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 久し振りに、昨日、友人特派員から画像が届きました(^-^)
 結構沢山ありますので拝見致しますと、うん、うん、この連休はご家族で大久野島に出掛けられましたようですねぇ~
 メッセージは、『大久野島です。人、多い!』と一言が(^.-)☆

 ◆大久野島

 大久野島(おおくのしま、おおくのじま)は、瀬戸内海芸予諸島の一つであり、広島県竹原市に属する有人島。「ウサギの島」「毒ガスの島」として知られる。

 ・地理

 本州竹原市忠海から南方沖合い3kmに位置する。西へ1.1kmの位置にあるのが小久野島、その少し南が松島でともに無人島。更に西が阿波島、南西側が大崎上島、南が愛媛県との県境でその南が大三島になる。東は高根島・生口島。住所は、全島域が〒729-2311広島県竹原市忠海町大久野島、旧豊田郡忠海町域で住所が忠海町表記なのはこの島だけになる。

 面積0.7㎢。周囲4.3km。最大標高は島の北側で108m。気候は瀬戸内海式気候。
 ほぼ全島域が環境省所有の国有地であり、一般財団法人休暇村協会が管理する観光及び保養地「休暇村大久野島」である。2010年現在で人口は22人、民家は存在せず、全員その従業員である。島内への一般車両通行不可。こうしたことから携帯電話・Wi-Fiなどの情報ネットワーク網は構築されている。ただし上水道は本州と繋がっておらず島外から船で運ばれる形をとっている。人口・定期便航行距離および寄港回数から離島振興法未指定離島であり、資料によっては行政管理上無人島であるとするものもある。
 昭和初期に国内で2箇所・大日本帝国陸軍では唯一の毒ガス製造工場があった島である。現在では約700羽生息するウサギの島として知られている。

 ・近世まで

 この海域でナウマン象の臼歯が発見されている。これは古代瀬戸内海が平原であったこと、そして現在の島は当時丘の一つだったことの証明の一つである。一方でこの島では遺跡や古墳・城址といった埋蔵文化財が発見されていない。


 ・忠海の歴史では

 大治4年(1129年)、平忠盛は山陽道・南海道の海賊追討使に抜擢されると、この地は忠盛により平定される。この際に忠盛は自らの名を2つに分け、北側の浦を「忠海」、南側の大三島の地を「盛」(盛漁港)と名付けた。これが忠海の由来である。
 康応元年(1389年)、今川貞世(了俊)が記した足利義満の厳島詣随行記『鹿苑院義満公厳島詣記』によると、義満一行は帰路の途中この付近で座礁したため忠海で潮を待ち、一句詠んでいる。
 つまり、この周辺海域は古くからの航路であり、海賊が横行していたということがわかる。

 この島には村上水軍の末裔が住んでいたと言われている。なお中世において、南側の大三島は越智氏・大祝氏の三島水軍の拠点であり、それ以外の周辺は小早川氏(小早川水軍)になり北の忠海はその庶家である浦氏(浦宗勝)の、東側の生口島は同じく庶家の生口氏(生口景守)の拠点、西の大崎上島は浦氏傘下になる大崎衆の縄張りである。伊予の能島村上氏村上武吉・村上元吉親子が竹原に移り住んだのは安土桃山時代のことであることから、この島に住んでいたのがその末裔であるなら近世に住み着いたことになる。『芸藩通志』の絵図には「久野明神」が唯一描かれている。
 明治14年(1881年)時点で戸数4戸、住人数26人。

 …と、こんな大久野島であります。
 いつでしたか…テレビで放映されておりましたけど、ここ最近は外国から訪れます観光客の皆様も多いようですネ(^-^)//"

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