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 地蔵院近くの石段を上がって行きますと、「鞆城跡」にと到着です。ここには、「鞆の浦歴史民俗資料館」が存在です。

 ◆鞆の浦歴史民俗資料館

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 福山市鞆の浦歴史民俗資料館(ふくやましとものうられきしみんぞくしりょうかん)は、広島県福山市鞆町後地にある博物館。「潮待ちの館」の愛称をもつ。

 ・概要

 万葉の時代から栄えた鞆の浦を中心とする瀬戸内の歴史と文化を紹介する施設で、福島正則が築いたとされる鞆城跡(福山市指定史跡)に建てられている。庭から鞆公園(国の名勝)や四国の山々を見渡すことができ、ここからの景色は一見の価値がある。
 なお、館の建設は城跡の十分な調査のないまま進められたため遺構が大きく破壊された可能性が指摘されている。また、資料館に通じる坂道にある石垣は建設地に存在した鞆城のものと思われる石材を集めて模擬的に組まれたものである。
 同館の運営は福山市であるが、後援会組織として鞆の住民及び福山市民を中心に組織された「福山市鞆の浦歴史民俗資料館友の会」が関連行事などの積極的支援を行っており、鞆の恒例行事にもなっている「鞆・町並みひな祭り」や「八朔の馬出し」などの行事は同会が運営の中心を担うなど、鞆の浦の歴史遺産を活かしたまちづくりを積極的に行っている。

 ・主な展示物

 鯛網漁のジオラマ
 イカリづくりの鍛冶場
 箏曲家・宮城道雄の愛用琴などの遺品
 国の史跡「朝鮮通信使遺跡」の歴史資料
 広島県指定史跡「備後安国寺」の歴史資料
 広島県指定史跡「鞆七卿落遺跡」の歴史資料
 市無形民俗文化財「お弓神事」、同「お手火まつり」、秋祭りの布団太鼓「チョウサイ」、「八朔の馬出し」等の民俗資料
 保命酒店先の復元模型
 鞆の歴史・祭り等の紹介ビデオコーナー

 …と、こんな「鞆の浦歴史民俗資料館」であります。
 この敷地の片隅に、ウッカリすれば見落としそうな場所に、「アブラハム・デイヴィッド・クリスチャン」制作の彫刻が…傍らには、
 '89 ふくやま彫刻プロジェクト
 作品名 -- 彫刻
 制作者 -- アブラハム・ダヴィット・クリスチャン(Abraham David Christian)
 設 置 -- ふくやまアートプロジェクト実行委員会 福山市  …と、こんな説明板が(^.-)☆

 アブラハム・デイヴィッド・クリスチャンsanをWEB上で検索しますと、

 ◆アブラハム・デイヴィッド・クリスチャン

 アブラハム・デイヴィッド・クリスチャンはドイツを代表する彫刻家のひとり。若干19歳でドクメンタ5(1972)に参加し、翌年のデュッセルドルフ美術館での初個展以降、ドイツやアメリカをはじめ世界各地で活躍。日本では神奈川県葉山町のアトリエを構え、長年にわたって制作拠点としている。
 ルネサンス美術、アルベルト・ジャコメッティやデイビッド・スミスら20世紀の抽象表現、そしてアフリカの原始美術や仏教美術に影響を受けてきたクリスチャン。紙やブロンズによる彫刻、またドローイングは、これらの要素が組み合わさりながら均衡を保っている。

 …と、こんなアーティストのようであります。
 そして、「ふくやまアートプロジェクト実行委員会」も検索してみるのですけど、う~ん、よく分かりません。が、福山市内のアチコチで「ふくやま彫刻プロジェクト」により設置されましたアート作品は見掛けます。
 どぅにか『ふくやまアートプロジェクト実行委員会』に関します記述を見つけますと、こんな記載が…

 福山郵便局前交差点・北西(福山郵便局前)の、山本眞輔《躍動》(1996設置)。ふくやま彫刻プロジェクト。福山市、ふくやまアートプロジェクト実行委員会による設置。福山市とその周辺の市町村で、「ふくやま彫刻プロジェクト」を名乗った野外彫刻をよく見かける(先日行った尾道市御調町にもあったし、井原市でも見かけた)。これは1989年~1998年ころまで行われた「ふくやまアートプロジェクト」の一環として、福山市や周辺自治体と、ふくやまアートプロジェクト実行委員会が設置したもののようだ。他に展覧会なども開催しているようだが、ネットを検索する限りでは、今ひとつ実態がわからない。図録なども出ているようなので、近々チェックしたいと思っている。

 …と、こんな記載で、ふ~ん、「ふくやま彫刻プロジェクト」の実態は、よく分かりませんようですネ(^-^)
 それでは、何度も訪れています鞆城跡ですけど、暫し、敷地内を散策です。

 ◆鞆城跡

 --- 市史跡 1976年7月13日指定 ---

 ここは鞆城の本丸跡で、丘陵を利用して壮大な二の丸・三の丸が築かれ、東端は福禅寺、北端は沼名前神社参道、南は港に面していた。毛利氏が築いた城を、慶長5年(1600年)安芸・備後の領主となった福島正則が修築した。慶長12年(1607年)の朝鮮通信使の日記に「崖上に新しく石城を築き、将来防備する砦のようだが未完成である。」と記しており、その時、建設中だったことが知られる。
 元和元年(1615年)の一国一城令に先立って廃城となり、正則のの後を受けて入封した水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置いた。勝俊が福山藩主となって以降は、江戸時代を通して町奉行所が置かれた。

 …と、こんな説明板も。
 赤い鳥居の神社もありますので向かってみますと、鳥居には『正一位早毛利稲荷神社』の記載。

 ◆早毛利稲荷神社

 この神社は鞆の浦を見下ろす小高い丘の上、歴史民族資料館の建つ鞆城本丸跡に鎮座しています。城跡には鞆城の案内は有ったのですが、この社の案内は無く、御祭神・勧請年月・縁起・沿革等は全て不明です。推測ですが、この地は安土桃山時代に毛利氏の所領となり、鞆の浦には毛利氏の擁護の元、室町幕府15代将軍足利義昭が滞在したこともあり、毛利氏にちなんだ社で、お城の鎮守社だったのではないかと考えています。

 …と、WEB上には、こんな記載がありましたネ(^-^)//"

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