通りには転がりません(^-^;
 …とは言いましても、そこは先輩の皆様、上手いモノです。もぅ何年も、毎朝やっておられますから、やはり経験が大きく左右。当のご本人は、「経験でなく、緻密に計算されたテクニック」との事ですけど、右や左に転々としながらもホールインワンですから、もぅ脱帽。それもお一人だけならマグレなのでしょうけど、何人かこんな調子でホールインワンですから、〝う~ん、実力なんだ〟…と認めざるを得ませんかも(^-^;
 GONsanなんぞは、上手く打った…と思いましても足跡を通過時に軌道が変わり、とんでもない方向に(^-^;
 内心、〝面白くも何とも無い…〟と思いながらのプレーが続きますが、ホールインワンの方々には、「おめでとうございます(^-^)」と笑顔で声を掛けますのが辛いのなんの(^-^)
 挿入の画像は、今朝のGGの一コマです(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(10)

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 備後國分寺の散策を終えますと、東側に隣接の〝下御領八幡神社〟にも立ち寄ってみます事に。
 八幡神社の鳥居脇には、こんな説明板が…

 ◆下御領八幡神社

 由緒 御祭神
 誉田別命(応神天皇) 田心姫命 湍津姫命 息長足姫命(神功皇后) 市杵島姫命

 聖武天皇の天平年間の創立にて「宇佐八幡宮を勧請し安那の産土神 國分寺の鎮守に有」と伝えられています。
 昔は國分寺八幡宮と言われていました。応仁の乱(1467-77)後、社殿は大破、山名忠勝(神辺城主)により永世4年(1507年)に山名宮内小輔忠勝が本殿拝殿を再興して社領二十貫を与えられる。
 天文年中(1532-55)宍戸安芸守隆家が背後の茶臼山領に築城し武運を祈る。永禄元年(1558)杉原盛重が神辺城主となると家臣菊池肥前守がここに在城武運祈り戦功あり。永禄5年(1563年)3月毛利元就の命により國分寺と共に当社を杉原盛重が修復した。
 延宝元年(1673)5月16日に大水害により社殿は大破。貞享3年(1686年)水野勝慶(福山城主)の命により修復(棟札現存)。
 正徳2年(1723年) 宝暦4年(1764年) 安政5年(1858年) 大正14~15年と修理修復を重ねています。

 ※ 現在の本殿は約350年前の建物です。昭和35年には今の拝殿が建てられました。
   前夜祭 10月の第一の土曜日 大祭 日曜日

 …と、こんな歴史のあります〝下御領八幡神社〟のようであります(^-^)//"
 WEB上で検索しますと、こんな記載もありました(^-^)/"

 ◆下御領八幡神社
 「深安神社めぐり」の21番目の神社

 --- http://z80bingo.starfree.jp/21-simogoryo/21-simogoryo.html ---

 【住所】福山市神辺町下御領一〇七三
 【祭神】誉田別命、息長足姫命、田心姫命、湍津姫命、市杵姫命
 【例祭】十月第一日曜日(旧例祭日 旧暦十月十五日)
 【由来】
 天平年中(七二九~四九)の創立と伝えられ、宇佐八幡宮より勧請し、国分寺の鎮守社であったという。応仁の乱(一四六七~七七)後社殿大破し、山名宮内少輔忠勝が永正年中(一五〇四~二一)本殿及び拝殿を再造立して社領二十貫を付けた。その後、天文年中(一五三二~五五)、大内家臣、宍戸安芸守隆家が当社背後の茶臼山に築城し、当社に武運を祈願したという。
 永禄元年(一五五八)杉原氏が神辺城主となると家臣菊池肥前守がここに在城し、武運を祈願して戦功があり、永禄五年三月、毛利元就の命により国分寺と共に当社を杉原盛重が修復した。永宝元年(一六七三)五月十六日大水害により社殿大破し、貞亨三年(一六八六)福山城主水野氏の命を似て大修復した。その当時の棟札が現存する。
 大正十年本殿を大修理、昭和三十五年拝殿を再建する。御祭神の応神天皇(誉田別命)は第一五代の天皇。神功皇后(息長足姫命)はその母君で共に日本の国家形式を確固たらしめ、大陸文化を輸入し、日本文化の興隆をはかられた。

 -- 広島県神社庁 深安二十六社神社めぐりより転記 --

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(9)

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 墓地を横目に山際に上がって行きますと、うん、うん、これが〝唐尾山四国霊場一番札所〟のようですネ。
 その並びの右側に〝好右衛門義擧碑〟が…
 説明板もありますので、眼を通してみますと、

 ◆明和一揆の義民・渡邉好右衛門

 明和6年(1769年)の秋から翌年にかけて、福山領は天候不順による大凶作と重税により、飢餓人が出るほどの過酷な状況に置かれ、窮乏に耐えかねた農民達によって明和一揆が勃発しました。
 その際、福山領6郡すべての農民達の信頼を得た指導者の一人が下御領村組頭の渡邉好右衛門です。農民達の要求は大半が認められましたが、幕府の発令した一揆弾圧により、首謀者とされた好右衛門と下竹田村の定藤仙介、北川六右衛門の3人が打ち首、獄門の刑に処せられました。
 明正寺(上御領)の過去帳には、法名とともに、好右衛門、仙介のいずれも「安永2年2月13日」の同日に歿した記載があります。好右衛門の墓は寒水寺にあると伝えられて来ましたが、残念ながら、現在、特定できていません。
 なお、好右衛門については、昭和4年に土肥七郎(政長)氏によって備後國分寺域に建立された好右衛門義擧碑があり、その霊徳を顕彰しています。

 --- 平成29年3月 神辺ふるさと会 ---

 ◆延宝の水害 供養塔

 備後國分寺寺域の一角に、大正11年に土肥七郎氏による延宝の大水害の犠牲者63人の供養塔があります。
 江戸時代の初期、延宝元年(1673年)5月14日、この地方は集中豪雨に襲われ上流の池が決壊、堂々川が氾濫し川下の村は大被害となり、63人もの犠牲者が出る大災害となりました。この洪水で広大な寺院であった備後國分寺の伽藍も流出し、田畑には1メートル以上の土砂が堆積しました。福山藩はこれを教訓として、土砂対策として石積みの砂防椻提「砂留」の建設に力を注ぐことになり、堂々川に16基も作りました。
 なお、2006年(平成18年)には中流域の砂留8基が国の登録有形文化財に指定されました。

 --- 平成29年3月 神辺ふるさと会 ---

 …と、〝好右衛門義擧碑〟〝延宝の水害供養塔〟の由来の説明が(^-^)//"

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夕方の激しい降雪で、今冬初めて福山市内に積雪かと思いましたら…

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 夕方、5:00過ぎ頃でしたか…冷たい風が吹いておりまして小雨がパラパラ。西方の沼南アルプスに眼を向けますと、ドンヨリと曇って、今にも降雨が始まりそうにも見えました。
 今からウォーキングに出掛けよう…と思っていたのですけど、これでは暫く様子見ですネ(^-^)
 そして、15分後に再度、外に出てみますと、激しい風に激しい降雪。
 う~ん、これではウォーキングは断念です。市道を挟んで我が家に隣接の公園内は、見る見るうちに雪化粧。
 この調子では、今冬初めて福山市内も積雪だなぁ~明日の朝は、車の走行も大変かも…と、想いは明日に…
 それから30分後、またまた降雪状況を伺いますと、んっ!?、降雪はとっくに終わっておりまして、空には星が…そして、お月様も…先ほどの激しい降雪がウソのように、ドンヨリとした雲も無くなっておりましたネ(^-^)
 いゃぁ、激しい〝にわか雪〟でしたようですねぇ~
 WEB上で、天気概況を確認してみますと、

 ◆全国概況

 --- 2023年1月27日 17時00分 気象庁発表 ---

 28日は、北日本の日本海側や北陸~山陰にかけては雪が降り、所により雷を伴うでしょう。また、新潟から北の日本海側ではふぶく所もある見込みです。北~東日本の太平洋側は概ね晴れますが、山沿いでは雪が降るでしょう。西日本の太平洋側や九州北部は晴れ間もありますが雲が広がりやすく、にわか雪の所がある見込みです。南西諸島は雲の多い天気となって所によりにわか雨があるでしょう。(気象予報士・吉田信雄)

 …との事で、明日の瀬戸内沿いも、先ほどのような〝にわか雪〟がありますのかも…
 積雪がありますと、翌朝が大変ですけど、積もらないとなりますと、周辺の雪景色の景観も観たかった…との想いも少々(^-^)
 それにしましても、ここ数日冷たい日々で、身も心も縮んでしまいそうですよ(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(9)

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 工事で忙しくしておられます方々を横目にパチパチ写真を撮っていますのも気が引けますから、西側の墓地の方に向かっていますと、マップ上では〝好右衛門義擧碑〟と記載がありますから、墓地裏(北側)の山際に行ってみましょうか…
 眼に入ります景観を画像に納めながら、ノンビリと歩きながら、チョッとWEB上で〝好右衛門義擧碑〟の事前学習です。
 そぅしましたら、こんな記載がありましたネ。

 ◆明和一揆の義民 渡邉好右衛門義碑

 国分寺裏唐尾山四国霊場一番札所の脇に「好右衛門義碑」がある。

 ・渡邉好右衛門碑文
 下御領村組頭渡邉好右衛門、父重兵衛という田村に住し資質剛直 頗る才略有す 安永元壬辰(一七七二)秋 里正憤り 之苛征自ず止むことあたわず 進み訴え福山藩庁において緩やかに事(おさむ)る 小民を救わんと之困憊して群センたる所中に身を縲絏(るいせつ)に繋ぐ
 二年二月十三日、幽界に神を移す 時に年五十二 法号節生蓮意 寒水寺において葬る 吁凌霜の雪を侵し 救民に窮苦する霊徳 昭著にして百世に滅ぶ無し
 -- 昭和四年七月 土肥政長(村長)建立 --

 参考文献(「第8回御野村郷土塾5」配付資料2015年12月9日 転載)

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GONsanの出退勤時に走行の県道244号線…常時渋滞しておりますけど、今朝は格別に…

