GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

2021年12月

今朝は、本年最後の日の出撮りで、墓地行きのGONsanでありました(^.-)☆

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 今朝の福山市の日の出時刻は、A.M.7:13。
 で、昨夜から、WEB上で使用します賀状用の日の出画像を、田尻町の杏畑上の散策道から撮ろうと計画しておりました。
 が、今朝、起床しましたのは、A.M.06:30でありました(^-^;
 目覚ましは、A.M.6:00にセットし、一旦眼が醒めましたのですけど、もぅ5分眠りたい…で、ハッと気が付きますと、既に06:30ですから大慌てのGONsanです。
 急いで洗顔を終え、準備済みのカメラ・三脚…等を手に外に出ますと、早や06:45でありました。
 こんな時間では田尻行きも断念で、結局、妙性山墓地に場所変更。
 A.M.7:00に墓地到着となりましたけど、どなたも墓地にはおられないだろう…と見廻しますと、ふ~ん、男性がお二人ばかり新年に備えて墓地の清掃中でありました。
 普段、ご多忙なのでしょうねぇ~大晦日の早朝にヤッと時間が取れたから…と言ったところでしょうか(^.-)☆
 今まで、色んな場所で初日の出参詣を行っていますGONsanですけど、水呑の墓地からの日の出撮りは、今回が初めてです。ですから、場所取りが今一よく分かりませんけど、とりあえず適当な場所に三脚を設置となりました。
 そして、7:00を過ぎますと、東方の空が赤くなって来ました。どうやら、場所取りを誤ってしまいましたネ。丁度、日の出の位置は、竹ヶ端の山に隠れてしまいます。が、今更、場所移動も間に合いません。
 竹ヶ端の山に隠れはしますが、天気はイィのですけど、あいにく日の出方向の低い位置に雲が連なっていますので、日の出が顔を出し現れますのは、その雲の下か上ですから、山に隠れてもまぁイィか…と言ったところではあります。
 案の定、最初の雲間からは、日の出を捉えます事は出来ませんで、暫し待機。そして、日の出が現れました時には、随分明るくて、明るすぎて、キレイには撮れませんでしたねぇ~
 いつもの事ですけど、日の出を撮りますのは、結構、難しいものであります。まぁ、毎回、こんなもんではあります。
 明日の初日の出は、寝坊する事無く、やっぱり、箕島か田尻に出掛けなくては(^-^)//"

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(7)

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 山城跡の探索が終わりますと、また上がって来ました山田街道を逆戻りでの下山です。往路での難所をまたクリアしなければなりませんけど、さて、どぅなりますか…
 復路での竹林では、イノシシの疾走音を耳にすることも無く通過です。そして、難所の斜面上り・下りの箇所へと到着です(^-^)
 多少の危惧はありましたけど、リーダーのアシストも受け、皆さん無事にクリアです(^_^)v
 こぅして画像で振り返ってみますと、何でもありませんような斜面なのですけど、現地では、これが仲々(^-^)
 竹林からここまでの行程で、GONsanは落ち葉に足を滑らせ見事に転倒(^-^;
 転倒しましたのはGONsanのみで、恥ずかしいのなんの(^-^;
 GONsanは、こうした山登り時には鉄板入りの安全靴を着用ですから、チャンとした登山用の靴でありませんし、やむを得ませんのかも…岩場歩きには最高なんですけどねぇ~
 とにかく、復路もまた、皆さん無事にクリアとなりました(^-^)//"

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JR山陽線の貨物列車脱線の件…ふ~ん、そぅいぅ要因からなんですか…

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 今朝の中国新聞朝刊紙上に、JR山陽線の貨物列車脱線事故の原因究明の経過が…ふん、ふん、そぅいぅ原因も考えられますのですねぇ~
 今まで、瀬野~八本松間の脱線事故は無かったように思いましたけど、いゃいゃ、1998年8月にも類似の脱線事故がありました様子。その際の事故原因も勘案、今回の脱線事故も『乗り上がり脱線』の可能性が高いとか…
 「乗り上がり脱線」のメカニズムは、今回の朝刊記事でよく理解出来ましたけど、鉄道のカーブではレール設置時に色んな工夫が施されていますようですネ。
 それに、現在でも瀬野~八本松間の急坂を上がるため、貨物列車の最後尾で2機目の機関車が後押しをしていますとは、いゃぁ、これも知りませんでしたネ。GONsanが幼少期時代の過去の事とばかり思っておりました。
 とにかく、鉄道の急坂のカーブでは、レールの敷設には結構な技術力が要求されます事も初めて知りました(^-^;
 それはともかく、運休となっておりましたJR山陽線の西条~安芸中野間ですけど、明日の13:00頃には運転再開となりますようです(^.-)☆
 年末の繁忙時にお困りの方々も多かったのでしょうけど、とりあえず一安心ではありますネ。
 本日夕方には、中国新聞sanのこんな速報記事もWEB上に…

 ◆JR山陽線、31日午後1時ごろ運転再開へ 西条-安芸中野間

 --- 2021/12/30 17:50 中国新聞 ---

 脱線事故の現場付近で進む復旧作業=30日午前11時50分、広島市安芸区(撮影・山田太一)

 広島市安芸区のJR山陽線の貨物列車脱線事故で不通となっている同線の西条-安芸中野間について、JR西日本広島支社は30日、運転再開の初列車を上りが31日午後0時50分広島発の糸崎行き、下りは午後0時57分白市発(1時6分西条発)の広島行き、午後0時53分糸崎発広島行きと明らかにした。
 30日は西条―安芸中野間で終日、運転を取りやめ、バスによる代行輸送を実施。山陽新幹線も三原―広島間で代替輸送をしている。山陽線の三原―西条間、安芸中野―岩国間は本数を減らして運行している。
 貨物列車の事故は、28日夜に八本松-瀬野間で発生。先頭と最後尾の機関車を含む25両編成のうち、12両目の貨車が脱線した。11両目までは29日夜に東京貨物ターミナル駅(品川区)へ向けて出発。同支社によると、脱線した12両目の貨車をレールに戻す作業が30日早朝に完了し、12両目以降が午前5時20分ごろ、現場から広島貨物ターミナル(広島市南区)へと引き返した。その後、復旧に向けて、損傷したコンクリート枕木などの交換作業を進めている。

 時間的な計算が可能で、大量の人員の輸送が可能な鉄道ですから、普段日常生活で利用しておられます方々には大変貴重な存在です。
 ですから、こんな突然の運休にはさぞ困惑されます事でしょうけど、運転再開とは、ひとまず安心してしまいますネ(^-^)//"

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(6)

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 要所要所でリーダーの説明を受けながら進んで行きますと、廃材に囲まれた中央に石仏が…ここには、木造の祠がありましたのでしょうけど、老朽の進行で自然解体となりましたのでしょうか…
 そしてまた進んで行きますと、比較的整備されました平坦地が…
 これは、近年、人の手で平坦地にされました感じが…何かの工事に伴い、資材置き場か何かの使用目的で、周辺の樹木を伐採し平坦地にされましたのかも…近くに道路が見えましたから、そんな感じが…
 またリーダーが立ち止まり説明です。この辺が曲輪跡の最西端なのかも…

