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 境内から東に下ると「四ッ堂」と「休憩所」が有りましたけど、これはスルーで歩きながらパチリ(^.-)☆
 そして、休憩所の先に孝霊塚の看板が存在です。これには、

 ◆孝霊塚

 古い宝筐印塔の立つ“俗称”孝霊塚は、南宮神社の主祭神である孝霊天皇の御陵と言い伝えられている。
 即ち天皇が譲位の後、此の所を仙洞として住まはれて崩御されて築かれた説と、御子吉備津彦命が、四道将軍として吉備国に御滞在の頃、御父の孝霊天皇を偲ばれて、御分霊を祀る御領を築かれた説との二説がある。

 …と、こんな記載でありました。
 看板から山道を少し進みますと休憩所、その先が孝霊塚でありました。
 途中、先客のご家族連れが楽しそうに賑やかに下りて来られました。擦れ違いの際に、南宮神社鐘楼方向に眼を向けましたら、う~ん、まだ、紫陽花を観賞していますようでありました(^.-)☆
 孝霊塚の下側には、「孝霊天皇御陵、寳筐印塔(ほうきょういんとう)、石人」案内表示板が…
 この案内表示板には、こんな説明がありました(^.-)☆

 ◆孝霊天皇御陵、寳筐印塔(ほうきょういんとう)、石人

 備陽六郡史に「神宮寺上に古き寳筐印塔有、是を孝霊帝の御墓といひ傳う、其の後に圖のごとくに山有、是陵ならんか」と記されています。(圖とは、この文の前に掲載されている地南宮神社 神宮寺一帯を書いた地図でその中に孝霊帝御墓がありそこに小山が書かれている。)
 又元禄地検帳(神宮寺郷土館に展示)にもこの御陵が社地として記載されています。
 寳筐印塔は、文字がはっきりしないので、不明な点はありますが中世に天皇供養のためにつくられたもので非常に価値ある重要な文化財であります。
 又石人は、殉死者を表したものと思われます。

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