GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆



 これは、夕方、ゴンchanと散策時の芦田川河川敷の一コマなんです。
 何でもない景観ですけど、芦田川近くに暮らしていますGONsanですから、こんな景観に心は癒やされます。
 これでもか、これでもかと、芦田川の景観を飽きもせず撮り続けておりますが、今からも、これからも、ズッと撮り続けて行きます事でしょうネ(^-^)/

う~ん、電気代も負担増へと向かって哀しいですねぇ~

01-720
02-720

 家計費に関しましては、嫁さんに任せっきりで無頓着なGONsanなんですけど、電気代に関しましては、結構、関心が高いんです。
 …と言いますのも、もぅ20年近く昔の事となりますけど、太陽光発電を設置しまして、当時は、県・市から結構助成金を貰ったような…
 で、設置以降は、中国電力sanへの売電・買電も含み毎月の発電実績を、年に一度、監督官庁に報告しておりました。
 随分後で知りましたけど、この年に一度の報告は、決して義務でもありませんで任意でしたようですねぇ~にも拘わらず、GONsanはくそ真面目に毎年欠かさず報告をしておりました。
 が、その報告も、売電単価・48円/kwhが終了時点で止めましたような(^-^)
 ですが、以降も、売電・発電・買電実績把握は永年の習慣として現在も続けています。こんな経緯がありまして、電気料金の推移に関しましては、関心度も高い状況なんであります。
 それで、今月の電気代を眼にしまして、随分、負担増となったなあ…と、哀しい気持ちに…
 貧乏しています我が家ですから、売電単価が大幅低下しましても、別段、蓄電池の設置をする訳でもなく、そのまま放って現在に至っておりますが…
 そぅそぅ、〝貧乏〟と言いますと、昨年末近くに孫娘がこんな事を…
 身長が伸びスキー板が合わなくなったようで、「スキー板を大きいのにしようか…この際、弟のようにスノボーに転向しようか…」と悩んでおりましたので、「悩むことはないのでは…両方やったら…」と無責任な発言のGONsanでありました。
 それには、「ウチは貧乏だから、両方揃える余裕は無いの!!今から色んな人と交流を深めるにはスノボーの方がイィ!!…とママが…」と孫娘。
 う~ん、これには、返す言葉が見つかりませんでしたGONsanです(^-^;
 まぁ、孫たちの両親は、スノボー派ですから、仕方ありませんかも(^-^)
 奇しくも、孫の口から〝貧乏〟と言う言葉が出て来ましたけど、GONsanも同様であります。蓄電池は欲しいのですけど、もぅジジィですから、高価な設備投資は我慢しなくては…
 そぅ言えば、昨日の中国新聞sanの読者投稿コラム「広場」に、読者のこんな投稿が…
 〝小まめに節電心がけ〟のタイトルで、「気を引き締めて地道に暮らさなくては」と、自身を戒めておられました。
 そぅですネ、〝地道に暮らす〟事も大切ですネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

11/20(日)は、「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域行きでした(^.-)☆(26)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
11-720
12-720
13-720
04-720-9000

 展望台へと向かっておりますと、途中、散策道の左側に小さな池が…屋島案内図には〝血の池(瑠璃宝の池)〟と記載がありましたけど、皆さん、別段、池を覗き込む訳でもなく素通りです。勿論、GONsanも(^-^)
 〝血の池(瑠璃宝の池)〟につきましては、WEB上にこんな記載が…

 ◆瑠璃宝の池(血の池)

 屋島寺伽監草創のおり弘法大師が「遍照金剛、三密行所、当都率天、内院管門」と書き、宝珠とともにおさめ周囲を池としました。ところが竜神が宝珠を奪いに来ると伝えられ瑠璃宝の池の名があります。
 また、源平合戦のとき壇の浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため池の水が赤くなり血の池とも呼ばれるようになりました。-- 高松市(血の池脇の案内板より) --

 …と、こんな記載で、う~ん、せっかくですから立ち寄り、画像に納めれば良かったですねぇ~残念(^-^;
 そして少し先で、2~3名の方が右側の脇道へ…んっ!?何があるのでしょう?
 GONsanも向かおうとしますと、「単なる墓地だった…」と戻って来られましたが、古そうなお墓がありましたので、確認されましたのかも…
 そんな余裕が有るのなら、さっきの〝血の池(瑠璃宝の池)〟に立ち寄れば良いのに…と、ブツブツ独り言のGONsanでした(^-^)
 展望台の三叉路角地には、荒れ果てました〝政府登録国際観光旅館 甚五郎〟の建物が…

