GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

2019年10月

9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(10)

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 清神社を後にしますと、隣接の「郡山公園」→「郡山公園展望台」→「郡山城跡(旧本城)」へと山城歩きの再会です(^.-)☆
 昼食後の出発間もなく清神社でもユックリしましたので、皆さん元気いっぱい。足取りも軽快のご様子でしたネ(^-^)/"

 ◆郡山公園

 毛利元就の居城のあった郡山にある公園です。池や庭石を配した閑静な日本庭園の趣で、春は桜の花見、その後はツツジが咲き乱れ町を一望できる町民いこいの場です。大河ドラマ「毛利元就」役の中村橋之助さんが記念植樹されたサルスベリとモミジの木もあります。

 ・郡山公園の概要

 ここの一帯は毛利氏時代の興禅寺跡で、元就が永禄10(1567)年京都から能役者観世太夫宗節ら一座を招き能狂言が催されたことや、この寺の南麓に内堀が掘られた記録が残っています。公園内は、池や庭石を配した閑静な日本庭園の趣で、桜や紅葉が美しい町を一望できるいこいの場です。

 【春の風景】桜の見ごろ:4月上旬
 【秋の風景】紅葉の見ごろ:11月上旬

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(9)

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 昼食後、暫く、この公園内を散策し、P.M.1:30前でしたか…バスの駐まっています駐車場に集合で、これから郡山城跡を見学です。まずは、清神社方向へ。
 その途中、「郡山城跡(酉谷地点)石垣」に立ち寄りです。

 ◆郡山城跡酉谷地点 要約
 国史跡郡山城跡の所在する郡山山麓(標高250~270m)において、16世紀中頃から後半にかけて構築されたと考えられる郭、石垣、鍛冶炉跡を検出した。郡山城跡に関連する遺構は山麓まで広がっていることが確認できた。

 ・酉谷地点石垣跡
 遺跡は、郡山城跡の酉谷に造られた郭群の一角にあたり、豪雨によって、大きく崩落したことに伴う復旧工事のため、発掘調査が行われました。
 調査によって石垣・郭跡・鍛冶炉跡・郭造成の版築土層などの遺構が確認され、小量の土器陶磁器片、鍛冶炉周辺から鉄滓、鉄釘などが出土しています。また、この石垣は保存処理され、現在でもそのままの形で見学が可能です。

 …と、こんな「郡山城跡(酉谷地点)石垣」でありました。続いて、清神社に到着です。

 ◆清神社

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 清神社(すがじんじゃ)は、広島県安芸高田市吉田町に鎮座する神社。旧郷社。

 ・祭神

 須佐之男命を主祭神に相殿に脚摩乳命、手摩乳命、稲田姫命、五男三女神を祀る。
 【神武天皇聖蹟誌】(1941年広島県発刊)によれば、中之玉殿に素戔鳴尊、左之相殿に三大神、右之相殿に八王子を祭っているとしている。
 摂社に伊勢神社があり、ここに天照皇大神、早良親王(崇道天皇)を祭っている。

 ・由緒

 当地は『日本書紀』巻第一神代上第8段(二)に見える「安芸国可愛之川上(えのかわかみ)」の地に当たり、素盞嗚尊(須佐之男命)が八岐大蛇を退治した舞台とされ、神社名は退治後に須佐之男命が発した「吾が心清清(すがすが)し」という言葉に因むとされ、神代からの鎮座と伝えられている。古くは「行宮清神社」「祇園社」「祇園崇道社」と呼ばれていたが、明治5年(1872年)に神仏分離により現社名に改称された。
 境内の杉の巨木が台風で倒れた際に年輪を調査したところ、約1,200年以上との結果が出た為、現在、切り株が境内に展示されている。なお、「行宮清神社」の名称から、神武天皇が行宮を置いた地であるとの説があるが、【神武天皇聖蹟誌】では否定的な見解である。

 中世に京都祇園社の荘園「吉田荘」の鎮守神として祀られた。一時期、早良親王の祟りを鎮める目的で社名を「祇園崇道社」としていた。
 鎌倉時代末期から、吉田郡山の鎮守神として安芸毛利氏代々の尊崇を受けた。ゆかりのものが現在社宝として展示されている。正中2年(1325年)の棟札をはじめとする現在までの16枚の棟札が残っており、特に毛利氏関係は光房・弘元・興元・幸松丸・元就・隆元・輝元までの棟札13枚が確認されている。なかでも天文17年(1548年)隆元、永禄11年(1568年)元就、天正11年(1583年)輝元のものは特に有名。

 また、毛利氏が郡山に城を構えている間、郡山山麓にある現在の社殿とは別に、城のある郡山山頂までの中間点にも社殿を構えていた。
 江戸時代以降は村の鎮守神として祀られた。現在の社殿は元禄7年(1694年)の建立。様式は正面に千鳥破風、前に軒唐破風を構え、正面が6本の太い柱で形成された五間社切妻造。明治5年郷社に列した。

 境内には「椙若社」という、毛利元就が継母であった杉大方の菩提を弔うために建立した社がある。総檜流造で延床約10平方メートル。昭和25年(1950年)にはキジア台風災害により倒壊し、基礎だけが残された状態で保存されていたところ、大河ドラマ『毛利元就』の影響により杉大方の人気が上がったことから、平成9年(1997年)地元住民により約1千万円かけ復興された。その他、境内には伊勢社もある。
 社宝として、毛利元就の所望に応じて聖護院門跡道増が墨書した「感神院」の扁額(永禄6年(1563年))、元亀3年(1572年)京都吉田神社神主・吉田兼右が参籠したことや、天正4年(1576年)の前関白九条稙通が当神社で民衆を前に『源氏物語』の講釈を行ったことが記述された連子窓、元亀年間の舞楽面がある。

 …と、こんな「清神社(すがじんじゃ)」でありますようです(^.-)☆

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(8)

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 待機していますバスまで戻って来まして、時間を確認しますと、P.M.0:08。もぅお昼ですネ。
 次は、郡山城跡を訪れますのですけど、その前に昼食タイムとなりました。昼食を取ります場所は、歴史民俗博物館から毛利一族の墓への入口方向に進みました公園みたいな場所でした(^.-)☆
 皆さん、福山を出発時に弁当を持参ですから、バスから降りますと、公園内の適当な場所を見つけて思い思いに…グループで弁当を囲む方達、ご家族連れ、GONsanのように独りで弁当を食べる方…と様々で、適当に公園内に散らばって行かれました(^-^)
 日差しはありますけど、キツい日差しと言う訳でもなく暑くもありませんので、GONsanは、安芸高田市内の「ゆめタウン」辺りが眺められますベンチを見つけて着席です。

 GONsanの弁当は、嫁さんに作って貰いました「むすび」が3個。
 普段、我が家で食べていますと、決して美味しいとも思いませんけど、こんな場所で食べますと、ヤケに美味しいから不思議です。
 むすび3個にお茶1本…これが、こぅいぅ場所でのGONsanの定番の昼弁です\(^o^)/