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昨夜のJR山陽線の貨物列車脱線…どぅしたんでしょうネ…

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 昨夜、JR山陽線「瀬野~八本松」間で、上り貨物列車23輌編成のコンテナ貨車の一部(11輌目)が脱線のトラブルが発生しましたとか…
 なんでも、ブレーキ関連のトラブルにより非常ブレーキが作動し、脱線はこれが要因の可能性も…
 本日、WEB上には、こんな記事もありました。

 ◆山陽線脱線、運輸安全委が調査開始、運輸安全委が調査開始

 --- 2021/12/29 14:12 中国新聞 ---

 広島市安芸区上瀬野町のJR山陽線八本松~瀬野間で28日夜に発生した上り貨物列車の脱線事故を受け、国土交通省運輸安全委員会の担当者が29日、現地に入り事故原因などの調査を始めた。
 同委員会の腕章を着けた3人が午後1時45分ごろに到着。JR西日本の社員たちの説明を受けた後、列車の状況を調べている。

 …と、こんな記事で、国土交通省運輸安全委員会が原因調査に入っていますようであります。
 JR山陽線「瀬野~八本松」間は、結構、難所でありまして、GONsanが小学生時代には、広島から福山に向かいますと、必ず瀬野駅で暫し停車。車輌最後尾に機関車をもぅ一機連結です。そして、2機の機関車で八本松まで上っておりました。
 この連結作業を見ますのが大変楽しみで、いつも最後尾の車輌に乗車していましたように記憶しています。
 こんな「瀬野~八本松」で脱線事故とは…難所ではありましても、今まで事故なんか発生しました事は記憶にありませんし、ブレーキ関連のトラブルなのかも分かりませんねぇ~
 日常生活で利用しておられます方々には、この間の運転休止は大変お困りでしょうけど、この脱線事故を知りまして、遠い昔の瀬野駅の様子が、懐かしく蘇ってしまいましたGONsanなんでありました(^-^)//"

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(5)

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 こぅして寿量寺の境内で過ごしておりましたら、ロープを使用しての斜面登りを断念された男性が、ヤッて来られました(^.-)☆
 車で上がって来られ、待機時間を利用し周辺を散策しておられましたようで、集合時間の11:00が近付き寿量寺境内へ(^-^)
 ここからの新たな参加者はおられませんようで、当初のメンバーで未知の山城探索となるようです。
 11:00少し前に、山田街道と鞆の浦スカイラインが交錯します場所に戻りまして、いよいよ探索スタートですけど、リーダーより資料で事前説明となりました。
 足を踏み入れますと、何とか歩けますけど、時には樹木を掻き分けながらの歩行を余儀なくされます。暫く進みますと石崖跡が…
 今でこそ樹木が生い茂っておりますけど、この場所からは、鞆の町・鞆周辺の瀬戸内が一望出来まして、山城を設置しますには格好の地でありました事は、GONsanにも容易に想像出来ますねぇ(^-^)//"

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(4)

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 ノンビリと歩きましても、寿量寺にはスグに到着です。
 ここでは、別段何にもスル事はありませんから、ただひたすら時間の経過を待つのみですねぇ(^.-)☆
 寿量寺の裏手には、何年か前までは庫裏が存在し、住職も暮らしておられましたのでしょうけど、今では庫裏も無く、無住のお寺となっていますようですネ。
 皆さん、写真を撮られたり雑談されたり…で、過ごしておられます。GONsanも、皆さんに習って眼に入ります景観を画像に納めたり一服したり(^-^)
 境内からは、穏やかな瀬戸内を眺望できますけど、曇天ですから今一の景観ですねぇ(^-^)//"

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(3)

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 鞆の浦スカイラインに出て来ましたら、挿入のマップの③の地点でありました。
 山田街道は、スカイラインを横断し、そのまま真っ直ぐ北進しますと、熊野水源地にと向かいますけど、GONsan達は、ここで暫し小休止です(^.-)☆
 ここからは、弁天島・仙酔島・走島…等の眺望が可能です。日差しこそありますけど、あいにくの曇天ですから、景観的には今一でありました。
 今回の、「消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索」には、
 ・集合時間 -- 第1部:午前9時00分、第2部:午前11時00分
 ・集合場所 -- 第1部:旧鞆中学校校舎横(当日誘導します)、第2部:寿量寺下のグリーンライン …と、当初のご案内に記載がありましたので、時間を見てみますと、「A.M.10:22」です。
 第2部から参加されます方がおられるのか否か分かりませんけど、斜面上りを断念された男性がお一人おられます。この方のお姿が見えませんけど、11時まで未だ時間がありますから、きっと、この周辺を散策しておられますのかも…
 「未知の山城探索」のスタート地点は、マップの⑤の地点からですけど、11時までには40分近く時間的余裕が(^-^)
 で、この時間を利用して「寿量寺」まで散策します事に(^-^)
 「寿量寺」をWEB上で検索してみましたら、この程度の内容しか出て来ませんでしたネ。

 ◆福山市熊野町 -- 寿量寺•寺迫の境界石
 福山市熊野町上山田(寺迫上)の寿量寺は鞆スカイラインとグリーンラインの交わる寺迫峠の頂上にある。熊野町上山田(村)は鞆町原(村)と接し境界が明確でなかった。この境界争いは古く約180年以前からあったようだ。寿量寺と境界石の関係を紹介。

 ◆常国寺の次に同じ熊野町甲の寿量寺にお参りしました
 日蓮宗の寺院で藥王山壽量寺といい、常國寺2支院の内、東院だそうです。
 江戸時代に常國寺7世寂照院日保上人によって常國寺の隠居寺壽量庵として創建され、寛文10年に8世通天院日感上人によって寺に昇格して壽量寺と称したそうです。

 ふ~ん、そぅでしたか…山田街道を、ここまで上って来ます際に、途中、石柱2本が真ん中に存在しましたけど、この石柱は、どうやら「境界石」だったようですねぇ(^-^)
 「熊野町上山田(村)は鞆町原(村)と接し境界が明確でなかった…この境界争いは古く約180年以前からあった…」との事ですから、二つの境界石が(^.-)☆
 うん、うん、納得です(^_^)v

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(2)