 ◆心霊スポット ホテル甚五郎

 --- https://haunted-place.info/4661.html ---

 下半身のない上半身だけで這いずり回る霊が出ると言う噂や、誰もいないのに何かの気配を感じたり、お札のような物が貼られた部屋があり、何か霊的な理由があるのではないかと囁かれている。
 しかし、このホテルで騒ぎになるような目立った事件や事故などは無いようで、周囲の霊が集まって来ているのかもしれない。内部は綺麗な所もあるため、ホームレスが住み着いていた痕跡もあるようだ。

 ・ホテル甚五郎の基本情報
 1960年(昭和35年)に開業したホテル。源平合戦で有名な屋島は、瀬戸大橋開通と同時に観光地として発展していた。
 2002年(平成14年)には訪れる人が激減し倒産し廃業した。周辺物件もまとめて廃墟化してしまいゴーストタウン化している。建物は屋島ドライブウェイからもはっきりと見える。

 ◆政府登録国際観光旅館

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 政府登録国際観光旅館(せいふとうろくこくさいかんこうりょかん)とは、1949年(昭和24年)12月24日に施行された国際観光ホテル整備法(昭和24年12月24日法律第279号)に基づき、観光庁長官が登録を行った旅館やホテルのこと。全国に登録された旅館が1,996、ホテルが1,127ある。(平成16年度 総合政策局観光地域振興課調べ)下記の要件を満たしたものが承認される。

 ・要件

 <洋室>
 机、いす、クローゼットまたはその代替品を備え、椅子式の生活とベッドでの睡眠に適していること。
 浴室は自由にシャワーの温度を変えられること。
 トイレは水洗式かつ洋式便器であること。
 シリンダー錠(または同等の錠前)、電話機を備えていること。
 ロビーが指定面積以上であること。
 食堂では洋食の朝食が提供でき、椅子と机があること。
 外国語(主に英語)表記が準備されていること。
 外国語(主に英語)が話せるスタッフを雇うこと。

 <和室>
 大体は上記の洋室と同様だが、次のような違いがある。
 床の間、踏込み、クローゼットがあること。
 適当な冷暖房設備があること。

 …と、〝ホテル甚五郎〟で検索してみますと、その他に色んな記載がありましたネ(^.-)☆
 展望台からは、暫し〝屋島の戦い〟の舞台となりました「源平屋島合戦史跡」を眺望です。正面に見えますのが〝五剣山(八栗山)〟ですネ。

 ◆五剣山(高松市の山)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 五剣山(ごけんざん)は香川県高松市にある山。

 ・概要
 一つの峰を剣と呼んで、西から一ノ剣、二ノ剣、三ノ剣、四ノ剣、五ノ剣と山上に5つの大きな峰があるためこの名前がついた。また、地元では八栗山(やくりさん)とも呼ばれる。五の剣は1707年(宝永4年)の宝永地震で割れている。
 これらの剣の山頂にはいくつもの祠が点在し、四ノ剣の中腹には岩窟があり修験道の行場となってる。 かつてはこれらの剣へ登れたが現在は岩が風化し脆く危険なため、南側中腹にある八栗寺本堂の左から石段で上がったところにある中将坊大権現堂からさらに上へは入山禁止とされている。そのため標高375mの最高点は四ノ剣であるが、366mの山頂表示がニノ剣にあり、四等三角点のある366.09m地点は一ノ剣の西端に位置している。また、八栗寺の多宝塔の右側にも登山口があったが入山禁止の立札がある。また、山中にある「岩越の大日」は空海が彫ったとされる約3mの摩崖仏で上部の黒い層と下部の砂の層の間の真っ白い層に彫られている。
 八栗寺は、四国八十八箇所の第八十五番札所で、山号が五剣山である。また山麓では日本三大花崗岩として有名な庵治石が採石され、墓石などの高級石材として加工されている。

 そして、観光案内図には、五剣山と屋島の間の狭い海峡で繰り広げられた源平合戦で、那須与一が見事に扇を射貫いた〝那須与一扇の的〟の位置表示も(^_^)v

 ◆屋島の戦いをわかりやすく解説。「扇の的」って何?