 昼食後は、少しこの公園内を散策でもしてみましょうか…
 ここは公園と言うよりも「大通院谷川砂防事業」として整備中の広場のようです。と言う事は、やっぱり公園ですネ。ただ、名前が付いていませんだけで(^-^)/"

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(7)

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 本丸跡には、こんな案内板が…

 ◆多治比猿掛城本丸跡

 猿掛山の頂上(標高376m、比高120m)に位置し、長さ50m、幅24mの長大な平垣面を持つ。
 南側背後は、約13mの深い堀切で背後の尾根続きをさえぎっている。三方は急峻な崖で東側に一段、南側に四段の付曲輪がある。
 本丸平垣部南端に長さ約20m、高さ、幅とも約1mの土塁がみられる。北端には約10m四方で、約3m高い盛土があり、櫓台として使用したものと思われる。
 ここからは、南を除く三方が見え、石州路に沿う要衝の地であった事が伺える。東側からは、約4km離れた郡山城が望まれる。

 -- 平成2年3月 吉田町教育委員会 --

 …と、こんな案内がありました(^.-)☆
 暫し、多治比猿掛城本丸跡を見廻って、今度は下山です。上って来ます時には、結構な急勾配で少々キツい歩行でありましたけど、さすがに下山は楽。ですが、油断しますと足が滑りますので、それなりに用心しながらの歩行が続きます。
 途中、また案内板がありまして、往路では、復路で確認しようと思っていましたので、下山時に立ち寄りとなりました。この案内板には…

 ◆寺屋敷曲輪群

 この曲輪群は、中心部曲輪群の西端から造られた幅6mないし7m、深さ2m、長さ約130mに及ぶ長大な堅堀によって、中心部曲輪群から隔てられ、中心部曲輪群より60m下方にある。
 曲輪群は、上方中央には面積約860㎡の広大な曲輪(寺屋敷)を中心に、北方に階段上の曲輪が4段、それをとりまく帯曲輪が8段、さらに上方に3段の計15段からなっている。
 現在、この曲輪群の下段には猿掛山教善寺が建っており、当初からこの段を含めた一帯が寺屋敷曲輪群として使われていたのかも知れない。
 この曲輪群は、急斜面に平坦面を造成し、防禦としては堅堀しかないということから、当初から城としてより、寺屋敷として造られたとも考えられる。

 -- 平成4年3月 吉田町教育委員会 --

 …と、こんな記載がありました。
 それにしましても、皆さん、結構、不安そうに感じられます歩行なのですけど、普段からこぅした山歩きには慣れておられますのかも…上り口まで下りて来ますと、誰一人遅れます事も無く無事に下山。
 う~ん、意外と皆さん健脚でありました(^-^)//"

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(6)

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 結構キツい上り道でしたけど、どうにか多治比猿掛城跡にと到着です(^_^)v
 それにしましても皆さん、よく歩かれます。上り口付近では、この方達は城跡までチャンと上がれるのだろうか…と心配しておりましたけど、これは大変失礼なGONsanの想いでした(^-^;
 仲々山城歩きに手慣れておられました。歩調はユックリしておられましても、シッカリ着実に進んで行かれますので脱帽です。GONsanの方が、もぅ負けそうでありました(^.-)☆

 ◆安芸・多治比猿掛城

 ・歴史

 築城年代は定かではないが明応年間(1492年~1501年)に毛利弘元によって築かれたと云われる。毛利弘元は毛利元就の父であり、明応9年(1500年)家督を嫡男の毛利興元に譲ると、次男の松寿丸(後の元就)を連れて多治比猿掛城へ移った。
 永正3年(1506年)弘元が没した後は毛利元就がそのまま多治比領を受け継いで分家となった。永正13年(1516年)兄の毛利興元が没すると、幸松丸が家督を継いだが幼小であったため元就が後見人となった。
 大永3年(1523年)幸松丸もわずか九歳で夭折すると、毛利元就は家臣団に推されて毛利家の家督を継ぎ、吉田郡山城へ入城した。

 ・ 説明

 多治比猿掛城は多治比川南岸の標高432mの山を最高所として築かれている。大きく本丸、物見丸、寺屋敷曲輪群、出丸の四ヶ所に分かれている。
 本丸は北東の標高370m一帯で、北端に五角形の櫓台を備えた南北に長い曲輪となり、南端には土塁がある。本丸の南背後の尾根は大堀切(堀1)と堀切(堀3)の二条の堀切があり、その間の鞍部は東西両側に無数の連続竪堀を落としている。尾根上には一部コブ状になった部分があり、本来連続堀切であったものが遊歩道などによって削られ現状の土橋状の細い道のようになったとも考えられる。竪堀は特に西側に長く延びており、途中に合流して落ちている。
 本丸から北東へ伸びた尾根の曲輪I-7があり、二段の非常に小さな曲輪であるが、両側面と前方に竪堀を配している。
 寺屋敷曲輪群は教善寺を含む一帯でII-1の広い曲輪を最高所として段曲輪が多く残る。
 出丸は北へ付きだした丘陵で、この部分は後世の改変が激しいのか、南北に伸びる土塁状の遺構や大きく窪んだ虎口のような地形などがあるが、本来の形状はイマイチ把握できない。
 本丸の南背後から登り詰めた標高432m付近に物見丸がある。単郭で本丸側の北東と南尾根を堀切で遮断しており、北西下には帯曲輪状の地形がある。

 …と、「城郭放浪記(http://www.hb.pei.jp/shiro/aki/sarukake-jyo/)」と言うホームページには、こんな記載がありましたネ(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(11)

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 後片付けの手伝いをしています内に、孫達は既に帰りましたようですネ。
 なら、GONsanはせっかくの機会だから…と、草戸山公園に立ち寄りとなりました(^.-)☆

 ◆草戸山公園•山岳公園ハイキングコース

 福山市草戸町にある明王院裏山の草戸山には愛宕神社本殿•愛宕社があり、参道•山道には明王院所縁の石佛が点在し、ハイキングコースとして福山山岳会の人達による案内板が整備されている。明王台団地の中に草戸山公園があり、展望台からは福山市内の眺望が楽しめます。

 …と、こんな草戸山公園なんですけど、GONsanが子供の頃は『さんかくこうえん(山岳公園)』と言っておりました。
 「さんかく公園」は、未だに、漢字で書きますとどのように書きますのか知りませんけど「山岳公園」を「さんかくこうえん」と言っていましたのかも…まぁ、どうでもイィのですけど(^.-)☆
 廻りの樹木に遮られまして、昔ほど眺望は臨めませんけど、貯水タンク上の展望台からの眺望はそれなりに楽しめます。
 貯水タンクの少し下付近に、小さな傘のような展望台が存在しますけど、確か、昔はこんな展望台のみでしたような…もぅ60年も昔の頃ですけど、それでも懐かしい場所ではありますねぇ(^-^)//"