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 GONsanの出退勤時に走行します県道244号線…朝夕は大概、結構な渋滞なんですけど、今朝は格別に…
 普段、この場所は未だ渋滞が始まっていないのに…何で!?…と思いながらも、大型ミキサー車の後方を走行しておりましたGONsanです。
 降雪・積雪はありません福山市内ですし…
 暫く走行・停止の繰り返しでノロノロ走行をしておりますと、突然、ミキサー車が中央線側に車線変更。
 これまた、〝んっ、何で!?〟のGONsanでしたが、前方が開けて納得です。ふ~ん、前方の歩道脇に一台の軽四車が停止中。
 ハザードランプの点滅はありませんけど、左側ドアを開放ですから、何かトラブル発生は容易に見て取れましたネ。バッテリーの電圧でも下がりましてエンジン停止?…か、どぅか分かりませんけど、通常ありません格別の渋滞は、この軽四車に起因しておりました(^-^)
 こんな時間帯にトラブルとは、当のご本人も実にお気の毒。通りすがりにチラッと眼を向けますと、別段、架電中でもありませんで、救援車の到着をひたすら待っておられましたのかも…
 まぁタマには、こんな事もありますから(^-^)
 日々の絵日記の話題に事欠きますGONsanですから、2枚ばかりパチリとなりました(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(8)

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 参道を挟み、「行基菩薩像」と「まんだら石」の対面には六地蔵堂があり、その先には棟門の中門があります。
 一般的に寺が二つの門を持つときは、総門→山門という形式をとり、先にある総門のほうが山門よりも簡素な作りになっているのが普通のようであります。が、この国分寺では先に大きな門(八脚門)があり、その先に簡素な門(棟門)がありまして、あまり他では見ない構成であります。中門は、境内の中を仕切る機能をもった門なんでしょうネ。
 中門を入った突き当りは庫裏になっておりまして、参道は左にクランク状に折れ曲がり、本堂へと続いています。
 左の本堂方向へ進みますと、正面が〝参拝者の休憩所〟で、その右の宝形の堂が〝護摩堂〟なんでしょうけど、GONsanが訪れました時には休憩所は取り崩され、新しく建物を建築中でありました。
 併せて本堂の屋根も改修の真っ最中。本堂は寄棟造の質素な堂で、境内には他に鐘堂が…
 工事の皆様の邪魔にならないよう、こんな境内の景観を何枚かパチリのGONsanでありました(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(7)

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 ◆備後国分寺

 --- https://tabi-mag.jp/hm0310/ ---

 奈良時代、聖武天皇の詔で全国66ヶ国に1ヶ寺ずつ設置された国分寺(金光明四天王護国寺)のひとつ備後国分寺の後継寺院で広島県福山市にあります。奈良時代創建の備後国分寺は、戦国時代には衰退し、天文7年(1538年)の神辺の合戦で堂宇は焼失しています。天文19年(1550年)に薬師如来を本尊として再建され、翌年には毛利元就も参詣。

 ・備後国に建てられた国分寺の後継寺院
 創建当時の南大門は、古代の山陽道に面して建てられ、門をくぐった左側に金堂、右に七重塔、その北側に講堂という法起寺式で伽藍が配置されていました。
 昭和47年からの発掘調査で講堂、金堂、塔の跡が発見されています。
 江戸時代初期に土石流で壊滅となっていますが、後に備後福山藩第4代藩主・水野勝種(みずのかつたね)の後ろ盾により再興。
 ちなみに備後国は、7世紀後半に、吉備国を備前国(後に美作国も再分割)、備中国、備後国に3分して設けられています。
 国府は、広島県府中市元町付近にあったとされていますが、その遺構は未発見で定かでありません。国分尼寺(法華滅罪之寺)も福山市神辺町湯野あたりにあったと推測されています。

 山門(仁王門)の前辺りには、詩碑・歌碑が二つばかり…
 手前の歌碑には、昭和61年秋、故北川勇氏の揮毫により建立されたもので、碑の裏面には、〝「如実上人を訪ひ侍りし日庭の草花盛りなりしかば」とあり、表に「訪ひ寄れば袖も色濃くなりにけり 籬の露の萩の花摺り」晋帥〟の和歌が刻まれています。

 ◆神辺町下御領 備後國分寺 菅茶山和歌

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-kanchazan/3116.html ---

 「如実上人を訪ひ侍りし日 庭の草花盛りなりしかば」
 訪(と)ひ寄れば袖も色濃くなりにけり 籬(まがき)の露の萩の花摺(はなず)り 晋帥(ときのり)

 ・如実上人 … 国分寺の元禄の再建より4代目の住職
 ・晋帥 … 菅茶山の本名

 【大意】
 如実上人を訪ねて国分寺に寄れば、着物の袖が色濃くなるくらい草花は真っ盛り。萩の花が映りこんだ垣根の露で着物を染めてしまいそうだ。
 この石碑の揮毫は『茶山詩五百首』で知られる故北川勇氏である。

 …との事で、この後方の石碑に綴られました文字は、GONsanには読めないのですけど、

 ◆神辺町下御領 備後國分寺「聯句戯贈如實上人」

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-kanchazan/3116.html ---

 「聯句戯贈如實上人」
 上人好事爲花顛 唯愛名花不愛銭 拙斎
   上人好事(こうず)花のために顛(てん)ず
     ただ名花を愛して銭を愛さず

 爲是年年購奇種 下山時乞衆生縁 晋帥
   是(こ)れ年年奇種を購(あがな)うために
     山を下って時に乞う衆生(しゅじょう)の縁

 是れ如實上人に呈す聯句 事四十年前に在り今此れを書し愴然
 文政辛巳仲秋 菅晋帥再行

 ・好事 … 珍しい変わった物事を好むこと

 【大意】
 上人は好事家で、花のためには逆立ちしても惜しくはない。ただ立派な花を愛して、銭には愛着がない。だから、毎年花の奇種を購うために、山を下りて(寺をから里へ出て)衆生に時々銭を乞われる。

 …と、こんな意味のようであります(^.-)☆
 歌碑の近くの参道脇には、こんな説明板も…

 ◆備後国分寺(増寺)跡

 天平13(741)年、聖武天皇発した国分寺建立詔(みことのり)によって、この地に備後国分寺(増寺)が建立されました。寺の正式名称を「金光明四天王護国之寺」と称し、律令国家体制の完成期に鎮護国家の経義に基づいて造営されたものです。昭和47年度からの四次にわたる発掘調査によって、東西600尺(180メートル)の寺域が判明し、また、塔・金堂・講堂ならびに南門跡の検出により、いわゆる法起寺式伽藍配置をなすことが明らかになりました。南門は古代山陽道に面して開き、立地として重要な位置を占めると同時に、広大な寺域内に残る堂塔の遺構から官寺である国分増寺の雄大な伽藍の規模が想定されます。

 --- 平成17年3月 福山市教育委員会・神辺町観光協会 ---

 山門から境内へ向かってみます。まずは、仁王様をパチリ(^.-)☆
 山門を潜りますと、まず眼に入りますのが、「行基菩薩像」と「まんだら石」です。〝行基菩薩像〟と〝まんだら石〟の間には説明板が設置され、こんな記載がありました(^-^)//"

 ◆行儀撮像(左)

 行基は奈良時代の高僧で、河内の人。民間布教と社会事業に尽力し、奈良東大寺大仏造立に際しては大勧進として全国を行脚して寄付を集め、わが国最初の大僧正に任ぜられた。諸国國分寺創建にも関わったとされ、本堂にも坐像を安置する。今日なおその威徳を称え行基菩薩と敬われている。

 ◆まんだら石(右)

 インド文字を縦書きにした梵字悉曇文字を刻む。中央の大きな文字は、大日如来の種子(仏を一字で表示した梵字)で「アーク」と読み、周りには月輪上に光明真言が下左より梵字23文字で掘られており、「オン・ア・ボ・キャ・ベイ・ロ・シャ・ナウ・マ・カ・ボ・ダラ・マ・ニ・ハン・ドマ・ジンバ・ラ・ハラ・バ・リタ・ヤ・ウン」と読む。光明真言は一切諸仏菩薩の総呪であるが故にまんだら石という。

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んっ、〝水路淈浚工事〟!?…ふ~ん、ヤッと実施して貰えますようです(^.-)☆

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 昨日の午後でしたか…我が家横を流れます農業用水路のガードに〝水路淈浚工事〟の看板が設置。
 早速、眼を向けてみますと、

 ◆工事中
 水路淈浚工事(平木水路外1水路)

 ・区間 -- 福山市水吞町地内
 ・期間 -- 1月23日~1月25日
 ・施工 -- P・C・Gプランテック 島本 義登
 -- 港湾河川課 (電話)084-928-1260 --

 …と、こんな内容の工事案内でありました。
 ふ~ん、大変長期間を要しました『水呑三新田土地区画整理事業』も、ヤッと本年3月末で事業完了の予定です。
 で、切羽詰まって、事業完了前に、地域住民の要望を処理しておこう…と言う事なんですネ(^.-)☆
 この用水路は、GONsanは、もぅ20年ばかり、我が家の自宅と農地が接しています区間は、2ヶ月に1回程度、水路の清掃をして来ておりますから、一応、キレイなんではありますが、日頃お勤めの若い方々は仲々そうも行きませんし、用水路の中には入られませんから…
 で、手入れをしない用水路には土砂堆積・藻や水草等の雑草も成長の状況に至ってしまいます。
 それで、『水呑三新田土地区画整理事業』完了も近付いて来ましたので、昨年の春でしたか…都市計画課に、事業完了までに三新田内の用水路の〝土砂・雑草〟の除去を依頼しますと、地元の建設常設委員に申し出しませんと話しが進まない…との事で、常設に電話連絡。常設は「町内会で対応して…」ですから、ムカつきはしますけど、現地で、GONsan・常設・港湾河川課の三者で会話。その際には、結論は出ませんでしたけど、昨日午後に、この看板が設置されましたので、我が家近隣のこの区間と、他の区間の2箇所で〝水路淈浚工事〟実施となりましたのでしょうねぇ~
 遅ればせながら、これが、GONsanへの〝回答〟と言う事なんですネ(^_^)v
 最後に常設・市の担当の方達と会話しましたのは、確か昨年の10月でしたか…その際にも回答・進展無く、以降、今日まで、GONsanばかりで無く、他の方々も市への要望をされましたのでしょうねぇ~
 こんな経緯はありますのですけど、とにかく、本日・明日と、用水路の〝水路淈浚工事〟が実施されますので、嬉しいですネ(^_^)v