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 山田街道を暫く進んで行きますと、本日の行程ルートの最大の難関の箇所にと到着です。
 2年ばかり前の豪雨時に、山田街道の一部に土砂崩れが発生し通行不能。この山田街道は、現在使用されます方はマレと言う事もありまして、復旧される事なく現在にと至っています様子。
 ですから、この箇所は、手前の斜面を上に上がり、上側から土砂崩れ部分を通過し、また山田街道にと下りなければなりません。
 で、ロープを事前に準備し、下の樹木から上の樹木間にロープを張り、このロープを頼りにまず上に上がり、土砂崩れ部分を過ぎた所で、また同様にロープを張り街道へと下りなければなりません。
 お一人、ご年配の方がおられまして、何度かロープを頼りに斜面上がりを試みましたが、残念ながら、この方は断念。車で、鞆の浦スカイライン→グリーンラインへと、向かわれる事となりました。
 GONsanも四苦八苦の状況ではありましたけど、どうにかこぅにかクリア(^.-)☆
 他の方々は、難なくクリアしておられましたネ(^_^)v
 帰路ではまた、この場所を通りますけど、チト心配(^-^;
 ここを通過しますと、もぅ懸念箇所はありませんから、後は、落ち葉に足を滑らせ転倒しないよう注意あるのみ。
 暫く進みますと、斜面に、石仏が置かれました小さな祠が…道中の安全を祈願し設置されましたのかも…
 そしてまた暫く進みますと竹林が…そして、街道の真ん中に石柱と言うか石標が…文字が刻んでありますけど、何と刻んでありますのか、風化も加わり読めませんでしたネ。
 竹林を進んでおりますと、樹木・落葉を蹴散らして疾走しているような音が、竹林の斜面下で…う~ん、イノシシでしょうねぇ~
 この竹林が途切れる場所までヤッて来ますと、鞆の浦スカイラインに到着です(^-^)//"

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(11)

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 駐車場に戻って来まして時間はと見ますと、測ったように、丁度、正午でありました(^.-)☆
 白雲大社にヤッて来ましたのが、A.M.11:06でしたから、約1時間の散策となりました。もみじ祭りの時期に訪れますと、もっとキレイで、大勢の方々でさぞ賑やかなのと思います。
 また機会がありましたら、訪れて見たい…こんな気持ちも抱きます白雲大社でありました(^-^)//"

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(2)

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 旧鞆中学校から少し下った場所辺りから、いよいよ山田街道を探索です(^.-)☆
 昭和時代まで使用されていました街道ですから、整備されていましたら歩き易いイィ道なのですけど、近年は利用する事もなく荒れ放題。積み重なった落ち葉に足を取られ、何度、転けそうになりました事か(^-^;
 往路は、かろうじて転倒は避けられましたが(^-^)
 鞆から松永・尾道に抜けますルートは、この山田街道のみでした時代には、足利義昭や水野勝成も通りましたのでしょうねぇ~

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(10)

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 奥宮参道鳥居を潜り本殿前の境内に下りて来ますと、また改めて境内を見廻しです(^.-)☆
 で、眼に入りましたのが、キレイに掃き集められましたこの落葉…思わず笑ってしまいましたネ(^_^)v
 紅葉を楽しみます散策スタート時点でも、この掃き集められました落葉には気付いておりましたけど、鳥居側から眼にしまして初めて「ハート形」に集めておられますのに気付きましたねぇ(^-^)
 毎朝、大社関係者の方が行っておられますのでしょうけど、遊び心も垣間見れまして、思わず笑みが\(^o^)/
 こぅいぅ光景は、結構、好きなGONsanですから、迷わずパチリ。

 そして、境内の一角には、『東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば』が…
 眼を通しますと、こんな記載でありました(^.-)☆

 ◆東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)

 この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

 現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

 自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。

 今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

 海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が,取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

 被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体からだを大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また,国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。

 …と、こんなお言葉が。
 WEB上で、「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」を検索してみますと、うん、うん、これに関しての記載もありましたネ。

 ◆東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(とうほくちほうたいへいようおきじしんにかんするてんのうへいかのおことば)とは、2011年(平成23年)3月16日午後4時35分(日本時間、以下同)に放送された、第125代天皇明仁自らによるビデオ映像を用いて国民向けに発せられたおことばである。正式名称は特に定まっていないため、単に「ビデオメッセージ」、「おことば」と呼ばれることも多いが、宮内庁の公式サイトにおいては、「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」のタイトルを使用している。

 ・概説

 2011年(平成23年)3月15日、天皇は宮内庁長官・侍従長と相談の上、国民向けのビデオメッセージを放映することを決定し、皇后と相談しながら原稿作成を進め、翌日の3月16日午前中までに完成。同日午後3時にはビデオの収録を開始し、天皇はビデオカメラの前で「おことば」として読み上げた。メッセージは、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の状況を憂慮し、防災関係者を労い、被災者を激励する内容であった。
 午後4時35分から、日本放送協会(NHK)をはじめとする、日本の大部分の放送局が録画されたビデオメッセージを報道特別番組の一環として放送した。その際に緊急の情報が入った場合は、そちらを優先してほしいとの天皇の意向も各局に伝えられていた。
 天皇が不特定多数の日本国民に対し、マスメディアを通じて自らメッセージを伝えたことが1945年(昭和20年)8月15日の終戦の玉音放送に喩えられ、一部で「平成の玉音放送」とも表現された。

 そぅですねぇ~東北地方太平洋沖地震から早や10年の日々が流れてしまいましたネ。
 未だに、この地震により所在不明の方もおられます。地震による津波で、多くの民家が押し流されていますテレビ画面の光景は、今でも鮮明に蘇ってしまいます。
 改めて、本殿前で哀悼の意を表しますGONsanなのでありました。
 では、この辺で駐車場へと戻りましょうか…

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12/4(土)は、消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索でした(^.-)☆(1)

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 12/4(土)は、「備陽史探訪の会『消滅寸前の鞆・山田街道と未知の山城を探索』」に参加となりましたGONsanで、A.M.9:00に、集合場所であります旧鞆中学校校舎跡に集合です。
 「備陽史探訪の会」の参加者募集案内には、こんな記載でありました。

 ◆12月4日【進め探検隊】消滅寸前の鞆・山田街道と 未知の山城を探索する

 近世まで備後内陸と鞆を結ぶメインストリートとして使われ、足利義昭や水野勝成も通ったであろう鞆・山田街道を探索します。
 この街道は昭和まで現役で使われていましたが、現在は消滅しかけており、足を踏み入れる最後のチャンスになるかもしれません。ただし、比較的峻険な山道が続き崩落している場所もありますので、こちらは第1部とし足に自信がある方のみの募集とします。
 また、この街道の山頂部に山城の痕跡らしきものがありましたが、ここには間近まで車で来れますので、体力的に街道探索が難しい方向けに第2部として募集いたします(ただし、藪漕ぎはあります)。

 【主な見学場所】
 第1部 -- 旧鞆・山田街道
 第2部 -- 未知の山城?
 【募集要項】
 実施日 -- 12月4日(土) ※雨天決行
 集合時間 -- 第1部:午前9時00分、第2部:午前11時00分
 集合場所 -- 第1部:旧鞆中学校校舎横(当日誘導します)、第2部:寿量寺下のグリーンライン
 参加費 -- 無料
 講師 -- 杉本憲宏(中世史部会長)、田中伸治(近世近代史部会)
 募集人数 -- 20名
 申込方法 -- ネットでのお申込みは下の「参加する」をクリック!
 その他 -- 雨天中止 山登りの出来る服装・靴で マスク、飲み物持参。1時間ほどの山歩きになりますので足に自信のない方はご遠慮ください。また、体力の消耗が予想されますが途中に店舗・自販機はありませんので飲料品等各自でご持参ください。