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(5)

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 それでは、毛利弘元墓所に参詣です。毛利弘元は、39歳でのご逝去。戦国時代とは言え、少々お若いご逝去ではありますネ。
 ところで、『夫人は鈴尾城主の福原広俊の娘で、文亀元(1501)年12月8日、34歳で鈴尾城(福原城)内で逝去しました。大正10(1921)年、鈴尾城(福原城)の福原氏墓所からこの地に移葬された…』との事ですけど、何で鈴尾城(福原城)の福原氏墓所に葬られていたのだろう?…との不思議な想いも。
 WEB上で検索して見ましたら、こんな記載が…

 ◆元就母の墓のなぞ

 元就の母は、毛利一族の福原氏で、福原広俊の娘となっている。毛利一族の中でももっとも有力で中心的な一族である。毛利元就が後年隆元に書いた手紙の内容によれぱ、元就五歳の時母に死なれ、十歳の時父に死に別れたとある。元就四歳の時、父とともに猿掛城に移り住んでいることになっている。
 ところが、元就の母が、父とともに猿掛城へ移動したかとどうかとなると、これがはっきりとしていない。父弘元は猿掛城に隠居して五年後に死んでいる。父の墓は猿掛城山麓の悦叟院という菩提寺跡にある。そして母の墓も弘元と並んである。
 これではなんら不思議はないのだが、実は母の墓は、もともと福原氏の居城鈴尾城近くの福原一族の墓所にあったのである。そこで夫婦が別々のところにあるということではまずいと思ったのか、大正時代に母の墓石をわざわざ猿掛城の悦叟院跡地に移動させたのである。

 現在、猿掛城で見かける弘元と元就の母の仲良く並んだ墓石は、意図的に仕組まれた光景だということである。
 元就の母の墓が実家の福原氏一族の墓所にあったということは、当時そういう状況を作り出すだけの事情があったことを物語っている。そのことについては元就は何も語っていない。語りたくなかったのだろうと思う。
 毛利元就の研究家森本繁氏は、『毛利元就99の謎』(PHP文庫)の中で、元就の母福原広俊の娘は、弘元と猿掛城に移ったのでなく、実家の福原氏の鈴尾城に帰り、そこで元就を生んだと主張。そしてそこで死んだのでそのまま福原氏の墓所に一緒に葬られた。
 たぶんこれが真相だろうと私も思う。

 …との、こんな記載が。
 ふ~ん、色々事情がありましたようですねぇ~
 それでは、今から、多治比猿掛城跡へと山登りです(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(10)

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 凡ての種目が終わりまして、最後に園長先生のご挨拶。この日に向けて園児の皆様は練習が大変でしたのでしょうけど、先生達も指導で大変だったものとお察し致します。
 我が家の孫のように言う事を聴かない園児もいますでしょうから(^.-)☆
 とにかく、関係者の皆様、大変お疲れ様でございましたm(_ _)m

 GONsanにとりましては、多分、これが最後の幼稚園運動会の観戦となるものと思います。
 ですから、最後は少し後片付けのお手伝い(^-^)
 とは言いましても、テント片付けとか、移動しておられました遊具の元の場所への復元程度。もっとお手伝いしても宜しいのでしょうけど、ジジィのGONsanがいますと足手まといとなりそうですので、後は若者の保護者の皆さんにお任せで退散となりました。
 もぅ訪れます事も無いのかも…と想いながらシャローム幼稚園を後にしますと、やはり、チョッピリ寂しさが(^-^)/"

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(4)

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 安芸高田市歴史民俗博物館内には、毛利家ゆかりの宝物が数多く展示されてありますのでしょうけど、そんなにユックリしております時間もありませんから、館内の見物はそこそこに多治比猿掛城跡への山城歩きにと出発です。
 歴史民俗博物館前から、またバスに乗り込み、ここから4.5kmばかり北西部の浄土真宗「猿掛山教善寺」入口へと向かい下車。いよいよ山城歩きのスタートです(^.-)☆

 今回の訪問場所ではありませんけど、念のために「浄土真宗 猿掛山教善寺」のホームへページを覗いて見ましたら、こんな記載が(^-^)

 ◆浄土真宗本願寺派 教善寺

 ・沿革 -- 猿掛城趾(国指定史跡…元就は父弘元と共に4歳の時此の地に移り、1523(大永3)年郡山城に27歳で帰る)の寺屋敷廊群に在る。当山は1536(天文5)年天台宗より改宗。1564(永禄7)年本願寺より寺號許可。今日に至る。
 ・寺宝 -- 代々貧乏寺なので自慢できるものは何も無い。
 ・教化活動 -- 代々無能なので自慢できるようなことは何もしていない。
 ・所在地 -- 〒731-0544 広島県安芸高田市吉田町多治比1746

 …と、こんな記載に思わず笑ってしまいましたけど、大変親近感を抱いてしまいましたネ\(^o^)/
 教善寺入口から少し進みますと、「多治比猿掛城跡」の案内表示板が…

 ◆多治比猿掛城

 多治比猿掛城(たじひさるがけじょう)は、安芸国(現在の広島県安芸高田市)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。

 ・概要
 築城年は不明。吉田郡山城の支城として造られた山城。1500年(明応9年)に家督を毛利興元に譲った毛利弘元が隠居するために築城したという説も有力。国の史跡。

 ・歴史・沿革
 1500年に毛利氏の当主毛利弘元は、家督を嫡男の毛利興元に譲り、次男の松寿丸(後の毛利元就)らを連れてこの多治比猿掛城に入城する。1506年(永正3年)に弘元が没すると、幼少の松寿丸が城主となる。松寿丸はこの城で成長し、元服後、多治比元就と名乗り、分家の多治比毛利氏として活動する(この時期元就は「多治比殿」と呼ばれている)。
 この城で毛利隆元や五龍局が生まれている。
 1523年(大永3年)に元就が宗家を継ぎ、多治比猿掛城は城主不在となる。その後についての詳細は不明だが、その重要性は変わらず、戦国末期まで維持されたと思われる。実際、1563年(永禄6年)に毛利隆元が元就が遠征している出雲へ向かう途中で、多治比猿掛城に1泊。その際に息子の毛利輝元が来城し、面会している(その後、隆元は佐々部で急死)。廃城年は不明。

 ・構造
 城跡は多くの郭が残り、比高120mの山頂の物見丸、丘陵先端の中心部郭群、斜面中腹の寺屋敷郭群、平野部の出丸に分けられる。出丸は平時の生活を重視した館的な区画であり、中心部郭群や物見丸が戦時の避難所となる役割だったと思われる。

