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 昨日・11/7(土)は、対阪神最終戦で広島東洋カープ・石原慶幸捕手(41)の引退試合が行われました。GONsanはこの試合の様子をズッとテレビ観戦となりました。

 ◆石原慶幸

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は、岐阜県安八郡墨俣町(現・大垣市)出身のプロ野球選手(捕手)。広島東洋カープ所属。

 ・経歴 --プロ入り前 --

 岐阜県立岐阜商業高等学校では、2年夏に第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦でPL学園とあたって敗退。3年夏にも第79回全国高等学校野球選手権大会に出場し、甲子園自身初安打も放ったが、1回戦で敗退した。高校通算57本塁打を記録している。高校の2年後輩は、後に同僚となる青木高広がいる。
 その後、東北福祉大に入学。吉見祐治、洗平竜也や木谷寿巳とバッテリーを組む。後に同僚となる大須賀允は同期。大学3年時に大学日本代表・シドニーオリンピック野球日本代表候補に選出された。4年秋はリーグ最優秀選手。ベストナイン捕手3回。2001年のドラフト4巡目指名で広島東洋カープに入団する。背番号は31。

 ・広島時代

 2002年は10月以降の消化試合で5試合の出場にとどまったが、初出場の対ヤクルトスワローズ戦で、石井弘寿から初安打を放った。
 2003年はシーズン中から一軍出場機会が増え、2年目ながら116試合に出場。肩・打撃の衰えが見られる西山秀二の正捕手の座を脅かし、前年活躍した木村一喜をも抜き去る存在となった。打率は2割前後を推移したが、シーズン通算4本塁打のうち、2本が満塁、2ラン・3ランが1本ずつと良い場面での本塁打が多かった。強肩で知られる谷繁元信を超える盗塁阻止率も残した。
 2004年は8番捕手でプロ入り初の開幕スタメンの座を掴むと、不振に終わった前年より安定感を増した打撃が評価され、西山から正捕手の座を勝ち取った。シーズン終了までほぼ全試合に出場した。自身初の規定打席に到達し、135試合出場、打率.288、6本塁打と好成績を残した。
 2005年はオープン戦でファウルを打った際に左手有鈎骨を骨折し、春先は出場できなかった。5月末に復帰後はスタメン捕手として起用されたが、打撃で足踏み状態が続き、目立った活躍は8月2日の対巨人戦でサヨナラ打を打った程度であった。守備でも8月9日の対ヤクルト戦で、振り逃げのリック・ガトームソンに気を取られ、三塁走者アダム・リグスに背を向けて一塁に緩慢な送球を行っている間に、リグスにホームインを許すなど精彩を欠いた。結局8月中旬以降は、自身の故障中に起用されていた倉義和に再び正捕手の座を奪われた。

 (中略)

