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 さっぽろテレビ塔から降りて来ますと、次は「札幌市時計台」へ。
 途中、北海道新聞社本社ビルがありましたので、これをパチリ。そして、時計台へ(^.-)☆
 夕闇迫りますこんな時間ですから、訪れます方はおられないのかも…と思いましたら、なんの、なんの。若者グループの観光客の皆様が結構おられまして、GONsan同様にパチパチやっておられましたねぇ~
 時間を見ますと、18:20。そろそろ帰路につきませんと…

 帰路は、狸小路商店街経由で(^-^)

 ◆札幌市時計台

 札幌市時計台(さっぽろしとけいだい)は、北海道札幌市中央区北1条西2丁目にある歴史的建造物である。重要文化財(1970年6月17日指定)。
 正式名称を「旧札幌農学校演武場」と称する。現在の通称は「札幌時計台」、もしくは単に「時計台」と呼ばれ、たくさんの観光人が訪れる名所になった。

 ・概要

 三角屋根の上に大時計を載せた特徴的な外観の建築物である。
 計画者は札幌農学校の2代目教頭であったウィリアム・ホイーラーであり、北辺警備に備えた訓練を目的として、安達喜幸をはじめとする北海道開拓使工業局による設計・監督の下建造された、バルーンフレーム構造の木造2階建(時計部分の塔屋を除く)である。屋根は鉄板葺き、高さは19.825m、延面積は約760㎡である。
 北海道大学の発祥の地であるため、同大学とは密接な関係にあり、1階の展示室では北海道大学附属図書館に所蔵されている資料が多く展示されている。この他、同大学のイベント会場としても使用されることが多く、現在でも「時計台サロン」などの市民公開セミナーなどが開催されている。また、1階売店では北大関連グッズも販売されている。
 2階は貸ホールとしての機能も有しており、コンサートなどのイベントが頻繁に開催されている。

 かつては札幌市の図書館として使われていたこともある。2008年(平成20年)から指定管理者制度を導入。
 北海道庁旧本庁舎(赤レンガ庁舎)と並び、札幌市中心部の有名観光スポットであり、札幌市のカントリーサインのデザインとしても使用される札幌市の象徴的建物である。また道外では札幌ラーメンの店の看板や北海道観光のポスターに多用されるなど、札幌のみならず北海道の象徴とされる例も多いほか、北海道日本ハムファイターズの応援歌の歌詞にも使われている。
 壁面は白く塗られているが、1995年(平成7年)から実施された保存修理時の調査で、創建当初は壁が灰色、柱や窓枠が茶色に塗られていたことが判明した。壁は緑色に塗られていた時期もあり、白の塗装となったのは1953年(昭和28年)からである。上述の保存修理に際して、壁の色は創建時の灰色に戻すことはせず、長年親しまれた白色としている。

 ◆北海道新聞社

 株式会社北海道新聞社(ほっかいどうしんぶんしゃ、The Hokkaido Shimbun Press)は、ブロック紙の北海道新聞を発行する新聞社である。子会社として道新スポーツなどを持つ。

 ・概要

 1942年(昭和17年)、新聞統制によって北海道の11紙が統合され「北海道新聞」が誕生。その発行会社として設立された。
 道内に系列放送局(北海道放送(HBC)、北海道文化放送(UHB)、テレビ北海道(TVh)、エフエム北海道(AIR-G'))を複数擁し、北海道のマスメディアで独占的な地位を確立。年間売上高は750-760億円で、新聞業界第6位の規模を誇る。
 2005年(平成17年)3月期の決算では当期利益35億円をあげ、全国紙の毎日新聞社と産経新聞社を抜き、業界第5位であった。
 また、関連事業の多角化として、プロ野球パ・リーグの北海道日本ハムファイターズや、サッカーJリーグの北海道コンサドーレ札幌、バスケットボールBリーグのレバンガ北海道などにも出資。
 特に日本ハムファイターズの札幌フランチャイズ化はグループあげてキャンペーンを展開し、ヘルメットスポンサーにもなっている。新聞関連企業としては、読売新聞グループ本社・中日新聞社に次ぐ球団経営の本格参画を図ると見られている。

 ◆狸小路商店街

 狸小路商店街(たぬきこうじしょうてんがい)は、札幌市中央区に所在する商店街。

 ・概要

 狸小路は南2条と南3条の中通であり、道路名は「市道南2・3条中通線」。創成川河畔の西1丁目から西10丁目まである横長の街区になっている。「札幌狸小路商店街振興組合」に加盟しているのは西1丁目から西7丁目までのアーケード(全蓋式、国道36号部分は除く)がある区域であり、総延長約900メートル(m)、店舗数約200軒の北海道で歴史ある商店街の一つになっている。狸小路商店街は新しいものを積極的に採り入れており、札幌市に初めて電話交換局が設置された際にすぐ電話を設置したのが狸小路の商人であったほか、札幌市でラジオやテレビの放送が始まるとすぐに宣伝広告(コマーシャルメッセージ)を行い、商店街としていち早くインターネットを活用し、光ファイバーや無線LANによる商店街LANを構築している。24時間歩行者専用になっており、許可を得た車両以外の通行を禁止している。

 ・名称の由来

 「狸小路」の名称については諸説あり、1891年(明治24年)の『札幌繁昌記』によると「狸小路とは綽名なり。創成川の西側、南二条と三条との間の小路をいう。このところ飲食店とて、西二丁目三丁目にて両側に軒をならべ、四十余の角行燈影暗きあたり、一種異体の怪物、無尻を着る下卑体のもの、唐桟の娘、黒チリ一ツ紋の令嬢的のもの、無りょ百三四十匹、各衣裳なりに身体をこしらい、夜な夜な真面目に白い手をすっくと伸ばして、北海道へ金庫でも建てようと思い込みかつ呑み込み、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を巧みにいけどり、財布の底を叩かせる。ハテ怪有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なれば、人々かくは『狸小路』となんよべるなり」とあるほか、1934年(昭和9年)の『北海タイムス』(1934年)に掲載された写真家・三島常磐による回顧談によると、1873年(明治6年)か1874年(明治7年)頃に現在の南3条西4丁目に侠客の松本代吉が「東座」(あずまざ)を建てると「それが切掛になって一杯酒の店が出る、白首(ごけ)が出だすという按排(あんばい)で、それ迄一帯の大ヤブであった地が次第に賑わって来た(略)。
 徒(あだ)に付けた白首小路、則ち狸小路の名がその儘本名になってしまったんだから面白い。大ヤブに出る狸で、狸は白首の異名であった」とあり、言葉巧みに男を誘う女たちをタヌキに見立てた説があるほか、1898年(明治31年)に『北海道毎日新聞』に掲載された深谷鉄三郎による回顧談によると、3丁目に「曖昧女」(白首)をかかえた「仙北屋」が開いたことが狸小路の始まりであり、次いで「雨風」とあだ名のついた女が2丁目で料理屋兼曖昧屋とした「安津満屋」(あづまや)を開いたことが第2の狸小路の始まりであるという説、実際にタヌキが生息していたから狸小路と呼ばれたという説、明治から大正初期にかけて人を化かして仕入れ価格の2倍で商品を売って暴利をむさぼる商店があったため、当時の商売人をタヌキに例えたという説がある。

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