 …と、こんな、ご案内でありました。当日の参加者は、総勢14名でしたような(^-^)
 定刻に杉本講師の説明が始まりまして、いよいよ廃道寸前の鞆・山田街道を登ります。挿入のGoogleマップで確認しますと、①~⑥の行程で、②の地点から山田街道に進入開始となりました(^-^)//"

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(9)

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 この辺りが紅葉の鑑賞には最高のスポットなんでしょうネ。往路でも、復路でも、大変キレイでありました(^_^)v
 ノンビリと散策して廻りましたけど、開祖頌徳之碑脇の奥宮参道鳥居まで戻って来ましたようであります。

 ・奥宮参道鳥居
 奥宮参道の入口に建つ。鳥居をくぐると、曲水を象られた四季を通して自然豊かな参道を巡りながら各摂末社を巡ることができる。

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12/21(火)は、月一度の草取りで日吉台墓地行きのGONsanでした(^.-)☆

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 年の瀬も迫り、12/21(火)の午前中には、月一度の草取りで日吉台墓地行きのGONsanでした(^.-)☆
 毎月、第一日曜日に出掛けてはいるのですけど、毎年、寒い時期に向かいますと、哀しいかなズレ込んでしまいます(^-^)
 ですが、こんな時期ですから、大して草も生えてはいないのですけどネ。
 出掛けますと、平日でもありますし、墓廻りをキレイにしておられますのは、1組のご年配のご夫婦のみ。ご年配とは言いましても、GONsanよりはお若いかも…楽しそうに和気藹々に仲良く分担して墓掃除…う~ん、イィですねぇ(^_^)v
 我が家の墓地に到着しますと、案の定、大して草も生えておりません。
 ここには墓石を据えておりませんから、墓地全体に除草剤を散布。その際に、気付きました小さな雑草を何回か除去。毎回、除草剤を散布していますから、どちらかと言いますと実にキレイなものであります。
 サッサと散布を終え、終了です。
 そして、いつものように、墓地からの眺望を3枚ばかりパチリ。薄雲の下、日差しはあるのですけど、モヤがかった景観で見通し悪し(^-^; コロナ禍のGONsanの心境のようでありました。
 我が家の墓地は水呑(妙性山墓地)にもありますけど、嫁さんには、「自分が先に亡くなったら、水呑でなく、この日吉台に、墓地一デカいピラミッド型の墓石を…」と言い残して先立とうと思うのですけど、さて、どぅなりますか…
 嫁さんの事ですから、きっと、「了解、分かった(^.-)☆」と返答はしても、実行はしないかも(^-^;
 残されました余命が、年を明けますと、また1年減少しますのが哀しいですねぇ(^-^)//"

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(8)

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 ふ~ん、「神行の道」ですか…そぅ言えば、白雲大社のホームページに、こんな記載がありましたネ。

 ・神行の道
 神魂神社の御分霊社へと向かう「神行の道」。4月から5月にかけて山ツツジが美しい。

 ・神行神魂社
 神魂神社(松江市)の御分霊社で伊弉諾大神と伊弉冉大神を祀る。新春と夏季に行われる特別神事「古乃美神行」の守護神とされる。

 「神行神魂社」に参詣し参道を下って行きますと、前方の紅葉が大変キレイ(^_^)v どうやら、本殿近くまで下りて来ましたようですネ(^-^)//"

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(19)

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 これらは、備陽史探訪の会より頂きました当日の資料です(^.-)☆

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(7)

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 下山では、往路でユックリ眼を向けられませんでした箇所にも立ち止まり、あちこちパチリ(^-^)ふ~ん、こんなタヌキsanの像もありましたのですねぇ~気付きませんでしたけど…
 こっちの道を進めば「応神山」に行けるのかも…とも思いますけど、樹木には『これより先に入らないで下さい。白雲大社社務所』の注意書きが(^-^)構わず進んでみたい衝動に駆られますが、断念です。
 往路で「奥宮」からの眺望時に、日の丸の旗が眼に入りましたので、そちらに向かってみます事に。

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(18)

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 「史跡・寄倉岩陰遺跡」の見学を終えますと、本日の行程は凡てオシマイです。後は、バスに乗って帰るのみ。
 帰路では、トイレ休憩で「『道の駅』遊YOUさろん東城」に立ち寄りです。
 ここでは、ニコニコ観光㈱sanより、『やっぱ広島じゃ割・地域観光支援割クーポン』のクーポン券が、一人当たり2枚(2,000円)配布されておりましたので、GONsanもこれを使用して、何かお土産を求めます事に(^.-)☆
 今まで、嫁さんを放って独りでアチコチ出掛けていますGONsanではありますが、お土産を手にしての帰宅は一度も無かったなぁ(^-^;
 でも、今回は、初めてお土産が\(^o^)/
 それに、唐櫃古墳を訪れました際に、農家で頂いた「カボチャ」もありますし(^_^)v
 コロナ禍と言う事もありますし、備陽史探訪の会の「バス例会」には久し振りに参加のGONsan。確か、前回は昨年の9月に参加して以来でしたような…約1年振りの参加となりましたけど、それなりに楽しい探訪でありました。
 来年もまた、日程を考慮しながら、バス例会に参加してみようかと(^-^)//"

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昨夜…そして、今朝のお月様…大変キレイでした(^.-)☆

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 昨日、夕方の6:00前から芦田川河川敷をウォーキングのGONsanで、6:30頃でしたか…JFE方向に眼を向けましたら、その上空に大きなオレンジ色のお月様が(^_^)v
 カメラが有りましたら迷わず画像に納めましたのですげと、スマホも持ち合わせておりませんから、う~ん、残念(^-^;
 月の光が川面に反射し、イィ景観でしたのですけどねぇ~恨めしそうに眺めながらのウォーキングとなってしまいましたネ(^-^)
 一夜明けての今朝、A.M.6:55でしたか…我が家裏から西方の空に眼を向けますと、またまたお月様が…で、急いでカメラを持ち出し数枚パチリ(^_^)v
 撮りましたのが、この画像。
 GONsanの低性能のボロいカメラですから、倍率を変える度に色が変化。でも、キレイ。こぅして見ますと、少し欠けていますから満月では無さそうです。
 WEB上で確認してみますと、今月は、12/19(日)が、コールドムーンの満月でしたようですネ。

 ◆コールドムーン

 暦の上で12月は師走(しわす)と言われています。一年の最後の月なので、仕事や私生活などいろいろと忙しく動き回るのが12月ですよね。
 諸説はありますが、そのひとつに、昔は年末にお坊さんを呼んでお経を唱えてもらう風習があったので、あちこちのお家に行ったり来たりする様子から『師(僧)が走る』となったと言われています。
 そんな12月(師走)の夜空に見られる満月を、別名コールドムーンと呼ばれているのをご存知でしょうか?なんとなく神秘的な言葉の響きに心が引かれてしまいますよね。
 そこで今回は、コールドムーンに関してご紹介していきます。
 コールドムーンの由来や意味は?
 コールドムーンとは『12月の満月』のことを言います。英語で書くと『Cold Moon』となります。

