GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆



 これは、夕方、ゴンchanと散策時の芦田川河川敷の一コマなんです。
 何でもない景観ですけど、芦田川近くに暮らしていますGONsanですから、こんな景観に心は癒やされます。
 これでもか、これでもかと、芦田川の景観を飽きもせず撮り続けておりますが、今からも、これからも、ズッと撮り続けて行きます事でしょうネ(^-^)/

4/2(土)は、備陽史探訪の会「ぶら探訪〝足利義昭と津郷公儀御座所〟」に参加(5)

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惣堂明神社を後にしますと、次は「合戸砦跡」を訪問です。
 農地を横目にノンビリと歩いておりますと、んっ!?…農地の片隅に天文台が(^-^)
 まさか、低地のこんな場所で天体観測も難しいでしょうから、天文台を模した洒落た建物ですけど、う~ん、ひょっとしたら農機具置き場の建物なのかも(^-^)
 丁度、天文台脇でトラクターで農作業をしておれますから、きっと、農機具置き場なのかも分かりませんねぇ~とにかく、微笑ましい視線が向かってしまいます(^.-)☆
 ほどなく、「
合戸砦跡」に到着となりました。こんな案内板が…

 ◆合戸砦跡(ごうどとりであと)

 
合戸砦は、観音堂、合小倶楽部のあたりにあったと思われる。ここは、標高23mの丘陵にあり、福山市街地を一望出来る。
 『西備名区』では、城主として横山修理亮・横山土佐守を挙げて、天正年中(1573~1592)小森の横山氏の従士としている。この観音堂の裏の横山家の墓地には十数基の戦国期頃といわれる五輪等があった。この五輪塔は現在、夕倉の月光寺に移設されている。
 合戸は地名から古代の国郡郷制時代の、郡役所のあったところではないかと言われている。

 --- 津之郷学区まちづくり推進委員会 ---

 備陽史探訪の会より貰った当日の史料には、こんな記載が…

 ◆合戸砦

 ---
当日、備陽史探訪の会より貰った資料より ---

 津之郷町大字津之郷合戸、大目、小山に跨る丘陵上に伝わる砦跡で、現在は、観音堂や地域の集会所があり、『
西備名区』(江戸時代の地誌)には、小森の従士として横山修理亮・横山土佐守が記されています。
 砦の機能として、現状の地表面から防護の為のパーツが想定できるのは、石積となっている斜面のみですが、中世の末期頃の主要往還を取り込む立地であると推定できます。
 北側の高まりの墓所には、横山氏の五輪塔が並んでいましたが、今は月光寺に移され、一部五輪塔の部材が確認出来ます。

 …との事であります(^-^)//"


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4/1(金)は、竹ヶ端運動公園テニスコート脇のサクラ並木を散策でした(^.-)☆(5)

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4/2(土)は、備陽史探訪の会「ぶら探訪〝足利義昭と津郷公儀御座所〟」に参加(4)

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 この塀の向こう(東側)に、足利義昭の居館がありましたのかも…

 ◆御殿山

 
--- 当日、備陽史探訪の会より貰った資料より ---

 津之郷町大字津之郷本谷の丘陵上にある足利義昭を祀る惣堂明神社の東の平坦面で、足利義昭の居館跡と伝えられています。居館と伝わる平坦面は、東西50m、南北25mあり、切通を挟み西に
惣堂明神社があり、南側には階段状に平坦面が続き義昭近臣の居所だったのではないかと言われています。
 義昭が、この地に御座所を移した明確な時期は、史料の不足からわかっていませんが、天正10年(1582)秋から天正13年頃の間ではないかと推定しています(「吉川文書」五〇一)(「三浦家文書」一〇七「水野記」。

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4/1(金)は、竹ヶ端運動公園テニスコート脇のサクラ並木を散策でした(^.-)☆(4)

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 どちらのグループに眼を向けましても、皆さん楽しそうに談笑です(^.-)☆ 咲き誇る桜は、コロナ禍の沈んだ気持ちを忘れさせてくれまして、本当にイィものであります(^-^)//"

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4/2(土)は、備陽史探訪の会「ぶら探訪〝足利義昭と津郷公儀御座所〟」に参加(3)

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 チョッと眼を引きます建物が二つばかり(^-^)
 これを横目に、
惣堂明神社の東側の平坦な畑に足利義昭の御殿があったと言われています場所に到着です。