 --- https://nihonshimuseum.com/ichi-no-tani-yashima-dan-no-ura/ ---

 屋島の戦いは1185年3月、讃岐国の屋島(現在の香川県高松市)にある屋島で起こった戦いです。
 一ノ谷で敗北した平家軍は、源氏と比較して有利であった水軍の力が有効に活用できる周囲が海に囲まれた屋島に内裏を作り、万全の体制で源氏を迎え討つつもりでいました。平家はあくまで得意な水軍の力を使い海から進んでくる源氏軍を討ち負かす作戦を立てていました。
 戦いの指揮を任されたのは源義経。義経は摂津水軍などを味方につけて暴風雨の中で屋島に向けて出陣します。悪天候の中での出陣に、梶原景時ら周囲の諸将は反対しますが、敵の意表を突く事が大事と考えたのか義経は悪天候の中にも関わらず屋島に向け出陣します。悪天候の中で勝浦(現在の徳島県徳島市)という場所に到着した義経軍。勝浦から屋島に向けて進軍します。
 屋島はまさに海に囲まれた島です。多くの船団を擁した平家は海からの攻撃には相当な準備が出来ていたと思われます。そこで義経は軍を2つに分けて周囲の陸地に放火します。周りが火に覆われた様子をみた平家軍は、源氏の大軍が、海ではなく陸から平家を攻撃し、平家を挟み撃ちしようとしていると考え、混乱状態になります。平家は、屋島から海に避難しようとします。

 義経は、自分たちの軍勢がいかにも大軍であるがごとく浅瀬を渡る馬にも水しぶきをあげさせるなど多くの奇策を使います。諸説ありますが、屋島攻略時には源氏の軍勢はおよそ150騎程度だったそうです。正確な数字か否かは不明ですが、わずかな兵と義経の奇策で混乱する平家は源氏と比べて、平家軍を統率する棟梁が欠如していたのかもしれません。
 この時、活躍したのが那須与一(なすのよいち)です。夕方の休戦状態の際、平家側から小舟が出てきて竿にかけられた扇を弓矢で射ろと挑発します。義経は那須与一にこれを射ろと命じます。与一は失敗したら源氏の名誉が失われる事なり、自害もやむ無しと覚悟しながら引き受け、見事大役を果たしました。このエピソードは「扇の的」と呼ばれ、平家物語の名シーンの1つでもあり絵にもなっています。
 しばらくして海に逃げた平家は、引き返し戦う兵もいましたが結局、戦局を変えるほどには至りませんでした。梶原景時ら源氏側の大軍の上陸が迫った事もあり、平家は屋島を去る事となります、自慢の水軍を有効に活用したとは言い難い結果となりました。

 …と、こんな〝屋島の戦い〟でありますけど、こぅして古戦場に眼を向けておりますと、当時の様子が偲ばれ、胸の中で合掌です。
 それにしましても、古戦場を眼下に眺望します、この廃墟ホテル。かっては、観光客の皆様で大変な賑わいでしたのでしょうけど、現在のこの惨状に眼を向けますと、場所が場所だけに、栄華を極めた平家一族と重なりまして、複雑な想いも生じますGONsanなのでありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

〝負け力士が残る珍シーン〟…んっ!?、昨日の大相撲で、そんなシーンがありましたか…

01-720
04-720
07-720
08-720
09-720

 永年の大相撲ファンの一人でありますGONsanで、中継すべての観戦は無理としても、時間が許せば、よく大相撲中継に眼を向けておりますけど、本日、WEB上に『土俵に「残った」のに負けてる?勝ち力士が豪快転落、負け力士が残る珍シーンに館内ざわざわ』の記事掲載が…
 んっ!?…、昨日は、中入り後前半の様子はテレビ観戦しておりましたけど、そんなシーンがありましたか…う~ん、どんな相撲展開でしたか憶えてはおりませんが(^-^;

 ◆土俵に「残った」のに負けてる?勝ち力士が豪快転落、負け力士が残る珍シーンに館内ざわざわ

 --- ABEMA TIMES - 1 時間前 ---

 <大相撲一月場所>◇三日目◇10日◇東京・両国国技館
 前頭十二枚目・輝(高田川)が前頭十一枚目・千代翔馬(九重)を押し出しで下した一番で、勝った輝が勢い余って土俵下へと落下。一方、敗れた千代翔馬は土俵に残るという珍しい展開となった。
 立ち合い頭から鋭く当たっていった千代翔馬。だがその直後に引いてしまうと、前に出る輝が攻め立てていく。最後は終始前に出る輝が押し出しを決めて2勝目となる勝ち星を挙げた。勝負が決する際、輝は勢い余って土俵下へと豪快に落下。
 しかし右足が先に土俵を割って敗れた千代翔馬は土俵に残っており、まるで千代翔馬が勝ったかのような光景に館内もざわついていた。敗れた千代翔馬は3敗目。
 取組を受けて、ABEMAで解説を務めた元関脇・琴勇輝の北陣親方は「千代翔馬の立ち合いが少し意外でしたね」と指摘。「輝に対して真っ向からいくとは思っていなかった」と続けると、「突っ込んできたところを上手くいなそうという作戦だったんでしょうけど、輝が落ち着いて見ていました」と解説し、「(輝の)体は流れていましたけど、しっかり見ていたぶん、(千代翔馬は)圧力負けした部分がありましたね」と語った。
 敗れた力士が土俵に残るという珍しいシーンに、視聴者からも「んん?」「土俵から落ちたのに勝った」「あ、足出ちゃったのか」「わかんなかった」と困惑気味のコメントが相次いでいた。
 (ABEMA/大相撲チャンネルより)