 コールドムーンという呼び方の発祥は、かつてのアメリカ先住民であるネイティブアメリカンと言われています。現在私たちが使っている太陽暦ではなく、月の満ち欠けによる太陰暦を彼らは使っていました。
 ネイティブアメリカンの生活は、作物の収穫や狩猟など大自然と共存するライフサイクルなので、季節を把握する力が備わっていました。
 そのため、生活する上で指標となる毎月見られる満月を目印にして、その月にまつわる関係性の深い生物や作物、または風景などから連想し月の名前を付けたと言われているのです。
 コールドムーンは日本語で『寒月』とも言われています。
 コールドムーンという名前の由来は、その名の通り、寒さが厳しい本格的な冬が到来した時期であるとされています。また、ネイティブアメリカンの教えの中に、寒さや飢えなどの不快な物は神様からの贈り物だという考えがあることからも、寒い12月の満月は象徴的な存在なのかも知れませんね。

 …と、WEB上には、こんな記載がありました。
 呼び方はともかく、昨夜のお月様…実にキレイでありました\(^o^)/

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(6)

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 「高宮」に向かって上がっていますと、途中、樹木に、『高宮まで約30M 道が険しいので ご注意下さい 白雲大社社務所』の注意書きが…
 ここまで大変整備されました歩き易い山道でしたけど、今から険しくなるのだろうか…との、こんな懸念もありましたけど、GONsanに言わせますと、ズッと整備されましたキレイな道でありました(^.-)☆
 そして、白雲大社境内の中で最高地「高宮」にと、到着です。

 ◆高宮
 境内の中で最も高い位置にある御社。地元の笠神社が荒廃していた折、神様は普段この応神山の奥におられるとの謂れから八幡神を祀り、又四方全国の高神様を拝する御社としている。

 こんな「高宮」であります。
 これから先も山道は続いておりましたけど、「応神山」の頂きまで進めますのかどぅか…進めますようにも見えますし、行き止まりのような感じにも…さて、どぅなんでしょうねぇ~
 GONsanは、ここで引き返し下山です(^-^)//"

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(17)

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 上帝釈の駐車場に到着しますと、紅葉を求めて帝釈峡をされます大勢の観光客の皆様が(^.-)☆
 大概の方々は、「白雲洞」・「雄橋」に向かわれますけど、GONsan達は、白雲洞への遊歩道入口を『← 史跡 寄倉岩陰遺跡 0.2km』の標識に従い左折です(^.-)☆
 寄倉岩陰遺跡への案内標識と一緒に、「管釣り LURE FISHING SHOP、HANDMADE LURE & ROD、Ryo Lure Craft、Fishing Area TAISYAKU」の案内表示も…
 『管釣り』とは、何なんでしょう?…ふ~ん、「管釣り=管理釣り場」との事ですけど、GONsanには『管理釣り場』と言われましても意味不明(^-^;
 そのような事はさて置きまして、「管理釣り場」を横目に進んで行きますと、程なく『史跡 寄倉岩陰遺跡』に到着となりました。

 到着しますと、まず眼に入りますのが、大きな「寄倉岩陰遺跡」の説明板であります。
 この説明板には、こんな記載が…

 ◆史跡 寄倉岩陰遺跡

 この遺跡は、帝釈川北岸の山麓の石灰岩の岩陰に位置する。遺跡の規模は、岩陰に沿って幅30m、奥行15m以上に及ぶものと推定される。昭和38年から41年にかけての発掘調査により、縄文時代より鎌倉時代にわたる多量の遺物を含む文化層が厚く堆積することが明らかとなった。とくに、縄文時代の遺物包含層はきわめて厚く、晩期(今から約2,500年前)から早期(今から約12,000年前)にいたる各種の遺物が順次堆積している。また、縄文時代後期から晩期ごろと思われる人骨も多数出土しており、その埋葬法もきわめて特異である。この遺跡は包含層の一部を完掘せずに保存区として残しており、エポキシ樹脂を注入し硬化させ、更に正面部分のみを残し埋め戻している。
 大規模な岩陰遺跡として、とくに縄文時代全般の推移をうかがい得る点で学術上きわめて価値が高い。

 …と、こんな記載がありました。
 WEB上で「史跡・寄倉岩陰遺跡」を検索してみますと、こんな記載もありました。

 ◆広島県の文化財 - 寄倉岩陰遺跡

 --- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-106120090.html ---

 【解説】
 帝釈峡の石灰岩地帯では、昭和36年(1961)の調査以降石器時代の岩陰・洞窟遺跡が多数分布することが明らかとなった。なかでも寄倉岩陰遺跡は、帝釈始終地区の東端、帝釈川左岸に位置し、西面した石灰岩の岩陰にそって、長さ30m、幅15m以上の規模をなしている。縄文時代から鎌倉時代(1192~1332)にわたる遺物を出土しているが、とくに縄文時代(紀元前約1万年前~紀元前300年頃)の文化層が厚く、縄文時代早期から晩期にいたる各種の遺物が、きちんとした層序をなして出土しており、中四国地方の縄文土器編年の基準となる重要な遺跡である。縄文時代後期末から晩期にかけての文化層では、約50体にのぼる人骨が集積された状態で検出されている。

 ◆寄倉岩陰遺跡(よせくらいわかげいせき)

 広島県庄原市東城町
 指定年月日:1969/04/12

 ・史跡名勝天然記念物
 帝釈川北岸の山麓にある石灰岩の岩陰にそって全長30メートル、幅15メートル以上におよぶ岩陰遺跡である。繩文時代から鎌倉時代にわたる多量の遺物が堆積しているが、とくに繩文時代の遺物包含層はきわめて厚く、早期より晩期にいたる各種の遺物が順次堆積している。また、繩文時代後期から晩期ころと考えられる人骨も多量に出土している。

 ◆寄倉岩陰遺跡(よせくらいわかげいせき)

 -- 国指定史跡ガイド「寄倉岩陰遺跡」の解説 https://kotobank.jp/word/%E5%AF%84%E5%80%89%E5%B2%A9%E9%99%B0%E9%81%BA%E8%B7%A1-1445286 ---