 ◆足利義昭居館跡(御殿畑)

 津之郷町本谷にあり、惣堂明神社の東の平坦な畑に足利義昭の御殿があったといわれている。標高34mの丘陵にあり、山陽道や神島を望むことができる。
 足利義昭は毛利氏を頼って天正4年(1576年)2月より鞆に居住していたが、田邉寺の伝承によると天正13年(1585年)12月に津之郷に到着、御殿畑に住まいし、豊臣秀吉が九州下向中、田邊寺で義昭と対面している。対面の日は『九州御動座記』によると天正15年(1587年)3月12日である。
 徳川幽斉が同年7月17日津之郷の御殿で義昭に会って一泊している。義昭は同年10月に大阪に帰着している。

 --- 津之郷学区まちづくり推進委員会 ---

 そして、
惣堂明神社に上がります。
 石段上がり口の左脇には、二つの案内板が存在しまして、これには、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆惣堂明神社(そうどうみょうじんじゃ)

 祭神は猿田彦神・室町15代将軍 足利義昭夫妻を祀る。
 創建を記録したものはないが、旧津之郷村では三島明神社とともに中心的な神社である。
 明治21年(1888年)台風の被害を受け再建された記録の棟木と神官が再建を願い出た古文書がある。
 寛延2年(1749年)正月吉日建立の折れた鳥居が保管されているが、台風との関わりはわからない。
 明治29年(1896年)に鳥居は再建されている。
 北口参道の鳥居は昭和3年(1928年)に建立されたものと思われる。
 「鐵登長平」が明治32年(1889年)勧進元で興行した「大相撲の奉納額」と若者が力比べをする「力石」
 が二個ある。

 
--- 津之郷学区まちづくり推進委員会 ---

 ◆津之郷惣堂ひんよう踊り

 -- (福山市指定無形民俗文化財) --

 この踊りは、土屋半兵衛が寬政6年(1794年)に当地に広めたと言われている。
 ひんよう踊りは、「花踊り」とも「きりこ踊り」とも呼ばれ、旧沼隈郡内の津之郷・赤坂・神村・本郷を中心に旧暦8月14日か15日の宵に氏神様の境内で豊作に感謝して踊られたもので、今日まで各地で伝承されている。
 津之郷の場合は、現在秋祭りに惣堂神社で行われている。基本的には本郷町のひんよう踊り(県無民)と共通するところが多いが、踊りの構成・服装・歌詞などに多少の違いがある。内側に羽織・着物(かっては紋付・袴)を着、梵天を持った男性、外側に音頭取り(二人)、拍子取り(二人)、太鼓打ち(一人~二人)とキリコを持つ踊り子(児童)が取り囲む。キリコは伝八笠に多角形の行燈を付け、さらに
行燈上に笹を付け、梅・桜を模した花で飾る。これを踊り子の頭の上に載せ、笠の周囲に木綿白布を垂らし頭を隠す。キリコを頭に戴く形式は古い形で、江戸時代の「御門状答書」の付図と同じで、本郷のひんようと異なる。
 ゆっくりとしたテンポの音頭に合わせ、緩やかな動作で踊る素朴な踊りである。

 ---
津之郷学区まちづくり推進委員会 ---

 ◆中世の津郷(津之郷)

 --- 当日、備陽史探訪の会より貰った資料より ---

 今回探訪する広島県福山市津之郷町は、鎌倉時代から室町時代には、郷分町、山手町、赤坂町を含めた地域として「
津郷」と呼ばれていました。
 史料には、嘉元4年(1306)の「昭慶門院御領目録」(竹内文平氏旧蔵文書)に「津本郷」。明徳4年(1393)4月7日付け「備後国御領所注文」(細川文書)に、守護領所として「津郷領家職・公文職」。文明3年(1471)6月16日「西国寺不断経修行勧進井上銭帳」(西国寺文書)に「津郷観音寺」と書かれています。
 山手町に所在する山手銀山城を中心とした勢力の範囲内に推定でき、小森館の横山氏は、山手杉原氏出身とされる杉原盛重の重臣として史実に登場します。
 天正10年の織田信長が本能寺の変で倒れた頃、足利義昭は御座所を鞆から津之郷に移しました。このことは、極端な言い方をすれば、津之郷に幕府が置かれていたともいえるのではないでしょうか。