 ・所在地
 広島県安芸高田市多治比。近隣には杉大方の墓、毛利夫妻の墓がある。

 ここから教善寺に向かって上って行きますと、教善寺手前に「毛利弘元墓所」の案内板が…

 ◆毛利弘元

 毛利弘元(もうり ひろもと)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。安芸国の国人領主・毛利氏当主。吉田郡山城主。父は毛利豊元。子に毛利興元、毛利元就、相合元綱、北就勝。

 ・生涯
 応仁2年(1468年)、安芸国の国人である毛利氏の当主・毛利豊元の長男として生まれる。毛利氏は周防国・長門国の守護大名・大内氏の勢力下である安芸国人領主の一人であった。
 文明8年(1476年)、父・豊元が死去し家督を相続する。文明11年(1479年)に大内政弘の加冠を受けて元服し、「弘」の偏諱を与えられて「弘元」と名乗る。
 明応4年(1495年)に大内政弘が死去すると、後を継いだ大内義興に嫡男・興元と共に従った。だが、その立場は管領・細川氏と大内氏の間で揺れ、さらに明応8年(1499年)には明応の政変で失脚した前将軍・足利義稙を保護した大内氏と、将軍・足利義澄を擁する室町幕府との間で揺れる。
 対立の激化した大内氏と細川氏の両者からの協力要請から逃れる為、明応9年(1500年)に嫡男・興元に家督を譲って隠居し、次男の元就らを連れて安芸国多治比の猿掛城へ移り住んだ。隠居先を猿掛城としたのは、吉田郡山城の西の拠点を確保し、北方に位置する国人・石見高橋氏に備えるためとも考えられている。
 しかし、その心労と酒毒により、永正3年(1506年)1月21日に死去した。享年39。墓所は広島県安芸高田市の悦叟院。

 ◆毛利弘元墓所

 毛利弘元は元就の父で、応仁2(1468)年に生まれました。9歳で毛利家を相続し郡山城主となりました。
 尼子と大内の狭間にいた明応九9(1500)年に長男興元に家督を譲り、二男の元就(4歳)を連れ、多治比猿掛城に隠居しました。永正3(1506)年1月11日に没しました。時に39歳でした。
 墓所は、多治比猿掛城の麓、弘元の菩提寺の悦叟院跡にあります。
 夫人は鈴尾城主の福原広俊の娘で、文亀元(1501)年12月8日、34歳で鈴尾城(福原城)内で逝去しました。大正10(1921)年、鈴尾城(福原城)の福原氏墓所からこの地に移葬された。(説明看板より)

 WEB上で検索しますと、こんな色んな記載がありました(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(9)

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 運動会もいよいよ終わりに近付いてきまして、最後は保護者と園児が一緒に(^.-)☆
 孫も、母親と一緒が嬉しいのでしょうねぇ~思いっきり甘えておりました(^-^)
 幼稚園生活も、あと残しますところ半年となってしまいました。園児数が少ない向ヶ丘幼稚園ですから家庭的な良さもありまして、孫にとりましては、卒園まで楽しく過ごせるものと思います。が、来年4月からは小学生で児童数も増えますから、大人数の中でチャンとコミュニケーションが取れるのだろうか…との不安もありますけど、同様に心配しました姉の方も元気に小学校に通学しておりますから、大丈夫なのでしょうけど…
 いくつになりましても、我が子とか孫達への想いは、心配が尽きないもののようですネ(^-^)//"

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(3)

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 秋本哲治さんに、まず館内をご案内して頂きましたが、平成20年01月に発見されました前方後円墳「甲立古墳」は、県内では最大級の規模で、今では国史跡に指定。
 3次元レーダー測量図では、畿内地域の古墳とよく似ておりますねぇ~
 技術の進歩で、今では全体を発掘調査しなくても概要は把握出来ますのですねぇ~凄い\(^o^)/

 ◆甲立古墳(甲田町)

 甲立古墳は、平成20年1月に甲田町上甲立菊山の山林で新たに発見された前方後円墳です。全長は77.5メートルに達する、県内では最大級の規模です。平成28年3月に国史跡に指定されました。

 平成22年度から25年度まで実施した発掘調査では、傾斜地上に築かれた均整がとれた墳丘、隙間なく葺かれた精緻な葺石、実際より大きく見せる大規模造成など、高度な技術で墳丘が築造されていることを確認しました。
 後円部墳頂では、中央に5基の家形埴輪を一列に並べた石敷区画や数種類の埴輪で構成された埴輪列などで、築造当時に並べられた埴輪の配列を良好な状態で確認することができ、古墳祭祀、埴輪祭祀を研究する上で極めて重要な調査例となりました。
 出土した埴輪は、切妻造高床建物の1・2号家形、特異な形の囲形状、出土例が極端に少ない子持家形などの家形埴輪をはじめ、船・甲冑・蓋など器材埴輪、普通・楕円・朝顔形などの円筒埴輪がありました。
 いずれの埴輪も端正な作りで、埴輪を製作した工人の技術の高さを示しており、当時の中心地であった畿内の中枢で出土した埴輪と近似します。これらのことから甲立古墳は4世紀後半に畿内の勢力が深くかかわって築造されたと考えられます。

 山間に築かれた4世紀後半の畿内色の強い前方後円墳は全国的にあまり例がなく、当時の社会情勢や畿内勢力の動向を知るうえでも貴重な資料と考えられています。

 ・概要

 4世紀後半頃に築造された前方後円墳で、安芸高田市教育委員会が広島大学考古学研究室に依頼した測量調査によって、2009年11月に確定に至った。
 この菊山付近には、安芸国の国人領主・宍戸氏の城であった柳ヶ城があり、古墳はその一部と見なされており、上記調査までは古墳として認識されていなかった。柳ヶ城の調査を担当した東広島市教育文化振興事業団の指摘などによって、2008年2月に調査が開始され、古墳と確認された。

 調査古墳は菊山中腹斜面に築かれており、前方部分が南、後円部分が北に配置されている。広島県内では最古の時期のものとされ、推定されるその規模は全長75m、高さは約13m。三ツ城古墳(5世紀、全長92m、東広島市、国の史跡)、辰の口古墳(4世紀後半、全長77m、神石高原町、県史跡)に次ぐものである。また、古墳側面の斜面部分には川石を使った葺石が施され、埴輪が配置されていたことも判明した。

 2010年より発掘調査が行われ、それに併せて市指定史跡として指定された。その後、2016年3月に国の史跡に指定されている。

 ◆家形埴輪

 石敷区画に並べられていた家形埴輪は切妻造高床建物2、特異な形状の囲形状、他のものより小型の家形2で、いずれの埴輪も写実的でシャープな仕上がりであることから、高度な技術持った埴輪工人が製作に携わったと考えられます。
 また、後円部墳頂中央の浅い落ち込みからは、全国的に出土が珍しい子持家形埴輪が出土しました。

 ◆3Dレーザー測量ってどんな技術?

