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 史跡巡りへの参加者は、A.M.9:50に井上記念館に集合です。
 いつものように、9:50少し前に井上記念館に到着で資料を頂きますと、「はい、これで定員いっぱいです…」との事ですから、「んっ!?」のGONsanです。

 で、よくよく聞いてみますと、何でも今回は参加者が多くて、六方学園san提供のバスの乗車定員をオーバーするとの事のようでありました。
 ですが、GONsanの後から未だ数人来ておられます。
 結局、この人数の問題は、どなたかが車を出されます事で、一応、解決(^.-)☆
 でも、珍しいですねぇ~GONsanは、もぅ10年ばかりこの「史跡巡り」に参加しておりますけど、バスの定員を超えます事はありませんでしたような…チョッと意外でありました(^-^)

 今回の史跡巡りは「日の出丘」「竹ヶ端」方面ですから、まずバスは鞆街道を田尻方向に走行し佐須良池脇に停車です。
 ここでは、バスから下車し佐須良池脇で、「山分坂(さんぷんざか)」「大谷新涯」「新立古墳(しんたちこふん)」の説明です(^-^)
 今回は、実際に「新立古墳」を訪れますのかも…と期待していたのですけど、従来通り説明のみで、う~ん、残念(^-^;

 ここからは、またバスに乗車し竹ヶ端へ。
 鞆鉄バスsanの竹ヶ端バス停の駐車場で下車し、次の訪問地は、資料によりますと「法界碑と葬斂場(そうれんば)」でありました。
 WEB上で「葬斂(そうれん)」を検索してみましたら、「葬斂(そうれん):なきがらを棺に納め、ほうむること。また、その儀式。」との記載が…
 要するに、火葬場ではなくて、ここに、今で言う祭典場が有りましたようですネ。
 この「葬斂(そうれん)」の言葉は、GONsanには結構懐かしさも漂い響きます。GONsanが幼少時には「葬儀(そうぎ)」とは言わず「葬斂(そうれん)」と言っておりましたネ。漢字ではこのように書くのですねぇ~意味も分からず使っていたのですネ(^-^)

 とにかく、ここに葬斂場(そうれんば)が存在しましたようです。
 史跡巡りの講師の方が、当時の写真を皆さんに…ふ~ん、昭和初期までは、ここに存在しましたようですネ。
 今まで「史跡巡り」で3~4回訪れています竹ヶ端なんですけど、「葬斂場(そうれんば)」跡地を訪れましたのは、今回が初めてでしたネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)