 ◆足利義昭

 ---
当日、備陽史探訪の会より貰った資料より ---

 室町幕府15代将軍。天文6年(1537)11月3日、室町幕府12代将軍足利義晴の次男として生まれる。母は近衛家の女。天文11年(1542)11月20日に奈良興福寺一条院に入室。僧となる。兄の室町幕府13大将軍足利義輝が松永久秀などの襲撃を受け自害した永禄8年(1565)7月、興福寺を脱出。諸国の大名に幕府再興のための支援を求めた。
 これに応えた織田信長と共に永禄11年(1568)9月26日に入洛し、10月18日征夷大将軍となる。
 元亀4年(1573)織田信長と対立し、都を追われ紀州に逃れる。天正4年(1576)2月8日突如として毛利氏の領国内の備後鞆に動座、小松寺に入る。
 鞆において諸国の大名に呼び掛け、織田信長包囲陣を形成し、一時的に信長を窮地に陥れるが、及ばず徐々に毛利氏も対織田戦において劣勢となる。沖家とよばれる能島村上氏の不穏な動きや、来島村上氏の織田方への寝返りなど、海に面した鞆の防衛体制の貧弱さを不安視した義昭は、最終的に少し内陸の津郷を望み御座所を移した。
 天正15年(1587)3月12日赤坂町で豊臣秀吉と対面。その後帰洛し、天正16年(1588)正月13日、従三位・征夷大将軍権大納言である足利義昭は出家。昌山と号し、准三宮の宣下を受ける。慶長2年(1597)9月8日大坂曾根崎にて没。

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昨日、我が家近くのファミマでタバコを求めましたら、ラッキーでした\(^o^)/

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 我が家近くのファミリーマートに、大概、毎日立ち寄りましてタバコを1箱求めますGONsan。
 昨日も、夕方近くに、いつものように立ち寄りタバコ1個を購入となりました。ら、「当たっていますから、チョッと待って…」と店員さん(^-^)
 「んっ、何で!?」…と不思議でしたが、もぅ1箱無料で貰いましたから、事情が分からず困惑のGONsanでしたけど、とりあえずラッキー\(^o^)/
 挿入の画像の左側の銘柄「PHILIP MORRIS ONE(430円)」を毎回求めますけど、「レシートに当たりの表示です(^-^)」と定員san。
 GONsanなんぞは、タバコの精算時のレシートは、受け取りと同時に確認もせずにゴミ箱行きとなりますから、黙って渡されましたら、何にも気付かず、当然のようにごみ箱行きとなりますところでありました。
 詳細が分からず困惑しましたけど、当たりで貰いましたのが、高額商品の「MEVIUS ONE(580円)」ですから、一層嬉しいGONsanなのでありました(^_^)v
 我が家に帰り、ファミリーマートのホームページを確認してみましたら、こんなキャンペーンがありましたネ(^-^)
 『1個買うと、1個もらえる』キャンペーンが(^.-)☆
 ですが、これは「キリン生茶」のキャンペーンでありました。ホームページ内を捜してみましたけど、タバコのキャンペーンは特にありませんでしたネ。
 まぁよく分かりませんけど、タバコにも、こんな類似のキャンペーンが展開されていましたのでしょうねぇ~
 同じ商品をもぅ1個かと思いましたら、高額の他商品をもぅ1個ですから、とにかくラッキーでしたネ(^-^)//"
 本日は立ち寄りませんけど、明日の夕方は、またタバコを求めてファミマ行きとなりますけど、連続で当たりますとイィですねぇ~まぁ、そんなに甘くはないのでしょうが(^-^)/"

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4/1(金)は、竹ヶ端運動公園テニスコート脇のサクラ並木を散策でした(^.-)☆(3)

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 市民球場近くまでヤッて来ますとサクラ並木も途切れます。ですから、ここでUターンし、帰路はウォーキングロードをノンビリとスタート地点へと(^-^)
 折り返して間もなく、中国風のあずまや付近では、ランドセルを背負った娘sanを、お父さんが色んなアングルで撮っておられます。
 まだ入学式も先なんですけど、そぅですネ…入学式にはサクラが似合います。わざわざ制服・ランドセルを持参し記念撮影…う~ん、イィ光景です。娘sanも嫌がらずに、嬉しそうにポーズを取っていますから、実に微笑ましい光景です(^_^)v
 GONsanも、遠慮がちに、少し離れた所からこの様子をパチリです(^.-)☆

