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 んっ!?…こちらでも、もぅお一人が(^.-)☆
 こぅして、いつもお二人でアチコチ出掛けられ、写生を楽しんでおられますのかも…
 駐車までの帰路は、いつもは通りません路地をランダムにノンビリと歩いて…そぅしますと、こんな所に祠が…そして、その前にはウサギsanが…
 福山市鞆支所方向に進み海岸沿いに出ておりますと、「龍馬の隠れ部屋・桝屋清右衛門宅」まで戻って来ましたネ(^.-)☆

 ◆龍馬の隠れ部屋・桝屋清右衛門宅

 --- 鞆物語 https://tomonoura.life/spot/12672/ ---

 1867(慶応3)年4月23日夜、坂本龍馬ら海援隊士が乗った「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」とが岡山県六島沖で衝突し、「いろは丸」が沈没するという事件が起きました。この『いろは丸事件』の際、鞆港を訪れた龍馬らが宿泊したのが『桝屋清右衛門宅』。当時、廻船問屋を営んでいた桝屋は土佐藩や薩摩藩、大洲藩などとも取引があったと思われ、それらの縁でいろは丸救出に関わったのです。伝説的な龍馬の隠れ部屋が、今では一般に公開されています。

 ・朝鮮通信使にも利用された鞆の津の代表的町家
 1764(宝暦14)年、11次朝鮮通信使が鞆を訪れた際に、対馬藩御船奉公輿添役や買物方三使附通詞が、この『桝屋清右衛門宅』に宿泊したと記録されています。当時の鞆の津は海運業で隆盛を極めていて、歓迎提灯の明かりで夜でも昼のようだったといいます。
 ◇往時の廻船問屋の雰囲気が宿る桝屋清右衛門宅

 ・商家の粋な見栄っ張り -- 前流れを長くして威容を示す
 「桝屋清右衛門宅」の屋根に注目。外観の側面から見るとよくわかるのですが、屋根の前側(前流れ)を伸ばして、正面から見たときに実際よりも建物を大きく見せかけています。こういった手法は鞆では19世紀以降に流行。
 商家の見栄っ張りな気風がよく現れています。
 ◇大棟を後方にずらし大きく見せる -- 商家の知恵ですね

 ・雰囲気満点 -- ここが伝説の龍馬の隠れ部屋
 東側納戸から2階に通じる階段を上り、天井裏の隠し空間へ。さらに奥の階段を進むと、そこには8畳ほどの畳敷きの部屋が!
 これが、龍馬が隠れていたと言い伝えられている部屋だといいます。龍馬の息を感じるような雰囲気が保存されていて、説得力十分!
 ◇忍者屋敷のような隠れ部屋 - ここに龍馬が…

 今までGONsanは、一度も、この「龍馬の隠れ部屋」に入った事がありませんけど、今回もパス(^-^)
 護岸に出ますと、釣りを楽しんでおられます方々に眼を向けながら一服です。
 ふ~ん、チビッコ女釣り師ですか…イィですねぇ~ひたすら獲物が掛かりますのを待っておられますけど、母親は傍らでスマホいじり…そのまた傍らでは、気持ち良さそうに居眠りの父親…
 ここもまた仲々イィ光景であります(^-^)//"

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