 広島県庄原市東城町にある集落跡。1961年(昭和36)の調査によって、帝釈(たいしゃく)川北岸の山麓にある石灰岩地帯には、石器時代の岩陰・洞窟遺跡が多数分布することが明らかになった。この中で寄倉岩陰遺跡は最大規模で、石灰岩の岩陰に沿って全長30m、幅15m以上にわたる。縄文時代から鎌倉時代にかけての多量の遺物が堆積しているが、とくに縄文時代の遺物包含層は厚く、早期から晩期にいたる各種遺物が層をなして出土している。これらは中国・四国地方における縄文土器の編年の基準遺跡とされ、1969年(昭和44)に国の史跡に指定された。また、縄文時代後期から晩期ごろと考えられる人骨約50体が集められた状態で発見された。現在、遺跡は保存施設が設けられ、堆積層の一部を見学できる。遺跡は帝釈峡の鍾乳洞の白雲洞(はくうんどう)や石灰岩の雄橋(おんばし)などにも近い。中国自動車道東城ICから車で約20分。

 ◆広島県東城町の寄倉岩蔭遺跡

 --- http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/yosekura.html ---

 帝釈峡遺跡群は広島県の北東部一帯に所在し、瀬戸内海や日本海から直線距離で約60km離れた中国山地南斜面の高原に位置している。
 帝釈峡の石灰岩地帯で、昭和36年に帝釈馬渡岩陰遺跡の発見が糸口となって、石器時代の岩陰遺跡・洞窟遺跡が多数分布することが明らかとなり、現在までに53の遺跡群が確認されていると云う。
 石灰岩地帯にある洞窟・岩陰の遺跡は、人骨・動物骨など自然遺物の遺存状態が良好で、且つ各時期の遺物包含層が整然と連続して堆積している。
 洞窟・岩陰は天然の廂で、雨・露を防ぐ絶好の場所であり、廂の前面に柱穴列が検出された例もあり、草葺の住居としていたと見られる。内部には灰・炉跡・敷石・石列・貯蔵穴などが見つかっていると云う。

 寄倉よせくら岩陰遺跡は、帝釈川北岸の山麓にある全長約30m・奥行き約15m・地表面下10m以上にわたる、帝釈峡遺跡群の中で最大の岩陰遺跡と云われている。
 本遺跡は縄文から鎌倉時代にわたる複合遺跡で、特に縄文時代は早期から晩期に至る13層に及ぶ文化層から多量の遺物が整然と層序を成して出土したと云う。
 又縄文後期末から晩期にかけての文化層からは多数の人骨が出土しており、縄文時代の墓葬に新しい資料を提供している。
 このようなことから本遺跡は、昭和44年に国史跡に指定された。

 本遺跡は帝釈峡入口近くの帝釈川左岸にあり、昭和38~41年にかけて4次にわたる発掘調査が実施された。
 その後40年ほどの風雪は当時の面影を残していないが、発見された遺構の中で、特に注目されたのは埋葬人骨群。岩壁南寄りの2ヶ所に人骨が集積された状態で発見され、全部で46体分の人骨が確認されている。
 未調査・保存区には更なる人骨が埋葬されていると見られている。
 人骨群は某大学に保存されたまま、未だ詳しい分析は行われていないが、頭骨と四肢骨が分離されている点、抜歯の痕跡、赤色顔料の付着、幼児骨の一局集積状態、石剣の柄頭を伴った人骨など、興味深い謎が多い。
 集積された埋葬人骨群から意図的に集められた改葬或いは二次葬と考えられ、地域集落の共同墓地であったかも知れないと云う。

 ・縄文後期の中津式土器及び中期の里木式土器
 これらの復元土器を含め土器の層位的出土例から、中国山地地域の土器編年が組み立てられると云う。
 土器の中には、胎土の中に植物繊維を混ぜた早期後葉の東日本系新型土器も見つかった。
 この他九州系土器も出土しており、当地は南に瀬戸内海・北に日本海を控え、海が果たした文化交流・交易が窺い知れる。

 ・いろいろな形の石鏃と黒曜石製の石刃・剥片
 鋭利な切先・刃部を必要とする石鏃・石刃などの石材には、X線分析の結果、石鏃は香川県産サヌカイト、黒曜石は隠岐島産など遠隔地から入手している。大分県姫島産の黒曜石も見つかっている。
 ここにも瀬戸内海と日本海に通じる地理条件を十分に活かした、生活の知恵が垣間見える。中国・四国地方の文化交流圏に位置していると云える。

 …と、「寄倉岩陰遺跡」に関しまして、色んな記載がWEB上にありましたネ(^-^)//"

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(5)

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 参道周辺の景観を見廻しながらノンビリと上がって来ましたけど、「日御碕宮(奥宮)」に到着です。日御碕神社(出雲市)の御分霊社で、天照大御神と素盞嗚大神を祀られていますようです。

 ・日御碕宮(奥宮)
 日御碕神社(出雲市)の御分霊社で、天照大御神と素盞嗚大神を祀る。「奥宮(おくみや)」とも称し、御本殿に次ぐ重要な御宮とされる。

 ここから一番上の「高宮」まで上がってみようと思います。この、奥宮から少し進みますと、「月宮」の案内板が…

 ・月宮
 松尾大社(京都市)の摂社・月読神社の御分霊社で月読大神を祀る。古くより旧暦8月15日に月読命祭の神籬祭祀で執り行われていたが、平成4年に勧請。中秋の名月での特殊神事「お水取り神事」で授与される御神水は首より上の病気にご神徳がある。

 …との事であります(^.-)☆

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(16)

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 「鬼橋野路古墳」の見学を終えますと、時悠館入口・バスの駐車場方向へと下山です。次は、今回の探訪の最後の訪問地「史跡 寄倉岩陰遺跡(よせくらいわかげいせき)」に向かいます。

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(4)

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 時悠館内の展示物を拝見後には館外に出まして、館長sanのご案内で、「鬼橋野路古墳(おんばしのろこふん)」を見学です。
 時悠館を出ますと壁面に「帝釈峡まほろばの里」の案内図が…ふ~ん、ここには、野外ステージ・炊事棟も整備されましたオートキャンプ場のようですねぇ~
 時悠館から5~10分程度歩きまして、「鬼橋野路古墳」に到着です。付近に設置されました説明板に眼を通しますと、

 ◆鬼橋野路古墳(おんばしのろこふん)

 --- 庄原市史跡 指定年月日 平成21年3月26日 ---

 遺跡名:鬼橋野路古墳(復原)
 所在地:広島県比婆郡東城町大字帝釈未渡字鬼橋野路1207
 建築年代:古墳時代(6世紀末頃)
 古墳の規模:北東側に周溝を有する。直径約15m。墳高は石室入口から約2m。東側の同溝底から0.8mの円墳である。
 出土遺物:須恵器の短頚壺および蓋、長頚壺、平瓶、蓋の破片、土師器の皿、坏、鉄釘、及び多量のスラグ。
 調査:遺跡整備による現状復原を目的とし平成6(1994)年10月11日から平成7(1995)年3月24日迄発掘、学術調査を実施。

 ---【鬼橋野路古墳発掘調査報告書(1996東城町教育委員会)抜粋】---

 ◆庄原市史跡 鬼橋野路古墳(おんばしのろこふん)