 2012年は7月17日の中日戦で岩瀬仁紀からセ・リーグでは18年ぶりとなるサヨナラスクイズを決め、チームの5連勝に貢献したが、7月26日のヤクルト戦で右太もも裏を痛め出場選手登録から外れるなど2度の故障により、出場試合は77試合にとどまった。シーズン後、元タレントの八幡えつこと結婚。
 2013年は3年ぶりに120試合以上出場を果たした。打率.248であったが、四死球は自己最多の55個を選び出塁率はキャリアハイの.350をマークした。Aクラスを争う勝負所の9月17日の阪神タイガース戦で久保康友から自身4度目となるサヨナラ本塁打を放ちチームを4年ぶりの7連勝に導くなど、チームの16年ぶりのAクラス入りに大きく貢献した。この年で3年契約が終了したが、11月11日にFA権を行使せず残留する意向を発表。球団と3年総額3億円(推定)の契約を結んだ。
 2014年は開幕当初は正捕手を務めていたが、前半戦の打率が.141という極度の打撃不振に陥り、肩の故障もあり6月末に登録抹消。その間に正捕手の座を會澤に奪われ、1軍復帰後も出場機会は大きく減少した。會澤が負傷離脱したシーズン終盤には再び正捕手を務めたものの、80試合の出場で打率は.192とキャリアで初めて2割を切った。
 2015年は開幕スタメンを會澤に譲ったが、2戦目にクリス・ジョンソンとバッテリーを組み史上45人目(初登板での達成は史上初)の準完全試合を記録した。その後もジョンソンが登板する試合は全て正捕手を務め、シーズン終盤にはレギュラーに復帰した。また、新井貴浩の復帰が決まった際には歓迎会を開くなど生え抜きベテランとしてチームを支えた。
 2016年は開幕戦に8番捕手でスタメン出場を果たし、その後もジョンソン、黒田博樹、野村祐輔が登板する試合を中心に正捕手を務めた。8月2日のヤクルト戦ではウラディミール・バレンティンが空振りをした際にバットを頭部に受け、脳振とう、後頭部打撲と診断され登録抹消となった。しかし、脳震盪特例措置が適用されたため10日を待たず9日に再登録され、復帰戦で安打を放った。打撃は前半戦を終えた時点で打率.147と不振が続いたが、後半戦は打率.299を記録するなど復調して下位打線を支えた。最終的には106試合に出場し、3年振りに出場試合が100を上回った。また、広島の優勝に貢献したことが評価され、セリーグ最年長の37歳にして、初のゴールデングラブ賞、ベストナインを獲得し、また、自身三度目となる最優秀バッテリー賞も野村と共に受賞した。2016年の日本シリーズではノーヒットに終わり日本一を逃した。
 2017年は2年連続で開幕スタメン出場を果たした。序盤戦は會澤と併用される形で起用され、4月13日の対巨人戦では池田駿から2シーズンぶりの本塁打を放つなど打撃好調だった。しかし後半戦は打率.109と不振に陥ったことで會澤が正捕手の座に就き、シーズン終盤は磯村嘉孝にもスタメンマスクを譲る機会が増えたことにより、77試合の出場にとどまった。7月12日の対DeNA戦で史上189人目となる通算1,500試合出場を達成。
 2018年は5月11日の対阪神戦で能見篤史から左前打を放ち、史上292人目の通算1,000本安打を達成。38歳8カ月での達成は史上最年長、広島の捕手では球団史上初の記録だった。シーズンを通じては58試合の出場にとどまり、打率はキャリアワーストの.177であったが、ジョンソンが先発登板する試合では全試合先発マスクを務めた。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも第2戦(10月28日)でシーズン同様にジョンソンとバッテリーを組み、チームのシリーズ唯一の勝利へ導いた。
 2019年はジョンソンが先発登板する試合のみ先発マスクを被ったため、前年をさらに下回る31試合の出場にとどまったが、慢性的な肩痛が回復し盗塁阻止率は自己ベストタイの.500を記録、4月17日の対巨人戦ではライアン・クックから球団ワーストの開幕から5カード連続負け越しを止める決勝適時打を放つなど随所で存在感を示した。
 2020年10月12日、球団は石原の今季限りでの引退を発表した。同年8月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦で左脚を負傷した後に登録抹消となって以降はリハビリに励んでいたが、実戦復帰は叶わないまま球団に引退を申し入れて了承された。同年11月7日の対阪神タイガース戦(マツダスタジアム)後に引退セレモニーが行われる予定。

 ・選手としての特徴

 WBCメンバー選出の際には伊東勤から「12球団トップクラス」と評されたほどの高いキャッチング技術を持つ。藤井彰人は「最強の捕手」と評し、「投げる、捕る、止める。ずっと石原が一番うまいと思ってきましたよ」と述べている。

 …と、こんな石原慶幸捕手で、カープ一筋19年頑張ってこられましたけど、ついに引退。多大な寂しさは生じますけど、心から『19年間、お疲れ様でした』と、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
 昨日の引退試合、そして、試合後の引退セレモニーもズッとテレビで観ておりましたけど、審判員4名の皆様と石原選手が暫く会話しています様子も中継されておりました。この一コマも勿論、GONsanも観ておりました。「審判の方と、何を話しておられるのだろう?」…と。こんな場で、大変珍しいシーンでしたから…
 そぅしましたら、今朝の中国新聞sanに、こんな大変興味深い記事掲載が(^_^)v『フェアな捕手 去り際も』…
 ふ~ん、そぅでしたか…この記事で、昨日の石原選手と4名の審判員sanが会話しておられます一コマを大納得のGONsanです。改めて、石原選手のお人柄が偲ばれましたネ\(^o^)/
 今から、石原選手がどんな人生を歩まれますのか分かりませんけど、まだ幼い娘さんお二人、そして、奥様と、幸せな人生を歩んで行かれますよう、切にご祈念申し上げたいと思います。
 石原選手、長い間、本当に有難う!!(^-^)//"

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