 …と、こんな記事でありまして、昨日の中継を確認してみますと、うん、うん、こんなシーンがありましたネ(^-^)
 ですが、GONsanはテレビ観戦ですから、千代翔馬関の足が出ていましたのはスグに分かりましたけど、国技館で観戦の方々は、観る角度によっては、土俵上に残っています千代翔馬関が勝っていますように見えますネ。
 うん、うん、納得です(^.-)☆
 観戦しておりますと、まぁ、こぅいぅシーンも多々ありますネ(^-^)
 同じ負けるにしましても、ケガしないように、上手に土俵下に転げ落ちる力士もおられます。「土俵下への落ち方が、上手だなぁ~」と感心します事もまた多々有りまして、とにかく大相撲は楽しく観戦していますGONsanなんであります。
 が、今回のこの記事、確かに〝珍シーン〟と言えない事もないのですけど、GONsan的には今一でありますかも(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

11/20(日)は、「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域行きでした(^.-)☆(25)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
05-721
05-722
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
11-720
03-720-555

 〝久本古墳〟の見学を終えますと、次は、今回のバス例会の最後の訪問地〝屋嶋城城門跡〟に向かいます。
 〝屋嶋城城門跡〟をWEB上で検索してみますと、高松市公式ホームページに詳細な記載が…

 ◆屋嶋城(やしまのき)

 --- https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/chosa/yashimajo/index.html ---

 唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされた百済を再興するため日本は救援軍を朝鮮半島へ派遣しましたが、西暦663年8月、白村江の戦いで両国連合軍に大敗しました。これを契機として、唐・新羅の侵攻に備えて対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた朝鮮式山城の一つが屋嶋城です。日本書紀の天智天皇6(西暦667)年11月の条に

 「倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く」(※倭國→現在の奈良県、對馬國→現在の長崎県対馬市)

 との記載がありますが、長らくその実体はよく分かりませんでした。平成10年2月に南嶺山上部近くの西南斜面において石積みが発見されたことを契機にして、南嶺北斜面・南斜面で確認されていた土塁と関連することが分かり、東斜面でも同様の地形が確認されたことから、山上部付近の斜面に断続的ながら古代山城屋嶋城の外郭線(防御ライン)が巡っていることが判明しました。約14年におよぶ発掘調査によってその全体像が少しずつ分かりかけています。これまでの成果や現在進めている城門遺構保存整備事業の進捗状況について紹介いたします。

 ・屋嶋城のあらまし
 屋島は名前のとおり、古代において島でした。屋島は瀬戸内海の中でも備讃瀬戸の東限に位置し、畿内に抜ける海上ルートにおける要所で、特に、唐・新羅の大船団を迎え撃つには非常に重要な場所だったと言えます。
 屋嶋城の城壁は山上を全長7キロメートルに渡ってめぐらしていたと考えられていますが、そのほとんどは断崖絶壁で、人工的に城壁が築かれていたのはそのうちの約1割程度です。そのため、自然地形を最大限に活用した古代山城と言えます。
 屋島は北嶺と南嶺と呼ばれる2つの山から構成されていますが、城壁などの遺構は南嶺のみで確認されています。また、北嶺と南嶺の間の西側には大きな谷があり、標高100メートル付近に山上の城壁とは別に城壁が築かれています。
 確認されている遺構のうち、最も残りの良いものが城門地区と浦生地区です。これらの発掘調査等の成果について詳しく紹介します。

 ・謎の古代山城を掘る
 屋嶋城跡の継続的な発掘調査は平成11年度から始まり、これまで14年間に渡って実施してきました。その結果、謎の古代山城屋嶋城の様々な情報を得ることができ、その実像が見え始めています。
 ここでは、近年の調査で多くのことが分かってきた城門地区、浦生地区などを中心に、発掘調査によって解明されてきた『日本書紀』に記載された屋嶋城について紹介します。