 でも、不思議なのが、今回、水路淈浚工事実施のこの区間に、異常に土砂堆積が多い点かも…
 用水路の擁壁をジックリ見てみますと、この排水溝の穴ですけど、排水溝の出口の位置に微妙な差が…
 排水溝の出口が通常の水面の高さにあるものと、随分上に位置するものとの2種類ありまして、位置が高いのは区画整理後に家屋を建てられた土地であり、水面に近い位置のものは、区画整理前から存在します排水溝の出口なんだと思います。
 ひょっとしたら、この低い排水溝出口から土砂が流出し、この付近の川底に土砂堆積が生じますのかも…
 降雨時に確認しますと分かるのでしょうけど、降雨時には水面下ですから確認は不能。
 こぅいぅ事にド素人のGONsanには、排水溝の位置の高低の理由は、分かるハズがありません(^-^;
 勝手に想像するのみなんであります。因みに、我が家の農地に接します擁壁には、排水溝の出口は一つも無いのですけど…

 それにしましても、『水呑三新田土地区画整理事業』の計画決定から、30年と言う長い期間を経まして、ヤッと3月末に事業完了ですから、ヤレヤレですよ(^.-)☆
 でも、未だ、終わってませんけどネ(^-^)//"

 ◆福山市水呑の区画整理、30年の曲折経て完了へ 70.3haの広大な田園変貌

 --- 2021/10/22(最終更新:2021/10/22) 中国新聞デジタル ---

 福山市が同市水呑町の70.33ヘクタールで進めてきた水呑三新田土地区画整理事業は道路や公園など全ての施設整備が終わり、一部の事務手続きを残すのみとなった。農地整理と市街地開発のため1991年に計画決定されて30年。一時は土地活用が宙に浮くなど曲折したが、総額137億円の大事業は広大な田園地帯を商業施設などを含む郊外の住宅地へと変貌させた。

 事業の対象は芦田川大橋西詰めのエリア。92年に着工し、昨年11月に道路や公園などのハード整備が終わった。9月の市議会定例会で住所変更や市道の認定案が可決され、来年度の換地処分で事業は事実上完了する。

 芦田川西側を走る県道福山鞆線の渋滞緩和を目指し、元は7割ほどが水田だった土地に都市計画道路5本を含む道路80本を通した。公園や排水ポンプ場も設置した。2003年の芦田川大橋の開通も相まって、商業施設や飲食店の進出が相次いだ。

 子育て世代の転入も増え、水呑町の人口は91年の約1.3倍の1万1,522人(今年3月末時点)、世帯数は約1.7倍になった。水呑学区自治会連合会の小森弘敏会長(67)は「保育所や医療機関も集まり、利便性の高い生活圏ができた」と受け止める。

 ただ、計画通り進まなかった土地もある。芦田川大橋近くの約2万5千平方メートルには小学校の建設を計画していたが、少子化で児童数が減り断念。土地の活用が10年以上宙に浮いた。一部は広島県や民間に売却後、コンクリート片が掘り出され、市が処理費を負担する事態になった。事業完了も地権者との交渉が長引き、当初に予定した00年から大幅にずれ込んでいる。

 一方、地区内には市の新たなまちづくり拠点「交流館」の第1号となる水呑交流館が18年に完成。事業費に充てるため市が販売する保留地も9割ほどが売却済みだ。市の芳原康滋区画整理担当課長は「時間はかかったが、市南部地域の活性化に重要な役割を果たしている」とする。

 地区では、若年層を含め自治会の加入率が高いという。元は干拓地で海抜が低いことから、洪水や津波のリスクの周知も進める。小森会長は「安全で暮らしやすいまちづくりへ努力を続ける」と力を込める。(吉原健太郎)

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(6)

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 一直線に延びました参道を山門に向かって進みますと、右側に〝萩嶋稲荷神社〟が有りますので、まずは参詣となりました。
 そして、〝萩嶋稲荷神社〟周辺の景観を何枚かパチリです。
 WEB上で〝備後国分寺〟を検索してみますと、こんな記載がありました(^-^)//"

 ◆備後國分寺

 --- http://z80bingo.starfree.jp/a-21-kokubunji/a-21-kokubunji.html ---

 国分寺(こくぶんじ)福山市神辺町下御領
 中国四十九薬師霊場第十二番札所
 ご本尊は薬師如来。山号は唐尾山醫王院といい、真言宗大覚寺派に属する。
 天平13年(741)に聖武天皇は全国に国分寺の建立を命じた。それは全国に置かれた国府付近に国分尼寺とセットで建てられていった。正式名称は国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)と称する。備後では、国府は府中市に置かれ、府中市元町の広谷公民館前駐車場付近一帯が備後国府跡ツジ遺跡と比定され現在も発掘調査が行われている。発掘現場では三つの大規模柱穴発見され、国政を司った国庁建造物跡と考えられている。また備後国総社は近くの小野神社境内に確認されている。

 備後国分寺は昭和47年(1972)から発掘調査が行われ、東西180mの寺域が確認され、法起寺式伽藍配置であったことも判明している。一方、国分尼寺は、ここから西方の小山池に廃寺跡が確認され、国分寺と同じ瓦が出土したためにここが国分尼寺跡ではないかと思われている。
 国分寺本堂は五間社の宝形造に近い寄棟造で、前方一間通りが吹き放たれ、さらに一間の向拝を持つ。角柱上は舟肘木を置く。屋根は桟瓦葺で、降棟の先に稚児棟が造られる。入母屋屋根に本瓦葺の三間一戸山門(仁王門)は古そうである。

 -- 備後の歴史を歩くコミュの国分寺より転記 --

 ◆備後国分寺

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 備後国分寺(びんごこくぶんじ)は、広島県福山市神辺町大字下御領にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は唐尾山。本尊は薬師如来。
 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、備後国国分僧寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、寺院跡である備後国分寺跡と、備後国分尼寺跡についても解説する。

 ・概要
 広島県東部、神辺平野北縁の堂々川東岸に位置する。聖武天皇の詔で創建された国分寺(金光明四天王護国之寺)の法燈を継ぐ寺院で、現在の境内の南に古代の国分寺跡が所在する。西には小山池廃寺跡(推定備後国分尼寺跡)が所在し、両寺の南面には東西に古代山陽道が通るほか、付近では迫山古墳群等の古墳群が分布し、古くから文化的中心地であったことが知られる。中世期には戦乱で焼失し、再建伽藍も江戸時代の堂々川の氾濫で流失するなどの不遇の歴史を経たのち、現在に至っている。
 古代の国分寺跡については1972年度(昭和47年度)以降に発掘調査が実施されており、主要伽藍として金堂・塔・講堂・南門の遺構が検出され、法起寺式伽藍配置であることが確認されている。

 ・歴史

 <古代>
 聖武天皇肖像
 創建は不詳。天平13年(741年)の国分寺建立の詔の頃の創建と見られる。
 弘仁11年(820年)の『弘仁式』主税寮の規定では、国分寺料として稲2万束があてられる。また延長5年(927年)成立の『延喜式』主税上では、国分寺料として稲2万束が規定されている。

 <中世・近世>
 享保元年(1716年)成立の「国分寺来由記」による由緒は次の通り。

 かつては所領100余貫・子院が12を所有。
 永禄4年 (1561年)春に兵火に遭い、神辺城主の杉原盛重が寄付を基に草堂七楹を建立、土地20貫を寄進。
 慶長5年 (1600年)福島正則により寺領を没収。
 延宝元年(1673年)洪水で堂舎倒壊、一堂のみが残存。
 延宝7年 (1679年)水野勝種が網付山の材木を寄進、茅屋七楹を建立。
 元禄5年 (1692年)薬師堂を建立、薬師如来・十二神などを安置。
 (元禄10年(1697年)勝種により倒壊の原因となった堂々川の土砂災害対策が始まる(福山藩の砂留))

 ◇備後国分寺跡
 僧寺跡の寺域のうち南北は未確定であるが、東西は約180メートル(600尺)を測り、東辺では築地塀が確認されている。主要伽藍は金堂を西、塔を東、講堂を北に配する法起寺式伽藍配置である。また寺域南辺において、古代山陽道に面して開く南門(南大門)が検出されている。
 なお、『福山志料』では栗柄廃寺跡(府中市)を備後国分寺とする説を記載するが、現在では同寺は白鳳寺院跡とされる。

 ◇備後国分尼寺跡
 尼寺跡は、僧寺跡から堂々川を挟んで西の小山池廃寺跡(こやまいけはいじあと、福山市神辺町西中条:北緯34度33分49.53秒 東経133度23分15.60秒)に比定される。1976-1978・1997年度(昭和51-53・平成9年度)に発掘調査が実施されている。
 伽藍配置は東に金堂、中央に塔、西に講堂が並ぶ珍しい形式である。白鳳期末期の7世紀後半頃の創建で、平安時代の12世紀頃まで継続したと推定される。備後国分寺と近接し、かつ備後国分寺と共通する瓦が出土することから、白鳳寺院が奈良時代に国分尼寺として再利用されたと推測される。

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(5)

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 落ち葉に足を滑らせませんように慎重に下りて来た積もりですけど、下りは、さすがに速いです(^-^)
 アッと言う間に〝神辺スポーツ広場〟まで戻って来ました(^.-)☆
 駐車場から〝迫山古墳〟辺りに眼を向けますと、雲一つ有りません真っ青な空。2022年も、いよいよ残り少なくなりまして、何だかんだと慌ただしい日々なんですけど、風も無く温かく、絶好の行楽日和でありましたネ。
 それでは、ここからスグ近くの〝備後国分寺〟に立ち寄ってみる事に致します(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(4)

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 この〝迫山1号墳〟から更に奥に進む道がありますから、それを進めば、まだ古墳があるのかも分かりませんけど、それはまたの機会に(^-^)
 迫山1号墳の周りを見て廻りましてから、再度、説明板を確認です。
 迫山第1号古墳(広島県史跡)の横穴式石室内から出土しました〝単鳳環頭大刀(たんほうかんとうたち)〟。
 柄に8面体の金銅製筒金具、柄頭に楕円形(長径6.0cm、短径4.3cm)の金銅製環頭が装着され、環頭中央に鳳凰、周りに2頭の龍が施されています。県内では3例目の単鳳環頭大刀との事ですけど、説明板の写真は〝環頭太刀柄頭〟のみ。
 いくら立派な太刀でありましても、保存環境が悪くて「柄頭」のみとは残念ですねぇ~
 もぅ3年前になりますでしょうか…岡山県真庭市の〝大谷1号墳〟に出掛けた事がありますけど、この古墳からは、大変保存状態のイィ〝双龍環頭大刀〟が出土しています。

