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 荒木城御崎古墳とお別れしバスの所まで戻って来ますと、次の訪問地は「立1号墳」であります(^.-)☆
 マップで確認しますと、歩けば時間を要しますのでしょうけど、比較的近くのようであります。少し走行しまして、市道脇にバスは停車。そこには「立1号墳」の案内石碑が…
 WEB上で「立1号墳」を検索しますと、こんな記載がありました。

 ◆立1号墳(たちいちごうふん)

 ・形--前方後円墳 ・所在地--真庭市上水田 ・前方後円墳竪穴式石室
 ・紹介文
 立1号墳が所在する上水田地域は、荒木城御前古墳をはじめとする首長古墳・寺院・群衙などが集中し、原始・古代の地域史を考えるうえで重要な土地柄です。平成7年に発掘調査が行われ、墳長約90mの前方後円墳で有ることが明らかになりました。葺石や埴輪は確認できませんでしたが、くびれ部の後円部より竪穴式石槨が発見されました。年代は墳形からみて5世紀代のものと思われ、吉備北部では最大級の古墳です。(案内板の内容より)

 ◆立1号墳

 ・所在地--岡山県真庭市上水田立 ・形式--前方後円墳
 ・規 模--全長:90m、後円部--直径:58m、高さ:12m、前方部--先端幅:50m、高さ:5.5m
 ・築 造--5世紀中葉

 ★立1号墳

 固有の通称はなく古墳群に通番をつけて立1号墳とされ岡山県真庭市上水田立の丘陵上にあります。
 現地へ訪れてはいませんので現在の状況などの点で資料が中心に説明を加えました。
 資料の読み方や、発行時期などからすでに破壊されている場合もありますので、もし破壊されている場合は過去にこのような古墳があったと理解してください。

 墳丘は鍵穴のような形をした日本独特な形式で前方後円墳と呼ばれています。
 墳丘の規模は、三段構築された後円部の径58m、高さ12mで、前方部の最大幅は50m、高さ5.5mを測り、墳丘全長は90mとなっています。
 基本的には土が盛られて造られたものなので、1500年あまりの年月の風雪に耐えながらも自然崩壊など発生しています。

 コンクリートなどで固められたものなら、それ相当の数値誤差も少なくなりますが、また水平面を出してから築造されたものなど皆無です。
 どこからどこまでを墳丘としたのかが明確なものはないといっても過言はありません。
 現在のような機械的測量をおこなって築造されていないわけですから、これらの規模数値もおおむねとして捉えるのが良いでしょう。
 現在でもなわ、木などの自然素材だけをつかって測量したなら、完全な水平面や長さを測ることなどほぼ不可能と思われますから、これらの規模の計測数値は必ずしも確定的なものではありません。

 埴輪の出土がなく埴輪の配列はなかったものとされています。葺石が墳丘に施されていたかは不明とされていますが、なかったものとみられます。発掘調査が1995年に行われています。
 後円部くびれ部寄りにある埋葬施設は、竪穴式石室となっています。立古墳群を構成しています。
 古代において、この美作は出雲文化圏との接点で若干異にする部分もありますが、吉備地域の一翼をにない、畿内文化圏に飲み込まれる古墳時代後期にいたるまで、畿内の文化圏に対抗しうる一大文化圏を営んでおりました。
 この古墳の築造は、古墳時代の中期にあたる5世紀中葉ごろと推定されています。
 ちなみに平成の自治体大合併で合併しており、2005年03月以前は上房郡北房町になっていました。

 …と、こんな「立1号墳」であります(^-^)//"

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