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 それでは、まずは〝下御領八幡神社〟に参詣し、境内を拝見です(^.-)☆
 んっ!?、〝石の亀〟…説明板に眼を通しますと、こんな記載が(^-^)

 ◆石の亀
 マムシ除けとして奉納されました。悪い虫に付かれる事なく健やかであられますようお守りしています。

 …との事ですから、とりあえず、石碑の前の石の亀に触り膜っておきました(^-^)
 ところで、注連縄を付けられましたこの石碑…表面には何か記載と言うか刻まれていますのですけど、判読不明。何と綴られていますのでしょうねぇ~
 社殿の右側方向に進んで行きますと、砲弾が奉納されておりました。砲弾下の台座には、『明治39年5月 発起者 土肥七郎』と刻まれておりましたけど、『土肥七郎』sanのお名前は、〝好右衛門義擧碑〟〝延宝の水害 供養塔〟にも記載がありましたネ。当時の有力者でしたのでしょうねぇ~
 それにしましても、福山市内のアチコチの神社に『砲弾』が奉納されておりますけど、これは、

 ◆仏教の戦争責任⑤ 寺に残る「砲弾」と「天皇の位牌」

 --- https://news.yahoo.co.jp/byline/ukaihidenori/20220724-00304989 ---

 ・寺に残る戦争の痕跡

 戦時中は多くの寺が銃後運動を熱心に推進した。その戦争の痕跡は地域の末寺にも残されている。それが「顕彰碑」「天牌」「戦時戒名」「奥津城」などである。戦利品の砲弾を祀ったり、大規模な防空壕が残っていたりする寺もある。戦争の痕跡を求めて全国の寺院を訪ねた。
 戦地における勇士らを讃えた「顕彰碑」が今なお、残っている寺がある。顕彰碑は特に日露戦争時に多くつくられた。太平洋戦争が始まり戦局が悪化すると、顕彰碑をつくるための人材も余裕もなくなり、あまり顕彰碑はつくられていない。
 能や歌舞伎の演目でも知られる和歌山県にある道成寺には、日清・日露戦争時の大きな顕彰碑がある。その顕彰碑の台座には、日露戦争時のロシア軍の砲弾が埋め込まれている。これは1904(明治37)年の旅順攻囲戦でロシア軍を撃破した時の戦利品だ。この顕彰碑の前では戦時中、陸軍主導で、戦意発揚のための追悼法要が実施されていたという。

 ・なぜ寺に砲弾が?

 なお、各地の寺院や神社にはなぜか、砲弾が奉納されていることが多い。これは日清戦争後、「陸軍戦利品整理委員会」が戦争記念品として自治体に分配したのがきっかけだ。そこから寺院や神社、学校、役場などに分けられた。日清戦争後、国内では砲弾およそ8,700個が献納され、日露戦争ではおよそ2万個以上の砲弾が神社仏閣に奉納されているという。
 東京・青物横丁にある海晏寺境内にも、複数の砲弾が置かれているのを確認した。最大のもので高さ90センチ近くある。それが、日清・日露戦争のいずれの砲弾かは不明であるが、戦艦の主砲のものとも考えられる。同寺に聞けば、境内には岩倉具視の墓所(非公開)があり、そこには別の砲弾と大砲が置かれているという。
 しかしながら、砲弾の多くは太平洋戦争時の金属供出によって回収。再び、砲弾などの武器に使用された。…

 …と、こんな記載がWEB上にありましたけど、〝明治39年5月〟と言いますと、日露戦争の戦利品と言ったところでしょうか…
 『日清戦争後、国内では砲弾およそ8,700個が献納され、日露戦争ではおよそ2万個以上の砲弾が神社仏閣に奉納されている…』との事ですから、福山市内のアチコチの神社で眼にしますのも納得です(^.-)☆
 社殿の東方に進みますと、〝艮神社〟が…
 急いで、サイフの中を確認しますと、〝ロト6〟〝ロト7〟の一枚買いがありましたので、丁重に当選祈願をしておきました(^-^)
 でも、お賽銭をケチりましたので、願いは叶いませんかも(^-^)//"

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