 指定年月 -- 平成21年3月26日
 所 在 地 -- 庄原市東城町帝釈未渡字鬼橋野路1207番

 帝釈川と名越川に挟まれた鬼橋野路の東側の台地、標高501.6mに位置しむ、台地の南向き緩斜面を利用し構築されている。主体部は、南に開口した横穴式石室である。墳丘盛土は、地山を削平した土砂や周溝を掘り下げた土砂で構築したものと思われる。
 北東側に周溝を有する直径約15m、墳高は石室入口から約2m、東側周溝底から0.8mの円墳である。周溝は、北側の尾根を掘り下げ、幅0.8m~1.0m、深さ約0.2m、断面はU形である。主体部の内部全体は、凡て石灰岩で構築された横穴式石室であり、地山をL型に削平した平坦面に構築されている。全長7m、幅は奥壁0.8m・入口付近1.2m、高さ1.2mである。
 出土遺物は、須恵器の短頸壺・平瓶・壺の破片、土師器の皿・坏、鉄釘及び多量のスラグが出土した。

 --- 平成22年3月 庄原市教育委員会 ---

 …と、こんな記載がありました(^-^)//"

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(3)

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 「開祖御尊像・開祖頌徳之碑」の右側には、「日御碕宮(奥宮)・神行神魂社」への参道がありますので、それでは、紅葉を楽しみながら散策です。
 毎年、この時期には『白雲大社もみじ祭り』が開催されますようですけど、ふ~ん、本年は「11/13(土)~11/23(火)」に開催済みのようですネ。
 WEB上で「白雲大社もみじ祭り」を検索してみますと、こんな記載が…

 ・白雲大社のもみじ祭り(令和3年11月13日)~紅葉スポットの参道を巡りながら、秋を撮り和にひたる

 --- https://bintoco.com/shirakumotaisyamomiji/ ---

 もみじの色が赤く染まる秋の風景は、写真におさめたくなりますね。笠岡市内には紅葉がきれいな場所が多くあり、笠岡市の名勝「応神山」にも、小路を登りながら美しい紅葉を楽しめる場所が存在します。
 それは「ひと・もの・こと」の縁を結ぶ白雲大社です。
 10月下旬、白雲大社の参道のもみじが、秋の到来を知らせるように色づき始めました。その紅葉を楽しんでもらいたいと、白雲大社では2018年からもみじ祭りを開催しています。
 この記事では、白雲大社の巡り方や、もみじ祭りの紅葉スポットについて紹介します。そして、美しい紅葉の写真もピックアップしました!

 ・季節の移り変わりを楽しめる白雲大社のもみじ祭りとは

 笠岡市の応神山宮地に昭和20年から鎮座する白雲大社は、「縁結び」と「傷病平癒」において御力を持つとされ、地元の人はもとより日本全国に信者が多くいる神社です。
 鎮座する場所が応神山宮地ということもあり、境内と参道にある木々や花などで四季の変化を感じられると評判。春は梅から桜、そしてツツジに藤(ふじ)へと、季節の緩やかな移り変わりをじっくりと味わうことができます。
 夏には木々の新緑から力強い生命を感じ、秋には風情豊かな日本ならではの紅葉を堪能する、まさに1年を通じ和を感じ楽しむ場所、それが「笠岡の出雲さん」白雲大社です。

 ・白雲大社内の参道脇にはたくさんのもみじがあり、10月下旬から12月初旬まで赤く色づくようすを撮影できる、知る人ぞ知る紅葉のスポット。

 2019年のもみじ祭りでは、着物の着付けを体験する「着物イベント」、「写真モデル体験」、「お茶席」、「きりこ体験 ワークショップ」などが開催されました。
 2020年は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、残念ながらイベントは中止になりましたが、色づくもみじを楽しんでもらいたいともみじ祭り自体は開催されます。
 2020年のもみじ祭りのポイントは、もみじをあしらえた期間限定御朱印と、11月14日・15日・21日・22日・23日の紅葉のライトアップ!
 2021年のもみじ祭りは、「映画音楽コンサート」「備中神楽(びっちゅうかぐら)」「祈りのろうそく」のイベントが開催されますよ。もちろん紅葉のライトアップも行なわれます。日が沈んでからのライトアップは幻想的な風景になりそうですね。「工夫を凝らしたもみじ祭りにぜひともお越しください」。と、白雲大社の皆さんが話していました。

 参道を進んで行きますと、いきなり紅葉スポットが(^_^)v
 これは、大変キレイです\(^o^)/
 鮮やかな紅葉を画像に納めながら上がって行きますと、T字路に…そこには、「← 日御碕宮(奥宮)・神行神魂社 →」の案内表示が(^-^)
 先に「日御碕宮(奥宮)」へと向かい、帰路で「神行神魂社」に廻ってみます事に(^-^)//"

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(14)

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(2)

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 白雲大社の駐車場は全部で6ヶ所あり、最初にたどり着く駐車場に車を駐め、ここが、GONsanの散策スタート地点となりました。
 この駐車場に車を駐め、駐車場から出てすぐ右手の坂道を上ります。そして、休憩所「和(なごみ)」の左手にある石段を上がり、拝殿へ向かいます。赤い鳥居をくぐると、拝殿がある境内です。
 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、参拝方式が従来とは一部変わっていますとかで、拝殿での参拝の仕方は、以下の順番で行いますようです。
 <手水で清める → 祓社(はらえしゃ)で拝礼 → 拝殿に参拝>
 これにならって拝殿で参拝をしてから、紅葉を拝観しましょう。祓社がある神社は少ないそうです。出雲大社には祓社があるという事で、近年そちらからお参りに来られる方が増えているとの事であります。
 それでは、拝殿で参拝です(^-^)//"

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(13)

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11/30(火)、紅葉を求めて白雲大社を散策でした(^.-)☆(1)

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 どなたかのホームページを覗いておりましたら、笠岡市の「白雲大社」の紅葉の景観を、大変キレイに画像に納めておられました(^.-)☆
 ふ~ん、笠岡市にはこんな立派な大社がありますのですねぇ~
 で、早速、紅葉の見頃は過ぎ去っていますのかも分かりませんけど、11/30(火)の午前中は、紅葉を求めて『白雲大社(笠岡市)』を散策となりましたGONsanです(^.-)☆
 白雲大社の駐車場に到着しますと、駐められた車は1台もありません(^-^; やはり、紅葉の見頃は過ぎ去りまして、訪れます方は一人もおられませんのかも…

 それでは、散策前にWEB上で「白雲大社」を事前学習です(^.-)☆

 ◆白雲大社

 --- https://shirakumotaisha.com/ ---

 ◇由緒

 主斎神:大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) <縁結びの神様>

 白雲大社の前身は、開祖堀泰一朗により昭和10年10月23日に朝鮮の釜山で開かれた「神道大教出雲教釜山教会」です。
 終戦により、昭和20年9月19日、開祖は28年間住み慣れた釜山を引き上げ大神様を捧持し大勢の家族と共に九州の唐津に上陸しました。その地で“中国は笠の地に斎き祀れ”と云う御神示を受け、中国地方の笠岡を大神様の鎮まれる永遠の御聖地と定められました。