 ・浦生地区
 浦生地区の城壁(石塁)は早くからその存在が知られており、屋嶋城の遺構として紹介されてきました。しかし、それを裏付ける明確な資料はありませんでした。山上の調査の進展に伴い、平成21年度から発掘調査を開始したところ、7世紀後半頃の須恵器(平瓶(へいへい))が出土したことで初めて屋嶋城を構成する施設であることが明確になりました。
 城壁のほかに、城門や水門に推定されている箇所があるほか、雉城(ちじょう)と呼ばれる城壁から張り出した物見台のような遺構が残っています。周辺には石が多量に散乱しており、これらの遺構の表面は石積みであった可能性が考えられます。
 現在、調査を継続的に行っており、今後の調査が期待されています。

 ・その他の遺構
 このほかに、古代山城を考える上で重要な遺構としては、倉庫などの建物跡、貯水池、水門などを挙げることができます。
 貯水池としては血の池(瑠璃宝池)など数箇所でその候補地があり、水門としては南水門、北水門などがあります。城壁も南嶺の各所に残っており、特に北側斜面には土段と呼ばれる平坦な場所が道路状に残っています。屋嶋城に関する調査は、まだ始まったばかりでまだまだ多くの謎が残されており、これからの調査に期待が寄せられています。屋島の山上やその周辺に関連の未発見の遺構が眠っているかもしれません。

 ・甦る屋嶋城
 平成19年度から発掘調査で発見された城門と城壁の一部を修理復元するため、整備工事を実施しております。
 工事は城門南側の城壁から着手し、平成20年度に落石を回収、平成21年から平成22年度に石垣解体工事を実施、平成23年から平成24年度に城壁復元工事を実施しています。平成22年度には城壁復元工事を実施するために、試験的な城壁復元を実施し、様々な検討を行いました。解体、検討、復元という過程を経て、城壁復元工事が終了しました。
 現在は自由に見学することができます。今後も現地見学会を開催する場合は広報などで事前にお知らせしますので奮って御参加ください。

 …と、こんな記載が。
 駐車場に到着でバスから下車。屋島寺を横目にノンビリと展望台方向に向かいます。
 観光客もそれなりに多く、散策道脇の紅葉も大変キレイでありました(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

11/20(日)は、「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域行きでした(^.-)☆(24)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
05-721
05-722
05-723
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
05-721-555

 石室から出ますと、GONsanも古墳の上に上がってみます事に…
 この古墳も盗掘に遭っていますのでしょうから、墳頂と言うか天井部分の石はありませんで、上から石室内が見下ろせます(^-^)
 石棚も、上からですと、よく分かります。
 墳丘から下りますと、古墳の周囲を見てみます事に。こぅして古墳廻りを見ておりますと、墳丘の盛土は、かなり流出してしまっている状況がよく分かりますネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

本日は、水老連の〝定例役員会・新年互礼会〟で水呑交流館行きのGONsanでした(^.-)☆

01-720
02-720
03-720

 本日は、A.M.11:00から水老連の〝定例役員会・新年互礼会〟で水呑交流館行きのGONsanでした(^.-)☆
 参加者は、通常よりも若干少なかったような…でも、こんなもんかも(^-^)
 定刻に役員会は始まりまして、まずは、会長さんから、昨年4月~12月間の活動報告。特に異議も無く、続いて今年度残り3ヶ月間の行事予定・役員改選についての協議事項説明。
 現役員sanの任期は一期2年ですから、そぅなんですねぇ~3月末で一区切り。
 コロナ禍で諸行事自粛とは言いましても、振り返ってみますと、それなりに各種行事は実施。今からの3ヶ月間でも、いくつかの行事を遂行です。
 定例役員会の方は、会長sanの提案事項に、別段異議も無く了承。
 会議後は、コロナ禍の現況より弁当頂いて散会となりました。
 散会時にザッと見廻しますと、うん、うん、皆さんお元気そうなお顔です。GONsanより先輩の皆様が多いのですけど、コロナにも負けずに頑丈そうなお顔ですから感心してしまいます。
 本年も、お元気に、頑張って下さいねぇ~じゃなくて、〝元気に頑張りましょうネ〟ですネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

友人が、本日開催の〝時代行列&福山とんど祭り〟の画像を届けてくれました(^.-)☆

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720

 本日は、〝時代行列〟〝福山とんど祭り〟の開催で、友人も出掛けられましたようですネ。
 夕食を終えた頃、LINEへの画像送信に気付きましたけど、こんな画像が届いておりました。早速、今夜の絵日記の話題に頂きです(^-^)/
 これは、久松通りで撮られましたのでしょうねぇ~
 GONsanも出掛けておりまして、久松通りでしたら、この方々の後方辺りを付いて歩いておりましたかも…
 友人がズッとこの場所で撮っておられましたら、ひょっとしたら擦れ違っていましたのかも(^-^)
 ただ、GONsanは、カメラを構えておられます方々の前を通り抜けますのは気が引けますから、大概、そぅした方々の後方を通り抜けておりました。ですから、お互い気付きませんでしたのかも…
 もし、前を通り過ぎていましたら、お互い〝やぁ(^-^)/〟と声を掛けていましたのかも分かりませんねぇ~
 GONsanは、ゼントルマンだからして、カメラの前を通り抜けますのは、とてもとても(^-^)
 この日の様子は、GONsanも、結構、画像に納めましたけど、また後日、この絵日記に綴って行きたいと思います(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

