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 この墓地でも、著変なく五輪塔の確認のみでありました。
 これで、今回の「中世石造物調査(沼隈町)」は、凡て終了となりました。で、ここまで来たのだから…と、最後に阿伏兎観音(磐台寺)に参拝して 帰る事となりました。
 断崖に立ちます観音堂に上がりますと、強風もありましたから、さすがに廊下の壁際を恐る恐るお詣りとなりましたネ(^.-)☆
 岬の岩上の十一面観音石像への参詣は躊躇。この強風では断念せざるを得ませんでしたねぇ~
 境内の説明板には、こんな記載が…

 ◆広島県重文 磐台寺客殿

 --- 福山市沼隈町磐台寺 1962年(昭和37年)3月29日指定 ---

 この寺は、暦応年間(1338~1342)に覚叟建智が開いたものと伝えています。一時衰 退し建物は荒廃しましたが、元亀年間(1570~1573)に毛利輝元によって、観音堂とともに再建されたと伝えられています。
 この客殿は、桁行と梁間が五間半の入母屋造で、中央に仏壇の間を設け、左右に書院と奥の間を配した禅宗の方丈建築です。

 --- 福山市教育委員会 ---

 ◆阿伏兎

 --- 名称 鞆公園内 大正14年10月8日指定 ---

 けわしい海食崖が続く沼隈半島の南端、阿伏兎岬は奇勝として知られ、岬の突端の断崖に立つ磐台寺観音堂は阿伏兎観音と呼ばれ、 昔から海上交通の人々の信仰を多く集めてきた。
 観音堂は、寛和の頃(986)花山法皇が、このあたり一帯の海上を往来する船の航海安全を祈願して岬の岩上に十一面観音石像を安置 したのが開基と伝える。
 後、毛利輝元が再興し、福山藩主の水野勝種によって、現在の磐台寺境内の形をほぼ整えた。
 磐台寺観音堂と客殿は、室町時代の建築様式で知られている。
 本尊の十一面観音は、子授け・安産・航海安全の祈願所として広く信仰を集めてきた。
 朱塗りの観音堂は、海からの眺望は絶品で、観音堂の眼下に広がる燧灘(ひうちなだ)の展望もすばらしい。

 --- 平成5年2月 沼隈町教育委員会 ---

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