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4/2(土)は、備陽史探訪の会「ぶら探訪〝足利義昭と津郷公儀御座所〟」に参加(2)

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 公民館をスタートしまして、まず向かいますのが「足利義昭居館(鞆幕府)趾・御殿畑」「惣堂明神社」のようです。
 その途中、眼に入りましたのが『
真言宗如意輪山田邉寺(奈良時代建立 旧和光寺)』の立派な石柱。

 ◆
真言宗如意輪山 田邉寺

 福山市津之郷町に在る真言宗如意輪山田邉寺は養老五辛酉年(721)行基菩薩が開基し、無量寿院和光寺と称す。本尊は無量寿(阿弥陀)如来で、仏師春日が大和国長谷寺の本尊十一面観音を彫刻した余木で造ったと云われる。弘法大師が唐より帰国し、上京の途中大同二年(807)当山に立寄り、塔を建立するなど当山を再興した。

 …との事ですけど、ふ~ん、津之郷には歴史のあります立派なお寺がありますのですねぇ~

 それから、津之郷小学校方向に進んで行きますと、小学校敷地内に、「福山市史跡 本谷弥生遺跡」と「貨泉(福山市指定重要文化財)」の案内表示板が…案内板には、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆福山市史跡 本谷弥生遺跡

 --- 福山市津之郷町大字津之郷 1960年(昭和35年)3月31日指定 ---

 この遺跡は、津之郷の平野の北辺部に位置し、かってはこの附近まで海が湾入していました。
 1943年(昭和18年)、ここから弥生土器にまじって貨泉(市指定重要文化財)が出土しました。
貨泉は、中国の新の時代(AD14年)に造った貨幣で、朝鮮半島を経て伝わったものでしょう。
 また、縄文土器(後期)や土師器、須恵器も出土しています。
 縄文時代の後期から人が住みつき、弥生時代に大きな集落をなし、古墳時代にも集落があったことがわかります。

 --- 福山市教育委員会 ---

 ◆
貨泉(市指定重要文化財)

 
貨泉は、中国新の王莽(おうもう)が天鳳一年(西暦14年)に鋳造した貨幣で、中央に方孔があり右側に「貨」、左側に「泉」の二文字を鋳出している。日本へは朝鮮半島を経て伝わったものと考えられ、中国文化の東方波及を示すとともに、弥生時代中期の年代を明確に示す好資料となっている。
 この貨泉は、昭和18年(1943年)に津之郷小学校校門脇に防火用水地を造成中、地表下1.3~1.4mの弥生土器を含む土層から出土した。直径2.3cm、方孔は一辺7.5mmで右側の「貨」の字は鮮明でない。裏面は無文である。
 津之郷は古来より奈良津、深津、吉津などとともに奥深く湾入した良港として栄えたことも考えられ、こうした地理的背景の上に大陸との文化交流を物語る遺物が出土したことは重要である。

 --- 津之郷学区まちづくり推進委員会 ---

 ふ~ん、
貨泉は、中国の新の時代(AD14年)に造られた貨幣との事ですから、想像も及びません永い年月を経て津之郷から出土とは、感動してしまいましたネ(^-^)//"

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4/1(金)は、竹ヶ端運動公園テニスコート脇のサクラ並木を散策でした(^.-)☆(2)

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 ブルーシートを敷き、今からお弁当を広げます準備中の方々も(^.-)☆
 満開は、もぅ2~3日先のようですけど、天気もイィし暖かいし、絶好の花見日和。やはり、サクラ見物は、風も無くのどかな日差しの下が最高ですねぇ(^-^)//"

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 4/2(土)は、備陽史探訪の会主催の「
ぶら探訪〝足利義昭と津郷公儀御座所〟」に参加となりましたGONsan。
 集合場所は、A.M.9:00に津之郷公民館で、車はJA福山津之郷支点に駐車し公民館までは歩いて集合となりました。
 
津之郷は、弥生時代や奈良平安時代の遺跡が広く分布し、中世には最後の室町将軍足利義昭が居を構えた場所でもあります。今回は、備陽史探訪の会の皆様と、この津之郷を廻りながらそれらの痕跡を辿って行く事となりました(^-^)//"

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 ・名前 GONsan
 ・年齢 大人
 ・性別 男子
 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


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