 従来の測量では時間のかかってしまう複雑な地形も、3Dレーザースキャナーなら写真のように細かく測量することができます。光波・レベルによる従来測量に比べ測点数は1万倍。測量時間は1/10以下と大幅に短縮。低価格での現況測量・地形測量が可能となります。

 …と、こんな「甲立古墳」でありますようです(^.-)☆
 現在も未だ発掘調査が続いていますのでしょうけど、う~ん、凄い古墳なんですねぇ(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(8)

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 運動会の応援で力が入りますのは、やはりリレーなのかも分かりませんネ。誰が走っておりましても、つぃつぃ「ガンバレ!!」と応援してしまいます(^.-)☆
 いぃものですネ(^_^)v

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(2)

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 安芸高田市に到着しますと、まずは「安芸高田市歴史民俗博物館」に入館し、事前学習となりました。

 ◆安芸高田市歴史民俗博物館
 毛利氏とその本拠地であった郡山城を中心に、安芸高田市の歴史や文化財を紹介する博物館である。毛利元就にまつわる古文書や郡山城からの出土品、毛利氏による社寺への奉納品などを展示。常設展の他にも様々な企画展示が行われている。

 ここからは、テレビにもよく登場される、安芸高田市教育委員会「秋本哲治さん」が、説明案内・山城歩きなど親切に対応して下さいました(^-^)/

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(7)

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 孫達の種目が終わりますと、次は卒園児の皆様の徒競走です(^.-)☆
 小学校に進学しましても、自分達が在園しました幼稚園の運動会は、懐かしい先生や後輩園児の顔が久し振りに見れますので、楽しいのでしょうねぇ~
 これこそ、勝敗抜きで、参加しますこと自体が嬉しいのでしょうねぇ~楽しそうな走りがヤケに印象に残ってしまいました(^-^)//"

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9月29日(日)は、「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山城歩きに参加でした(^.-)☆(1)

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 9/29(日)は、「備陽史探訪の会」主催のバス例会で「吉田郡山城&多治比猿掛城」の山歩きに参加のGONsanでありました(^.-)☆
 当日は、A.M.8:30に、福山駅北口観光バス乗り場に集合です。GONsanは申し込みが遅れまして、申し込みしました時には定員に達しておりまして、補助席での参加となりましたけど、欠席者がおられましたのでしょうか…幸いにも補助席ではありませんで正規の座席。ラッキーでしたネ\(^o^)/
 48名の参加者でしたのでしょうか…

 定刻にバスは出発し、一路、安芸高田市へ。途中、「道の駅 世羅」でトイレ休憩。
 バス車内では、資料を基に事前学習。この日の講師を務められました備陽史探訪の会・田口義之会長より、丁寧なご説明がありました(^.-)☆
 安芸高田市吉田は毛利元就の本拠があり、関連した山城が多く残っています。この戦国の名将毛利元就が生れて育った二つの山城を歩きましたので、この日の様子を、また画像でご案内です(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(6)

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 運動会の練習では、「先生に、めっちゃ叱られる」と言っておりました孫(^-^)
 この小太鼓の演奏をチャンとやらないから怒られていましたのかも…いつでしたか、我が家にヤッて来ました時に、叩けるモノなら何でも叩いて騒々しく過ごしていた時がありましたけど、うん、うん、この小太鼓の練習をしていましたのでしょうねぇ(^.-)☆
 姉の方も年長の時には小太鼓でしたけど、二人で我が家の叩けるモノを捜し集めて、近隣に響き渡る騒々しさで叩いておりましたけど…
 つぃ先月の事なんですけど、もぅ今では遠い昔のようにも感じてしまいます。
 こんな調子で、孫達の幼い時代はアッと言う間に駆け抜けて行きますのでしょうねぇ~
 そんな想いにふけりますと、孫達がヤッて来ました時には、多少忙しくしておりましても、孫達と過ごします時間を最優先にしなくては…と、改めて意を強くしますGONsanなのであります(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(5)

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 年長組は園児数が少なくて見映えがよく無いからなのでしょうか…寂しい感じもしますし…で、一部、年中組の皆様が応援出場ですねぇ(^.-)☆
 そぅ言えばGONsanの孫…昨年の運動会でも撮りました後の画像を見ながら感じた事なんですけど、何故かしかめっ面です。
 う~ん、まばゆいのでしょうか…それとも、眼に異常が…何故なのでしょうねぇ~眼に違和感がありますのでしたら、既に眼科医に出掛けていますのでしょうけど、母親から眼科通いは聴いておりませんし…
 チョッと気になります。今度、機会がありましたら確認しなくては(^-^)/"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(4)

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 暫く、年少・年中の皆さんの演技に見とれておりましたけど、おっ、年長さんが出て来ましたネ。また、我が孫を主役で画像に納めませんと(^-^)/"

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(11)

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 刈谷城盛上げ隊の皆様は、毎回、仲々威勢が良くてお元気ですねぇ\(^o^)/
 見ていて大変楽しいですし、「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」のイベントにはピッタリですネ(^.-)☆

 この方達のステージが終わりますと、次は皆さんお楽しみの「大BINGO大会」であります(^-^)
 うん、うん、観客の皆様もよくご存知ですネ。いつの間にか観客も少し増えました。
 GONsanなんぞは、まだ二つしか穴は開いていないというのに、始まりまして間もなく、早くも「リーチ」そして「ビンゴ」の声が(^.-)☆
 該当者は、まずは同時にお二人。早速、ステージ上で何やら賞品をゲットしておられましたネ(^_^)v

 BINGOゲームは続いて行きまして、次から次に成立者が賞品を手に。最初はステージ上で貰っておられましたけど、以降は傍らのテントで賞品を受領です。
 次第に賞品も残り少なくなって来まして、最後の数名の皆様は賞品が足りませんでジャンケンで決着となりました。結局、GONsanは七つの穴で、リーチさえ成立しませんでしたねぇ~相変わらずクジ運悪く、う~ん、残念(^-^;
 時間を確認しますと、もぅこんな時間、P.M.04:50でありました。
 18:00からは「福山JAZZナイト」ですけど、GONsanはこの辺で退散です。
 天守前広場から福山駅方向に歩いておりましたら、今から福山JAZZナイトをお楽しみの方々なのでしょうか…福山城公園に向かっておられます方達と擦れ違いです(^-^)

 翌日の中国新聞朝刊には、この日の様子が報じられておりました。
 台風17号の接近で、9月22日(日)、23日(月・祝)の「備後入封400年祭」は台風接近に伴い、開催に支障が生じる雨量等が見込まれるため、中止としますとの主催者の発表も…とにかく、8月以降は、福山市の主要なイベントが次々に中止ですから(^-^;
 天候要因でやむを得ませんけど、こぅいぅ事も珍しいですネ(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(3)

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 年少・年中の皆さんの演技に眼を向けておりますと、何となく懐かしさも蘇ります。あぁGONsanの孫達も、こんな感じだったなぁ…と(^-^)
 つぃこの前のような気もするのですけど、それでも、もぅ随分前のような懐かしさが(^.-)☆
 幼い園児達のようですけど、みんなアッと言う間に成長して行きますから(^-^)/"