11/20(日)は、「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域行きでした(^.-)☆(23)

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
11-720
12-720
03-720-555

 古墳の中に入ってみますと、両袖式の横穴石室で、奥壁には石棚が付いております。
 石棚付石室は、和歌山県や九州北部に多く分布するとの事ですけど、GONsanは初めて石棚付石室の中に入りました。石棚の上には何が置かれましたのでしょうねぇ~
 石棚の上に副葬品を置くと言う訳ではなく、この石棚は、棺を庇状に覆う役割とされたようですねぇ~
 古墳から出まして、古墳の後方(北方)に眼を向けますと、台形の屋島が(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

祭日なのに、〝河道掘削工事〟が実施されておりました(^.-)☆

01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720

 福山市都心部から我が家にと帰って来ます時には、大概、芦田川右岸の鞆街道を走行しますGONsanなんですけど、本日・1/9(月)は、15:30頃でしたか…水呑大橋東詰め交差点を左折し、左岸を芦田川大橋へと南下です。
 危ない、危ない(^-^;
 ボケッと車を走らせていましたのでしょうねぇ~そろそろボケが始まりましたかも(^-^;
 まぁタマにはイィかも…と、そのまま西新涯町辺りまでヤッて来まして、何気なく芦田川河面に眼を向けますと、んっ!?…祭日にも拘わらず〝河道掘削工事〟が実施されておりましたネ(^.-)☆
 当初の「工事のお知らせ」では、〝土・日曜日は原則として作業を行いません〟との事でしたけど、ふ~ん、祭日でありましても土・日曜以外には工事実施と言う事なんですねぇ~
 それとも、何かの要因で工事が遅れていますのかも…
 昨年の11月の下旬近くでしたか…右岸(水呑側)の河川敷で工事の準備が進んでおりましたけど、いつまで経っても肝心の川面に〝バックホウ浚渫船〟が浮かびませんから、どぅなっているのだろぅ…と、気になっておりました。が、ふん、ふん、GONsanが気付かないだけで、こんな感じで〝河道掘削工事〟は進んでいたのですねぇ~
 それにしましても、「バックホウ浚渫」方式ですから、どのようにして「浚渫船」を川面に浮かべるのだろう?…と思っておりました。

 ◆バックホウ浚渫船

 --- 一般社団法人 日本作業船協会 ---

 バックホウと呼ばれる油圧ショベル型掘削機を搭載した硬土盤用浚渫船。バックホウは、掘削深度および半径を大きくするために台船の船首端の低い位置に据え付けられています。船体を保持するためのスパッドが通常3本装備されていて、前部の2本が掘削中の船体を保持し、後部の1本を移動用に使用しています。

 ・画像<左>:バックホウ浚渫船「第十六神丸」
  神野建設株式会社 所有
  日立建機株式会社 建造
  本船は、350トン級大型油圧ショベルを浚渫機械に搭載し、大きな掘削力で土砂、硬土盤、発破砕岩を浚渫を可能とした底面仕上げ精度の高い効率的なバックホウ式浚渫船です。
 ・画像<右>:バックホウ浚渫船「BHC-2401」
  五洋建設株式会社 所有
  国内最長のロングアームを備えたバックホウを搭載し、浚渫のみならず、各種アタッチメントにより多彩な作業を可能としている多機能型バックホウ浚渫船である。

 …と、こんな〝バックホウ浚渫船〟を頭に描いておりましたけど、そぅですネ、こんな方法もありましたネ。
 台船を組み立てて川面に浮かべ、台船にはショベルカーを設置。このショベルカーで川底の砂をすくい上げ箱船へ。そして、この箱船の砂を小型船で右岸に牽引搬送…と、こんな方法で実施しておられますようですネ(^.-)☆
 丁度、西日で逆光となり見づらくはありましたけど、暫し見物のGONsanでした(^-^)
 こぅして見ておりますと、幼少時によく眼にしました「採砂船」の作業風景が懐かしく脳裏に蘇って来ましたネ。
 満潮時に、何処からか「採砂船」がヤッて来まして、干潮時に採砂作業。当時は、確かショベルカーは無くベルトコンベアで川砂を船に揚げていましたような…そして、満潮時に帰って行っていたような…
 現在の芦田川は河口堰で堰き止めされ、言ってみれば常時満潮状態ですから、当時のベルトコンベア方式ではとても無理ではありますネ(^-^)
 それに、当時は、良質の芦田川川砂でしたけど、現在は椻止められて汚染砂なのかも分かりませんねぇ(^-^)
 とにかく、〝河道掘削工事〟は順調に進捗していますようですねぇ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

