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 円通寺公園内の一番高い場所は「白華山頂上」と言うみたいです。この白華山頂上には色々石碑が存在しまして、その中の一つが「童と良寛」であります。
 脇碑には、こんな記載がありました(^.-)☆

 ★脇碑に次のとおり刻まれている

 ◆童と良寛像について

 良寛は越後に生まれ22才の時 円通寺10世大忍国仙和尚の徳を慕って随従し 自来約20年間禅の修行を重ねた
 師国仙は印可の偈に 良也如愚道転寛 と讃えた
 大愚良寛としての素志は この玉島の地に於て大成されたのである
 後年 豊かな人間性と悟境の深妙を 詩歌や書に托し その風韻は広く世の人々に敬慕されている
 ここに遺徳を偲び ともに心のやすらぎを願って この像を建立した

 -- 昭和51年5月16日 玉島ライオンズクラブ --

 ◇像の銘板
 原型:平田郷陽 制作:宮本隆 玉島ライオンズクラブ20周年記念 昭和51年5月16日

 童と良寛像の右側設置の案内板には、

 ◆案内板「童と良寛」

 円通寺は元禄年間、学徳すぐれた徳翁良高禅師によって開山せられ今日に至るまで数多くの名僧が出ている。
 良寛は宝暦8年、越後の出雲崎に生まれ安永8年(1779)円通寺住職、国仙和尚が越後に旅された時、和尚の徳を慕いはるばる玉島へついて来た、時に少壮22才であった。以来約20年間国仙和尚のもとで絶えず修行を重ね、禅学にすぐれ崇高なる人格を完成された。
 子供らの仲間として、かくれんぼや手まりつきなどに興じた無欲てんたんな良寛の逸話は広く世に知られている。
 また数多くの遺墨は、重要文化財に指定され、その書は良寛の面目翁如たる人格をそなえている。この像の題字「童と良寛」は 遺墨の中から集成拡大したものである。
 良寛は文芸にすぐれた両親の天分をうけつぎ、歌人として、また漢詩人としても有名で、世事にこだわらない独特の味わいを持つ数多くの作品は、相馬御風氏の著書によっていっそう広く世に紹介された。
 円通寺公園のすばらしい風光は聖僧良寛修行の地として玉島の誇りである。
 このたび我らはこの聖地にふさわしい石像を建立し、良寛の遺徳を偲ぶことにした。
 原型は無形文化財人形作家、平田郷陽氏の作である。

 昭和41年5月15日開眼 玉島ライオンズクラブ
 (場所)岡山県倉敷市玉島柏島 円通寺公園内 白華山頂上

 そして、この白華山頂上の中央部には、大きな平らな石があるのですけど、説明の石碑には「百年石」と読むのか否か、良く分かりません(^-^;
 何と刻まれてありますのでしょうネ…
 それでは、今から円通寺方向に下って行きたいと思います(^-^)//"

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