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(9)

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 挿入の画像は、「山下雅也サクソフォンカルテット with 富永やよい」と「刈谷城盛上げ隊」の皆様です(^.-)☆

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(8)

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 深津時代行列が終わりますと、ステージの方は「ばらのまち福山国際音楽祭 カウントダウンコンサート」です。司会を務められますのは広島FMでお馴染みの「大窪シゲキ」「小竹彩花」のお二人です。が、GONsanは、この方々を存知あげません(^-^;

 ◆司会

 ・大窪シゲキさん
 1979年生まれ。大阪府出身。2007年から広島FMの10代応援番組「大窪シゲキの9ジラジ」を担当。日々、若者と語り合い、朝日新聞にも毎週コラムを掲載。2015年には広島県消費者トラブル防止DJ大使にも就任。
 テレビやイベントMCなど、ラジオを飛び出し、様々な場所から小中高大学生や大人を全力で応援中!

 ・小竹彩花さん
 1993年生まれ。広島県出身。2017年から広島FMの10代応援番組「大窪シゲキの9ジラジ」アシスタントDJを担当。現在はラジオを始め、キャラクターショーやリアル脱出ゲームのMC、テレビリポーターなどマルチに活動中!

 …と、こんな方達のようであります。
 演奏されますのは、「山下雅也サクソフォンカルテット with 富永やよい」の皆様です。

 ◆ばらのまち福山国際音楽祭カウントダウンコンサート

 9月21日(土)15:10~16:00
 出演者:山下雅也サクソフォンカルテット with 富永やよい
 サクソフォン四重奏とピアノの演奏をお楽しみください。
 ・山下雅也サクソフォンカルテット with 富永やよい
 ・出演者:山下雅也、加藤瞳、西川祐太、平井千香子、富永やよい

 サクソフォンカルテットのステージが終わりますと、続いて武将隊の皆様が登場です。
 そぅでした…この方達は、福山ばら祭りでもお馴染みの「刈谷城盛上げ隊」の皆様でした(^-^)

 ◆刈谷城盛上げ隊とは
 刈谷城築城480年を記念して平成25年5月、刈谷城復元の機運を盛り上げるために「刈谷城築城盛上げ隊」が結成されました。そして平成28年度より「刈谷城盛上げ隊」と名を改め活動を継続しています。メンバーは初代刈谷城主と江戸時代に刈谷藩で活躍した藩主から構成されています。

 ◆刈谷城について
 天文2年(1533)水野忠政(ただまさ)が「刈谷城」を築城しました。江戸時代になって刈谷藩が設けられると水野勝成が初代藩主となり、明治維新を迎えるまで水野分家、深溝松平家、久松松平家、稲垣家、阿部家、本多家、三浦家、土井家の9家22人の譜代大名が藩主となり、刈谷は村から城下町として発展しました。

 こんなご縁で「刈谷城盛上げ隊」の皆様は福山でもスッカリお馴染みですネ(^_^)v

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福山市の大きなイベントが、また台風の影響で中止に…

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 8月から、福山市の色んなイベントが中止となっておりますけど、福山市の大きなイベントが、また台風の影響で中止に…
 観戦を楽しみにしておりました『せとうち 福山-鞆の浦 トライアスロン2019』が、台風19号接近で中止となりましたようですネ。う~ん、残念(^-^;

 ◆台風概況

 大型で猛烈な台風19号は、9日(水)午後9時現在、小笠原近海にあって、時速15キロで北北西に進んでいます。中心気圧は915ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は55メートル、最大瞬間風速は75メートルとなっています。
 北上する台風の影響で、10日(木)の小笠原諸島では猛烈なしけとなり、大東島地方でも大しけとなる見込みです。高波に厳重に警戒してください。
 また、台風はその後も北上を続け、非常に強い勢力を保ったまま、12日(土)から13日(日)にかけて西日本から東日本にかなり接近し、上陸するおそれがあります。
 台風の接近に伴って、12日から13日頃にかけて西日本から北日本では大荒れの天気となる見込みです。また、11日の午後からは、台風の接近に伴って南から暖かくて湿った空気が流れ込むため、西日本の太平洋側と東日本では大雨となるところがあるでしょう。
 今後も最新の台風情報に注意してください。

 …と、10/9(水)21:00時点で、こんな状況のようですけど、安全最優先で、下記経緯により大会主催者は中止を決定されましたようであります。

 ◆選手、関係者の皆様へ

 平素より「福山-鞆の浦トライアスロン大会」開催にご支援ご協力いただき、誠にありがとうございます。
 10月12日、13日に開催を予定しておりました第3回大会は、台風19号の影響のため、開催を中止させていただくこととなりました。皆様のご期待に沿うことが出来ず、またご迷惑をお掛けする事となり、大変申し訳ございませんでした。
 開催の中止決定に至った経緯は下記のとおりです。選手及び関係者の安全を考慮した上で最終決定と致しましたので、何卒ご理解の程よろしくお願い致します。

 ①台風19号は、進路を東寄りに取り始め、直撃は避けられる模様ですが、依然として12日は強風域(風速15m以上)に入っております。
 ②12日には、鞆港~小室浜間を船で選手・バイクを輸送する計画でしたが、強風と波浪により、安全に輸送できる見通しが立ちません。すでに、鞆~仙酔島間の市営渡船は土曜日の運休を決めております。
 ③スイム会場となる小室浜は、平時でも潮の流れが速く、風の影響を受けやすい海岸ですが、時化を想定すると繋船桟橋の設置が大きな課題でした。今回は、海岸から40m沖合に桟橋を設置する予定でしたが、桟橋から海岸まで40mの連絡フロートは、波によって破損の危険があると想定されます。
 ④選手は、荒れる海を船で航行し、また下船して海岸まで40mの揺れるフロート上を、バイクを抱えて移動する事になる為、海への転落の危険が伴います。
 ⑤バイクをラックに設置・預託後も管理が難しく、風の影響を受けて転倒破損の危険があります。

 今回もまた、芦田川土手での観戦を楽しみにしていたのですけど、本当に残念。
 それにしましても、今年は福山市内の主要イベントが、台風接近とよく重なります。天候要因で仕方ないのでありますけど、また台風の影響で中止とは、哀しいですねぇ(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(2)

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 おっ、次は孫の徒競走ですネ(^-^)
 うん、うん、スタート時点ではヤル気満々のようですねぇ~人数が少ない年長組は、3人で走りますようであります。この3人の中では、頭一つ分前に(^-^)
 ですが、ゴール地点では大差を付けられ2位ゴール。懸命に走っています気持ちは、充分伝わりましたよ(^.-)☆