 ◆双龍環頭大刀(そうりゅうかんとうたち)

 柄頭だけでなく鞘の栫も良好に遺存し、全体の形状がよく分かる点で希少な古墳時代の環頭大刀である。
 柄頭、鍔、鞘の飾金具および責金具は金銅製で、鉄製の刀身や鞘木も部分的に残る。柄頭には透かし彫りにより2匹の龍が向かい合わせで玉を食む姿が表され、柄や鞘にはS字形または蕨形のモチーフで飾られる。双龍環頭大刀は、朝鮮半島の新羅などの影響を受けて6世紀に古墳の副葬品として登場し、本品は龍文様の退化などから7世紀にまで製作年代が下ると推定される。
 古墳時代の対外交流をうかがい知る考古資料として非常に重要である。

 ◆大谷1号墳

 定古墳、定北古墳から中津井川を挟んで南西には、定北古墳より少し遅れて7世紀後半に作られたと思われる大谷(オオヤ)1号墳があります。昭和63年(1988)になって発見されました。
 方形3段の墳丘の前面部にだけ更に2段の石段があって、計5段の方墳という全国でも珍しい形式で、定古墳との共通点があります。木棺と陶棺の他、なんと全面に金箔の貼られた双竜環頭太刀や金銅製品など、やはり貴重な出土品が見つかっています。
 被葬者は、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に味方して功績のあった吉備大宰石川王(キビノオオミコトモチイシカワノオオキミ)ではないかといわれており、当地と大和朝廷との深い関わりが推測されています。石川王は鬼ノ城の主とも言われており、日本書紀によると、679年に没した際に天武帝より諸王二位を贈られています。

 この〝双龍環頭大刀〟を眼にしていますから、〝単鳳環頭大刀〟も保存状態が良ければ、こんな太刀だったのだろぅなぁ~と、勝手に想像してしまいます(^-^)
 〝迫山1号墳〟を充分拝見しましたので、それではこの辺で下山です。
 落ち葉が結構ありますから、足を滑らせませんよう慎重に下りませんと(^-^)
 登り口近くまで下りて来ますと墓地が…随分古そうな墓石ですけど、いつの時代のお墓なんでしょうねぇ(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(3)

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 石室内を充分拝見しましたので墳丘廻りも見てみましょうか…
 石室の天井部分には隙間が生じ、中を覗く事が出来ますけど、長い年月の間に石がずれ込み隙間が生じましたのかも…迫山古墳は、〝石室の開口時期は早く、平安時代末頃に撹乱を受けている…〟ようですから、その際なのかも…
 現在は、周辺に樹木が生い茂り眺望は出来ませんけど、築かれた当時は、周辺を見渡せ、麓からもこの立派な古墳が、地域のシンボルとして容易に眼に入りましたのでしょうねぇ(^-^)//"

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(2)

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 古墳までの上り道は、ほぼ真っすぐですから、のんびりと進行です。落ち葉も結構有りますから、足が滑らないようにユックリと(^-^)
 黙々と上がっておりましたら、前方に古墳の説明板が見えて来ましたネ。ほどなく、〝迫山第一号古墳〟に到着となりました。
 説明板に眼を通しますと、こんな記載でありました。

 ◆広島県史跡 迫山第1号古墳

 深安郡神辺町大字湯野字迫山9-1
 昭和61年11月25日指定

 備後南部で最大の横穴式石室をもつこの古墳は、この地域のリーダーとその家族が葬られていました。石室内の発掘調査では、さまざまな副葬品が出土しましたが、なかでも儀式に使用された環頭太刀は、このリーダーが畿内政権と非常に親しい関係にあったことを示す出土品というます。
 この太刀を持つことができる人物は限られており、迫山古墳群だけでなく、神辺平野の東部地域の軍事組織を統率した指揮官クラスの人物であったと思われます。
 また、この迫山古墳群の眼下にある大宮遺跡からは大型建物群の集落が見つかっており、この古墳群に葬られた人達が暮らしていた館跡と考えられています。

 【古墳データ】
 《古墳の規模・形》直径21.5m、高さ5mの円墳
 《石室形式・規模》片袖式横穴室石室、全長11.6m、玄室高2.8m、玄室幅2.5m
 《出土品》武器(単鳳環頭太刀1・銀像嵌太刀1・鉄刀1・鉄鏃)、馬具(鉸具2)、装身具(耳環8・切子玉2・勾玉1・管玉12・ガラス玉7・なつめ玉・練玉210)、土器(須恵器・土師器)
 《時 代》古墳時代後期末-6世紀末

 --- 平成15年3月31日 福山市教育委員会 ---

 …と、こんな記載でありました。
 WEB上で検索してみますと、こんな記載もありました(^-^)//"

 ◆広島県の文化財 - 迫山第一号古墳

 --- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-206121060.html ---

 迫山第1号古墳は、神辺平野を望む丘陵尾根先端の山腹傾斜面に位置し、11基で構成される迫山古墳群中にあって最大の規模である。墳丘は版築状につき固めて盛土しており、径21.5m、高さ5mの円形をなす。墳丘の北面及び西側では浅い周溝がみられ、石室前面の両側には墳裾を示す列石も見られる。副葬遺物は、武器類、馬具類、装身具類、土器類の計274点がある。本古墳は、いわゆる大型横穴式石室墳と言われるものであり、玄室内空間容積44.8平方メートル、玄室床面積16.0平方メートルは、それぞれ県内第2、第3位の規模である。また、石室内から出土した多量の遺物は県内では3例目の単鳳環頭大刀や銀象眼鍔付大刀など美術品として価値が高いものだけでなく、同一石室からの一括出土品として当時の生活、技術などを知る上で価値が高い。また、これらは備後南部における古墳時代後半期(6世紀)の政治的動向を解明する上で貴重である。

 ◆単鳳環頭大刀(広島県重要文化財)

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-rekishiminzoku/3148.html ---

 ・1987年3月30日指定

 単鳳環頭大刀(たんほうかんとうたち)は、復元全長約80cm、刃の長さ約56cmで、迫山第1号古墳(広島県史跡)の横穴式石室内から出土しました。柄に8面体の金銅製筒金具、柄頭に楕円形(長径6.0cm、短径4.3cm)の金銅製環頭が装着され、環頭中央に鳳凰、周りに2頭の龍が施されています。県内では3例目の単鳳環頭大刀で、畿内を中心とする大和政権から地方豪族を掌握する過程で政治的・軍事的シンボルとして、この地域を統率するリーダーに分与されたものと考えられています。古墳時代後期(6世紀)における工芸技術の粋が集められており、当時の技術力の高さがうかがえます。また、大和政権と備後南部におけるこの時代の政治的動向を示す大変貴重な資料といえます。

 ◆迫山1号墳

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 迫山1号墳(さこやまいちごうふん)は、広島県福山市神辺町湯野にある古墳。形状は円墳。迫山古墳群を構成する古墳の1つ。広島県指定史跡に指定され(指定名称は「迫山第一号古墳」)、出土品は広島県指定重要文化財に指定されている。

 ・概要
 広島県東部、神辺平野北縁の丘陵において、平野を望む丘陵尾根先端の山腹に築造された古墳である。一帯に分布する迫山古墳群12基のうちでは最大規模になる。これまでに1983・1986年(昭和58・61年)に発掘調査が実施されている。
 墳丘は版築によって構築される。墳形は円形で、直径21.5メートル・高さ5メートルを測る。墳丘の北面・西面では浅い周溝が認められるほか、石室前面の両側の墳裾には列石が据えられる。埋葬施設は片袖式の横穴式石室であり、南東方向に開口する。石室全長11.6メートルを測る大型石室であり、石室内からは環頭大刀・銀象嵌大刀などの多数の副葬品が検出されている。
 この迫山1号墳は、古墳時代後期の6世紀末葉頃の築造と推定される。特に環頭大刀の出土は全国でも限られており、畿内ヤマト王権との密接な関係のもと神辺平野東部地域では最有力となる古墳として注目される。また眼下の大宮遺跡では大型建物群が検出されており、本古墳の被葬者の拠点集落になると推測される。
 古墳域は1986年(昭和61年)に広島県指定史跡に指定され、出土品は1987年(昭和62年)に広島県指定重要文化財に指定されている。

 ・来歴
 平安時代末頃、石室内の乱掘。
 1983年(昭和58年)、発掘調査。副葬品の出土(神辺町教育委員会、1984年に概報刊行)。
 1986年(昭和61年)、発掘調査(神辺町教育委員会、1987年に概報刊行)。
 1986年(昭和61年)11月25日、広島県指定史跡に指定。
 1987年(昭和62年)3月30日、出土品が広島県指定重要文化財に指定。

 ・埋葬施設
 埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り。
 石室全長:11.6メートル
 玄室:長さ6.2メートル、高さ2.8メートル、幅2.5メートル
 羨道:入り口幅2メートル
 石室は二子塚古墳(福山市駅家町中島)にも匹敵する巨大石室であり、玄室内空間容積としては44.8立方メートルで広島県内第2位、玄室床面積としては16.0平方メートルで広島県内第3位の規模になる。

 ◆迫山第1号古墳(さこやまだいいちごうこふん)

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64265.html ---

 県指定史跡 昭和61年(1986年)11月25日指定

 迫山古墳群は、備後国分寺の北西に広がる標高80mの丘陵頂部、東尾根、西尾根の3か所にまとまりが見られ、現在12基の横穴式石室墳が確認されている。
 このうち頂部にある、迫山第1号古墳は直径21.5m、高さ5mの円墳で、墳丘は黒色の土で版築状につき固められており、西側では浅い周溝、石室前面の両側には墳裾を示す数個の石が存在する。埋葬施設は南東に開口する片袖式の横穴式石室で、駅家町の服部川周辺に集中する二子塚古墳などの巨大横穴式石室に匹敵する規模を持っている。
 石室の開口時期は早く、平安時代末頃に撹乱を受けているが、昭和58年(1983年)と昭和61年(1986年)に神辺町教育委員会が発掘調査を行った際に内部から単鳳環頭太刀、刀、鉄鏃、馬具と思われる絞金具、勾玉、管玉、切子玉、棗玉、ガラス小玉、土製練玉、金銅製耳環、須恵器などの遺物が豊富に出土した。
 石室の構造や出土遺物から古墳時代後期末に築造されたものと考えられるが、単鳳環頭大刀や鍔に銀象嵌の文様をもつ刀が出土したこと、石室の規模などから迫山古墳群の盟主的な古墳と考えられており、神辺平野東部地域で勢力圏を獲得しつつ台頭してきた最も有力な首長墓と考えられる。

