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 それでは、『← 箭田大塚』の案内標識に従って「箭田大塚古墳」に向かってみます事に(^.-)☆
 でも、この標識、田んぼの畦道を進めと支持していますねぇ~まぁ、従って進んで行きましょうか(^-^)

 ◆箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)

 箭田大塚古墳は長大な横穴式石室を有することで知られており、岡山市・牟佐大塚古墳、総社市・こうもり塚古墳とともに、岡山県三大巨石墳の一つに数えられています。石室全長は19.1mを測り、棺を納める玄室の長さは8.4m、高さ3.8m、幅3.0mで、天井は4枚、奥壁は1枚の巨石でそれぞれ構築されています。埋葬施設としては、奥壁と西壁を利用して3基の組合せ式石棺がつくられています。
 明治34年に行われた現地調査では、単鳳環頭大刀柄頭(市指定重要文化財)などの武器をはじめ、馬具や玉類等の副葬品も多数発見されました。また、昭和58年の範囲確認調査で検出された周溝により、古墳は直径約50m(周溝含む)の円墳で、西側に長さ5m程度の張り出しを持つことがわかりました。この時出土した須恵器等の遺物から、古墳は6世紀後半頃に築造され、7世紀初頭まで追葬が行われたと思われます。

 種別:国指定・史跡
 所在地:倉敷市真備町箭田
 所有・管理者:倉敷市
 指定年月日:昭和4年12月17日(平成4年12月18日追加)

 ◆箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)

 県下三大巨石古墳の一つで、内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれています。6世紀後半の築造と考えられており、直径54m、高さ7mの円墳です。

 ◆箭田大塚古墳

 --- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)は、岡山県倉敷市にある古墳。

 ・概要

 岡山県における三大巨石墳(他に牟佐大塚古墳、こうもり塚古墳)の一つで、6世紀後半から7世紀に築造された。明治34年(1901年)に初めて学術調査が行われ土器・刀剣・馬具・金環・勾玉等が発見された。これらは現在、東京国立博物館などに所蔵されている。昭和4年(1929年)12月17日、国の史跡に指定された(平成4年(1992年)12月18日追加指定)。
 従来、張り出しがあるために、前方後円墳ないし、それに準ずる帆立貝形古墳と思われていた。しかし、昭和58年(1983年)の実地調査で周濠が確認され、張り出しを持つ円墳であることが確定した。墳墓の大きさは直径54メートル、高さ7メートルである。横穴式石室は羨道と玄室から成っており全長は19.1メートルである。玄室は長さ8.4メートル、幅3メートル、高さ3.7メートルで天井石は4枚の巨石で構成されている。石室内に3基の組み合わせ式石棺が置かれている。

 ・箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)

 歴史・旧跡
 6世紀後半の築造と考えられる県下三大巨石古墳のひとつ。内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれています。
 明治34(1901)年の調査で、須恵器や土師器のほかに、権力の強大さを示す刀剣・馬具・金環・勾玉などが発見されました。
 石室全長は19.1m、うち玄室の長さ8.4m、幅3m、高さ3.8m。従来は前方後円墳とか帆立貝式古墳などと言われてきましたが、昭和58年の確認調査で周溝が検出され、直径54m、高さ7mの円墳であることが判明しています。

 ◆古代を覗いてみませんか…箭田大塚古墳

 箭田大塚古墳・国指定史跡、昭和4年12月17日
 箭田大塚古墳は県下3大古墳の一つで、全国的にも有名です。中に入ると大きな石に圧倒されます。6世紀後半から7世紀にかけ造られ、内部の石室は巨石を用いた横穴式で、入口の羨道とその奥の玄室からなっています。玄室の石棺3基のうち2基は追葬されたものです(真備町ウエルカム観光ガイド資料より)まずは写真をご覧ください(写真省略)。

 …と、WEB上で箭田大塚古墳を検索してみますと、色んな記載がありました(^.-)☆

 畦道を進んで行きますと、山の麓に石段が…うん、うん、この石段を上がれば到着ですネ。ですが、石段を上がりきりますと、いきなり『まむしに注意』の看板ですから、もぅテンションが下がってしまいます(^-^;
 でも、引き返す訳にも行きません、真ん前に『史跡 箭田大塚古墳』が見えるのですから(^_^)v
 まずは、古墳の周りを拝見です。近くには、「箭田大塚古墳」の説明板が…これには、こんな記載が(^.-)☆

 ◆箭田大塚古墳

 国指定史跡
 昭和4年12月17日指定

 箭田大塚古墳は、古墳時代後期に造られた直径約50mの円墳で、長大な横穴式石室を有することから、岡山市・牟佐大塚古墳、総社市・こうもり塚古墳とともに、岡山県三大巨石墳の一つに数えられています。石室全長は19.1mを測り、棺を納める玄室の長さは8.4m、高さ3.0mで、中には3基の組合せ式石棺が置かれています。
 明治34年(1901)に行われた調査では、武器や馬具に加え玉類などの副葬品が発見されており、その多くは東京国立博物館に所蔵されているほか、一部は吉備寺にも保管されています。その後、昭和58年(1983)に保存を目的とした確認調査が行われ、墳丘の周囲を巡る周溝が確認されたほか、各種須恵器や形象埴輪、鉄鏃、鉄釘などが出土しました。この調査により、古墳の築造時期は6世紀後半頃で、墳形は北西側に張り出しをもつ円墳であることが分かりました。

 --- 倉敷市教育委員会 ---

 …と、こんな記載でありました(^-^)//"

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