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 最勝院とお別れし正門方向に進みますと、鳳凰堂に入られます方の列が…鳳凰堂に入りますには別料金を要しますのでGONsanはパス(^-^)
 そして眼に入りましたのが「扇之芝」でありました。「扇之芝」をWEB上で検索致しますと、

 ◆源頼政が最期を遂げた扇の芝・平等院

 平安時代末期に権力を握っていたのは、平家一門でした。しかし、大いに栄えた平家もやがて源氏によって滅ぼされることになります。そのきっかけとなった史跡が京都府宇治市の平等院に今も残っています。

 ・源頼政の挙兵

 平家滅亡のきっかけを作ったのは、源頼政でした。頼政は、平治の乱(1159年)で、平清盛に味方し、同族の源義朝を倒しました。
 この戦いの後、平家は全盛期を迎え、源氏は頼朝が島流しにされるなど、歴史の舞台から長い間、姿を消すことになります。平家に味方した頼政も、大して出世することなく、70歳を過ぎる老齢となっていました。
 治承4年(1180年)のある日。源行家が頼政のもとに訪れます。行家は、以仁王(もちひとおう)を担ぎ上げて、平家追討のために挙兵しようと頼政に持ちかけました。
 頼政は、以前に我が子の仲綱が平宗盛に馬鹿にされたこともあり、以仁王とともに挙兵することを決心します。

 しかし、この挙兵は直ちに平家の知るところとなり、頼政は以仁王とともに奈良興福寺に逃げようとしましたが、宇治川で平知盛率いる平家軍に追いつかれました。
 頼政は、押し寄せてくる平家の大軍から以仁王を守るために宇治橋で応戦します。しかし、善戦空しく頼政軍は平家に敗れました。
 体に流れ矢を受けた頼政は、宇治橋からほど近い平等院へと向かいました。「もはやこれまで」と悟った頼政は、子の仲綱とともに芝生の上で自害して果てます。

 埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 哀れなりける

 上の歌は、頼政が詠んだ辞世の一首と伝えられています。そして、頼政が自害した場所とされる芝生が平等院の境内に残っています。そこは、「扇之芝」と呼ばれています。
 その名のとおり、扇状の芝生となっています。また、平等院の子院の最勝院には、頼政の墓もあります。
 そばには、源三位頼政(げんざんみよりまさ)の墓と書かれた看板があり、「平清盛の横暴に憤り高倉宮以仁王の令旨(りょうじ)を奉じ平家打倒の義兵を挙ぐ」と記述されています。
 さらに平等院内の浄土院には、頼政に仕えた太敬庵通圓の墓があります。

 …と、こんな歴史のあります「扇之芝」のようです。

 平等院の正門を出ますと、すぐ左手にどなたかの像が存在します。で、近付いてよくよく観ますと「辻利右衛門像」と記載。
 これまたWEB上で検索です。

 ◆平等院正門の横「辻利右衛門像」

 辻利右衛門像(つじりえもんぞう)、宇治茶の老舗「辻利」の創業者。玉露製法の確立と茶櫃の考案により宇治茶の復興に大きく貢献した。その功績により緑綬褒章を受賞、平等院正門横に銅像が建立された。

 ・場所 京都府宇治市 平等院正門の横
 ・アクセス JR宇治駅から徒歩8分
 ・駐車場 なし

 「辻利」といえば、京都観光に訪れる人達にとっては茶寮「都路里」のほうが有名かもしれませんが、れっきとした宇治茶の老舗。抹茶をふんだんに使ったスイーツは人気ですね。その母体となる宇治茶の老舗が「辻利兵衛本店」です。その創業者が辻利右衛門です。この銅像は平等院の正門横に立っています。

 …と、こんな記載。ふ~ん、こんな人なんですねぇ~
 そして、右に隣接します石碑。仲々読みにくいのですけど、多分「宇治製茶記念碑」とでも書いてあるのでしょうか…「宇治製茶記念碑」で検索しますと、うん、うん、出て来ましたネ(^_^)v

 ◆宇治製茶記念碑

 第1回製茶共進会特別賞受賞を記念して建立された宇治製茶記念碑(平等院門前)。毎年、製茶記念日(10月1日)に製茶記念式典と茗魂祭が行われる。

 …と、こんな石碑のようでありました(^.-)☆
 平等院とお別れしますと、また平等院表参道をキョロキョロしながら宇治橋方向へ。宇治橋を渡り終えますと眼に入りますのが「東屋観音」でありました(^.-)☆