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年の瀬迫った12/27(火)は、〝迫山古墳・備後国分寺〟を散策でした(^.-)☆(1)

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 年の瀬迫りました12/27(火)は、ウォーキングを兼ねまして、神辺町の〝迫山古墳〟と〝備後国分寺〟を散策となりましたGONsanです。
 まず向かいましたのが〝迫山古墳〟。古墳近くの神辺スポーツ広場の駐車場に車を駐め、周辺を見廻しです。
 眼の前の池の西側淵に、小さな山が…この山頂に〝丸山古墳〟が有るようですから、WEB上で検索してみますと、特に古墳の画像の掲載は出て来ません。
 どなたかのホームページに『小さな山に見えます。山頂?に直径20m・高さ3m位の円墳があるそうです。立ち入り禁止の表示が目に付きます。私有地のようです。』程度の記載のみですから、ここはパス。
 迫山古墳の登り口には、こんな説明板が…これには、こんな記載がありました。

 ◆迫山古墳群

 --- 神辺町大字湯野迫山 広島県指定史跡 ---

 標高84mの丘陵南斜面に位置する当古墳群は、横穴式石室をもつ古墳を中心に箱式石棺2基を含む計11基から構成されています。1983年に発掘調査が行われた第一号古墳は、直径19m、高さ5mの円墳で、全長11.6mに及び県内最大級の横穴式石室を有しています。石室からは、副葬品として環頭太刀・直刀・鉄鏃などの武器類をはじめ、馬具や装身具(耳環・玉類)、土器(須恵器・土師器)が出土した。なかでも環頭太刀は鞘と柄に金銅製の金具を、柄頭に鳳凰を具象した環頭を装着したもので、大和政権が地方へ進出する過程で各地の豪族に政治的、軍事的シンボルとして分与したものと考えられています。この古墳は6世紀末頃に造られたと推定され、大和政権の地方支配と密接に係わった豪族の墳墓として、当地方の古代社会を考える上で極めて貴重な文化財といえます。
 -- 1985年3月 湯野迫山古墳群保存会・神辺郷土史研究会 --

 --- 2019年度 湯田学区まちづくり推進委員会 ---

 …と、こんな迫山古墳群であります。
 それでは、案内表示に従って、〝迫山第一号古墳〟に上がってみます事に(^-^)//"

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そぅでした…最近は、銀行も〝お昼休み時間〟がありましたネ(^-^)

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 昨日・月曜日の正午前でしたか…日吉台墓地管理組合からの帰路、振込処理で、もみじBK蔵王支店に立ち寄りのGONsanです。
 店舗内に入りますと、気のせいか、何となくATMコーナーが薄暗いような…
 〝何で!?〟…と、ATMコーナーを見廻し暫し思案。
 んっ!?…ATMコーナーと営業室との間がシャッターで遮断ですから、「えっ、店舗閉鎖でATMコーナーだけで営業なの?…」と、困惑のGONsanでしたが、シャッター前に置かれた喫茶店のメニュー表に似た掲示板に眼が止まり、うん、うん、納得でありました(^-^)
 そぅでしたネ、最近は、銀行も〝お昼休み時間〟があるようですねぇ~もぅ随分前に、新聞紙上でも記事掲載がありましたネ。スッカリ忘れておりました。まぁ、基本的には、昼食タイムに金融機関には出掛けませんGONsanですから、こんな場面に遭遇は、今回が初めて(^-^)
 〝お昼休み時間のお知らせ〟に眼を通しますと、11:30~12:30の1時間なんですねぇ~
 それと、〝1/23より硬貨入金手数料がかかります〟との記載も…
 ふ~ん、金融自由化の進展により、預金・貸出などの収益性が低下していることから重視されるようになりました手数料業務。金融機関もフィービジネス強化へと急速に進行ですネ。
 その内に、米国並みに、新規に口座を開設しますにも手数料徴求となりますのかも(^-^;
 我が家へと帰り、WEB上で確認してみますと、もみじBKsanは、2021年4月から〝お昼休み時間〟を導入なんですネ。つぅ事は、既に2年を経ようとしておりますねぇ~
 そぅいぅ時代なんですネ…ですが、お勤めの方で、昼時間を使用して、銀行窓口で各種手続きをされる方は、随分お困りかも…とは、言いましても、既に2年ばかり経ていますから、さほどの困惑もありませんのかも…
 〝お昼休み時間〟は、11:30~12:30ですから、この30分のズレが、微妙にうまく機能していますのかも…
 まぁ、GONsanには、どぅでもイィ事ではありますが、〝お昼休み時間〟に初めて銀行店舗に出掛けまして、一瞬、面食らいましたかも(^-^)//"

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最近は、こんなコースでウォーキングのGONsanです(^.-)☆

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 昨年の10月中旬頃でしたか…芦田川の〝河道掘削工事〟が始まりまして、芦田川大橋~小水呑橋間の一部区間の河川敷が通れなくなりましてからは、コースを変更。最近は、こんなコースでウォーキングのGONsanなんです(^.-)☆
 通常、ジョギングは10km・6分/km、ウォーキングは7km・9分/kmと決めているのですけど、このコースに変更しましてからは距離も短縮、時間も9分/kmでは難しく、10分近くを要す事となりましたねぇ~
 我が家近くの公園から、芦田川の土手下に向かい、土手下を南下。エクセル裏から土手に上がり、竹ヶ端運動公園テニスコート脇のウォークロードに入り、福山市民球場・陸上競技場を横目に弓道場で折り返し。同じルートで戻って来ますと、距離にしまして4.7kmで、所要時間が45分なんであります。かろうじて、9分台/kmのウォーキングとなりますけど、何故か、何度行っても9分/kmのウォーキングは難しくなってしまいましたねぇ~
 このコースは、河川敷の真っ直ぐなコースではありませんで、色んな方々と擦れ違い、おまけに散歩中のワンchan達にも眼が向きまして、微妙に時間的ロスがありますのかも…
 従来、実に正確な時を刻みますGONsanの〝足時計〟なんでありますが、ウォーキングコースが河川敷に戻りますまで、暫く封印となりますネ(^.-)☆
 挿入の画像は、昨日の夕方17:15頃のウォーキングの一コマです。
 ウォーキングしておりますと、よくこの辺りで面白い柴犬に出会います。
 GONsanが近付いて行きますと、行儀良くチョコンと座って顔はニタッと笑い、GONsanの通過を待ってくれています。
 可愛いぃワン公なんですけど、横を通りますと同時に豹変で、怒りまくって吠えてくれますから笑ってしまいます(^-^)
 飼い主さんは困惑され、「貴方にだけ吠えるんです。済みません…」なんですけど、GONsanは、こんなワン公は大好き人間ですから、〝今日は、ワン公を画像に撮ってやろう…〟と、スマホ持参。
 が、多少、小雨もありそうな空模様から、残念ながら擦れ違いは叶いませんでしたネ(^-^;
 で、せっかくだから…と、画像に納めましたのがテニスコート脇のこの光景。
 この辺りで吠えまくられますのですけど、滅多にスマホは持参しませんのに…残念でしたネ(^-^)//"

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本日は、水老連の〝定例役員会・新年互礼会〟で水呑交流館行きのGONsanでした(^.-)☆

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 本日は、A.M.11:00から水老連の〝定例役員会・新年互礼会〟で水呑交流館行きのGONsanでした(^.-)☆
 参加者は、通常よりも若干少なかったような…でも、こんなもんかも(^-^)
 定刻に役員会は始まりまして、まずは、会長さんから、昨年4月~12月間の活動報告。特に異議も無く、続いて今年度残り3ヶ月間の行事予定・役員改選についての協議事項説明。
 現役員sanの任期は一期2年ですから、そぅなんですねぇ~3月末で一区切り。
 コロナ禍で諸行事自粛とは言いましても、振り返ってみますと、それなりに各種行事は実施。今からの3ヶ月間でも、いくつかの行事を遂行です。
 定例役員会の方は、会長sanの提案事項に、別段異議も無く了承。
 会議後は、コロナ禍の現況より弁当頂いて散会となりました。
 散会時にザッと見廻しますと、うん、うん、皆さんお元気そうなお顔です。GONsanより先輩の皆様が多いのですけど、コロナにも負けずに頑丈そうなお顔ですから感心してしまいます。
 本年も、お元気に、頑張って下さいねぇ~じゃなくて、〝元気に頑張りましょうネ〟ですネ(^-^)//"

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祭日なのに、〝河道掘削工事〟が実施されておりました(^.-)☆

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 福山市都心部から我が家にと帰って来ます時には、大概、芦田川右岸の鞆街道を走行しますGONsanなんですけど、本日・1/9(月)は、15:30頃でしたか…水呑大橋東詰め交差点を左折し、左岸を芦田川大橋へと南下です。
 危ない、危ない(^-^;
 ボケッと車を走らせていましたのでしょうねぇ~そろそろボケが始まりましたかも(^-^;
 まぁタマにはイィかも…と、そのまま西新涯町辺りまでヤッて来まして、何気なく芦田川河面に眼を向けますと、んっ!?…祭日にも拘わらず〝河道掘削工事〟が実施されておりましたネ(^.-)☆
 当初の「工事のお知らせ」では、〝土・日曜日は原則として作業を行いません〟との事でしたけど、ふ~ん、祭日でありましても土・日曜以外には工事実施と言う事なんですねぇ~
 それとも、何かの要因で工事が遅れていますのかも…
 昨年の11月の下旬近くでしたか…右岸(水呑側)の河川敷で工事の準備が進んでおりましたけど、いつまで経っても肝心の川面に〝バックホウ浚渫船〟が浮かびませんから、どぅなっているのだろぅ…と、気になっておりました。が、ふん、ふん、GONsanが気付かないだけで、こんな感じで〝河道掘削工事〟は進んでいたのですねぇ~
 それにしましても、「バックホウ浚渫」方式ですから、どのようにして「浚渫船」を川面に浮かべるのだろう?…と思っておりました。

 ◆バックホウ浚渫船

 --- 一般社団法人 日本作業船協会 ---

 バックホウと呼ばれる油圧ショベル型掘削機を搭載した硬土盤用浚渫船。バックホウは、掘削深度および半径を大きくするために台船の船首端の低い位置に据え付けられています。船体を保持するためのスパッドが通常3本装備されていて、前部の2本が掘削中の船体を保持し、後部の1本を移動用に使用しています。

