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 舟入番所跡を横目に〝大山樋門・大山ポンプ場〟へと向かいます。

 ◆舟入番所跡(正保頃)

 入江に出入りする船改めとして寛永18年頃吉津川河口、古座床入口に造られた。
 後に座床が吉津川河口に移るに従い、古座床南に移る。

 ・福山領分語伝記
 一、此御代(勝俊)二人を殺し船に乗候而追(逃)去候者有之、夫より川口御番所始り、出入御改出切手等相始候(と)申候。
 一、新橋より川口御番所まで八丁。同所より手城三ツ樋迄弐拾五丁。

 ・小場家文書(寛永18年勝俊書状)
 一、舟入番所、(神谷)治郎と致談合、川口北の堤さき、薬師のまへの川も見へ候所ニ、立候由尤候。

 ◆大山樋門・大山ポンプ場
 吉津川の水を海に排出するための樋門である。現在は大山樋門自体は使われておらず、凡てポンプによる排水となっている。

 大山樋門からは、座床を横目に吉津川と手城用水の分岐点へと向かいます。

 ◆座床
 勝種の時代に古座床からこちらに移った。古座床が徐々に埋まってきたためと思われる。吉津川は元々上記の様に吉津に繫がる入江であったが、手城新田造成に伴い現在の国道の位置で堰き止め淡水化して手城用水とした。その下流側を整備して座床としたのである。現在の大山樋門あたりが座床の出入り口であった。

 ◆手城用水
 手城新田が寛文6年造成され、その農業用水として吉津川を堰き止め手城の用水とした。末端は手城川に繫がっている。この用水路の北は上井出川からの水で潅漑される。

 いつの時代か分かりませんけど、戦後の昭和20年代には、この吉津川と手城川の分岐点に、色んな方々が犬やネコの死骸を投げ込んでいましたとか…
 そんな経緯もありまして、この西側に隣接しペット霊園(あいみんペットメモリアル)が設置されましたとか(^-^)//"

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