 ◆東屋観音(あずまやかんのん)

 京阪宇治駅直近の好立地な史跡です。元は南西20mのところにあったそうですが、宇治橋架け替えに伴う道路拡張で、宝篋印塔・灯籠と共に現在地に移されています。
 東屋観音と呼ばれる石造聖観音菩薩坐像は、鎌倉時代の作。朴訥な感じなんですけど、蓮華を持っていたり造形はよくわかる感じ。地域で分けるのも変ですけど、奈良の石仏のように味わいがありました。剥き出しなのがちょっと不思議なくらい。
 でもお堂に入れちゃうとよく見えなくなるので、現状は有難い状態にあるとも言えます。個人的にちょっと好きになっちゃった石仏さんです。

 …と、WEB上にはこんな記載がありました。

 この「東屋観音」近くでバスに乗り込み、この日の宿泊場所であります「ホテル グレイスリー 京都三条」に向かいます。
 そして、本能寺前でバスから下車し、少しばかりテクテク歩きとなりました。今夜の夕食場所となります『三嶋亭』を横目にホテルにと到着。
 ユックリします時間も有りませんで、ほどなく、先ほど素通りしました『三嶋亭』へと向かう事となりました(^.-)☆

 ◆三嶋亭について

 明治の文明開化華やかなりし頃からの、140余年にわたる伝統を守るすき焼の老舗。昔から変わらぬ、三島亭の風情。日本のすき焼店の草分け的存在として140余年にわたる歴史を誇り、有名人や海外の通の間でも知られるようになりました。
 京都・寺町三条の賑やかな界隈に建つその姿は、まるでタイムトリップしたかのような趣ある店構え。京都らしい京町家造りの店構えは界隈のランドマークでもあり、その佇まいで歴史を感じていただけます。
 数寄屋造りの店内に足を踏み入れると、四季折々の表情を見せる坪庭や欄干、天井、格子などそのほとんどが明治の創業当時のままとなっており、お料理はもちろんですが、華やかかりし文明開化時代の歴史と伝統を感じる空間も、ゲストとの話題には事欠きません。

 ・はじまりは明治六年 初代三嶌兼吉が横浜で牛鍋を学ぶ。

 さる御公家侍に仕えておりました初代三嶋兼吉は、その妻“てい”と共に横浜で牛鍋を学び、明治六年、京に戻り、現在の地、寺町三条で「三嶋亭」を創業いたしました。
 それ以来、140余年その味を守り続け、明治、大正、昭和、平成、現在に至り、五代目となります。今も創業当時と変わらぬ佇まいで産地にこだわらず、厳しい目で選びぬかれた牛肉を独自の方法で熟成させ、三嶋亭こだわりの焼き方でお召し上がりいただいております。

 ・目にも美味しい霜降り。伝統の美味を守る意気。

 大自然の中で丁寧に丹精込めて育てられた黒毛和牛を、代々受け継いできた三嶋亭独自の目利きにより全国から厳選。芳醇な味わいの贅沢な霜降り肉は、秘伝のすき焼や水だき、オイル焼でじっくりと味わえるのは、まさに至福。さらにみそ漬けやしぐれ煮も用意され、牛肉のおいしさを多彩な料理で存分にお召し上がりいただけます。
 看板料理であるすき焼は、炭火に近い効果を得られる電熱器を使用し、厳選した黒毛和牛のうま味を存分に引き出している。また、割下は長い伝統の中で五代目がさらに進化させ完成させた秘伝のレシピ、創業当時から何ひとつ変わらぬ伝統が織りなす味わいは、長年にわたり多くの常連を魅了しています。

 ・代々の当主の生き様を自らの仕事に映し出す。

 代々受け継いだ精神を、料理人としての心と調理方法をいつも胸に留め、三嶋亭の伝統を受け継ぐ料理人として、枠にとらわれない進化をつづける料理人として、「進化し続けること」に常にこだわっています。
 五代目・三嶋太郎は、三嶋亭の伝統を守りつつ、さらにその上を目指すべく、八年前より日本料理の修行を始め、加えて茶の湯と生け花の稽古を続けることで、すき焼きに前菜数品とお菓子、薄茶がつく懐石仕立ての「花コース」を考案。
 ゆるりと時の流れる、明治香る優しい雰囲気の中、心に残るひとときをお過ごしください。

 …と、こんな『三島亭』でありました(^-^)//"

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