 ・画像<左>:バックホウ浚渫船「第十六神丸」
  神野建設株式会社 所有
  日立建機株式会社 建造
  本船は、350トン級大型油圧ショベルを浚渫機械に搭載し、大きな掘削力で土砂、硬土盤、発破砕岩を浚渫を可能とした底面仕上げ精度の高い効率的なバックホウ式浚渫船です。
 ・画像<右>:バックホウ浚渫船「BHC-2401」
  五洋建設株式会社 所有
  国内最長のロングアームを備えたバックホウを搭載し、浚渫のみならず、各種アタッチメントにより多彩な作業を可能としている多機能型バックホウ浚渫船である。

 …と、こんな〝バックホウ浚渫船〟を頭に描いておりましたけど、そぅですネ、こんな方法もありましたネ。
 台船を組み立てて川面に浮かべ、台船にはショベルカーを設置。このショベルカーで川底の砂をすくい上げ箱船へ。そして、この箱船の砂を小型船で右岸に牽引搬送…と、こんな方法で実施しておられますようですネ(^.-)☆
 丁度、西日で逆光となり見づらくはありましたけど、暫し見物のGONsanでした(^-^)
 こぅして見ておりますと、幼少時によく眼にしました「採砂船」の作業風景が懐かしく脳裏に蘇って来ましたネ。
 満潮時に、何処からか「採砂船」がヤッて来まして、干潮時に採砂作業。当時は、確かショベルカーは無くベルトコンベアで川砂を船に揚げていましたような…そして、満潮時に帰って行っていたような…
 現在の芦田川は河口堰で堰き止めされ、言ってみれば常時満潮状態ですから、当時のベルトコンベア方式ではとても無理ではありますネ(^-^)
 それに、当時は、良質の芦田川川砂でしたけど、現在は椻止められて汚染砂なのかも分かりませんねぇ(^-^)
 とにかく、〝河道掘削工事〟は順調に進捗していますようですねぇ(^-^)//"

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正月三が日最終日の午前中も、墓参りのGONsanでした(^.-)☆

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 正月三が日最終日の1/3(火)午前中も、嫁さんと墓参りのGONsanでした(^.-)☆
 本堂に立ち寄り墓地に上がりますと、墓参りしておられます方のお姿はパラパラと…
 ご先祖様に手を合わせてから、また我が町を眺望です。が、芦田川に眼を向けますと、竹ヶ端運動公園テニスコート付近の川面が異常な黒さでビックリです(^-^;
 テニスコート側~箕島側間の右岸側半分近くの川面が真っ黒ですから…
 川面全体からみますと、この一帯のみが異常な黒さ。
 太陽光線の加減でも無さそうですし、何で!?
 暫く見つめておりますと、次第にその範囲が縮小し狭まって来ましたので、急いでカメラを取り出しズームを効かせてパチリ…なんですけど、慌てていましたのでピンボケ画像(^-^;
 早くしないと消滅しそうですから、再度、2枚パチリです。が、3枚目に撮りました時にはスッカリ消滅です。
 う~ん、あの異常な黒さは、何だったのでしょうねぇ~真っ黒い状態は長かったのでしょうけど、消え始めて消滅まではアッと言う間でありました(^-^;
 こんな時期ですから、夏のように藻の大量発生でもありませんし、あんなに真っ黒でした川面が1分程度で消滅ですから、実に不思議。
 何にも無かったかのように、薄いブルーに戻りました川面。
 暫く呆然と川面を見つめるGONsanなのでありました。
 この状況を嫁さんに伝えましたのですけど、こんな事には無頓着な嫁さん。振り向きもせず墓前で読経ですから…何とも…
 でも、本当に、あの黒い川面は、何でしたのでしょうねぇ~
 気を取り直しましたGONsanは、眼に入ります景観を数枚パチリ。
 空気が澄んでいましたせいか、天文台もクッキリと鮮明に(^_^)v
 箕沖方面に眼を移しますと、後方に笠岡諸島…そして、その後方に四国の山が、これまた鮮明に(^-^)
 こぅいぅ時には、随分、四国が近く感じられてしまいます。こんなに近く見えますのも久し振りでありました(^-^)//"

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昨日の夕方近く、通報がありましたのか、早速、パトカーが(^.-)☆

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 昨日の夕方近くでしたか…「警察が来てるよ…」との嫁さんの声で、我が家裏に出てみますと、うん、うん、どなたか通報されましたのでしょうか…盗難放置自転車の所にミニパトと警察官が…
 現場検証の真っ最中…と言ったところでしょうか(^-^)
 大概、こぅいぅケースは、我が家周辺の住民の皆様は、暫く様子見を続けますから、そぅ簡単には警察への通報は控えます。
 でも、どなたが通報されましたのでしょうねぇ~
 とにかく、野次馬根性丸出しのGONsanが静観する訳にはいきません。
 急いでカメラを持ち出し、4枚ばかりパチリです。
 そして、我が家の畑沿いをユックリと現場近くまで接近です。
 現場には、警察官お一人と、男性2人・女性3人の方々が…この5名の皆様は、どんな関係に?…
 タバコ咥えて暫く静観しておりましたら、男性がGONsanの方へ近付いてこられました。これを良い事に、「この自転車、元日の09:30頃に放置されていますのに気付きましたけど、盗難に遭われたのですか?…」とお尋ねしますと、男性が仰るには、下記の事情のようであります(^-^)

 なんでも、ネットで自転車を発注し、年の瀬迫って自転車が宅配便で到着。で、早速、組み立てし乗れる状態に。
 そして、大晦日に、この新品の自転車で草戸稲荷に参詣です。(出掛けられました時間は、聴きませんでしたけど…多分、日付が変わる頃なのかも…)
 草戸稲荷に到着しますと、百均で求めた商品でガッチリと施錠実施。
 それから、参拝を終え帰ろうとしますと、駐めた場所に新品の自転車は無かったとの事です。
 新品の自転車で、購入後、初めて乗られたのに、早々に盗難に遭われたようですねぇ~
 おまけに、ネット上での購入で、自転車の防犯登録証(正式には〝防犯登録標識<登録シール>〟)の添付は無かった様子。
 この〝防犯登録標識〟が、無いばっかりに、現場検証も難航です(^-^;
 正当な所有者の証明が出来ません…から、検証に時間を要しておられるご様子。
 ふん、ふん、〝防犯登録標識〟は、結構、こぅした場合には重要ですねぇ(^-^)
 かく言うGONsanも、数年前に、嫁さん用に折りたたみ自転車をネットで買い換えましたけど、その際にも〝防犯登録標識〟の付属は有りませんでした。まぁ、格安価格で購入しておりますから、それも当然と、気にもしてなかったのですけど、ただ、施錠は百均商品で無く自転車屋sanで求めましたが…
 それにしましても、どなたが通報し、警察は、よく所有者が分かったなぁ~と、実に不思議。
 これには、こんな事情が…

 このご家族は、川向こうの新涯町にお住まいで、元日に、水呑にお住まいの友人に「購入間もない、白い自転車が盗難に遭った…」と話されたご様子。
 その友人は、我が家近隣にお住まいなんでしょうねぇ~
 たまたま、この放置自転車があります市道を車で走行し、眼に付きます白い自転車ですから、ひょっとしたら…と、電話してくれました…との事であります。
 そして、その連絡を受け現場に来訪。
 ご自身の自転車と確認の上、まずは、水呑交番に架電。でも、出ない(^-^;
 次いで、田尻交番に電話。やっぱり出ない(^-^;
 で、結局、現場に急行されましたのは、沼隈交番(^-^)
 ふ~ん、正月三が日は、交番もお休みなのかも…

 …と、こんな経緯のようでありまして、GONsanも事情は把握出来ました。
 警察への通報の件も、スグには我が家近隣の方々はしませんで静観なんですけど、これも納得。
 お邪魔してもイケないので、この辺りでGONsanは退散です。
 そして、一時間後に改めて現場に眼を向けますと、もぅどなたのお姿も有りませんでしたネ。
 当の自転車は、警察が持ち帰られたのか…それとも、無事に、ご本人の手に戻りましたのか…いずれなのかは分かりませんけど、う~ん、〝防犯登録標識〟は大切ですねぇ(^-^)//"

 後学のために、WEB上で〝防犯登録標識〟をお勉強です(^.-)☆

 ◆自転車に貼られたあのシール。意外と知らない「防犯登録制度」の仕組み

 --- https://jitensha-hoken.jp/blog/2018/05/crime-prevention-registration-system/ ---

 都道府県警察名と管理番号が書いてある防犯登録標識(登録シール)はみなさん見たことあるだろうか?自転車を購入すると当たり前のように防犯登録するよう販売店から言われ、登録とともにこのシールを貼られるけれども、登録しないと罰せられるようなものだろうか?