 それにしましても、年長組の孫の組は、年少・年中組に比べまして本当に園児数が少ないですねぇ~
 まぁ少ないお陰で、半年ばかり早く幼稚園に入れて頂きまして、姉と一緒に楽しそうに通園しておりましたけど(^-^)
 ですが、皆さん年中に進みましても孫は年少組のまま。自分も年中に進みたいと年少に留年は嫌がるのでは…と危惧されましたけど、半年早い入園を分かっていましたようで、スンナリと1年半の年少組を楽しんでいましたようであります(^.-)☆

 孫にとりましては、今回が最後の幼稚園の運動会となります。
 「先生にめっちゃ怒られる」と言っておりましたけど、運動会の練習に限らず幼稚園では、先生によく叱られます園児のようです。が、「1番ではなくて、2番目に…」とも言っておりました。
 苦笑してしまいますけど、何故か安堵の気持ちも抱きます。元気に幼稚園生活を送っているのだ…と(^-^)//"

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(7)

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 深津新田開拓の完成を祝い江戸期に始まりました、この「深津時代行列」。
 途中、1971年から30余年の中断が有りはしましたけど、また復活し現在に至っていますとの事。小規模な時代行列ですけど、長い歴史を感じながら楽しく拝見出来ましたネ(^-^)//"

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9/28(土)は、延び延びとなっておりました孫の運動会観戦でした(^.-)☆(1)

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 台風17号の西日本接近で、当初予定されておりました9/21(土)の孫の運動会は、9/23(秋分の日)に延期。9/23(月)は降雨の予想で、またまた9/28(土)に再び延期。
 9/28(土)の午後から開催予定が、急遽、前日にA.M.10:00からの開始にと変更と、こんな経緯で迎えました孫の運動会。
 幼稚園の先生達関係者も大変でしょうけど、保護者の皆様も大変です(^.-)☆

 この影響は我が家にもありまして、嫁さんは所用で広島行きで運動会観戦はGONsanのみ。
 孫達の父親は勤務で不可。孫の姉の方も、お絵かき教室の習い事で、弟の運動会観戦は不可。この送迎を母親のお父さんが行う事に(^-^)
 …と言う状況で、弟の幼稚園最後の運動会は、母親・母親のお母さん、そしてGONsanが出掛けます事に(^-^)

 孫の通っています向ヶ丘幼稚園は運動場が狭いですから、運動会の開催は毎回、系列幼稚園であります「明王台シャローム幼稚園」で実施です。
 開催時間の変更等もありまして、仲々手際よく進行できませんのかも…定刻15分ばかり遅れましての開始となりました。
 こぅした運動会等のイベントでは、皆さんそれぞれご自分の子供・孫が主役ですから、画像に納めますのに懸命です。
 勿論、GONsanもそんな皆さんと同様ですから、シッカリと孫の姿を追いかけませんと(^-^)//"

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(6)

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 ステージの方は、今から「深津時代行列」で、司会は広島FM放送等でお馴染みの、大窪シゲキsan・小竹彩花sanのお二人。広島FM放送等でお馴染み…とは言いましても、GONsanは全く存知あげないのではありますが(^-^;
 まずは和太鼓からスタートです。和太鼓のステージが終わりますと、大名行列へ…WEB上で「深津時代行列」を検索致しますと、こんな記載が(^.-)☆

 ◆深津時代行列

 大名行列(深津時代行列)は江戸時代の様式を再現したもので、数十人からなる本格的なもの。
 先導や毛槍、籠など全長100mにわたります。同行列は、深津新田開拓の完成を祝い江戸期にはじまったとされています。1971年以降中断しましたが、2003年に住民でつくる深津時代行列保存会により復活しました。
 なかなか珍しい催しです。続ける事の難しさを感じます。

 …と、こんな、長い歴史のあります「深津時代行列」のようですけど、せっかくスグ近くで拝見できます良い機会だと言いますのに、観客が決して多くありませんのが少々残念。
 台風17号の接近で、出掛けますのを躊躇されました方とか、『備後入封400年祭』が中止と思われました方…と、色んな要因がありますのでしょうけど、とにかく観客が少なくて(^-^;
 例え中止となりましても出掛けてみよう…こんなGONsanのようなヒマ人は、あまりおられませんのかも(^-^)//"

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(5)

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 これは、9/21(土)の中国新聞朝刊記事なんですけど、「お城ローラ」が「水野勝成公入封400年祭」でデビューとの事でありましたけど、そぅ言えば、この日のステージでは見掛けませんでしたような…
 ステージには上がられて、GONsanが天守前広場に戻りました時には、既に退散されましたのかも…
 画像に納めようと思っていましたのに、う~ん、残念でしたネ(^-^)/

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9/23(日)は、「秋彼岸会施餓鬼法要」でお寺参りとなりました(^.-)☆(3)

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 法要が終わりますと、お上人の法話と続きます。
 そして、その後で、お接待のお土産を戴き、塔婆を手に墓前へと…
 またまた、ご先祖様に手を合わせましてから、眼下を眺望です。この日は、暑さもさほどでもありませんで、空気も澄んでおりまして、竹林寺天文台もクッキリと(^_^)v
 ヤッと秋らしくなりましたネ\(^o^)/
 この日は、一週間延期となりました孫の運動会開催予定でしたけど、今度は台風17号の接近で、またまた9/29(土)に延期となってしまいました(^-^)//"

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(4)

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 子供達には楽しい「ゆるキャラ」の皆さん。子供達ばかりでなくGONsanも癒やされます(^.-)☆
 14:30~の「深津時代行列」には、まだ暫く時間が有りますので、また福山城公園内を散策してみましょうか…
 福山駅北口の石垣脇に眼を向けてみましたら、岡崎武将隊の皆様?…備後福山武将隊の皆様?…何と言う武将隊か分かりませんけど人垣が(^-^)
 この様子をパチリ。そして、散策続行となりましたGONsanです(^-^)//"

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9/23(日)は、「秋彼岸会施餓鬼法要」でお寺参りとなりました(^.-)☆(2)

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(3)

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 福寿会館を後にし天守前広場にと戻って来ますと、「備後圏域PRステージ」が丁度、終わりましたのでしょうねぇ~ステージ横から、ゆるキャラの皆さんが下りておられます。
 う~ん、ナイスタイミング\(^o^)/

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9/23(日)は、「秋彼岸会施餓鬼法要」でお寺参りとなりました(^.-)☆(1)

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 9/23(日)・秋分の日は、「秋彼岸会施餓鬼法要」でお寺・お墓参りとなりました(^.-)☆
 法要は、A.M.9:30に開始です。
 いつもでしたら、家事に追われてお寺参り直前までバタバタしております嫁さんですから、ノンビリと出掛ける準備をしておりましたGONsan。
 ですが、まだ20分も前なのに「モタモタしてるから先に行くよぉ~」と嫁さんですから、もぅビックリ(^-^;
 サッサと先にお寺行きですから、苦笑してしまいます(^-^)