11/20(日)は、「古代山城と古墳」を尋ねて香川県東讃地域行きでした(^.-)☆(22)

01-720
02-720
03-720
03-721
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
11-720
01-720-555

 〝旧恵利家住宅〟の見学を終えましたら、丁度、集合時間が到来です。
 〝みろく自然公園〟を後にしますと、次は〝久本古墳〟へと向かいます。場所的には、屋島の南方のようであります。
 バスが入れませんから、古墳近くで下車し、周辺の田園風景に眼を向けながらノンビリと歩行となりました(^.-)☆
 久本古墳に到着しますと、古墳脇に説明板が…

 ◆久本古墳

 --- 史跡 昭和50年3月13日 高松市指定 ---

 久本古墳は、横穴式石室をもつ円墳である。
 石室全長10.8Mで、遺体を埋納する玄室は、長さ4.5m、高さ3.3m、通路に当たる羨道部は、長さ6.3m、高さ2.1mである。
 北方の山下古墳とともに巨大な横穴式石室をもつ巨石墳である。周辺に大きな勢力と高度な文化をもった集団が存在したといえよう。
 玄室奥に、県内唯一の石棚がみられる。棚の下には、遺体を安置する陶棺が置かれていた。
 石棚は、和歌山県・徳島県の古墳に多く見られ、広範囲にわたる文化交流がうかがえる。仏教文化の影響が色濃い承台付銅鋺が、県下で初めて出土している。須恵器が多量に副葬されており、古墳名が六世紀末に築造され、七世紀初頭まで追葬が行われていたことが判明している。
 久本古墳には「祭礼などのとき、塚が膳・埦を貸してくれていたが、村人が壊すなどの不始末を起こし返さなかった後は、塚はもはや膳・埦を貸してくれなくなった。」という〝埦貸しの伝説〟が伝えられている。

 --- 高松市教育委員会 ---

 WEB上で〝久本古墳〟を検索してみますと、こんな記載も…

 ◆久本古墳

 -- 更新日:2019年1月18日 --

 ・史跡
 指定区分  市指定史跡
 指定年月日 昭和50年3月13日
 所在地   新田町

 ・解説
 墳丘の盛土はかなり流出してしまっているが、直径36メートル、周溝を含めた直径は46メートルを測る円墳であることが判明している。石室は全長10.8メートル、玄室長4.6メートル、幅2.6メートル、高さ3.5メートル、羨道長6.2メートル、幅1.6メートル、高さ2メートルを測る両袖式の横穴石室で、奥壁には石棚が付いている。この石棚の直下の奥壁に沿って土師質の亀甲型陶棺が納められていた。副葬品には、須恵器、土師器、鉄鏃のほか、承盤(しょうばん)付銅椀があり、6世紀末から7世紀初頭頃に築造されたと考えられる。
 石棚付石室、土師質亀甲型陶棺、承盤付銅椀はいずれも県内唯一のものである。石棚付石室は和歌山県や九州北部に多く分布するものであり、その伝播には紀氏およびその同族関係氏族との関連性が関わったとする説がある。また、土師質亀甲型陶棺は奈良県に類例があり、久本古墳の陶棺も奈良県からの搬入品である可能性が高い。本来仏具として使用される貴重な銅椀を有することからも大和朝廷との関係も注目される。
 なお、「村の祭事には塚(古墳)が膳や椀を貸してくれたが、あるとき村人が借りた膳椀を返さなかったところ、以後貸してくれなくなった」という民話が残っており、地元では「椀貸塚」とも呼ばれている。

 ◆久本古墳

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 久本古墳(ひさもとこふん)は、香川県高松市新田町にある古墳。形状は円墳。高松市指定史跡に指定されている。
 本項目では久本古墳の北にある山下古墳についても解説する。