 ★制度のあらましと登録方法
 普段、何気なく見ているが制度の中身についてはよく分からないという方が多いので、まずは制度について説明する。そもそも自転車の防犯登録が義務化された背景として、駅前を中心に多くの自転車が放置されていたことにより、人の通行や活動を妨げる社会問題になっていたことが挙げられる。放置自転車の何割かは盗難された自転車であり、所有者が現れないまま、いつまでも放置されることになるので、防犯登録を義務化して所有者を特定し、速やかに返還することで放置自転車を減らす目的があった。
 自転車防犯登録制度は昭和55年(1980年)に成立し、平成6年(1994年)に改正された「自転車の安全利用の促進及び自転車等の駐車対策の総合的推進に関する法律」の第12条に規定があり、登録が義務化されている。
 自転車を新規に購入した際のほか、有効期限が過ぎたり、譲渡等により所有者が変わった際、県をまたいで引っ越しした際は都道府県の公安委員会が指定した防犯登録所で登録し直さなければいけない。例外として、結婚で姓が変わった場合などは登録内容を修正してもらえる(無料)。登録料は概ね500~600円(非課税)だが、 後述する通り県によって有効期限は大きく異なる。

 ★登録時に必要なものとしては以下のものが挙げられる
  自転車本体
  公的機関発行の身分証明書(運転免許証・健康保険証など)
  外国国籍の方は外国人登録証明書
  保証書または販売証明書(販売店名・商品名・車体番号などが全て明記されているもの)
  登録料
 となっている。
 再登録の際は自転車本体と登録シール(車体に貼ったままでよい)を持参しよう。シールを剥がしてしまった場合には登録カード(登録時に渡されるお客様控え)でも大丈夫。ここで注意なのが、登録シール、カードともにない場合。盗難車ではないという証明が難しくなってしまうのだ。スマホで登録カードを撮影、保存しておくなど、万が一に備えておきたい。
 新車購入時は販売店が強制的に貼付するので問題ないが、それ以外は利用者任せになっているので、無効になった登録シールが貼られたままになっていたり、有効期限内でも登録シールが剥がれてしまっていたりすることも多いだろう。だが、盗難された際に戻ってくる可能性が高まるので、居住地を移転した場合なども面倒臭がらずに移転先で防犯登録所になっている警察署や自転車販売店へ持ち込みたい。盗難された際は身分証明書と登録カードを持って最寄りの交番などへ行き、盗難届を作成してもらおう。

 ★登録しないと罰則はあるの?
 --登録シールが貼られていなければ、警官に所有を証明するのは困難--
 防犯登録は義務化されているが、罰則規定がないので登録しなくても罰せられることはない。登録シールが貼られていないという理由で警察官に呼び止められることもないが、職務質問などで呼び止められると厄介だ。「なぜ、登録標識が貼られていないか?」というところから説明責任が生じる。それだけでも気が重いところに、自分の自転車だということを証明する手段に乏しいので「盗難車ではないのか」という疑問を晴らすのには大変な労力を要する。
 登録カードを財布などに入れて携帯しておけば所有者が一目瞭然になるので、あとは本人だと証明する免許証などを見せればいいだけだ。数百円ケチって警官を見るたびドキドキするのはナンセンスだと思うが、いかがだろうか。

 ★登録漏れもあり?!ネット販売の落とし穴
 --便利なネット通販だが、自転車については慎重に判断したい--
 自転車は機械モノなので定期的なメンテナンスが欠かせないこともあり、できる限り実店舗で購入して時々点検してもらってほしいが、今やネット通販全盛時代である。他の商品群と同様に自転車もポチッと買ってしまう方が増えている。それゆえ、防犯登録について説明しないまま完成車を売る業者が後を絶たない。
 この場合は利用者の方で防犯登録をする必要があるが、自転車防犯登録所の看板を表示している販売店へ自転車本体を含め必要なものを持って、わざわざ出向かなければならない。
 その際に真新しい自転車ならまだしも、経年劣化が認められ登録シールも貼られてない自転車を持ち込まれると、販売店としては「盗難自転車ではないのか?」という疑念に苦しむことになる。それが高級自転車ともなれば、なおさら慎重に前所有者の譲渡証明書や自転車店の販売証明書を確認しなくてはならない。そういった一連の作業が面倒だからと、新車であれ中古車であれ、他店購入の自転車は防犯登録手続きを受け付けないと決めている販売店もあるくらいだ。
 かつて筆者も通販やオークションで自転車を買って散々痛い目に遭った経験があるから改めて言うが、とりわけ高級自転車は信頼できる実店舗で買って、同時に防犯登録も済ませてしまいたい。

 ★登録の更新や名義変更はどうすればいい?
 前所有者が作成した譲渡証明書があれば、わざわざシールを貼り変えずに所有者の名義変更でいいじゃないかという声も聞くが、現在のシステムでは一旦登録を抹消してから再登録する必要がある。ただし県内の引っ越しや3親等以内の家族から自転車をもらった場合、結婚時の姓名変更は交番・駐在所、警察署へ行けば無料で修正してくれる。
 また意外と見落としがちなのが、登録には有効期限があるという点。防犯登録の有効期限は最短の京都府・沖縄県の5年から始まり、7年、8年、10年、20年、無制限と都道府県によってマチマチなので、登録したら一度ご自分の県では何年で有効期限が切れるのか、確認することをオススメする。
 もう譲渡すらせず、粗大ゴミで処分する場合には抹消手続きをしておこう。まだ乗れて、値段が付くならオークションで売ってもいいが、その際は登録の抹消に加えて、先述の譲渡証明書を各県の防犯協力会ホームページからダウンロードして作成しておき、新所有者へ渡してあげよう。いずれも自転車本体を防犯登録所まで持って行かなければならないのが手間だが、万が一登録情報が生きたままだと新所有者に迷惑が掛かることがある。

 …と、こんな〝防犯登録標識〟のようであります(^-^)/"

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これは、盗難された放置自転車なのでしょうか!?…

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 これは、朝食後、一服しながら、正月2日目の我が家近隣の景観にカメラを向けたモノなんですけど、ブロック塀脇の自転車…元日の午前中に気付きましたけど、昨日と同じ場所に同じ形で未だに存在。ひょっとしたら、盗難に遭いました放置自転車なのかも…
 ズームを効かせて、よくよく見ますと、ふ~ん、サドルが有りませんネ。
 サドルが欲しくて自転車を盗み、そして、自転車本体は此処に放置しましたのかも…
 ですが、この場所は、スグ近くに防犯灯も設置されていますから、随分明るい場所なのに、何でこんな場所に…不思議と言えば不思議です。でも、盗難放置自転車の可能性が充分疑われます。
 暫く静観し、依然として此処に存在しましたら、交番に届けなくては。
 自転車を画像に納めておりましたら、スグ脇の梅の木にメジロが飛来です(^-^)
 カメラを向けましても逃げませんので、とりあえず3枚パチリ。そして、GONsanの方に顔を向けますまでジッと待機していたのですけど、う~ん、残念(^-^;
 GONsanの気配を察知し、飛び去ってしまいましたねぇ(^-^)//"

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妙見神社から戻り朝食後には、ご先祖様の墓参りでした(^.-)☆

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 妙見神社での初日の出参拝から戻って来ますと、遅ればせながら朝食です。元旦ですから雑煮なんですけど、昔のように、もぅいくつも食べられません。せいぜい2個が限界かも(^-^)
 基本的には、昔から雑煮が大好きなGONsanですけど、年齢を重ねて行きますと、年々お餅の数は減って来ますネ(^-^)
 朝食後には、嫁さんと墓参り。
 ノンビリとお寺に向かっておりましたら、見慣れた場所に家が無く更地に化しておりますから、「んっ!?」のGONsan。
 嫁さん曰く、「娘さんばかり4人で、四女が家を守っていたけど、子供さんが県外(兵庫)居住だから、子供さんの近くに行かれたみたい…」と。
 ふ~ん、そぅでしたか…確か、このお宅の長女の方とは、GONsanは同級生でしたような…学校の先生でしたけど、今は、どちらにお住まいなんでしょうねぇ…
 山門までヤッて来ますと、お正月ですから山門の中に入り、仁王様にご挨拶です。
 幼少時には、母から、よくこんな事を…「嘘つきは、仁王様の前で舌を出すと、ペンチで抜かれるから絶対に出さないこと!!」と。
 ですから、未だに、こぅして仁王様の下に立ちますと、何となく恐くて口も開けられないGONsanなんです。
 既に、40年ばかり昔の事となってしまいましたけど、我が子に同じ事を言いますと、言った途端に口を開けて、ベロ~ンと舌を出しますから、もぅビックリ(^-^;
 急いで我が子の口を押さえましたのが、未だに鮮明に蘇ってしまいます。
 当時は、キツく叱っておきましたけど、〝ウソつきなのに、よく舌を出したなぁ…〟と、今でも思い出しますと身震いが(^-^;
 お寺の本堂に立ち寄りましてから墓地へ…
 元日なのに墓参りしておられます方は、意外と少ないような…
 ご先祖様に手を合わせてから、我が町を暫し眺望です。そして、いつものように数枚パチリ。
 今日は霞んで、肉眼では天文台もボンヤリと。
 今年もまた、墓地を訪れます度に、眼下の我が町にカメラを向け続けますGONsanなんでしょうねぇ(^-^)//"

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元旦は、妙見神社鐘楼下から初日の出参拝でした(^.-)☆(2)

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 鐘楼まで上がって来ますと、広場には未だ20数名の皆様が…静かになりましたから、皆さんお帰りなのかと思いましたら、意外な人数のグループが…
 ふ~ん、この方々は、元日に、初日の出参拝・初詣等をグループで楽しまれます方々なのかも…
 リーダーらしき方の、「それでは、今から、オヤツを配ります…」ですから、微笑ましくも(^.-)☆
 この後は、草戸稲荷にでも向かわれますのかも…
 この方々を横目に、GONsanは、妙見神社へと上がります。中には入りませんけど、窓越しに手を合わせ退散です。
 往路をそのまま下りて行きますと、前方に4~5名の皆様の話し声が…転げないようユックリした足取りで下っておられます。
 今回の初日の出詣では、風も無く、例年になく穏やかな天候でありました。ただ、手だけは、手袋しておりましても指先は冷たかったようですネ(^-^)//"

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元旦は、妙見神社鐘楼下から初日の出参拝でした(^.-)☆(1)

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 新しい年を迎え、元日の朝は、初日の出参拝で〝妙見神社〟行きのGONsanでした。
 福山市の初日の出は、A.M.7:13との事ですから、05:30に起床です。
 まずは洗顔を終え、外に出まして寝起きの一服。東方の空を見上げますと、う~ん、雲に覆われております。西方に眼を移しますと、雲も無く星空が覗いておりました。
 少し早いかな…との想いはありましたが、06:20過ぎに我が家を出まして、松尾神社参道入口の福山電子sanの駐車場にと到着です。
 いつものように、無断駐車となりますので、福山電子san、ゴメンチャイですm(_ _)m
 ここから妙見神社まで、ほぼ一直線の登りですから、年々キツくなっていますような(^-^)
 でも、日の出までの時間だけはタップリとありますので、何度も立ち止まりながら、無理せず上がって行かなくては(^-^)/
 妙見神社までの行程の、1/3程度進みましたけど、早くも息切れ、小休止。そして、おもむろにタバコを取り出し一服です。これが、余計なんですけど…
 タバコを吸ったばっかりに、以降の歩きは一層厳しいものに(^-^;
 青息吐息で妙見神社に到着しました時には、もぅダウン寸前。何故か、今回の石段上りは実に過酷。GONsanも、急速に、体力低下に向かっておりますようですねぇ(^-^;
 妙見神社で一礼し、今度は階段下りです。鐘楼まで降りて行き、初日の出参拝時の定位置に向かいますと、先客の親子連れが一組。時間を確認しますと、06:51でありました。
 難航の上りでしたけど、到着してみますと、意外と早くて、少々困惑。まぁイィのですけど(^.-)☆
 親子連れのお父さん、「3年連続で、ここから初日の出詣でしています…」との事でした。GONsanは3年振りにヤッて来ましたが(^-^)
 07:13が近付いて来ますと、後方の鐘楼辺りが賑やかに。7~8人の方々が集まって来られましたようですネ。
 箕島方向を見つめますと、結構、厚そうな雲が…その上の方には薄雲ですから、初日の出は、定刻5~10分後となりますのかも…
 今か今かと待っておりましたら、ヤッと初日の出(^_^)v
 時間はと確認しますと、A.M.07:18でありました。
 ですが、スグに雲間に隠れて、二度目の日の出を待っていますと、またまた5分後の、07:23でありました。
 徐々に現れて来まして、雲に分断され二段重ねの鏡餅の感じで登場です。この瞬間は結構好きでありますGONsanで、今回も、うまく画像に納められましたようであります(^_^)v
 以降は、明る過ぎて、GONsanの低性能カメラでは限界ですけど、暫く撮り続けますGONsanでした。
 そぅしていますと、後方の賑やかな皆さんが、一人抜け、二人抜け…と、お帰りで、前方に位置しておられました親子連れもお帰りに(^-^)
 結局、GONsanが腰を上げましたのは、07:33でありました(^-^)//"

