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 〝軒原庄蔵氏像〟まで下りて来まして、「んっ!?…」と眼が止まりましたのが、像の裏側の説明板。像を拝見しています時には気付きませんでしたけど、うん、うん、裏側に説明板がありましたネ(^-^)
 説明番には、

 ◆治水の功労者 軒原庄蔵

 富田中村の庄屋軒原庄蔵は、水不足に困る弥勒池の貯水増のため、三ツ石山の岩盤を掘り抜き、砕石谷からの導水に成功し多くの農民を救った。
 隧道工事は、田面村の工事監督多田信蔵(霞岳)、富田中村の数学者萩原栄次郎の協力を得て、安政2年(1855年)から安政4年にかけて、長さ105間(191m)の石穴を貫通させる難工事であった。
 この画期的な工事を完成させた功績により、高松藩から郷侍格に取り上げられた。
 後、明治2年(1869年)満濃池のゆる石穴工事を命じられ、明治3年30間余(約56m)の石穴を完成させ、讃岐の治水に貢献した。このため、満濃池の恩人とあがめられ、満濃池畔の松崎神社に合祀されている。
 明治23年63歳でふる里に没した。

 大川町歴史民俗資料館の落成を記念し、その遺徳を顕彰してこれを建立する。
 --- 平成2年3月吉日 大川町 ---

 …と、こんな記載がありました(^.-)☆
 昼食をとりました広場まで下りて来まして、周辺を見廻しましても人影はありません。皆さん、何処へ…
 そぅしておりましたら、〝重要文化財 建第1812号 旧恵利家住宅〟の案内表示が眼に入りましたので、向かってみます事に(^-^)
 旧恵利家住宅前の広場に立ち見廻しますと、6~7名の方々のお姿が…ふ~ん、ここにおられましたか(^-^)
 早速、GONsanも〝旧恵利家住宅〟を見学です。

 ◆重要文化財 建第1812号 旧恵利家住宅

 --- 指定年月日 昭和46年6月22日(文部省告示第165号) ---

 ・概要
 旧恵利家住宅は、17世紀にさかのぼる県下最古の農家住宅で、周囲を瓦葺きの庇とせず軒先まで茅で葺き降ろす形式が建築年代の古さを物語っている。

 ・歴史
 この建物は山あいの新名と言う集落にあり、かって村の百姓役であった藻玉氏のものと言われている。藻玉氏は判明している先祖が、元禄12年(1699)に亡くなっている旧家で、その後、江戸後期にその所有が恵利氏に移ったとされている。

 ・構造
 旧恵利家住宅は桁行7間、梁間3間半の寄棟造、茅葺の建物で背面に桁行1間半、梁間2間半の角屋が突出する。間取りは広い土間と、それに沿って板敷きの広間が並び、上手は座敷と納戸になる。現状の角屋は当初からあったものではなく、納戸を拡張したものである。なお、恵利氏は納戸を〝奥〟と呼び、また、新名にあった当時、床は竹を半割にして敷き詰め、これを竹座と呼んでいた。

 ・規模
 平面積112㎡(33.9坪) 軒面積144㎡ 屋根面積254㎡
  
 …と、案内板によりますと、こんな〝旧恵利家住宅〟であります。
 当時の農家住宅としましては、仲々の豪邸でしたのかも(^-^)//"

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