 ・概要
 香川県中部、高松平野東部の立石山西麓に築造された古墳である。これまでに墳丘は大きく削平を受けているほか、1975年(昭和50年)・2002年度(平成14年度)に発掘調査が実施されている。
 墳形は円形で、直径36メートルを測る。墳丘周囲には幅10.5メートル(南側)・5メートル(西側)の周溝が、その外側に幅3.5メートルの周堤が巡らされ、周溝を含めた直径は46メートル、周堤を含めた直径は53メートルを測る。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室全長10.8メートルを測る大型石室であり、石材には安山岩の巨石が使用される。石室奥壁に石棚を付すという特徴を有し、石棚下には土師質の亀甲型陶棺が据えられる。石室内は盗掘に遭っているが、発掘調査では副葬品として多量の須恵器のほか、承盤付銅椀・鉄鏃・土師器が検出されている。
 この久本古墳は、古墳時代終末期の6世紀末葉-7世紀初頭頃の築造と推定され、7世紀後半頃までの祭祀が認められる(埋葬回数は1回か)。いずれも香川県内では唯一となる、石棚付石室・土師質亀甲型陶棺・承盤付銅椀の点で特色を示す古墳になる。周辺では巨石墳として小山古墳(非現存)・山下古墳(後述)の築造も知られるほか、後背丘陵上では群集墳が営造されており、久本古墳・小山古墳・山下古墳の3基は一帯の首長墓(綾公氏や秦氏の墓か)と想定される。また当地の豪族と、北方における屋嶋城築城との関連性の点でも注目される。
 古墳域は1975年(昭和50年)に高松市指定史跡に指定されている。

 ・来歴
 1975年(昭和50年)
 石室・墳丘の保存整備に伴う調査:第1-2次調査(久本古墳発掘調査団、2004年に報告書刊行)。
 3月13日、高松市指定史跡に指定。
 2002年度(平成14年度)、市道改良に伴う調査:第3次調査(高松市教育委員会、2004年に報告書刊行)。

 ・埋葬施設
 埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り。
 石室全長:10.8メートル
 玄室:長さ4.6メートル、幅2.6メートル、高さ3.5メートル
 羨道:長さ6.2メートル、幅1.6メートル、高さ2メートル
 石室の石材には安山岩の巨石が使用される。石室(および墳丘)の構築に際しては高麗尺(1尺=約35.6センチメートル)の使用が推測され、玄室の奥壁が墳丘の中心として基準になる。玄門部の立柱石は内側に張り出し、その上部には楣石を置くという九州系横穴式石室の特徴を示す。また羨門にも立柱石が認められ、羨道部は複室構造の前室のような形態を取る。羨門立柱石は鑵子塚古墳(観音寺市)でも知られ、関係性が指摘される。
 また玄室には、奥壁に接する位置に石棚を付し、石棚を有する石室としては香川県では唯一の例になる。両側壁にかけて渡した一枚石(長さ約3メートル・幅1.5メートル・厚さ0.5-0.6メートル)を棚とし、床面から棚下は1.7-1.8メートルを測る。石棚の多い九州・紀伊地方では石棚を奥壁・両側壁に組み込むのに対し、中国・四国地方では石棚を両側壁のみに組み込んでおり、本古墳も後者の例に属する。棚下では後述の土師質陶棺が据えられることから、この石棚は棺を庇状に覆う役割とされる。
 玄室内の石棚下には土師質陶棺が据えられており、確実な土師質陶棺の出土としては香川県では唯一の例になる。亀甲型陶棺であり、突帯幅は1.5-2センチメートルと狭いものになる。当該時期の陶棺は大和地方に集中し、本古墳の陶棺も狐塚2号横穴(奈良県奈良市)の陶棺と似ることから、大和地方との関係性が指摘される。

 …と、こんな〝久本古墳〟であります(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

QRコード
QRコード
ジャンル(絵日記)
日常生活を通じて眼にしたこと、感じたこと、出掛けた先の景観…等を、備忘録代わりに絵日記として綴っております(^-^)/"
ギャラリー
  • 朝のGG…新人のGONsanも、ヤッと一番出世です\(^o^)/
  • 朝のGG…新人のGONsanも、ヤッと一番出世です\(^o^)/
  • 朝のGG…新人のGONsanも、ヤッと一番出世です\(^o^)/
  • 朝のGG…新人のGONsanも、ヤッと一番出世です\(^o^)/
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
  • 昨日夜(2/3)は〝追難節分会・厄除け星祭り〟で、お寺行きのGONsanでした(^.-)☆
プロフィール

 ・名前 GONsan
 ・年齢 大人
 ・性別 男子
 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


GONsan's ホームページ 「日本全国通過旅」


Since '00/04/19  ブログパーツUL5




GONsanの「気まぐれ独り言」 - にほんブログ村

↓ 何となく笑えます(^.-)☆








↓ 落書きですけど、お上手ですネ(^_^)v









↓ 今は亡きGON子です



  • ライブドアブログ