 ◇開祖《古乃美教の誕生と歴史》
 古乃美教の使命
 ◇御本殿--白雲大社
 ◇主斎神--大国主大神
 ◇開祖殿--白梅宮
 ◇開 祖--堀 泰一朗

 今、私達は混沌とした社会の中に生きています。
 現代人は祖先達が長年培って来た精神文化をなおざりにして科学万能社会に走り盲信し、又さまざまな誘惑に心奪われ、醜い欲の争い事が絶えない世の中になってしまいました。
 誰もがこのままではいけないと思う良心を持ちながら、日々の仕事に追われ流され、心の目を閉じたまま過ごしています。今こそ人は人間本来の良心に立ち返って自らの修養に努め、神より授かった命を尊び、人と人とが互いに感謝し拝み合える心、神我一体の境地になって創(はつ)の代に、すなわち美しい神の国を再び作り修め固め成さなければなりません。

 古乃美教団は、開祖・堀泰一朗(ほり・たいいちろう)大先生が一代で築いた。
 明治30年(1897)9月26日、新潟県新井町(現、新井市)に命を授かり、生まれながらにして優れた霊的能力を持ちながらも、幼少時から幾多の辛苦に見舞われ、その苦難を悉く乗り越えた。
 その時、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)より、『創(はつ)の代に還せよとの大御心を体して起てよ。汝、神の名に於いて為さんとしても成らざるもの無し。汝の与えるものは神も与え、汝の取らんとするものは神も又取らん。もし汝の力を問う者あらば答えよ。上に天なし、地に底なし、広さを問わば果てしなし。汝の言行は見えざる神の証なり。汝の魂は護国の神たれ。』との御神命を受け、昭和10年10月23日釜山において開教したのである。開祖38歳の時であった。
 以来、開祖は大神より授けられた偉大な「吹気の神業」(いぶきのかむわざ)を以て、世の荒波に苦しむ者たちを救い導き、神の実在を世の人々に示現し、また皇室の弥栄・国家の安泰・全世界人類の平和と幸福という大いなる祈りを終生捧げ続けた。
 特筆すべきは、この神業を万人に分かち与えて其の拡充を計り、以て真の神国を再建せんと努力されたことである。昭和56年11月20日開祖様は神となられた。

 ◆笠岡の出雲さん 白雲大社

 --- https://www.facebook.com/konomi101023/ ---

 笠岡市の応神山にある神社です。
 大国様(大国主大神)を主斎神として、古くは「山陽の出雲さん」と呼ばれ親しまれました。

 岡山県笠岡市笠岡958-4の応神山宮地にある神社です。
 大国様(大国主大神:おおくにぬしのおおかみ)を主斎神として、境内には摂末社合わせ14社の御社があります。古くは「山陽の出雲さん」と呼ばれ親しまれていました。※ 島根まで参らなくても出雲の神様に参拝できる為。

 …と、こんな「白雲大社」のようであります。
 それでは、散策スタートです(^-^)//"

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(12)

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ふ~ん、NTTsanも大変ですねぇ~

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 これは、本日、P.M.2:00過ぎの我が家周辺の一コマなんです(^.-)☆
 我が家の駐車場で一服しておりましたら、NTTsanの車がヤッて来まして、少し先に停車。そして、お二人の男性が車から出て来られまして、電柱の下部辺りをカメラでパチリ。
 そして、持参の黄色のシールを数枚貼り付けです(^-^)
 ヒマ人間のGONsanですから、こんなシーンを眼にしまして、黙って眺めています訳にもいきません(^-^)
 スマホ片手に近付きまして、「これは、何しておられるのですか?」とお尋ねしますと、「安全シールが色あせて来たので、上から新しいのを貼り付けて応急措置をやっていますんですよ…」との事でありました。
 そぅですネ、この電柱の黄色の部分が随分色あせておりました。で、交換処理しますと経費的に高くつきますから、シールでの応急措置…と言う事なんですネ(^.-)☆
 「この次の電柱は、まだキレイですから、一つ飛ばしてその次の電柱も応急措置で対応ですよ(^-^)」と説明して頂き、お二人は、車で移動。うん、うん、同じように処置前の状態をカメラに納め、シール貼りを行っておられます。
 この黄色の反射安全シールで、走行車・歩行者への注意喚起・安全確保となれば…こんな想いで、定期的にチェックして廻っておられますのでしょうねぇ~有難い事であります(^-^)
 ですが、こぅした電柱は福山市内だけでも、もの凄い数なんでしょうから、NTTsanのみでは大変です。
 お聴きしませんでしたけど、中電san・NTTsanの両社が分担して行っておられますのかも…
 GONsanが、応急処置後の電柱にカメラを向けておりますと、先ほどのお二人が笑いながらGONsanを見ておられましたネ。
 きっと、「ヒマ人が!!…他にスル事は無いのかぁ~!!」とでも思っておられますのかも(^-^)
 GONsanに言わせれば、こぅした光景を黙って眺めていますのが『ヒマ人』で、わざわざスマホ片手に質問し、そして現場をカメラに納める…こぅいぅ動きをします人は『多忙人』なんですけどネ(^.-)☆
 まぁどぅでもイィのでありますけど、彼等が笑っておられましたので、チョッとだけ弁解を(^-^)//"

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11/21(日)備陽史探訪の会『備北の王墓と帝釈峡を訪ねて』に参加(11)

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11/16(火)は、紅葉を求めて佛通寺を散策でした(^.-)☆(17)

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 御許神社社殿に上がって来ましたけど、どなたもおられません。まぁ、いかにも訪れます方は少なそうな神社ではあります(^-^)
 どなたもおられませんのをいぃ事に、暫し、ここで一服のGONsanなのでありました。
 勿論、「残り少ない2021年を、どぅか無事に過ごせますように…」との祈願も忘れずに(^-^)
 では、帰ろう…と、上がって来ました参道を振り返りますと、1組のご夫婦がご参拝。いゃあ、お詣りされます方も、おられますようです(^.-)☆
 木橋まで下りて来まして、橋の上流に眼を向けますと、水の流れはありませんけど、上流の見えなくなります辺りまでズラッと岩が…久井の岩海の小型版…と言ったところでしょうか(^-^)
 この景観を、ゆっくりと楽しんでおりましたら、先ほどのご夫婦が参拝を終え、お帰りです。このご夫婦をパチリです。
 そて、川沿いの参道に下りて来ますと、駐車場に向かいます。
 GONsanが駐めています駐車場の入口に眼を向けますと、今から佛通寺の紅葉を楽しまれます方々の車の列が…
 佛通寺には、何ヶ所かの駐車場が設けられていますけど、ふ~ん、この時間帯には凡ての駐車場が満車状態なのでしょうねぇ~ここで、一旦、停止して貰い、空きが生じるまで待機となりますようです。
 時間を見ますと、A.M.11:34でありました。
 それでは、佛通寺sanとお別れです。大変キレイな紅葉でありました(^-^)//"

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