 GONsanは10分後に我が家を出まして、ノンビリと写真撮りながらのお寺行きとなりました。
 嫁さんと一緒ですと、せわしさがありますから、まぁ独りでのお寺参りの方が嬉しいのではありますが(^.-)☆

 参道脇のこのお宅。もぅ随分前の昨年でしたか…老朽の建物を解体され、キレイに更地にしておられました。
 以降は、スグに新築工事が始まるものと思っておりましたら、いつまでもその気配がありませんでした。が、ヤッと基礎工事が始まりましたネ(^_^)v
 年内には竣工し、新居で新しい年をお迎えに(^-^)後方の建物は、水呑小学校の校舎です。

 玉泉寺境内に到着しまして下駄箱に眼を向けますと、う~ん、珍しく、皆さん結構早めのお寺参り。施餓鬼法要の内容は、いつも通りなのでしょうけど、何故か皆さん今回は早めの集合のようですねぇ~
 本堂に入ります前に、境内から竹林寺天文台をパチリのGONsanでした(^-^)//"

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9/21(土)~9/23(月)「初代藩主・水野勝成公『備後入封400年祭』」(2)

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 水野勝成公像が存在の広場から北側に眼を向けますと、竹藪の中に「福寿会館」の建物が(^-^)
 そぅですネ、久しく福寿会館を訪れていませんし時間的にも余裕が有りますから、久し振りに福寿会館を散策してみましょうか(^.-)☆
 先日・9/7(土)には、『備陽史探訪の会』主催の「クイズで巡る福山城」に参加しましたけど、その際にクイズの問いに「福寿会館」がありました。

 ★問5
 福寿会館は誰の邸宅として建てられたでしょうか?
 ①森下博--森下仁丹の創設者で広告王と呼ばれる ②林半助--鞆の実業家、鞆軽便鉄道初代社長 ③武田五一--関西建築界の父と呼ばれ、問3の台座は氏の作品 ④安部和助--鰹節王と呼ばれた削り節の考案者
 正解:④

 …と、こんな問題でありました。

 ◆福寿会館

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 福寿会館(ふくじゅかいかん)は、広島県福山市丸之内1丁目の福山城公園内にある建物で昭和初期に個人の別荘として建てられ福山市の市史編纂室及び貸会議室や貸茶室として使われている。主に本館、洋館の2つの施設で構成され、両館含めていくつかの建物が国の登録有形文化財に登録されている。

 ・概要

 福寿会館は福山城の旧二の丸下段北側に位置し藩政時代には幕府から預かった兵糧米を収蔵する城米蔵があった場所に建てられている。明治時代にはこの周囲は民間に払い下がられ梨園となっていたが、1930年代、この東半分の場所に海産物商で削り節の考案者といわれ「鰹節王」と呼ばれた安部和助(あんべわすけ)により今日の福寿会館となる大規模な別荘が建設された。
 敷地面積は約7,400平方メートルあり平屋で和式の本館とこれに付随する木造2階建ての洋館(床面積約210平方メートル)、池泉回遊式庭園などで構成されている。また、東側には福山城二の丸の石垣を崩して新たに専用の道路が造られた。なお、この道路により二の丸東側と地続きであった敷地は分断されることになった。

 福山大空襲では隣接する福山城天守が焼失する中で罹災を免れ、その後、所有権は個人に移ったが、福山通運創業者渋谷昇が買い取り、1953年(昭和28年)に福山市に寄贈された。寄贈後は結婚式場として市民に開放され戦災の傷跡の残る福山市街にあって貴重な施設となっていたが、戦後の復興と共に役割を終え1973年(昭和48年)から洋館は市の迎賓館として、本館は貸会議室や貸茶室として用いられた。1992年(平成4年)には新市庁舎完成により洋館の迎賓施設は市庁舎へと移され、市史編纂室が設置された。
 その後、洋館は昭和初期の洋式建築として評価され1997年(平成9年)に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。2012年には本館・西茶室・南茶室・西蔵・東蔵も同じく登録された。2008年(平成20年)に洋館の改修工事が行われ、市史編纂室を移転させて空調設備やトイレを整備するなどし、2009年4月1日に一般開放された。利用者は周囲に福山城御湯殿や月見櫓といった類似の施設が多くあることなどから年間5,000人程度と低迷していたが、市は洋館の開放により新たな観光スポットとして利用者の拡大を期待している。

 ・施設 -- ・本館 ・大広間(21畳)・広間(14畳)・西客間(10畳)・北客間(6畳)・西茶室・南茶室・洋館
 ・福寿会館洋館 -- 1935年(昭和10年)-1937年(昭和12年)頃に建てられた建築面積138平方メートル木造一部2階建ての洋風建築。屋根は鋭角の切妻で瓦葺き、外壁はモルタルで柱や窓にはイタリア・ルネサンス風の装飾が施されている。

 ◆安部 和助(アンベ ワスケ) -- 大正・昭和期の実業家

 生年明治19(1886)年10月29日
 没年昭和35(1960)年11月25日
 出身地広島県福山
 経歴家業の海産物商に従事。明治の末頃に鰯を利用した削り節の製造・販売に乗り出す。製造工程の機械化を進め、販路を中国、台湾などに拡大した。

 …と、こんな「福寿会館」「安部和助」なのであります(^.-)☆
 庭園内を一通り廻りまして退散しようとしましたら、外国人観光客の皆様8名ばかりの方々が、入れ替わりに来訪です。
 少し意外で「何で!?」の想いが生じましたGONsanです。ふ~ん、知りませんのはGONsanくらいで、この「福寿会館」は福山市の観光名所の一ヶ所なのかも…まぁ、イィのですけど(^-^)

 それでは、また、天守前広場に戻りましょうか(^-^)/

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ふ~ん、緒方監督の後任は佐々岡コーチが就任なのですねえ(^.-)☆

笹岡コーチ、監督に就任

 先ほどWEB上で「中国新聞デジタル」を覗いておりましたら、こんな記事に眼が止まってしまいました。
 ふん、ふん、緒方監督の後任は佐々岡コーチが就任されるようですねぇ~
 10/3(木)の中国新聞朝刊には、鈴木球団本部長と3コーチ(佐々岡投手・植田バッテリー・迎打撃の3コーチ)が、今季の戦いについて意見交換の面談を行い、その際には来季の役割について新しいポストの話題は無かった旨の記事掲載でありました。
 10/3以降も、他のコーチとの面談も行われるとの事でもありましたから、コーチ全員との面談を終え、本日、佐々岡コーチへの次期監督就任要請になりましたのでしょうねぇ~

 そぅなんですか…後任は佐々岡コーチですか…
 今季の試合では、頻繁に投手の元に歩みます佐々岡コーチの姿が蘇りますけど、また気持ちを切り替えて新監督の下、日本一を目指して全員一眼で頑張って頂きたいですねえ~
 まだ早いかも分かりませんけど、佐々岡新監督、GONsanも応援しておりますよぉ(^-^)//"

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