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本年最後の日の出は、〝蔵王山憩いの森〟から見納めでした(^.-)☆

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 今朝は、何処に出掛けようか…と思案のあげく、本年最後の日の出は〝蔵王山憩いの森〟から見納めのGONsanでした(^.-)☆
 福山市の今朝の日の出は、A.M.7:13ですから、6:30頃に我が家を出まして蔵王山憩いの森到着は、6:50。
 日の出には未だ充分時間がありますから、駐車場から遊歩道をノンビリ歩いて〝巖山観音堂〟上辺りの岩場へと向かいます。駐車場には、先客が…車が一台駐まっておりました。
 岩場に三脚をセットし、待つ事15分ばかり。
 東方の空には雲がありますから、日の出は、見れませんかも…
 日の出時間が迫って来ますと、次第に空がピンク色に…日の出時刻到来時点で、雲がありませんと日の出を拝めましたのでしょうけど、残念ながら、今朝は叶いませんでしたネ。
 明日の初日の出は、拝観出来ますと宜しいのですけど、さて、どぅでしょうネ(^.-)☆
 それでは退散…と遊歩道方向を見上げますと、猟犬を連れた男性が岩場を降りて来られます。なんでも、犬が運動不足となるから毎朝、このルートで散歩しておられますご様子。
 このまま岩場を下り、巖山観音堂方向に降りて行かれますのでしょうねぇ~
 遊歩道にと上がって来ますと、若い男性がジョギング中。そして、少し間を置き若い女性と擦れ違いです。
 この方達も、毎朝、蔵王山でジョギングしておられますのかも…
 駐車場へと戻って来ますと、先客の車は既に居ませんで、その代わりに、GONsanの車を除き計8台が駐車です。皆さん、何処で、何しておられますのでしょうねぇ~
 さて、明日の初日の出参拝は、何処に出掛けましょうか…久し振りに、洗谷の妙見神社に上がってみたい気持ちにも(^-^)//"

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12/18(日)午後は日吉台墓地の一斉清掃で、落葉収集のGONsanでした(^-^)

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 12/18(日)の午後は、日吉台墓地管理組合役員12名の皆様と、墓地の一斉清掃を実施。
 今冬二度目の落葉収集で、実施場所は、前回と同じB・A墓地の山際部分を実施です。
 この箇所は山際部分ですし、この時期ですから、大量の落葉がありますので、大変ではあります。
 大きめのビニール袋・スタンドバッグに満杯となれば、2台の車で墓地内の廃棄場所までピストン搬送。これを何度繰り返しましたでしょうか…
 それでも、2時間ばかり作業を続けますと、まぁ何とかなるものではあります。どぅにかキレイになりましたネ(^.-)☆
 昨日も、冷たく寒い天候下での作業となりましたけど、動いていますせいか寒さは感じませんのが助かります。挿入の画像は、作業の合間の休息の一コマなんです。
 日吉台墓地管理組合の組合員の皆様も駆け足で高齢化に向かっておりまして、永年、役員の皆様で年間何度か墓地一斉清掃を実施して来ておりますけど、今から10年も経ませんうちに体力的に限界となりますのかも…
 で、今回、初めて、シルバー人材センターsan等への外部委託のご意見も出て来ましたネ(^-^)
 一人あたり・1時間あたりの単価にも依りますけど、一度、見積もり表作成を依頼し、検討の余地ありですねぇ~
 この日吉台墓地は、GONsanが確か高校生時代に、まずA墓地を造成したように思いますから、既に50数年経ています。造成の順番に、A墓地・B墓地・C墓地と言っておりまして、要所要所に駐車場もありますから、墓地としては便利で比較的良い墓地なんだと思います。
 我が家は、この日吉台墓地の一区画を個人登記で父の代から保有しておりますけど、墓石は据えていませんので、将来的にはどぅしたものか…
 墓地ですから、非課税物件で固定資産税は不要ですので、GONsanはズッと所有し現在に至っておりますけど、子供の代となりますと、どぅしますのでしょうねぇ(^-^)//"

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今朝のGG…寒くて、手が思うように動きませんでしたねぇ~

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 今朝は、小雨がパラついていましたから、プレーの途中でズブ濡れになるのかも…との危惧の中、出掛けてみますと、意外にも16~7名の皆様がお集まりでありました。
 いつもよりは数名少なくはありますけど、でも意外(^-^)
 もっと少ないかも…と思っておりましたから(^-^)
 この方達は、本当にGGがお好きなようですネ。
 心配された降雨もありませんで、時たまパラつく程度で、どぅにか無事に前半・後半の1ラウンドが終了です。でも、寒く、冷たい中でのプレーとなりました。GONsanなんぞは、手袋をしておりませんから、手がかじかんで思うようには動きませんでしたネ。スコアの方は、ガタガタでありました(^-^;
 前半終了時点で掲示板に眼を向けますと、うん、うん、12/24(土)が打ち納めで、打ち始め・新年会が、1/8(日)のようであります。
 本年のGGも、あと一週間となりましたか…1年が過ぎ去りますのは、本当に、アッと言う間に感じられてしまいますねぇ(^-^)//"

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このイチジク畑…10日前と景色が一変しておりました(^.-)☆

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 我が家近隣の、このイチジク畑。先月・11/25(金)に眼にしました時には、紅葉の景観が大変キレイでありました(^-^)v
 ですが、落葉しますと事後処理も大変だなぁ~との想いも少々(^-^)
 そして、20日ばかり経ました本日(12/15)眼にしますと、景色も一変です。紅葉の葉は凡て除去され、落葉もありません。いゃぁ、実にお見事ですねぇ~
 常日頃から、夫婦お二人で丁寧にお世話しておられますから、決して不思議でもありませんし、当然ではあるのですけど、それにしましても実にご立派\(^_^)/
 感心してしまいますよ(^-^)v
 イチジクの木々も実に立派。このイチジク畑には、毎年、農協関係者・イチジク農家関係者等の方々が、頻繁に視察にヤッて来られます。きっと、イチジクの味も最高級品なのかも分かりません。
 それほどまでに多くの方々が視察・見学に…
 本日も、この素晴らしいイチジク畑を横目に、心の中で拍手をお届けしながら、羨まし気に通過しますGONsanなのでありました(^-^)//"

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今朝の07:00少し前、西北の空にお月様が大変キレイでありました(^_^)v

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 今朝は、起床しましたのは、A.M.06:55でありました。
 外に出まして見上げますと、西北方向の空にお月様が…今月の満月は、確か12/8(木)でしたような…ですが、眼にした感じは、ほぼ満月状態。キレイです(^.-)☆
 急いでカメラを持ち出し数枚パチリ。
 12月の満月は、「Cold Moon」と言いましたような…念のため、WEB上で確認しますと、やはり『コールドムーン』でありました。

 ◆12月:コールドムーン〝Cold Moon〟(寒月)
 本格的な冬が訪れる12月の満月は、コールドムーンCold Moon(寒月)という名前が付けられています。また、冬の夜の長さを表すロングナイトムーンLong Night Moon(長夜月)、オークムーンOak Moon(オーク月)という名前があります。
 オークは楢(なら)の木のことです。加工しやすく、家具やウイスキー・ワインなどの樽に使用されます。

 …と、こんな「コールドムーン」で、満月後、2日経てはおりますけど、ほぼ満月状態ですから大変キレイです。
 今朝は、多少、温かそうでしたから、一服しながら暫し眺めておりましたけど、早朝からワンちゃん連れて散歩中の方が、「こいつは何を眺めているのだろう?…」と怪訝なお顔で通過です。
 こぅしてズームを効かせて眺めておりますと、お月様も仲々神秘的ではありますネ(^-^)//"

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昨日は、月一度の草取りで、妙性山墓地行きのGONsanでした(^.-)☆

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 毎月、月初に出掛けているのですけど、今月は少し遅れ、昨日午前中に月一度の草取りで、妙性山墓地行きのGONsanでした(^.-)☆
 山際の墓地で、この時期ですから、草取りと言いますよりも落ち葉の掃き掃除、収集と言った方が良いのかも…
 出掛けますと、予期しました通り落ち葉の多い事(^-^;
 草は生えておりませんから、作業としましては掃き掃除・収集の方が楽ではあるのですけど(^-^)
 持参したビニール袋にかき集めましたけど、もぅ少し大きめのビニール袋の方が良かったのかも…サッサと終わり、一応、除草剤も散布です。
 さほどの時間も要せず終わりましたので、後は、いつものように我が町を眺望です。
 眼下の藤井病院建設現場…工事用シートで覆われ工事中の様子は伺えませんでしたけど、墓地からですと大勢の作業中の皆様が(^-^)
 工事現場の左方向には大銀杏が…幼少時から見慣れたイチョウですけど、樹齢、何年なのでしょうネ…
 いつものように、墓地からの景観を何枚か画像に納めましたので、ソロソロ退散です。年末近くの墓参り時には、再度、本年最後の落ち葉清掃となりますのでしょうねぇ~残念ながら、モヤがかかって、天文台は肉眼では見えませんでしたネ(^-^)//"

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プロフィール

 ・名前 GONsan
 ・年齢 大人
 ・性別 男子
 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


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